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ナルちゃんこと、浩宮徳仁親王にまつわる伝説というか事件簿です。

参考:【徳仁の(゚Д゚)ハァ?な発言シリーズ】、【あとよろ

■第1期-初等科入学前-■編集

  • 4歳誕生日を前に母美智子さまが「(浩宮は)食事などでも魔法みたいに自然にテーブルに出てくるものだと思いがちのようです」と語る事件
『美智子さまの気品―陛下とお子さま、そしてお孫さまと歩まれた50年』江森敬治、主婦と生活社(2008年)より

 皇太子さまの四歳の誕生日を前に皇后美智子さまは、
「この四年間、強く感じたことですが、第三者が真剣に働いている姿を見る機会に恵まれていません。たとえば、食事などでも魔法みたいに自然にテーブルに出てくるものだと思いがちのようです。それで、まだ小さい時に、手を引いて大膳で料理を作っているところをわざわざ見せに行ったこともあります」と、述べられている。


  • 3歳誕生日パーティーで「オサルノ カゴヤダ ホイサッサ」と歌った後、レコードのノイズ音「プツン、プツン」を口再生する事件
  • 交通博物館見学でパトカー模型を目にして「アッ、警視庁ダ。警視庁モッテルヨ。ボク警視庁モッテルヨッ」事件
『明星増刊』1964年5月緊急号<かわいいおもちょいナルちゃん言葉>

p.141より引用
 昭和38年2月23日、ナルちゃんは満3歳のお誕生日を迎えられました。(中略)美智子さまがお作りになったバースデー・ケーキの3本のロウソクを勢いよく吹き消されたナルちゃんは『おサルのかごや』を歌い始めました。「オサルノ カゴヤダ ホイサッサ」ご一同が拍手しようと手をおかまえになったとき、とつぜん「プツン、プツン」と声を出されて、ご一同びっくり。
「ナルちゃん、いまの“プツンプツン”ってなーに」正田恵美子さんがおたずねすると、
「レコードがそういったよ」とケロリとされていました。“プツン”“プツン”という音がしたのです。


 ことしの2月26日、鷹司平通氏がおつとめになっている交通博物館にいらしったナルちゃんは、ミニカーがずらりと並んでいる前にじーっと立っておられましたがとつぜん、
「アッ、警視庁ダ。警視庁モッテルヨ。ボク警視庁モッテルヨッ」とパトカーを指さして大喜びでした。
参考ようつべ:4歳浩宮のおしゃべり「19931231皇太子妃誕生物語5」 2:20~


  • 子供が茶碗を叩いて面白がって遊ぶのはよくあることだが、徳仁の場合はお母さまに二度三度言われても、お父さまにお尻を叩かれても止めず、ついには罰として外に出されるまで茶碗叩きを止めない、異様過ぎる茶碗叩き遊び熱中事件
『浩宮さま』浜尾実

p.52より抜粋
 浩宮さまは、両陛下からはもちろんのこと、私からもよく叱られたものであった。
 お食事のことで両陛下が厳しかったために、お叱りをうけるのはお食事の前後が多かったようである。一般にスプーンを使って自分で食べられるようになった子供は茶碗を叩いて面白がることがある。浩宮さまもそういう時期があった。
 「イケマセン」と皇后さまがやさしく言われるのだが一度でお止めになるときとそうでないときがある。
 二度三度言われてもおききにならないときは、陛下のご出馬となる。陛下はしばしば浩宮さまのお尻を叩かれた。あるときはその茶碗叩きをお止めにならないという理由で庭にだされたこともあった。
Part1592-703発掘奥様によるご紹介≫


  • 1964年3月に皇太子殿下(当時)と美智子さま・浩宮(4)が千葉県房総半島旅行、吉田屋旅館で初めてスリッパを出されどうしてよいのかわからず固まってしまう、ごゆっくり風味事件
    ソース:2007/11/07秋の皇室番組SPでの「皇太子ご一家房総旅行でのスリッパ履き替えエピソード
  • 1964年10月浩宮(4)はじめての学習院幼稚園運動会、「カゼをひかれたあと」との理由で何故か一人だけござの上で寝転がる姿を披露事件
    ソース:『週刊平凡』サヨナラ1964写真集あの日あの時12月10日増刊号<ボクは赤組 秋の運動会>グラビア
  • 1965年秋、当時の皇太子ご一家が軽井沢静養で作家・川端康成氏の山荘を訪問、その際5歳半過ぎの浩宮は挨拶もなしにビスケットを6つ7つ立て続けに食い、そのまま「おさきに」とだけ言って去り、川端氏に「かういふ習はしがおありなのだらうか」( ゚д゚)ポカーソとせしめる事件
『川端康成全集 第十二巻』新潮社、昭和四十五年五月十日発行

pp.321-329「美智子妃殿下」より抜粋引用
 新宮(=礼宮)さまのご安産、そしてご命名の日を迎へられたのを、私もおよろこびする國民であるとともに、私ひとりのひそかなよろこびも、それに加わつてゐる。ご安心といつては、あるひは失禮にあたるのをおそれるが、ご出産の(1965年)十一月三十日の五十日ほど前、皇太子ご夫妻が軽井澤をお引きあげになる二日ほど前、美智子妃殿下が私の山小舎をおたづね下さつて、常ではないおからだに、萬々一おさはりがあつてはと、私はご心配したからである。
 軽井澤の私の山小舎に近づくと、小路に勾配がついてゐて、雨水に土の流れるのをふせぐために淺間石をごつごつ埋めてあつて、車ががたつくし、その小路から、急な段々を山小舎までのぼらねばならない。しかも、お越しくださるといふ日は、九月十日過ぎながら、千メエトルの高原のかなり冷たい雨になつた。暖爐に薪をたくほどであつた。
 妃殿下の内々のおいでは私どもはありがたいけれども、惡い小路の車のがたつきをおそれて前もつてそれをお傳へしておいた。しかし、もつともご心配のない月とかで、やはりお見え下さることになつた。下の小路に二三臺の車がとまつたので、私たちはあわてて段々をお迎へにおりた。車から出られる妃殿下に、雨がさをさしかけようとすると、妃殿下は逆に雨がさを私にさしかけようとして下さる。妃殿下はさういふお方である。
・・中略・・
 ふつと私に雨がさを傾けて下さりさうになさつたのも、さういふおやさしい性である。正田家にいらしたころのしつけでもあるかもしれない。しかし、妃殿下は妃殿下おひとりの雨がさで、山小舎におのぼりになつたのはもちろんである。この日は、妃殿下だけがお越し下さるとのことであつたが、皇太子殿下と浩宮さまも、下の細道まではごいつしよで、山小舎の上がり口で車をお降りになつた。私たちはそこでごあいさつした。
・・中略・・
 とにかく産月近いおからだで、私の山小舎へおいでいただいたのも、なんのお障りもなかったことで私たちはうれしい。そのときは暖爐に薪をたいて、およそ二時間ばかりお話をした。
 思ひがけないことには、皇太子殿下が愛宕山の帰りにお迎へにおいでになつた。この夏は、浩宮さまをお鍛へになるおつもりで、小淺間をはじめ、軽井澤の小山を六つか七つお登りになつたさうだが、その日は愛宕山にお登りになる豫定で、冷雨のなかを實行されたらしい。愛宕山もてつぺんのあたりは車が行かない。私の山小舎の下の細道へおいでになつた皇太子殿下は、洋服の半身がお濡れになつてゐた。少しお休み下さいませんかといふと、浩宮さまとごいつしよに山小舎へあがつていらした。
 浩宮さまはおなかがすいていらしたのか、ビスケツトを六つ七つ、たてつづけに召しあがつた。そして間もなく、「おさきに。」とおつしやつて、おひとりでさつさと扉をお出にならうとした。かういふ習はしがおありなのだろうか。浩宮さまがお出になつて、皇太子皇太子妃殿下もお帰りになつた。妃殿下は皇太子殿下のお車で、皇太子のご運轉は石のごろごろを避けて、お靜かで、お見送りの私たちは胸をなでおろした。もし、皇太子殿下のご運轉などとわかれば騒ぎで、これも軽井澤のご自由のひとつであらう。
(東京新聞昭和四十一年一月四日初出。旧仮名遣いは原文ママ、旧字体は一部新字体に改めている。丸括弧は補足記載で原文にはなし)


  • 幼少時の家族ハイキング時、皇太子殿下(=今上陛下)は常にリュックの中に分厚い植物図鑑をお持ちになり興味のある植物を見つけては立ち止まって調べられるのに、一方浩宮はマイペースでどんどん歩きたいと陛下と一緒に立ち止まらなくてはならないのが面白くなく、ある時お二方は険悪な雰囲気に…それを美智子様がとりなした事件
『岳人』1997年6月号への徳仁寄稿文より、ttp://www.youtube.com/watch?v=RNeZDm_EyCA 参考ナレーション入りYoutube映像

五歳のとき、父に連れられて初めて、離山(はなれやま)へ登って以来、軽井沢近辺の山々を歩くのが好きになった。父は山登りの途中、たとえ花のない植物であっても、興味を抱いて足を止めおもむろにリュックサックから分厚い原色日本植物図鑑を取り出す。そのたびに、頂上に早く着きたいという私の望みは絶たれるのであった。母の回想によれば、父のたびたびの停車に業を煮やしたのか、山頂に到着したとき父と私との間には一種険悪なムードが漂っていたそうである。


『岳人』2005年10月号 東京新聞編集局長水野和伸<山での皇太子さま 担当記者同行記>記事 p.18より引用
足慣らしという奥多摩の棒ノ折山では、(徳仁)殿下一行のペースの速さにギブアップする記者が続出した。


※今上陛下(当時皇太子殿下)によるゆったりハイキング理由については、重い荷物・機材を運んでいる随行員とマスコミ記者を気遣ってのことと言われている。大人になったナルちゃんがこの配慮を理解できたかについては、後掲「だらしないですね」事件からして、かなり疑わしいと言わざるを得ない。


  • 1965年10月3日学習院幼稚園運動会にて同年11月末に後の秋篠宮殿下をご出産される臨月の美智子さまもご観戦、ナルちゃんはフォークダンスの相手をすっぽかして見学予定のお母さまに走り寄ってダンスの場に引っ張り出してしまうという、幼稚園児だからしょうがないけど相手の先生の立場ないよね事件
MSN産経【皇室ウイークリー】(153)愛子さま、メディアがプレッシャー?「ナルちゃん」の運動会を振り返る 2010.10.9 07:00

 愛子さまの運動会の様子は次回の皇室ウイークリーで詳しくご紹介することにして、今週は45年前に行われた学習院幼稚園の運動会を取り上げたい。主役は当時5歳だった皇太子さま(浩宮さま)だ。
 「ナルちゃん楽しい半日 学習院幼稚園の運動会」。昭和40年10月4日の産経新聞朝刊はそんな見出しで、浩宮さまの元気なご様子を伝えている。浩宮さまは綱引きとタマ入れの競技にご出場。「顔をまっかにしてふんばったり、元気にタマをなげる姿に、ご両親はいかにも楽しそう」。当時皇太子だった陛下の様子も「ほかのパパ、ママにまじって、三角帽子をかぶり、二人一組で、フラフープの輪をくぐりながらのかけっこ。こんどはナルちゃんが大声援」と紹介している。
 他社の報道だが、当時皇太子妃だった皇后さまは、礼宮さま(秋篠宮さま)の出産を間近に控えていたため、母子が手を取って踊るフォークダンスはご見学の予定だったが「浩宮さまは相手の先生をすっぽかしておかあさまのところに走り寄られていた」。リレーでは「軽井沢できたえられた健脚をみせて力走、ご両親も身を乗り出すようにして声援をおくられた」と、運動会を楽しむご一家の様子を伝えている。
 
参考画像:
1965年10月3日 東京・目白の学習院幼稚園で美智子さまとフォークダンスで手をつないでいる浩宮
1965年10月3日 学習院幼稚園の運動会で美智子さま(ご懐妊中)の耳元で何かを囁く5歳の浩宮。この翌月11/30礼宮殿下ご誕生
1965年10月3日 学習院幼稚園運動会で浩宮が、当時ご懐妊中で見学のみの予定だった母美智子さまに遊戯を一緒にするようねだる事件連結画像(TBS「ひるおび!」2010/10/12)


  • 1965年12月、弟礼宮の世話に明け暮れる母美智子さまに「子犬のガイコツ」をプレゼント、母親の気を引きたがる年頃だからしょうがないけど現在だったら間違いなくサイコパスの萌芽扱いされるよね事件
女性セブン1966年2月16日号デラックス版 浩宮さま満6歳ご誕生記念特集号<特集=浩宮さま満六歳のお誕生日おめでとう 少年になった「ナルちゃん」の素顔 いたずら坊主でテレビっ子 もの知り博士でフェミニスト ママに子犬のガイコツをプレゼント>記事一部より引用

 昨年(補足:1965年)十二月、ナルちゃんが一人で葉山のご用邸にお行きになったときのこと――
 東宮御所で礼宮さまのご養育に専念なさっている美智子さまに、ナルちゃんから画用紙のお手紙がとどいた。
 ひらいてごらんになると、なにやらガイコツらしい絵にそえて、鉛筆がき。
『いぬのがいこつ、おおくりします。なるひと』
 とんでもないプレゼントだわ、まさかほんとに‥‥と ・・中略・・
「おたたちゃま、これおみやげですよ」
 ナルちゃんのにこにこ顔につられて、ついうっかり箱をあけられた美智子さまはびっくり仰天。
 なかには、お手紙どおり、子犬のガイコツがごろりところがっていた。
“まあ、こんなもの!”とおしかりのことばが出そうになったが、ナルちゃんは得意満面‥‥。


■第2期-初等科時代-■編集

  • 小学校低学年時代、当時の東宮侍医であった緒方安雄氏のポケットに勝手に手を突っ込んで飴を奪い取る、ほとんどサル並みの振る舞いをしていた事件
元東宮侍医医学博士・緒方安雄著『妃殿下と若宮さま 東宮御所で過した日々』サンケイドラマブックス26(サンケイ新聞社出版局、昭和48年=1973年3月15日1刷発行)

p.174より引用
 それはいつごろであったろうか?
 たぶん浩宮さまが小学初年級ごろであったと思う。
 私は煙草を吸わないのでそのかわりにドロップを数個いつもポケットにいれていて、ときどきなめることにしていた。
 ある日のこと、私の上衣のポケットがふくれているのに気づかれたのか、突然ポケットに手を入れて、そこにはいっているドロップをつまみ出された。
「これアメ? 食べてもいい?」
 とお聞きになる。私は躊躇した。妃殿下が正しく行っていらっしゃる宮さまの食生活を破る恐れがあるからだ。
 しかし、ついには負けて、どうぞということになり、宮さまは嬉しそうに、そしておいしそうになめていらっしゃる。


  • 勉強もしたがらず好きな教科もないナルちゃん、母美智子さまに授業参観に行くのが気が重いとまで感じさせる事件
『美智子さまのおことば』河原敏明、講談社文庫1997年12月15日発行

pp.107-108より引用
ナルちゃんはなかなか勉強しなくて困ってるの。学校は好きなんだけど、これといって好きな学科はなく、学校で好きなものといえば、野球ぐらいじゃないかしら。教育熱心なお母さまが多いから、授業参観に行くのが、とても気が重いこともあるのよ。
ナルちゃんはとてもユニークな存在でしょう。今のところまだ勉強に意欲がでてこないようなので、他のお母さまに見られるのがとても気になるの。  (初等科に入学したころ、親しい友人に)
 
当時、学習院では年に一回全校授業参観が開かれていた(学年のものは年十回近く)。
未来の天皇と同級生になったのだから、同級生の父兄たちは、こぞって授業参観にやって来ては、美智子さまと浩宮に熱い視線を注いでいたことだろう。
美智子さまはは、それを「ユニークな存在」と語っている。しかし、そのお悩みは、「なかなか勉強しなくて」「授業参観が気が重いこともある」などと、ごく普通の母親の悩みとかわらない。
それにしても、珍しく率直に心情を吐かれたものである。


  • 学習院初等科入学した頃の授業参観にて、教科書を読むだけのことにも四苦八苦、母上美智子さまの顔色を変えさせる事件
『週刊朝日』1980年10月24日号 やんごとなき方々の御日常p.37より引用

(『デキゴトロジー vol.1 ホントだからまいっちゃうの巻』新潮文庫 p.252にも所収)
 浩宮様が学習院初等科へ入学されたころの話。
たまたま美智子妃も参加された授業参観の日、なんのはずみか宮様に順番が当たり、教科書を読まれるはめになった。しかし、なかなかすんなりと読めず、四苦八苦される彼を見て、だんだん美智子妃の顔色が変っていった。
 とどめは先生の、
「お家でもう少し勉強してきなさい」
の一言であった。美智子妃は、がっくりと首うなだれ、すごすごと帰途につかれたのである。


  • 幼少時、遊び相手だった養育係浜尾実東宮侍従の息子さんと一緒に、東宮御所で飼っていた熱帯魚を解剖してそれをそのまま放置し遊びに出かけ、父上である明仁皇太子殿下に片付けをしなかったことをこっぴどく叱られる事件
浜尾実『ほめ方上手の親学―頭のいい子になる急所しつけ法』青春出版社プレイブックス新書(1984年)

 東宮御所である日、小さな事件がありました。
 私(=浜尾実氏)の息子は宮さまと年齢が近かったこともあって、お遊び相手としてときどき御所にうかがっていたのですが、宮さまのお部屋にある水槽から熱帯魚をとり出し、二人で解剖してしまったのです。いくつか年上の私の息子のほうが率先してやったに違いないのですが、その解剖した魚の残骸をそのままにしておいたのが殿下に見つかってしまったからたいへんです。
 そのとき宮さまは殿下から大目玉をいただいたのですが、殿下のお叱りは魚を解剖したからということでなく、魚の残骸の後片付けをしないでお庭に遊びに出かけてしまったということだったのです。
 俗にいわれる「ナルちゃん憲法」の一つに「”ながら病”はできるだけ避けること。靴を履くときなども『靴を履いたらおんもネ』といいながら靴を履くことだけに集中させること」という項目があります。
 宮さまはこのとき、涙で顔をクシャクシャにさせながら、ぞうきんで床をふいておられました。
Part1565-504・523発掘奥様によるご紹介≫


『妃殿下と若宮さま 東宮御所で過した日々』元東宮侍医医学博士・緒方安雄 サンケイドラマブックス26(サンケイ新聞社出版局、昭和48年=1973年3月15日1刷発行)

p.44より引用
 若宮さま方は、六歳頃までに、かなり厳しいしつけをお受けになる。お父さま殿下に、暗いお部屋に入れられたり、夜のお外に出されたことも、おありになる。しかし、お叱りになる一方、十分おかわいがりになる。この二つはしつけに欠くことのできぬ両輪である。
(中略)
 両宮さまの叱られぶりも、それぞれ面白い。
 浩宮さまは、放り出された夜のお庭の素晴らしさを、夢中になって、お母さまにご報告になった。


  • 叱られた徳仁が罰として廊下に立たされ晒されている状態が嫌になり、無邪気に一緒にいた弟礼宮を巻き込み歌を歌ってごまかす事件
『妃殿下と若宮さま 東宮御所で過した日々』元東宮侍医医学博士・緒方安雄 サンケイドラマブックス26(サンケイ新聞社出版局、昭和48年=1973年3月15日1刷発行)

pp.45-46より引用
 浜尾侍従は、この浩宮さまのお仕置きの別の光景を、次のように話している。
 浩宮さまが罰として立たされた廊下は、侍従やその他の職員が通るところで、罰せられるつらさよりも、これらの人に見られることのほうがつらかったようだ。
 そのうちに礼宮さまが、
「お兄ちゃま、なにしているの? ボクもいっしょにいてあげるよ」
 というふうに並んでお立ちになった。が、ていさいの悪いことには変わりがない。そこで、浩宮さまは、一計を思いつかれた。それは歌を歌うことであった。歌っていれば罰で立たされているとは誰も思わないであろうというわけか。
 ともあれ浩宮さまは、大きな声で歌いはじめた。礼宮さまは、とつぜん歌いはじめたお兄ちゃまの口もとをポカンと見ておられたが、ご自分は何をなすべきかを、すぐに了解され決意したようで、ご自分もたどたどしく歌いはじめになった。まさに二重唱というべきである。
 このご様子をご覧になった妃殿下は、
「もう叱られたことを忘れてしまったでしょうね」
 と、思わずほほえまれ、やがて、ご自分も楽しそうに合唱に加わられた。
 内舎人があまりやかましく、お叱りしたとき、浩宮さまは私のいた第二内廷の部屋へはいっていらして、
「ああ、ボクは内舎人になりたいよ。叱ってばかりいればいいんだもの」と、心からではなく、なかばからかう気持ちで嘆いていらしたことがあった。そのときお兄さまといっしょだった礼宮さまも、
「そうだ、そうだ」と、協同作戦をとっていらした。


※【スライド】の項目も参照されたい。


浩宮様と浜尾実さん http://jp.youtube.com/watch?v=SIl3AIvPELw

1972年4月15日放送「ぼくら一年生」引用映像あり、5分15秒あたりから
女性司会:昭和45年大阪で開かれた万博。
浜尾実 :いろいろなところをお供しておりますとね、帰ってから、浜尾さんああいうものがあったね、あれはよかったねとか、面白かったねと、いろいろおっしゃってくださるんですけども、実は私は見てるようなふりをして全然見てない(笑)宮さまのことが心配で、怪我をなさらないだろうか、転ばれないだろうか、少し寒くて風邪ひかれないだろうかとかいうことばかり気にしておりますのでね。ほとんど憶えてないんです。
女性司会:大変ですねえ。
浜尾実 :(笑)
女性司会:本当あの、浩宮さまは本当に子供らしいというか、嬉しそうですね。なんかこれあの待望の(浩宮がボートアトラクションに乗っている映像について)、2回お乗りになられたんでしょ。
浜尾実 :一度というお約束だったんだけども、「浜尾さんもう1回いいでしょ」とおっしゃって2回お乗りになったんですね。
女性司会:それであんな嬉しそうな。
浜尾実 :これは番外なんです(笑)


  • 大阪万博見学で、偶々一緒になった小学生の女の子に執着し、当人はその場から去ってしまったのに「あの子がいないといやだ」と探し回らせ周囲を困らせる事件≪2ch書き込み≫
ニュース速報+板より【皇室】 眞子さまと佳子さま、卒業式★2

802 名無しさん@十周年 sage 2010/03/22(月) 22:12:30 ID:gdgyskiR0
>>784
うちの叔母は大阪万博の時に浩宮様と一緒に自動車に乗るイベントで選ばれたんだ
でも派手がましくて拒んだら、浩宮様が絶対この子でないと嫌だっておっしゃられて、
場内放送で探されて強制的に乗せられたんだよ
その話し聞かされてそこまで執着するって意外だと思った。


  • 大阪万博にて取材カメラの前で「シェー」をしてみせる事件
  • 一家で浜名湖静養の折り、養殖ウナギを見学した浩宮は自分では手を出さず、浜尾実東宮侍従に「つかんでみたら」と言う、自分が嫌なことを他人である大人に命じてやらせようとする臆病ぶり事件
『週刊現代』2009/1/24号<再生&激変'09年の論点/雅子妃には「離婚」という選択肢もありうる>当時浜名湖同行取材していた渡辺みどり記事

p.33より引用
 皇太子と秋篠宮の性格の違いを物語るエピソードで、思い出されるのが昭和40年代にご家族で浜名湖に行かれたときのことです。
 養殖されているウナギの桶を覗きこんでいた浩宮は、自分では手を出さず、東宮侍従の浜尾実さんに「つかんでみたら」とおっしゃった。一方の礼宮は桶にひょいと手を入れ、ウナギをつかんで振り回したんです。
 いま皇室のなかで、秋篠宮の存在感がだんだんと大きくなっているように感じられますが、あのときのお二人の様子は、鮮明な記憶として残っています。


  • ロイヤルボックスでサーカス鑑賞の徳仁、ひじをつく行儀の悪さを何度も浜尾実侍従に注意され、しまいには肘を強く払われるという実力行使まで受けてしまう、公衆の面前で注意されてるのに鈍すぎやしないか?事件
『週刊女性』2010年9月21日号<不登校発覚から6か月 新学期の課題を識者3人が緊急愛のムチ提言「愛子さまは、ご挨拶くらいちゃんと…」>表紙

pp.29-30より引用
渡辺みどり
「・・前略・・皇族としてのマナーやお気遣いは、やはり小さいころからしつけをしないと身につかないと思います。
 皇太子さまが子ども時代、ロイヤルボックスでひじをついてサーカスを鑑賞されていたことがありました。それを当時の浜尾実侍従が何度も注意して最後には、ひじを強く払ったこともありました。
 時にはそういう強いしつけというものが必要なのです。・・後略・・」


※後に娘愛子を連れて一家で神宮球場野球観戦をすることになるが、その折の愛子肘つきを父親としても全く窘めないというオチがついている。
参考画像:2009/7/12東宮一家野球観戦@神宮球場 だらしない肘付き姿の愛子に、それを全く注意しようともしない雅子と徳仁


  • 学校でミカンが配られたが、皮の剥き方が分からずそのまま持ち帰る事件
殿下の料理番―皇太子ご夫妻にお仕えして』渡辺誠著、小学館文庫(2002年)

p.38より引用
 陛下や殿下のご日常のお食事では、「お直し」と言って、フルーツもすべて手を加えてからお出しします。たとえば、ブドウであればひと粒ずつすべて皮を剥き、種を取り除きますし、ミカンもオレンジも皮を剥き、わかりやすく言えばミカンの缶詰めのような状態にして、召し上がっていただきます。
 これについて、こんな話を聞いたことがありました。
 現在の皇太子殿下がまだ小学生や中学生でいらしたころのこと。学校でミカンがひとつずつ配られたことがあったのだそうです。ところが、お直しのミカンしかご存じなかった殿下は、ミカンの皮の剥き方がわからず、そのまま持ってお持ち帰りになりました。その話をお聞きになった美智子さまが、なにごとも皇室のやり方だけでなく、世間一般ではどのようにされているかということも殿下には知っていただくようにしたい、とご要望になったと伝えられています。


  • 時期不明であるが小学生ぐらいか? 学習院時代生徒の一人が食べていたお弁当の中身に興味を持ち、わざわざお付きの人員(浜尾実氏?)に質問させ、めでたく赤いタコさんウインナーゲット事件
ツイッター書き込みWebArchive記録魚拓記録

高校の恩師が学習院出身で、当時お弁当食べてたら遠くから皇太子様が見てたらしく、お付きの人が寄ってきてタコさんウインナーのことを「その赤いのは何ですか?と殿下が質問されております」て言われたそう。「良かったら召し上がられますか?」て差し出したら喜んで食べてくれたんだって言うてた。
17:44 - 2015年9月20日


女性自身別冊 1971年4月皇室特集号、浜尾実氏インタビュー記事より浩宮「浜尾さんの家は地震になったらつぶれるネ。ぼくの所は鉄筋だから大丈夫だよネ」

 いつのことだったか、浩宮が浜尾さんの官舎へ遊びに来られたとき、とつぜん、
「浜尾さんの家は地震になったらつぶれるネ。ぼくの所は鉄筋だから大丈夫だよネ」
 と言われたことがあったそうだ。それは子供らしいとっさの感じを親しみの中で言葉にされたのだろうが――正直のところ雨漏りのする官舎である。


■第3期-中等科時代-■編集

  • 学習院中等科1年に進学した浩宮、成績表を持ち帰り「おたたさま、お点が赤座布団の上に乗っかっているよ」と母美智子さまに報告。成績の悪さを赤いアンダーラインで注意書きされるほどに勉強は不出来だった事件
『フォト・ドキュメント 浩宮さまのとっておき会話 お誕生から、ご婚約へ』松崎敏弥、光文社1987

p.30より引用
中等科1年生の成績表
浩宮「おたたさま(お母さま)、お点が赤座布団の上に乗っかっているよ」
(中等科1年生のとき、成績表を学校から持ち帰られたが、成績表に赤いアンダーラーンをひいて注意書きがひとつあった。浩宮さまのユーモラスな表現に美智子さまも思わず苦笑を)


  • 初等科の頃から登校時に振り返って母美智子さまに向けて行ってきますのお手振りしていたナルちゃん、なんと中学に入っても続けていてついに美智子さまから「もう、やめましょうね」と言われてしまう事件
『美智子さまのおことば』河原敏明、講談社文庫1997年12月15日発行

p.108より引用
もう、やめましょうね。    (浩宮が中等科に進んだときに)
 
初等科時代は、浩宮は登校するとき、見送りに立つ美智子さまに振り向いて手を振る習慣があった。
この言葉を口にすることは、美智子さまにとってもお辛いことだったろう。
「中学生になって、大人になったのだから……」と心を鬼にして、ご自身の子離れのためにもこうおっしゃったのではないだろうか。
Part2233-797奥様ご紹介)


  • 3歳の妹紀宮について12歳浩宮が言葉を求められ、「サーヤはキラキラで一生懸命ね」と年齢の割に幼すぎる発言、取材記者が何とかフォローしてあげる事件≪2ch書き込み≫
Part1555-918 可愛い奥様 sage 2009/05/21(木) 16:02:50 ID:+Iwr5zMqO

サーヤの三歳(白いワンピース着てスキップしてる写真付)のお誕生日の記事に、兄の浩宮さまの妹評が載っていた。
“サーヤはキラキラで一生懸命ね”
私が今でもその記事を覚えているのは、その後に続く記者の方の〆の文章のせい。
“意味はわからないが何となくわかる表現。”って書いてあった。
当時浩宮さまは12歳6年生なのに、妹のこと聞かれた答えが記者さんに目一杯フォローされてるって、子ども心にもびっくりした。
何となく雅子さんと話が合うわけだよね。
 
Part1556-20 可愛い奥様 sage 2009/05/21(木) 19:00:02 ID:QVqmm75/0
>>前スレ918
>サーヤの三歳(白いワンピース着てスキップしてる写真付)のお誕生日の記事に、兄の浩宮さまの妹評が載っていた。
>“サーヤはキラキラで一生懸命ね”
 
>当時浩宮さまは12歳6年生なのに
 
サーヤ3歳の誕生日なら1972年の4月18日。
ナルさんは1960年2月の早生まれだから12歳中1だよ。


  • 中学生のとき、知人に送った年賀状で「賀正」の賀の字の貝が横一本足りなかったのが、はっきりTV画面に映った事件
  • 中等科時代、数学の家庭教師の授業を受けていた折、問題の答を間違えることが嫌でなかなか解答を示そうとしなかった事件
浩宮の学習院高等科時代の主管=担任であった小坂部元秀著『浩宮の感情教育』飛鳥新社(2001年3月27日第一刷発行)、pp.21-22より引用
 ――高等科の数学科の佐藤茂人教諭が、中等科時代の浩宮の家庭教師をつとめていたことがある。その時の話で、浩宮は自信がないと練習問題の解答をなかなか示そうとしなかったとか。数学の誤答を提出することを、嘘をつくことと同義に考えていたという。中等科の彼には「誤答」→「嘘をつくこと」=「いけないこと」という、常識では考えられない思考の枠がはめられていたといえよう。


  • 中等科時代、東宮御所で家庭教師の授業を受けているときに「窓を少し開けた方がいいね」と言われて窓を全開、「もう少し閉めて」と言われて今度は全部ぴたっと閉めてしまう、窓の開け閉め加減が理解できない事件
小坂部元秀著『浩宮の感情教育』飛鳥新社(2001年)、pp.73-73より引用

 この学年の相(原文ママ)主管の佐藤茂人教諭が、浩宮の中等科時代に数学の家庭教師を引き受けていたことは先に述べた。
 冬の東宮御所での勉強中、部屋の暖房が利きすぎているので
「窓をすこしあけた方がいいね」と言うと、全部開放し、しばらくして
「もうすこし閉めて」と言うと、ぴたっと閉めてしまった。
 ――「浩宮には、窓をちょうどよく開けたり閉めたりするってことが出来ないんだ。自分で窓をしめたりあけたりする習慣が、小さい時からなかったんだろうね」と佐藤さんは言い「だから家庭教師に行った時には、なるたけ自分の部屋の窓のあけしめをやらせたんですよ」と語ってくれた。
 きちんと決められたことはできるが、きわめて日常的な、小さい時からわれわれが日々の生活の中で自然に身につけるもの、生活の知恵ともいえないような文字通り「瑣事」にうとい点が浩宮にあるのは、やはり否めなかった。
 美智子妃の母親としての細かい心づかいがあったとしても、あの東宮御所で多くの側仕えの人々に付き添われた生活では、そこまではカバーできなかったということだろう。


  • 中等科3年生当時の徳仁を美智子さまが「浩宮の人柄のなかに、わたくしでも習いたいような美しいものを見いだしています」と評する、反抗期には全く無縁っぽい「PURE」風味で寧ろ心配すべきじゃないの?事件
河原敏明著『美智子さまのおことば 愛の喜び・苦悩の日々』講談社文庫(1997年)、p.112より引用
客観的に満足かということではなく、わたくしの感じで言えば、浩宮の人柄のなかに、わたくしでも習いたいような美しいものを見いだしています。浩宮を大切に思っているとしか申し上げようがございません。(昭和49年10月お誕生日記者会見)


  • 中等科修学旅行の宿泊先部屋で枕投げが始まり、同級生の皆は空気を読んで浩宮には当たらないように投げ合っていたのだが、それが「おもしろくなかった(原文ママ)」浩宮はある男子生徒の後頭部を枕で力任せに叩き、その生徒は思わず反撃、ナル顔面に枕がヒットし大量鼻血事件≪週刊女性2010年3月30日号 学習院“深イイ”話7連発 その3 修学旅行の枕投げの夜に起こった…皇太子さま流血事件≫


■第4期-高等科時代-■編集

  • 1976年、知的障害児童施設「ねむの木学園」の宮城まり子園長がご招待を受け園児の絵画作品を持参し東宮御所参内、皆夢中になって鑑賞しているのを面白く思わなかったのか「わたくしのは?」と当時高等科の浩宮が空気読めない発言、それに間髪入れず「あなたのは、1枚残らずちゃんっと、しまってございますよ」とKY徳仁のあしらい方を心得すぎな母美智子さま、絵画で注目を集める知的障害児童の存在に次々代天皇予定者が嫉妬事件
2009年4月12日皇室日記スペシャル「両陛下がはぐくまれたねむの木の絆」より

久能靖:どういうきっかけだったんですか、最初に(美智子さまと)お会いになったのは?
宮城まり子:最初? きちっとお会いしたのは、絵を見たいからって言うので、東宮へ絵を持っていったんですよね。で、見ていただいたとき、皆夢中になっちゃったんですよ。
ったら今の皇太子が、ちょっと嫉妬心かな、「わたくしのは?」とお聞きになったの。ったら皇后さまがね、間髪入れずに「あなたのは、1枚残らずちゃんっと、しまってございますよ」と仰ったの。
そしたらニコーッと笑って、「そう、ありがとう」って言われたときの、その間髪入れずのお母さまの答っていうのは、これは素敵なお母さんだなーって思いました。
当内容記録連結画像
※当事件は『女性自身』2009/4/21号 p.52<ご成婚50年愛の秘話「皇后さまは“日本中の子どものお母さま”」>宮城まり子氏記事でも触れられ、1976年の出来事と判明している。浩宮が誕生日を迎え新年度に入っていれば、16歳高等科2年生である。


  • まだ学生の時、テレビに映って本人が「子供の頃に、僕の家には国道が走っているって言ったら、級友に驚かれまして...(笑)」と無邪気に言っていた事件
  • 学習院時代の皇太子は人の噂になるほどの存在感がなかったらしい。担任の先生も「身分がなければ記憶に残らない生徒だった」といわれてる事件
  • 学生時代に教室の掃除をした時に、皇太子の机を動かそうとして机が倒れ中から寒い点数の答案用紙(本来なら親に見せるもの)がいくつも出てきて、皇太子は「エヘヘヘヘ…」と笑ってごまかした事件
  • 同級生がトイレでタバコを吸ってる間見張りに立たされてた、断るでもなく注意するでもなく、ただただ利用される事件
『週刊現代』1993年1月23日号 p.25より引用

 一方、皇太子は学習院高等科3年のころ、殿下の悪友仲間が学校のトイレの中でタバコを吸った。そのとき、たまたま居合わせた殿下に、「先生が通りかかったら教えてくれ」と、廊下での見張りを頼んだ。頼まれた殿下は抵抗するでもなく、
「あ、そう」
 と数分間の見張り役をお引き受けになったそうです。


  • テニスをしてる女子生徒に玉拾いを命令されてた事件
  • 友人を集めて御所のプールで泳ぐ会を開催、そのとき余りの広さに迷子になってしまった友人の「あまり広いので……」に対し、「そうだね、これもみんなのおかげですよ」ワケワカメ受け答え事件(時期不明なので、便宜的に証言の賀陽正憲氏が同級生だった高等科時期に入れておきます)
『皇室アルバム』vol.10(右)、vol.11(左)<素顔の皇太子殿下を語る お二人の呼吸はぴったり 賀陽正憲(談)>記事(注:vol.10も11も同内容インタビューであるが、vol.11については一部訂正の上再構成している)

p.64より引用
 殿下は常に「みなさまのおかげ」という気持が強くあるようです。ある時こんなことがありました。御所のプールで泳ぐ会があったのです。この時参加した一人が迷子になってしまった。そのうちに出てきましたが、そのとき迷子になった人が「あまり広いので……」と言ったそうです。殿下は「そうだね、これもみんなのおかげですよ」と言われました。


  • 学生時代、学食のカレーを肉多めに盛ってもらおうとして、厨房担当の女性にたしなめられた事件
小坂部元秀著『浩宮の感情教育』飛鳥新社(2001年)、p.67より引用

 ごく稀にではあったが、浩宮も高等科食堂を利用することがあった。浩宮自身が食堂の昼食に興味を持ったためかもしれない。
 カレーライスを注文して、食堂の賄いの女性に
「お肉をたくさん入れてください」と頼んだ
が「高等科のカレーライスは安いでしょう、だからお肉はあまり入っていないのよ」と言われて
「そうですか」と納得していた。そんなこともあった。
 生徒は普通、食堂のカレーライスがどの程度のものか、よく知っていたから「お肉をたくさん……」などという場違いな注文を口にすることもなかったが、そんなところにも世間知らずという意味での浩宮らしさが覗いていた。


  • 学習院男子高等科二年時、第二学国語として選択履修していたフランス語を、恐らく浩宮の頭脳スペックでは授業についていけなくなって放棄、それについて担任が尋ねると「ええ、いろいろ事情がありまして……」と誤魔化す事件
小坂部元秀著『浩宮の感情教育』飛鳥新社(2001年)、pp.23-25より引用

 このあと(補足:当時の皇太子殿下と美智子妃殿下揃っての父母面談で話題が変わり)美智子妃は
「二年になってフランス語をやめてしまいましたが、苦手と申しましょうか、ちょっと不安があったようなのです」
 と、浩宮のフランス語の選択放棄について触れた。浩宮は高等科一年で第二外国語として選択履修していたフランス語をに、二年になるに当たって放棄していた。
 私がこの件について、五月はじめのホームルームのあと、浩宮に雑談風に
「フランス語をやめたんだね」と訊くと、

 浩宮は少し眩しそうな目つきをして
「ええ、いろいろ事情がありまして……」と曖昧な応え方をした。私はそれ以上深く追求しようとは思わなかった。
 高等科では一年次に必修の英語以外に第二外国語として、ドイツ語、フランス語のいずれかを選択必修できるコースがある。しかし第二外国語は、二年、三年と進むにつれて負担が大きくなり、三年では一日に少なくとも一時間、ときには二時間連続の曜日もあって、その日は朝から五十分授業が八時限で夕方五時に終了という具合である。そのため二年になる段階で諦めて選択放棄する生徒があった。
 浩宮もおそらく、その学習負担増と、そこからくる全般的な成績の低下を懸念したのではないか。学習院大学への内部進学推薦基準は、高等科の一、二、三年の全教科平均点が各学年六十点以上というハードルが設けられていた。フランス語の担当教員にきいたところでも、フランス語の成績は他教科に比べて低かったようだ。
「ご本人も“いろいろと事情がありまして……”と、言っておられました」
「そうですか」
 両殿下は顔を見合せ
「将来のことを考えて、英語の他にフランス語も馴れておいた(原文ママ)方がよろしいかと思い、高等科に進むときに薦めたのですけれど……」
 と美智子妃はやや残念そうな表情であった。フランス語は、やはり海外からの国賓などを念頭に置いての将来的な配慮の一環だったのだ、と私は納得した。
 フランス語の選択放棄について美智子妃がとくに話題としたのは、浩宮が私に訊かれたことをご両親との間で話したためかもしれない。いわば浩宮の「いろいろと事情がありまして……」という発言についての微妙なフォローだったのかもしれない。


  • 高等科2年生ぐらいから徳仁が、東宮職・学校関係者らとの懇親会で飲酒(ビール)してた事件
小坂部元秀著『浩宮の感情教育』飛鳥新社、pp.68-69より引用

 宮内庁東宮職と学習院中高等科教員チーム「クラブ服部」とのテニスマッチが、浩宮在学中は年に一回東宮御所のコートで開かれた。浩宮はじめ、当時初等科在学中だった礼宮も参加して、土曜の午後を楽しんだ。緑に囲まれたコートからは四谷界隈の高層ビルが別世界のものとして望まれた。東宮職メンバーのテニスのレベルの前に「クラブ服部」のメンバーは完敗することが多かった。
 試合後懇親会があり、ビールなどが出て、浩宮、礼宮も出ていた。
 その席で浩宮が「アーヤは負けそうになると、おこってラケットを放り出すんだから」と笑いながら話していたのが印象に残っている。両者の対比としても面白かったが、浩宮が他の人間に対して思ったことを直截に述べることは珍らしかった(原文ママ)からだ。肉親の弟ということで、リラックスした状況の中では、いかにも人間的な発言――というか、当り前のどこにでもいる兄と弟の間柄をかいま見た瞬間でもあった。礼宮は子供っぽく、しかしちょっと恥しそうに笑っていた。浩宮は二年生ぐらいからは、ビールなどもかなり飲んでいた。
 浩宮の学友として賀屋(原文ママ、59頁でも‘賀屋正憲’と記載)も参加していた。彼は浩宮と並んで観戦したり、東宮職メンバーの一員として浩宮とダブルスを組んだりした。
 彼は懇親会終了後、教員たちとともに四谷へ出て、二次会に流れる教師連に誘われると喜んで付いてきた。居酒屋に入って、末席に座った彼は、おひらきになるまでビールを飲みながら付き合い、にこにこして帰って行った。


  • 浩宮当人の要望ではないのだろうが、学校行事で遠出する際に浩宮が乗った貸切バスは、ノンストップで運行できるよう警官が信号を手動操作・覆面パトカーが先導といった特別扱いされまくり事件
小坂部元秀著『浩宮の感情教育』飛鳥新社、pp.35-36より引用

 たとえば貸切バスを使う場合には沿道の警備に所轄署の警官が配備され、沿道の交通信号も浩宮の乗ったバスはノンストップで走行できるよう手動で操作される。
 沼津遊泳実習、多摩湖畔マラソン大会の往復、八幡平登山合宿の際の岩手県下の交通などはこのスタイルだった。従ってとくに東京都下を往復することになる多摩湖マラソンの場合、学年別クラス順に走るバスで浩宮クラスの後に続く車両は殆ど例外なく赤信号でストップさせられた。一般の、関係ない車も同様であった。それは浩宮の乗ったバスをノンストップで通過させるため、青信号を無理に継続させたり逆に赤信号を随時青に切り換えたりするその皺寄せが後続車両や横断車両にきたのであった。他のクラスからは「ひでえなあ」という声もきかれた。当然浩宮のバスの前後には覆面パトカーが先導し追尾した。


  • 1978年3月31日午後、東宮御所で開かれた浩宮高等科・礼宮初等科卒業を祝う会にて、礼宮がピアノ曲、浩宮がバイオリンを演奏し、その後に浩宮が当時の大ヒット曲だった石川さゆり「津軽海峡冬景色」をピアノ伴奏付きで2番まで独唱した事件
小坂部元秀著『浩宮の感情教育』飛鳥新社(2001年)、序章 津軽海峡・冬景色 pp.7-11より引用

 一九七八年(昭和53年)三月三十一日、東宮御所で午後四時から、浩宮徳仁親王と礼宮文仁親王の卒業を祝う会が催された。この三月に浩宮は学習院高等科を、六歳下の礼宮は同初等科を卒業した。
 JR信濃町駅から権田原の交叉点を左折して坂を下る途中、右手に東宮御所の正門がみえる。正門には皇宮警察の詰所があり、ここで、前もって招待状とともに送られてきた参入券を提示して通る。正門からは木立の間の砂利道を過ぎて車寄せになる。
 私は四時少し前に到着した。玄関のクロークでコートと鞄を預け、入って直ぐのレセプション用の広間に通った。百名を超える、主として学習院初等科、高等科を中心とする関係者が集まっていた。
 天皇家からは皇太子(現天皇)、同妃(現皇后)両殿下が、正田家からは英三郎氏、富美子夫人が出席した。
 はじめは“音楽の会”で幕を開け、浩宮の中等科時代の音楽の先生が贈った礼宮、浩宮の卒業を祝うピアノの小曲が披露された。浩宮の誕生日のお茶の会でも、十六歳の祝いの折には十六小節からなる小曲をまずプレゼントするというスタイルをここでも踏襲したものだった。
 つづいて礼宮がピアノ曲を弾き、浩宮はバイオリンを演奏した。
 そのあと浩宮は
「高等科の先生に“津軽海峡・冬景色”を好きだとおっしゃる先生がいらっしゃるので、高等科への感謝の気持をこめて歌います」
と前置きして、ピアノの伴奏で“津軽海峡・冬景色”を独唱した。
 前年の春ごろから、新人歌手石川さゆりの歌う“津軽海峡・冬景色”はヒットしていた。
 思いがけない展開で、しかもヒット中の歌謡曲ということで、会場は一瞬「あれ?」という雰囲気でわずかにざわめいた。
 しかし、あわてずさわがず“柔らかな直立不動”とでも言いたいような感じで
  上野発の 夜行列車 おりた時から
  青森駅は 雪の中
  北へ帰る 人の群れは
  誰も無口で
  海鳴りだけを きいている
 とおさえたテナーで歌いだされたそれは、演歌あるいは歌謡曲というより、明治以来の小学唱歌の趣があった。いかにも浩宮らしい歌いぶりだな、と思いながら私も聴き入っていた。
  私もひとり 連絡船に乗り
  こごえそうな鷗見つめ
  泣いていました
  ああ 津軽海峡 冬景色
 一番で終るかと思っていると、続けて
  ごらんあれが 竜飛岬 北のはずれと
  見知らぬ人が 指をさす
  息でくもる 窓のガラス
  ふいてみたけど
  はるかにかすみ 見えるだけ
  さよならあなた 私は帰ります
  風の音が胸をゆする
  泣けとばかりに
  ああ 津軽海峡 冬景色   (JASRAC 出0102153-101)
 二番まで歌い終わった時、一瞬、間があって拍手が起こった。両親殿下も微笑しながら手をたたいていた。
 浩宮の“津軽海峡・冬景色”は、本来の石川さゆりの歌にこめられた未練とか悔恨とか絶望といった情念がきれいに拭い去られていた。いや、はじめからそういう情念とは無縁の、いわば風景を叙情する歌として歌われていた。そこに物足りなさを感じる向きもあるかもしれない。しかしそれが、浩宮一流の歌い方であり、清々しさを感じさせもした。
 そのあと、お茶の会に移った。


■第5期-大学・英国留学、婚約前-■編集

  • 学習院OG奥様書き込み「浩宮さまは、大学1年生(18歳)の時に、大学祭で升酒をしこたまお召し上がりになってました。」≪2ch書き込み≫
  • 1980年2月23日二十歳になった浩宮、成年式でいつもより早い7時頃に起きなければならないため、弟礼宮・妹紀宮・東宮職員らから借りた全部で5つの目覚まし時計で“万全の体制”をとらなければならないほどに早起きが苦手事件
  • 1980年2月23日成人した浩宮、公式記者会見で理想の女性を問われ、当時お嫁さんにしたい女優ナンバー1・竹下景子の名前を挙げてしまう事件
『サンデー毎日』1980年3月16日号<拝復 浩宮さま 記者会見で私のことを「いいですね」とおっしゃったとか…… 竹下景子>記事一部


  • 朝食も家族と一緒に摂らず、両親弟妹が揃って見ていた朝のTV番組「新日本紀行」も徳仁一人だけ見ないなど、やっぱり寝坊助事件
『新天皇家の自画像―記者会見全記録』(薗部英一 編、文春文庫、1989年)

昭和55年12月18日東宮御所檜の間 皇太子殿下(当時、現在の今上陛下)47歳の誕生日を前に
p.236より引用
記者  テレビの番組はいかがですか。
皇太子 テレビの方は最近はニュースですかね。朝7時のニュースを見ながら食事をする。
記者  夕方以降はどうですか。
皇太子 夕方からは、決まって見るというものは非常に少ないですね。あとは「新日本紀行」というのが、朝、日曜日にありますね、7時半から。あんなのは割に見ますね。
<補足:新日本紀行の再放送時間帯 1978年4月9日-1982年3月14日 NHK総合毎週日曜日7:30-8:00>
(中略)
p.238より引用
記者  浩宮さまも大きくなられて、それぞれテレビを持って、自分の見たいテレビを見るという時代になってきたと思うんですが、テレビは一つで、ご一家一緒に見るという……。
皇太子 それはさっきの食堂でですね。朝は絶対一緒にはならない。
記者  はあ、なるほど。浩宮さまは朝遅いから。
皇太子 日曜です、さっき話したのは。あと二人は一緒になりますね。それから美智子と。四人は一緒になりますけれどね。なかなかあちらは朝が遅いから。


  • 学友の誕生日プレゼントとして、桐の箱に入った君が代のレコード(シングル)を贈る事件≪2ch書き込み≫
Part2363-684 可愛い奥様 sage 2012/06/08(金) 08:44:58.16 ID:DlUX1a+X0

浩宮エピ。学習院大学時代に誕生日プレゼントにと
桐の箱に入った君が代のレコード(シングル)を
貰った人がいる。



  • 大学時代にコンパに参加。会費はいいですからと遠慮した仲間に向かって「いや、ちゃんとカンパしますよ」と浩宮が差し出したのは500円ぽっきり、お友達はジョークか本気か悩んだらしい事件≪2ch書き込み≫
Part37-203 :可愛い奥様:04/03/26 23:56 ID:tLa+dtxy

学生時代にちょこっと聞いたパタさんの話で
飲み会に行って、パタさんは早めに席を立ったんだけど、
その際出したお金が500円だった・・・
真偽の程は知らないけど、その話を聞いたとき
私は「金銭感覚の無い、お坊ちゃんだな~(ちょっと呆れ)」
だったんだけど、同じ話を聞いても友人の感想は
「自由になるお金があまり無いんだね、可哀相だね」だった。
きっと、この友人タイプが皇族の間で上手く立ち回れるタイプなんだろうなぁ
もしくわ騎虎さんぐらい、腹の据わったお人柄かw



  • 大学史学科での飲み会で酔っ払い「院歌を歌いましょう!」と一人盛り上がる事件≪2ch書き込み≫
Part1755-156 可愛い奥様 sage 2010/03/16(火) 09:05:50 ID:UTf05b8U0

知り合いに学習院大学文学部史学科で皇太子の同級生がいたんて、また聞きで聞いた
浩宮エピです。
 
史学科で泊まりの旅行があったときに、当時の浩宮が酔っ払っちゃって、
「みなさん!さあ、院歌を歌いましょう!」って一人で盛り上がったんだって。
当時から空気読めなかったのかも…
 
それで、みんなが「殿下、うるさいからもう寝なよ」と部屋に連れて行ったそうな。


  • 大学時代、飲み会で急性アルコール中毒に陥った友人を「じゃ、後はよろしく」とほかの友人に世話を押し付けその場を立ち去った事件
  • 大学オーケストラ合宿にて団員たちが酒盛り、別室にいた徳仁が楽しげな声が聞こえてくるのでそれに気付き宿の屋根を伝って窓から闖入押しかけ参加、飲み会終了後に廊下から戻ってくる徳仁を目にした見張り番役侍従たちは吃驚仰天事件≪週刊現代2009/10/10号≫
  • 大林宣彦の映画『転校生』がお気に入りでビデオを徹夜してまで見ていた、それを聞かされた大林監督から『ふたり』のビデオget事件
http://fotopus.com/naviblog/ohbayashi/2007/07/

大林 宣彦の写真ブログ 雨撮晴記(うさつせいき)|ナビゲーターズ写真ブログ|FotoPus(写真コミュニティフォトパス)|オリンパス
6月26日
引用
 皇太子殿下がお若い頃、ぼくの昔の《転校生》が大好きであられたという嬉しい話は、渡辺さんが教えてくれたこと。後にお会いした殿下は、「ですから《転校生》のヴィデオを見始めると、ついつい徹夜して寝不足になって了います」、と笑ってらした。それで完成したばかりの《ふたり》のヴィデオを献呈したこともありました。殿下青春の日の一挿話であります。



  • 1983-1985年イギリス留学中に日本人旅行者に「うっそー!」と言われたが、 「うっそー!」の本義がわからず事件
    ソース:徳仁親王著『テムズとともに 英国の二年間』学習院教養新書7
  • 学習院の学食でうどんすすってるときに、周りに汁が飛び散っていた……と聞いたなる食べ方汚い疑惑≪2ch書き込み≫
Part3022-370 自治スレでLR等議論中@可愛い奥様@転載は禁止 sage 2015/10/19(月) 20:00:14.26 ID:Y5UV+pMr0

アレに引きヅラれて堕落していくナルイニに何か美点があるとしたら、
食事のマナーくらいか、と思ったが、
いや、以前ワイン?を乾杯前に飲んでいた映像があったっけ。

371 自治スレでLR等議論中@可愛い奥様@転載は禁止 sage 2015/10/19(月) 20:04:05.38 ID:na/jRB2O0
>>370
ナルはクチャラーと言われてますよね。

381 自治スレでLR等議論中@可愛い奥様@転載は禁止 sage 2015/10/19(月) 20:18:21.03 ID:9+JseF+y0
>>371
クチャラーっていうか、食べ方がだらしない。
学習院の学食でうどんすすってるときに、周りに汁が飛び散っていた……と聞いた。


  • 御成婚のおりに皇太子殿下の御学友(多分英国人)が テレビで学生時代の殿下のゲーム好き(マイコン)について語っていた事件
  • 英国留学中、徳仁のご学友になるための指導を宮内庁関係者から受けた日本人留学生、彼らが言い含められたこととは「中学生と思ってお話しください」事件≪2ch書き込み≫
    →【保管庫01
  • イギリス留学時、現地のディスコ(?)に行ったらファッションチェック(懐)に引っ掛かり(Gパン履いててダメだったんだよね)、入れてもらえなかった事件
  • (もちろん日本の皇太子であることを店員は知らなくて)しかし懲りずに2度目はわざわざ違うディスコを選び入り込んだ事件
  • イギリス留学時代に生まれて初めてコインランドリーを使うことになり、洗濯物の詰め過ぎ・洗剤の入れ過ぎで、洗剤の泡が洗濯機からあふれ出す事件
『女性自身』1993年3月18日号 p.49より引用、徳仁親王著『テムズとともに―英国の二年間』(学習院創立125周年企画の学習院叢書、非売品)の孫引き箇所
2017年9月12日 佳子殿下英国留学出発ニュースで、徳仁のコインランドリー大失敗事件を字幕スーパー付きで紹介
私は手順どおりに機械の中に洗濯物を入れ、洗剤を注ぎ、お金を入れた。四十分ほどで出来上がると聞いていたので、四十分後に再び地下のローンドリー(孫引き原文ママ)に行ってみた。すると、あたりは泡だらけである。よく見ると泡は明らかに私が使用した洗濯機から流出している。そばにはあきれ顔の一人の学生がいた。「これは、君のか。泡があふれているよ」と彼は言った。洗濯物の詰め過ぎであった。


『フライデー』1984年11月23日創刊号<『フライデー』にも投稿していただきたい殿下の「必撮」ポーズ>記事

p.17より引用
 今春、殿下は学位論文完成のための研修旅行として、パリ、ジュネーブ、南仏、イタリアなどを訪問されたが、古都ベニスでの“必撮”ぶりは、ことのほかだったという。この旅行、殿下ご自身がプランを立てた私的なものであったが、それはそれ、ローマからは堀駐イタリア大使が、ミラノからは田辺総領事が、という具合に案内人が駆けつけた。・・中略・・夕方には小松一等書記官が、すでにクローズになったカメラ屋で、追加フィルムの購入を頼み込んだほど。このご旅行で、殿下はフィルム200本ほどお撮りになったというから、プロ顔負けの撮影量だろう。


Part2707-238 可愛い奥様 sage 2013/12/11(水) 15:59:09.50 ID:8PuLs8xR0

浩宮、で強烈に覚えているのは、イギリス留学も終わりに近づいた頃に招待
されたエリザベス女王のお茶会で、その場に用意されていないお酒(確か
スコッチ)が飲みたいと言い出して先方を慌てさせたというエピ。
紹介したワイドショーでも「一段と大人になられた浩宮さま、本場の味を
ご所望になったのでしょうね」とかコメントされていたけれど、ちょっと
面倒な人かも?と思ったのをいまだに覚えている。
 
今の惨状だと、もう不思議にも思わないけれど。
この人は、国外に出さずに出家でもさせればよかったんじゃないかな。
 
494 可愛い奥様 sage 2013/12/11(水) 21:16:43.62 ID:1TjtKG300
 >>238
スコッチウイスキーは関税の関係で当時お値段が高くて、「スコッチ」を注文するのが
ステイタスだったのよね。
 
サッチャー時代に等級別関税撤廃で「スコッチ」が身近になった。(竹下登の時だったと思う)
 
そのサッチャーさんの時代にリバプールで「万国庭園博覧会」があって、エリザベス女王が
テープカット。
浩宮がちょうど留学していて なんと開会宣言なんかしちゃったのよ。
着物の女王で 松岡修造奥の田口恵美子さんが参加していた。
 
その時代浩宮が「スコッチ」を所望するって おおいにあり得るわ。


  • 1985年秋イギリス留学からの帰国時に、運転免許証もないくせに、007ジェームズ・ボンドで有名な高級車アストンマーチンを購入しちゃう事件
  • 1985年秋イギリス留学からの帰国した折の会見にて「英国王室の警備を見て感じるが、日本の警備は過剰警備との印象を受ける。人数も多く目立ちすぎる」警備が厳しいのと自由がないのを指摘事件
  • 報道関係者や取り巻きの中に自分好みの美人を発見すると「お写真一枚よろしいですか。あんまりお美しいものですから」と見境なしにナンパしてた事件
  • しかも外国でも同じことをして、スウェーデンの美人女性記者に写真をねだり、スウェーデンの新聞に「日本の皇子は○○嬢のハートを射止めることができるか?」とからかい記事を書かれ国境を越えて馬鹿にされちゃったよ事件
『美智子さまのおことば』河原敏明、講談社文庫1997年12月15日発行

pp.140-141より引用
〔昭和六十年六月〕
あの赤い服を着ていた方?
 
浩宮二十五歳。
今上天皇ご夫妻がノルウェイご訪問のさい、英国留学中の浩宮も合流して、西海岸のフィヨルド(峡湾)を見学された。
そのとき四十人余の内外記者団ののなかに、目のさめるような美人記者(エバ・グロービゲン、二十四歳)をみとめた浩宮は、すぐ彼女の前に進んで一枚のスナップをされるハプニングがあった。
それについて記者会見の席で、「ええ、たいへん美人だったものですから」と悪びれもせず語ると、すかさず美智子さまはこのように浩宮に問い、浩宮は「ええ」と答えている。
美智子さまもわが子の積極的な行動を、さりげなく見守っていたのだ。日本ではむろんのこと、留学中も殿下のツヤ話は一向伝わってこなかったのだが、これには美智子さまも楽しそうにほほえまれたことだろう。

PENTHOUSE 日本版ペントハウス 1985年10月号<現地緊急取材 浩宮殿下と“恋人”エバ嬢に直撃インタビュー(インタビュー・写真 河原敏明)>エバ・グロービゲン嬢と浩宮二人の顔写真カラーグラビア

PENTHOUSE 日本版ペントハウス 1985年10月号<“プリンス・ヒロはエバをモノにできるのか!?”――現地紙には連日、大見出しが>エバ・グロービゲン嬢インタビュー記事
PENTHOUSE 日本版ペントハウス 1985年10月号<カメラマンの彼とは2年前から同棲、10ヵ月前に別れを告げて、今は“恋人なし”>エバ・グロービゲン嬢インタビュー記事
PENTHOUSE 日本版ペントハウス 1985年10月号<帰国は9月末か10月初め。「あの写真を送ってください」とご自分でアドレスを>浩宮インタビュー記事



  • 軽井沢静養で弟礼宮とテニス、その折にどうやって入手したか不明だが1986年7月23日英国アンドリュー王子&セーラ妃結婚記念Tシャツを着て登場、その笑撃的な格好のまま平気でTV撮影取材まで受けてしまう事件
1986年8月7日 軽井沢町千ヶ滝テニスコートでテニスを楽しまれる浩宮と礼宮、浩宮の着ているTシャツは英アンドリュー王子とセーラ妃との結婚記念顔写真入り

FRIDAYフライデー 1986年9月5日号<「ヒロさーん」「アヤさーん」ギャル大騒ぎ お二人のTシャツ それぞれの着こなし方>カラーグラビア、シンプルな白Tシャツを裾出し着こなしされる礼宮殿下・とにかく目立つ英国アンドリュー王子&セーラ妃結婚記念青色Tシャツを裾パンツinで着用の浩宮徳仁
1986年8月 カラー映像からの兄弟の軽井沢静養テニス姿、徳仁Tシャツは青色でした
同上英国アンドリュー王子とセーラ妃結婚記念Tシャツ着用姿が、松崎敏弥著『浩宮さまのとっておき会話』表紙に



  • 1986年8月12日宮城県南蔵王山麓での第9回日本ジャンボリー大会で「こんにちわ.Naruhito 」とサインしてしまい、「こんにち“は”」を理解してないこと露呈事件
『KAPPA HOMES フォト・ドキュメント 浩宮さまのとっておき会話』松崎敏弥、光文社1987年1月31日初版発行

p.94より引用
昭和61年8月12日 宮城県の南蔵王山麓での第9回日本ジャンボリー大会で
<アメリカ人のAndy Ogaurさんによる茶色の字(英語と日本語)>
Hello I am from America.
Lets have a fun time at this Jamboree.
Andy Ogaur
こんにちは!
<黒色の字>
こんにちわ.  Naruhito


朝日新聞1986年10月20日朝刊14版p.22より引用

芳恵さんバラをどうぞ 浩宮さまリサイタルへ
 浩宮さまは十九日午後、東京・新宿の厚生年金会館で開かれた歌手柏原芳恵さんのデビュー七周年リサイタルを楽しまれた。
 ご自身が柏原さんのファンで、英国留学中は自室に写真をはっておられたといわれ、主催者からのお願いに応じられた。
 白黒のツートンカラーのセーター、ベージュのズボンという気軽な服装で劇場に着かれた浩宮さまは、お出迎えの柏原さんからレコードや写真集を受け取られると、お返しに、用意された一輪のピンクのバラを贈られた。このバラは五十七年に来日したミッテラン仏大統領から皇太子ご一家に「プリンセス・サヤコ」と命名されて贈られた新品種で、東宮御所の庭に植えられたもの。同日朝、切り取ってお持ちになったという。
参考画像:1986年10月19日 小和田雅子に出会ったエレナ王女パーティーの翌日、新宿区厚生年金会館で開かれた歌手・柏原芳恵のデビュー7周年リサイタルにバラの花を持参して駆けつけた浩宮当時26歳


  • 女優・紺野美佐子を東宮御所にまで招いて歓談しちゃう、とにかくメン喰いミーハー事件
『文藝春秋』1987年1月号<浩宮妃を決定する10の条件(河村信彦)>

p.233より引用
(2)美人であること
 日本を代表する女性が不美人ではちょっと困るのではないだろうか。それに浩宮はメン喰い、かつミーハーである。ブルック・シールズに会いに行ったり、柏原芳恵のコンサートに出かけたり。紺野美佐子を東宮御所に招いて歓談したこともあった。


  • 榊原郁恵もお好きであったらしい事件
  • 大場久美子もお好きであったらしい、要するにボインちゃん好み事件
  • 1987年4月25日高円宮邸での夕食会に招かれ、同じく招待されていた小和田雅子とツーショットに、兄のように慕っていた高円宮が齎した後年のgdgd状態につながる大きなきっかけ事件
『美智子さまから雅子さまへ プリンセスへの道』河原敏明、ネスコ(1993年)

pp.65-66より引用
 入省して三週間目の四月二十五日に、雅子さまは高円宮邸に一人招かれる。高円宮ご夫妻と浩宮、雅子さまの四人だけだった。英国人カップルも招かれていたが、「都合で欠席」とされた。
 お二人は、高円宮夫妻とともに会食した。浩宮は、同年三月に訪問したネパール、ブータン、インドのアルバムを用意していた。写真は浩宮がご自分で撮ったものである。
・・中略・・
 話ははずみ、たった四人のホームパーティは、数時間にもおよんだ。雅子さまがその日帰宅したのは、夜遅くなってからだった。


  • 1988年5月第7回俊友会定期演奏会にてビオラソロを担当(ホルツバウアー作曲、ヴィオラとコントラバスのための協奏曲)、開演前に挨拶した礼宮殿下が「…その…ヴィオラのソロがいささか技量不足ではないかと思って(会場笑)、あの…多々お聴きづらいところもあるかと思いますが(会場爆笑)、どうぞ皆さまあの…がまんして、最後までゆっくりお楽しみいただければ、と思っております」、弟に謙遜の代弁をさせたのかと思いきや本当に物凄いびよらソロだった事件
参考ようつべ:音楽 http://www.youtube.com/watch?v=uXTb5uBU7VE#t=1m40s

1分40秒から、徳仁ビオラソロ映像あり。徳仁は4歳からバイオリンを習っているので、この時点で約24年の弦楽器キャリアがあるのだが………… orz


  • 1988年5月第7回俊友会定期演奏会にてビオラソロを担当(ホルツバウアー作曲、ヴィオラとコントラバスのための協奏曲)、開演前に挨拶した礼宮殿下が「…その…ヴィオラのソロがいささか技量不足ではないかと思って(会場笑)、あの…多々お聴きづらいところもあるかと思いますが(会場爆笑)、どうぞ皆さまあの…がまんして、最後までゆっくりお楽しみいただければ、と思っております」、弟に謙遜の代弁をさせたのかと思いきや本当に物凄いびよらソロだった事件
  • 祖父である昭和帝崩御のその翌日、様々な儀式が執り行われる中、これで小和田雅子への反対はなくなると期待でもしていたのか、浩宮の表情は平然としていて歩き方も胸を張ったツッタカター事件
  • 昭和帝崩御後、ご一家で陵墓について話し合ってた時ただ一人「それでは先に失礼します」と引き上げた事件。滅多に人を非難する事が無かったという実妹・紀宮から「(お兄様は)無責任ですよ」となじられたとも言われている。【あとよろあとよろ
  • 英国留学からの帰途、米国プリンストン大学に立ち寄りファンである女優ブルックシールズと面会、西独新聞に「合衆国美人女優にプロポーズ」と書かれちゃう事件
ニュース速報+板:【皇室】雅子さまがウイルス性胃腸炎 2、3日静養★2

477 名無しさん@12周年 2012/01/14(土) 10:55:25.20 ID:9Dsovjih0
浩宮がブルックシールズに会うまでの経緯
 
オックスフォード留学中、ご学友に一族全員オックスフォードという秀才K君がいた。
K君の兄はオックスフォードで教鞭を執っていた。
K君の兄がアメリカのプリンストン大学に移転することになった。
プリンストン大学にはブルックシールズが在籍していた。もちろん一学生として。
その情報を知った浩宮、K君に拝み倒し、K君兄にブルックと面会できるよう
取り計らってもらう。
オックスフォード留学からの帰途、なぜかアメリカを経由し、
プリンストン大学に行きブルックとの面会を果たす。
ブルックにしてみりゃ、なんでいきなり私に会いに学校に来るの?って( ゚д゚)ポカーン。
 
つまり、友達の兄ちゃんが先生やってる学校に憧れのスターがいるから会わせろとゴネた。
ひでぇww


佐藤あさ子著『雅子さまと愛子さまはどうなるのか?』草思社 p.144より引用
(1990年、ナルが一人暮らしを始めた時)「そのとき、皇太子さまは『朝食に納豆を出さないでください』とおっしゃったそうです。納豆があまりお好きじゃなかったのに、子どものときからずっと我慢しておっしゃらなかったんですね。残さず召し上がっていらしたそうです」


  • 趣味の登山ではウィスキー持参でお楽しみが専ら、また重い機材を運んで登山に同行する取材記者に向かって「だらしないですね」と荷物を持つ必要が無い自分の立場をすっかり忘れ軽口を叩く事件
  • 1992年常念岳登山した折、山小屋「常念小屋」にて徳仁が出発の際、控えていた侍従たちが駆け寄り、スリッパを脱ぎ散らかしたのを見て、「ウチの連中はお行儀が悪くて困りますね」と苦笑、「山田さん(=常念小屋主人)、二人でスリッパをそろえましょう」と言い、侍従があわてて手伝おうとすると「いいよ。君たちはそこにいなさい」と制する、スリッパを揃えるのはいいことだが山小屋主人にいちいち部下の不始末を告げて手伝わせるのはちょいといかがなものか、脱ぎ散らかした当人に片付けさせるのが筋では?事件≪週刊現代2009/10/10号≫
  • NHK朝の連続TV小説『ひらり』(1992年10月5日~1993年4月3日放送)の脚本家内舘牧子氏が園遊会に招かれ、その内舘氏に対し「主人公のお姉さんはどちらの男性と結ばれるのですか?」とネタバレ質問しちゃう事件≪2ch書き込み≫
【TV】テレビネタ581クール【実況厳禁】

45 可愛い奥様 sage 2010/04/16(金) 23:18:04 ID:mdE9QhBp0
前スレ>>989
 
NHKの朝ドラ(多分「ひらり」)の脚本書いてた中舘まきこが、
当時園遊会に招かれて、ドラマを見ていた皇太子に
(二人の男性に求愛されて悩むヒロイン姉の事を)
「主人公のお姉さんはどちらの男性と結ばれるのですか?」聞かれて
「内緒です」と答えた事があったらしいよ。
 
47 可愛い奥様 sage 2010/04/16(金) 23:20:59 ID:mdE9QhBp0
ごめん!
『内舘だ。』


  • 小学校視察にて、前もって指名されていた母親と仕込み「懇談」、事前に芝居の立ち稽古のごとき練習があったという事件≪2ch書き込み≫
Part1819-249 可愛い奥様 sage 2010/05/18(火) 08:11:13 ID:5tm8vNEk0

>>245
徳仁サンは昔からそうみたいだよ。まだ結婚前のころ小学校に来ることがあって、前もって
指名された母親と「懇談」が設定された。侍従だかから細かく指導があって、「殿下から
これこれという質問があります。」と言われたので「ではこう答えればいいですか?」と
やり取りの確認があったんだと。それをまるでお芝居の立ち稽古のように何度もやらされて
「大変だった~」と会合に遅刻して来てそう言ってた。
 
もともと会話の成り立たない方なんだと思う。それを一生懸命周りがフォローしてたんだよ。


  • 1992年スペインのセビリア万博を訪問した徳仁、スペインワインを賞味して「フランスワイン、イタリアワインより美味しい」と、公人としての外国親善訪問の場でフランス・イタリアの面子潰す発言をしちゃう事件
http://www.club-nippon-spain.jp/report48.html

日西経済友好会 第48回定例会活動報告
* 日時:2010年05月24日(月)18:45~21:30
* 講演:「スペインワインのソムリエを目指して」
2) 質疑応答より
13) 皇太子殿下が1992年のセビリア万博に見えて、今までスペインワインを飲んだことがないが、フランスワイン、イタリアワインより美味しいと言われた。殿下のお名前を出すのはどうかと思うが、第三者の著名人によるPRは効果あるのではないか?
- 間違いないでしょう。


■第6期-小和田雅子との婚約・結婚後-■編集

『週刊文春』2001年12月13号<総力特集雅子妃ご出産 初めて明かされるとっておきの十大秘話>記事 p.50より

茶托を出さない理由】乃万暢敏(のまのぶとし)さん
 殿下は子供の頃から、自分に厳しく人に優しいという方でした。そして気配りを重要視される方です。たとえば、御所では、ある時からお客様にお茶をだす時の茶托をやめました。漆塗りの立派な茶托が、熱くなった湯のみの糸底にぴったりと吸い付いて持ち上がってしまうことがありますよね。その茶托が落ちて大きな音を立てると、タダでさえ慣れない御所で緊張されているお客様が、痛々しいほど緊張される。だったら茶托はやめて、くつろいでお茶をどうぞ、という気配りなのです。


  • 1998年8月石川県加賀市での梨狩りにてナシを落とした徳仁、すぐ隣にいる妻雅子は一部始終を見ていながら棒立ちで何もせず、自分で拾って女官が持つ籠に入れるしかなかった事件(当該場面映像キャプチャ連結画像
参考ようつべ:雅子さま1989-2000 ttp://www.youtube.com/watch?v=AIBLW_spqj8#t=5m12s 5分12秒から梨狩り場面映像あり。
おまけ画像:1998年8月石川県加賀市梨狩り光景、この体勢なら徳仁は爪先立ちになっているのが当然だが……


  • 1999年12月フィリップ王太子結婚式参列のためベルギー訪問、式典・祝賀行事とは関係ないグルメ旅行で訪れた町デュルビュイにて予定外に勧められた地酒リキュール一気飲み、一瞬のことで止める暇もなかった周囲は真っ青事件
『文藝春秋』2002年1月号 東宮夫妻を現地で案内した在ベルギー大使・兵藤長雄氏<雅子妃ベルギーの秘話>記事

p.151より引用
 (補足:ベルギーの王太子結婚)式典の翌日、ヨーロッパで一番小さく美しいデュルビュイというアルデンヌ地方の山荘に御夫妻を非公式に御案内した時には、レテビでこの両殿下のお姿を拝見したという 村民総出の大歓迎を受けられた。両殿下も気軽に歓迎にお応えになったが、村長さんに案内されて村の市場の横を通った時、地酒のリキュールを露店で売っていた老人が歓迎の印に一杯献上したいと杯を差し出した。すると殿下はそれを素直にお受け取りになって一気に呑みほされた。私は一瞬青くなった。お止めする暇のないくらいの一瞬の出来事であったが、案内役を勤めた村長さんも、一瞬ヒヤーッとしたが、村の老人の善意を信じて受けて下さった殿下に感動したと後日語っていた。
参照:【ベルギー訪問


  • 香淳皇后と今上陛下・皇后陛下・秋篠宮ご一家・紀宮殿下との交流について、2000年12月天皇陛下が自ら誕生日会見で語られ、徳仁雅子については完全スルー。恐らくこの二人は香淳皇后を見舞ったこともろくにないとお察しされる事件
天皇陛下お誕生日に際し(平成12年)より引用

問3 今年6月に,香淳皇后がお亡くなりになりました。お別れの時のお気持ちや,印象に残っている出来事,お言葉などがありましたらお聞かせください。
天皇陛下
吹上大宮御所は,私どもの住んでいる御所からすぐの所にあります。週末には大抵皇后や紀宮,時には秋篠宮一家を交えて吹上大宮御所をお訪ねしていました。皇后は,香淳皇后がお元気であったころと変わりなく心を込めてお尽くししていました。また,秋篠宮の子供たちが一緒の時には,いつも子供たちを香淳皇后のおそばに連れて行き,二人が皇后に倣いお手を一生懸命さすったりしているのが印象に残っています。香淳皇后が崩御された時に,秋篠宮家の子供たちが,お見舞いしたいということを言ったことを,秋篠宮が話していますが,このようなことから香淳皇后に親しみを感じていたことと思います。香淳皇后がもう御生存ではいらっしゃらないのだということをしみじみと感じたのは,崩御の夜,祗候しこうのために吹上大宮御所を訪れた時のことでした。帰り道,空を仰ぐと月がこうこうと照っていました。昭和天皇崩御から11年,吹上大宮御所に勤める職員が皆誠意を持って勤めてくれたことを感謝しています。香淳皇后は,早くから高齢化の兆しがおありになり,香淳皇后とお話らしいお話ができたのは随分前のことになります。その分を昭和天皇がお心を遣われ,私どもの子供たちとの話も務めてくださったことを感謝とともに思い出します。香淳皇后について印象に残っていることは多々ありますが,戦後親子兄弟が,一緒に過ごす機会が多くなったころの香淳皇后の朗らかな印象は,私の記憶に深く残っています。



■第7期-敬宮愛子ちゃん誕生後-■編集

『週刊新潮』2007年1月4・11日新年特大号<特集 かくも色濃い「皇室の憂愁」>記事 p.30より引用

 ある皇室ジャーナリストが言う。
「殿下のご心配は絶えることがありません。03年12月に公務から離れられた雅子妃は精神状態が不安定な日々が続き、軽井沢の小和田家の別荘で静養されていた時には、別荘の外にまで聞こえる大きな声で叫んでおられることもありました。05年5月の人格否定発言の前には、思い悩まれた殿下が、両陛下と紀宮さまとの4人だけの食事の席で、美智子皇后とお二人だけになった時、皇后の手をとって泣かれたこともあったそうです。その後、人格否定発言があり、また、雅子妃が東宮幹部に電話で“私、皇太子妃、やめます!”と叫んだこともあった。情緒が不安定で、両陛下は、腫れ物に触るように雅子妃に気を使ってこられたのです」


■第8期-人格否定発言、その後-■編集

チッソ江頭豊の妻である江頭寿々子をフルネームで呼び、ドロシー・ロー・ノルト女史の詩を持ち出してアイボを笑うなと無言で恫喝する事件≪宮内庁公式情報≫

  • 2005年8月3日石川県開催の第9回日本アグーナリーにて、右手が金属性義手の外国人男性と握手するのに、右手を出してしまう臨機応変さのなさが露呈事件
Part2720-93奥様が『皇室』より発掘画像

Part2720-131 可愛い奥様 sage 2014/01/11(土) 07:04:04.13 ID:90FFRZDJ0
>>93
これ、ボーイスカウトのイベントだよね。
 
多分、ナルさんはご存じなかったと思うけど、
ボーイスカウトは左手の握手が普通なので(右手はスカウトサインに使う)、
失礼にはならないですよ。
(むしろ理解があると思われたかも)


  • 2005年愛知万博視察のヨルダン館にて「死海」の水のプールを見学。阪神淡路大震災を尻目に強行した1995年の同国訪問に触れ、案内役の関係者に「阪神大震災が起こり途中で日本に戻ったため、死海は見られなかったので、また行きたいです」と発言事件
  • 雅子が宮中祭祀に参加しなくなったことを心配した職員が皇太子にこのままでいいのかと尋ねたところ、皇太子は「参加しなくていいよ」と返事、その職員は「そう言われちゃったらしょうがないよ」と周囲に漏らすしかなかった事件
『週刊文春』2005年12月29日号<雅子さま「誕生日の乱」皇室記者オフレコ解禁!大座談会 皇太子ご夫妻への風当たり>pp.29-30より引用

A 「皇太子はどこまでも雅子さまをお庇いになる」と言う関係者もいます。それはご立派なことです。しかし雅子さまが宮中の祭祀にあまり参加されなくなった頃、ある職員が心配して皇太子にこのままでいいのかと尋ねたそうです。皇太子のご返事は「参加しなくていいよ」でした。その職員は「そう言われちゃったらしようがないよ」と周囲に漏らしていたそうです。
C 最近、皇太子殿下のことを心配する声はよく聞きますね。殿下はあまりにお優しすぎるんです。妃殿下のことが心配で心配で、お立場のことまでお考えになる余裕がないのでしょう。
B 残念だったのは、ご静養中とはいえ、皇太子ご夫妻が終戦記念日にテニスをされたこと。今年は戦後六十年で、両陛下のサイパン訪問や那須の千振開拓地訪問がありましたから、余計に目立ってしまいましたね。
A 終戦記念日のテニスは御所の職員にも評判が良くなかったですね。「殿下は幼い頃から戦没者慰霊に取り組む両陛下のお姿を見てお育ちのはずなのに、いったいどうされてしまったのか」という声が聞こえてきましたよ。確かに“戦争の記憶の継承”を非常に大事にされてきた平成皇室だけに、あそこは東宮職がフォローして差し上げるべきだったのではないでしょうか。


  • メキシコ水フォーラムに出席するも、口に出るのはま雅子の事ばかりだったよ事件【徳仁の(゚Д゚)ハァ?な発言シリーズ
  • 2006年5月トリノオリンピック入賞者を招いた慰労茶会で、どの選手にもアイボの話をし呆れられた事件
  • 2006年5月トリノオリンピック慰労茶会で、スピードスケートの岡崎朋美選手が言った「愛子さまにも将来スピードスケートを…」社交辞令に対し、「(愛子は)フィギュアスケートをやっているので」とけんもほろろだった事件

2006年5月12日 第20回オリンピック冬季競技大会(=トリノ五輪)入賞者等招待の慰労茶会:岡崎氏証言「愛子さまがスケートの格好をして マネをしてですね そういうしぐさをしてましたということを言われましたので ぜひじゃあスピードスケートを将来やっていただきたいなということを言ったんですけど…やはり今フィギュアスケートをおやりになっているそうで」

  • 2005年・2007年・2008年の8月那須御用邸静養で遊びに出かけた那須ファミリー牧場にて「よーしパパ、メリーゴーランド乗っちゃうぞー」事件

参照:2005年メリーゴーランド画像2007年メリーゴーランド画像2008年メリーゴーランド画像

  • 2006年9月上旬山形県での地方公務宿泊先ホテルで、収穫時期の外れたラ・フランスの生ジュースを、「皇族は缶・ビンジュースを飲めない(生ジュースでないとダメ)」などと明らかな嘘を吐いてまでいきなり所望事件

ソース:『週刊新潮』2007年2月22日号<初公開!これが「皇族接遇マニュアル」だ▼「お絞りは固めに」「便座カバーは白」「御先導は2~3歩左斜め前を」▼「ラ・フランスのジュースを飲みたい」皇太子の一言でホテルは大混乱。▼BSE騒ぎの中で、陛下に「オクステイルスープ」を出したシェフは……▼天皇家をお迎えする施設や自治体に対して宮内庁が出した「お迎えマニュアル」が流出。>

  • 2006年9月13日甥っ子・悠仁親王殿下命名の儀を鳥海山登山にかこつけてブッチするも、天候不良で最後まで登頂できず事件
  • 2007年7月27日 佐賀総体開会式出席のため佐賀県行啓、公開演技を披露した佐賀北高の女子生徒に声を掛ける場面を撮影されるが、その女子生徒を見つめる目力が余りに強すぎ、後に「目勃起」と称される事件(西日本新聞HPに掲載された画像、拡大すると凄い目付きに
  • 2007年8月24日、この夏の甲子園で初優勝を飾った佐賀北高校校長へ「私も応援しました」という内容のメッセージが届けさせ、応援を受けなかった決勝対戦相手の広島広陵高校立ち場なしで公平性も何もあったもんじゃない事件
  • 2007年10月徳島県訪問? 「徳仁さんに地ビールまずいって言われちゃいました。(中略) うず潮ビール 夕食時だそうです。」→因果関係は不明だが、約2年後製造中止事件≪2ch書き込み≫

百年の孤独

  • 平成20年(2008年)歌会始お題「火」にて、「蒼(あを)き水たたふる阿蘇の火口より噴煙はのぼる身にひびきつつ」と自分が実際に見学した阿蘇山の光景を歌にするも、阿蘇山旅行経験者からは「阿蘇山の火口にある湖はバスクリン色かシャンプーのメリット色で、到底“き水”なんてものではないのでは??」と大勢の人に疑問を抱かれる事件≪宮内庁公式情報≫
  • 2007年12月大分県訪問にて児童養護施設と保育所などを兼ねる「Plaza Puer光の園」を視察、家庭環境には決して恵まれてないと推察できる子供ら相手に「愛ちゃんパパです」と暢気に自己紹介事件
  • 2008年2月13日羽毛田信吾宮内庁長官が前年徳仁が誕生日会見で語った「(両陛下と)お会いする機会をつくっていきたい」表明から参内回数が増えていないことを取り上げ異例の“苦言”定例会見、それに対し2008年2月21日誕生日会見で「家族のプライベートな事柄ですので,これ以上立ち入ってお話しをするのは差し控えたいと思います」と、両陛下と東宮家の関係については公的なものではないので回答しないという立場をとる事件≪宮内庁公式情報≫
  • そのくせ自分のマーキングジョギングや、雅子愛子の「電車でGO!」体験は、テレビカメラを呼んで撮影させてまで公表事件
  • 平成20年(2008年)2月の48歳誕生日会見にて、健康維持方法として[マーキング|ジョギング]]について語る徳仁、「私自身は一回のジョギングでこの赤坂御用地の中を2周から3周するのですけれども,先月1か月間で,100キロメートルを超える距離を走りました」それって自慢というより寧ろ仕事が無くて超暇ってことでは?事件≪宮内庁公式情報≫
  • 同じく平成20年(2008年)2月の48歳誕生日会見にて、「テニスや,回数は少ないですけれども,登山やスキーも私の健康維持には欠かせません」とまるでスキー旅行要望雅子の代弁事件≪宮内庁公式情報≫
  • 平成20年(2008年)6月11日ブラジル訪問前記者会見にて相変わらずの「お医者様」発言、そして雅子がブラジル訪問に同行しない件について、「(ブラジルは無理だが)今の雅子の体調にもうまく耐えられるのではないかと思われるような,そういうものが将来出てきた場合には,その場合として考えていければというような意味です。いずれにしましても,そのような訪問が雅子の回復の上でも役立つものであればということを強く考えております。」と公式訪問前会見でブラジルに超配慮なし発言をしでかす事件≪宮内庁公式情報≫
  • 2008年6月ブラジルで開かれる日本人移住100周年式典などに出席する皇太子の人となりを知ってもらおう企画で、なんと20年以上前の著書『テムズとともに』(学習院教養新書、1993年出版)がポルトガル語で翻訳されることに。ネタ無しで今更翻訳出版のタイムラグもさることながら、出版にあたって皇太子が寄せた「ブラジルの読者のみなさんには、青年時代の私が本国から遠く離れた英国という地において経験し、あるいは感じた事柄の中に、何らかの関心を見いだしていただければ幸いです」との文章も収録。遠い異国の地での生活体験については日系ブラジル移民の方々の方がどう見ても豊富なのに、何故かたかだか1983-1985年・二年間の留学経験ぽっちで上から目線のナルちゃん文章。同翻訳本は3000冊出版され、地元の病院、日本人学校、在日ブラジル人学校などに配られたとのこと。……そんな数少ない著書翻訳事件
  • 2008年6月、日系移民100周年記念式典のためブラジル訪問した徳仁、シナリオが準備されてないような懇談の場では「お元気で」連発で相手に合わせたアドリブ皆無、アマゾンから遠路ブラジリアまでやってきた日系老人の「ぜひアマゾンにも訪ねていただきたい」に対しても、「お元気で」のみ返事事件

→【徳仁の(゚Д゚)ハァ?な発言シリーズ】参照

補足:秋篠宮殿下は葉山ご静養に合流し、13日に東大農学部で開かれた「三蔵経学術シンポジウム」に葉山から足を運びご出席、そしてまた葉山にお戻りになっている。

  • 2008年10月9日北京五輪入賞者らとの茶会、フェンシング・フルーレ銀メダリスト太田雄貴選手に「愛子と一緒に観戦しましたが、愛子から『ルールが全くわからない』と聞かれ、『僕もわからない』と答えました」とのたまい、逆に太田選手の側から「ルールも含めて少しずつ日本の中で広まればいいですかね」とフォローされてしまう事件
  • 東宮一家が外食に出かけようと出発支度、しかし雅子だけが一向に現れず、徳仁と愛子が玄関で1時間以上待つことに。その間、雅子の夫徳仁はただ娘愛子と遊んで待っているだけで、妻雅子を呼びに行こうとも何もしない「遠慮」というか仮面夫婦状態事件
『サンデー毎日』2008年11月2日号<療養生活まる5年 孤独なプリンセス 午前零時に散歩する雅子さま>記事

p.149より引用
 ある日、ご一家で外食をする予定があった。東宮御所から車で出かけるため、出発時間の少し前に、皇太子さまと愛子さまが玄関に姿を見せた。
 ところが、雅子さまはいっこうに来ない。10分、20分、30分……結局、雅子さまは1時間以上遅れて姿を見せた。その間、皇太子さまは玄関で愛子さまと遊んだり、話をしたりしてずっと待っていたというのだ。
「普通だったら様子を見に行きますよね。だが、皇太子さまはそうはなさらない。玄関でずっとお待ちになっているだけでした。遠慮されているのでしょうか? 雅子さまはお部屋にいるので、どうされているのかもわからないのです。もちろん、女官も中に入ることはしませんから」(前出・宮内庁関係者)


共同通信2/6魚拓
日テレノーカット工房ベトナム訪問前徳仁会見映像

  • 2009年2月5日ベトナム訪問前公式記者会見にて、ベトナムベトナムgdgdg牛歩会見をして時間稼ぎをし、体調不良の陛下と公務と雅子マターについての質問には予定時間になったからと司会進行の大森茂侍従が一方的に強引打ち切り強行、宮内記者会は6日野村一成東宮大夫に「取材の制限、妨害に等しい」と抗議文提出、同日野村東宮大夫が「予定時間を厳格に守ろうとするあまり記者会見を終了させたもので、率直におわびする」謝罪文発表、そんな前代未聞会見事件 ≪宮内庁公式情報≫

参考:* 2009年2月20日徳仁49歳誕生日記者会見前の質問事項すり合わせにて、「雅子が久しぶりに臨んだ宮中祭祀(=同年1月7日昭和天皇二十年祭)についてもぜひ触れてください」と、都合のいい記者質問を自分からおねだりする事件

『AERA』2010年1月4・11日合併増大号<陛下が触れない雅子さまの病状>p.22より引用

 2009年雅子さまのスタートは好調に思われた。
(中略。新年一般参賀・昭和天皇二十年祭である皇霊殿の儀・なるほど展・WBC・みどりの愛護について何年何ヶ月ぶりと説明が入る)
 この時期の雅子さまの充実ぶりは、こんなエピソードからも伝わってくる。
「雅子さまががんばっていらっしゃる姿を国民のみなさまにもお伝えしたかったのでしょう。皇太子さまは2月23日のご自身の誕生日に向けての記者会見で、宮内庁記者会からの質問事項に『雅子が久しぶりに臨んだ宮中祭祀についてもぜひ触れてください』といった趣旨のご希望を述べられたそうです」(宮内庁関係者)


産経新聞2/23魚拓「Alphabet Zoop」表面と裏面の図柄と、カードを手にしている愛子と徳仁。トランプとは異なり、両面ともに上下が決まっている図柄であることに注目。
日テレにこにこアルバム 5分30秒あたりから「Alphabet Zoop」、英語カルタが上下逆さまでもおかまいなしな徳仁。雅子も似た傾向があり、手持ちの札を揃えて見やすくするという知恵は働かないらしい光景。日テレにこにこアルバム

  • 2009年2月20日徳仁49歳誕生日記者会見にて、「愛子が赤坂御用地で遊んでいるときに,眞子内親王様や佳子内親王様に声をかけていただいて一緒にお遊びしたりしたこともあります」発言、自分より年少で班位も低い姪に「様」付け事件≪宮内庁公式情報≫
  • 2009年2月20日徳仁49歳誕生日記者会見にて「雅子は頑張り過ぎてしまい、その後の公務をすることが難しくなる」といったことをのたまい、関連質問で「雅子ヒが頑張りすぎるって何をさ?」とつっこまれgdgd回答、そのまま終了したがなんと約20分後のカメラマンが撤収作業をしている最中に戻ってきて「雅子は周囲の期待もありますので、1つの公務をする場合には全力を傾けることがあります。1つの公務をする場合、それだけ多くの日数をとって、そのための準備をする。やはりそれに伴って、結果としては疲れが残ることもありますので、次から次へと新しい公務をするということはまだ難しい、ということを申し上げたかったわけです」と付け加える、またも前代未聞会見事件

参考:* 延長&一旦退出後舞い戻ってきての追加説明2009年2月20日徳仁49歳誕生日記者会見終了後のオフレコ懇談会で、ベトナム訪問に同行していてバレンタインチョコを徳仁に渡した女性記者にお礼の言葉を述べたのはよかったが、「(中川昭一財務大臣へべれけ会見の話題から)お酒はまあ飲みますが、甘いものはあまり好きではありません。“両刀遣い”じゃないんですよ」と言っちゃう事件≪週刊文春2009/3/12号≫

  • 延長&一旦退出後舞い戻ってきての追加説明2009年2月20日徳仁49歳誕生日記者会見終了後のオフレコ懇談会お開き時に、「これにて一件落着!」と遠山の金さん(杉良太郎)のモノマネをしてみせる能天気事件≪週刊文春2009/3/12号≫
  • 2009年2月徳仁49歳誕生日映像で、「優秀な愛ちゃんに英語教育してます!」アピールのためか東宮一家が英語カルタ「Alphabet Zoop」に興じている場面を撮影させるが、徳仁が手にしているカードは全部上下逆さまだった事件

参考画像: 参考動画:* 2009年3月7日ワールド・ベースボール・クラシックのアジアラウンド日本対韓国戦があった夜、東宮家にプライベート電話をかける間柄の某氏が夜8時半~9時頃緊急の要件にて何度も電話をかけるも応対に出ず、夜9時半過ぎにようやく電話に出た徳仁が第一声で『佐藤君(仮名)、見てるかなっ! 素晴らしい試合だね』と、自分が友人をシカトしていたことも理解していないんじゃないか事件≪週刊現代2009/10/10号≫

  • 2009年5月9日毎年恒例両陛下との粟の種籾蒔きに東宮一家が仔犬「ゆり」を同伴し参内、皇居から退出する移動ワゴン車で一家の主が犬より下座に座る事件(奥)
  • 2009年7月16日長崎県佐世保市にて開催の第45回献血運動推進全国大会にて、3年前に7歳の息子を病気で亡くし、治療のための輸血体験を発表した主婦に「うちの娘も7歳です」「寂しくないですか」KY発言事件【徳仁の(゚Д゚)ハァ?な発言シリーズ】【八大行啓
  • もう小学生である愛子と両側からそれぞれ手をつないだ雅子と徳仁が茶会にお出まし、愛子が何かゴニョゴニョ話しているのを、『今、歯が抜けて聞きづらいでしょう。愛子は○○○○と言ってるんですよ』と説得力に乏しいフォロー事件
  • 2010年徳仁50歳誕生日発表用映像を庭園にて一家三人&飼い犬ゆりで撮影、雅子と愛子がしゃがんでゆりを弄り回している仲間に入ろうとしたものの、ゆりに舐められそうになった瞬間慌てて手を引っ込めそそくさと立ち上がり、実は犬苦手なのがバレバレになってしまう事件

参考映像: 5分10秒あたりから徳仁犬苦手バレバレシーンあり。* 2010年徳仁50歳誕生日会見(2月19日収録)にて、娘愛子が学習院初等科生活を楽しんでいると発言したその僅か2週間余りの後、愛子不登校野村一成東宮大夫が公式会見発表する、誕生日公式記者会見で大嘘吐いたことバレバレ事件

皇太子殿下お誕生日に際し(平成22年)

皇太子殿下の記者会見
会見年月日:平成22年2月19日
会見場所:東宮御所
(問4に対し、愛子は)学校生活にも,すっかり慣れて毎日楽しんで通学しています。学校の先生方やお友達にもとてもよくしていただいていることを有り難く思いますし,また,1月には学校から郵便局の見学に出掛けるなど,学校の内外で様々な経験を積み重ねることによって,本人も充実感を味わっている様子で,私たちもとてもうれしく思っています。詩を書くことや漢字の練習,あるいは掛け算の九九の習得にも励んでいます。


保管庫15マコオタ画像集(雅子関係)19マコオタ画像集(雅子関係)19チィーッス{| border="1" |- | 【皇室ウイークリー】(159)行事ご欠席で「残念」雅子さまがメッセージ 愛子さま、放課後に学校「居残り」も (2/5ページ)
2010.11.20 07:00
 皇太子さまは「第30回記念大分国際車いすマラソン」観戦のため、13、14の両日、大分県で過ごされた。大分には過去10回訪問しているが、今回の湯布院・日田地域は初めて入られたという。
 今回は車いすマラソンのほか、介護の研修施設や江戸時代の私塾「咸宜園(かんぎえん)」などを訪問したが、通常の地方視察と比べてやや“異色”だったのは、13日に日田市で訪問された三和酒類のいいちこ日田蒸留所。「いいちこ」ブランドの工程ご視察の最後には、市販されている4種類の焼酎と、コップが用意されていた。
 県などの事前の説明では、「皇太子さまが焼酎に口をつけられるかは、そのときにならないと分からない」とのことだったが、皇太子さまは迷いなくコップを手に取られると、「いいちこ」の高級版、「特撰いいちこ」「いいちこスペシャル」「いいちこフラスコボトル」の3種類を次々と口へ。「ああ、違いますね」などと感想を口にされた。同社によると、フラスコボトルはいいちこブランドの最高峰で、720ミリリットルで2700円という。
 ちなみに4種類の中で唯一飲まれなかったのは、「下町のナポレオン」のキャッチフレーズでおなじみの“普通”のいいちこだった。 |}

■第9期-東日本大震災発生後-■編集

http://megalodon.jp/2013-1204-0620-49/www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00259048.html

皇太子さま、米・バイデン副大統領とケネディ駐日大使と面会(魚拓)
皇太子さまは3日、来日中のアメリカのバイデン副大統領とケネディ駐日大使と面会された。
外務省からの願い出によって実現した3日の面会は、東京・港区の東宮御所で、およそ30分間にわたって行われた。
宮内庁によると、皇太子さまは東日本大震災の際に、アメリカから寄せられた支援に対する感謝の言葉を述べられたという。
バイデン副大統領は、震災直後の2011年夏に、ケネディ大使は11月、被災地を訪問しており、皇太子さまは、2人から被災地の話を熱心に聞かれていたという。
(12/03 22:39)


『女性自身』2014年5月6日号<愛子さま、被災盲導犬のために全額はたいた中学生の「初」お小遣い!>

p.43より引用
(補足2014年4月オール学習院での、盲導犬のアイメイト協会ブースにて)愛用の赤いお財布に入っていた小銭を募金されると、サポートグッズの販売コーナーへ。グッズの売り上げは協会に寄付されるという。
 愛子さまはまずボトルを手に取られ、次にトートバッグをご覧になったのだが……。
ボトルは800円、バッグは1千900円でしたが、愛子さまのお財布の中には2千円。財布とグッズを見比べながら、少し困ったように考え込まれていました。どうやら小銭を募金してしまったこともあり、お小遣いが足りなくなってしまわれたようです」(前出・学習院関係者)
 愛子さまがご自身でお金を支払われる機会はほとんどない。しかし皇太子ご夫妻は、今回のような学校関係のイベントに参加されるときなどには、一定額をお渡ししているという。
 この日お持ちだったのは愛子さまが中学生になられての“初”お小遣いだったのだ。
 ご夫妻は少し離れたところから様子をご覧になっていたが、愛子さまが困惑されているのに気付かれたようで、
皇太子さまが、足りない分を補てんされていました」(前出・学習院関係者)

朝日新聞記者・中田絢子氏ツイッターより

中田 絢子‏@ayako_nkd
また、26日は愛子さまが中等科に進学してから初めての授業参観があり、皇太子ご夫妻も参加。1~5限まで英語、音楽、理科、国語、古文の授業を参観されたそうです。ご夫妻は愛子さまが授業を熱心に聞き、お友だちと楽しそうに過ごされている様子を喜ばれたそうです。
3:22 - 2014年6月27日


『週刊文春』2015年3月5日号<雅子さま「ご公務欠席」会見の緊迫場面「そもそもご体調とは何なのか?」記者も苛立った>記事

p.157より引用
「雅子さまにお疲れのご様子は全く見られませんでした。事前にお送りした報告書を丹念に読み込んでくださっていた。途中、職員がドアをノックしたのですが、皇太子さまが『無視していいですよ』とおっしゃり、妃殿下ともにもっとお話を続けたいご様子でした」(総括責任者の三浦浩喜氏)

http://www.sankei.com/life/news/150207/lif1502070007-n1.html

2015.2.7 06:00
【皇室ウイークリー】
(369)両陛下、葉山の海岸をご散策 住民らに「どちらから?」と尋ねられご交流 雅子さま、被災3県の高校生と1年半ぶりご再会
(2/3ページ)より引用
 皇太子ご夫妻は3日、お住まいの東宮御所で、東日本大震災で被災した岩手、宮城、福島3県の高校生5人と1年半ぶりに再会し懇談された。
 5人は、経済協力開発機構(OECD)などによる復興人材育成プログラム「OECD東北スクール」に参加した中高生の代表。参加者約100人は昨年8月、復興イベント「東北復幸祭」を仏パリで開き、被害状況や復興の現状などを自ら企画して世界に紹介した。ご夫妻はスクールの活動に関心を寄せ、準備中の平成25年夏にも東京都内での発表会で5人を含むメンバーと懇談されていた。
 この日、ご夫妻はパリでの体験談を熱心に聞かれ、懇談は予定を大きく超えて50分間に及んだ。出席者によると、皇太子妃雅子さまは宮城県気仙沼市出身で仙台育英高校2年の小山結(ゆ)有(う)さん(17)に「気仙沼の状況は今どうですか」と尋ねられた。ご夫妻は「地元のためにこれからも頑張ってくださいね」と励まされたという。


https://twitter.com/ayako_nkd/status/562808245652561920
朝日新聞 中田絢子記者公式ツイッター‏@ayako_nkd
懇談は30分の予定が50分近くになったそう。この最中、皇太子さまと雅子さまは何度も紅茶やクッキーをすすめてくださった、と生徒さんたちから聞きました/皇太子ご夫妻、被災3県の高校生と懇談 東宮御所 - 朝日新聞デジタル http://www.asahi.com/articles/ASH2354JPH23UTIL02Q.html

  • 2010年3月3日ガーナ及びケニア訪問前記者会見にて、関連質問で「妃殿下のアフリカに対する関心,殿下からご覧になって,どういった部分に特におありでしょうか,お聞かせください」と問われ、「そうですね,アフリカが抱えている様々な問題,全体に対してあると思いますし,具体的にどの問題というのはなかなか難しいかもしれないのですけれども,もちろん貧困の問題ですとか,それから教育の問題,さらには環境問題なども含めて,非常に幅広くアフリカの問題に対して関心を寄せているというふうに,私には感じられます」との具体性も何もあったものではない漠然とした回答、夫妻でアフリカ問題について話したこともないだろとバレバレ事件≪宮内庁公式情報≫
  • 2010年5月17日カンボジアのシハモニ国王陛下来日歓迎式典で弟秋篠宮殿下に後ろを振り向いてまで話しかける、雅子から私語癖が伝染ったらしい事件(同年12月26日「皇室ご一家」にて放送)
  • 2010年6月結婚式参列のためスウェーデン訪問したナルちゃん、式前日の各国王族夕食会にてよれよれタキシード姿を披露事件

参考:ttp://cache.daylife.com/imageserve/0cOw1JUeVX3c1/x999.jpg daylife配信画像その1]、ttp://cache.daylife.com/imageserve/00cI8kP0Os1cg/x999.jpg daylife配信画像その2]→その他関連画像は* 2010年6月19日スウェーデンのビクトリア王太子結婚式当日、参列王侯貴族各国要人の中、カメラを手に平気で撮影しまくる事件
参考:ttp://cache.daylife.com/imageserve/0eQMfu723K2qF/999x.jpg daylife配信画像その1]、ttp://cache.daylife.com/imageserve/08iNcxOggP3xX/999x.jpg daylife配信画像その2]→その他関連画像・映像は* 2010年6月19日スウェーデンのビクトリア王太子結婚式に独りぼっち出席したナルちゃん、華やかなドレス姿の他国王室カップルに意味なくまとわり付いてマスコミ撮影を邪魔し、その光景のYoutube視聴者から「シュリンプ=ちび」呼ばわりでコメント書かれる事件

  • 2010年9月1日那須静養から帰京する那須塩原駅前にて、娘愛子がワンボックスカーの陰に隠れてしまい出てこない“雲隠れ”、それを苦笑いだけで全く窘めようとしない事件
  • 2010年11月13日大分県訪問にて徳仁がいいちこ日田蒸留所見学、高級版「特撰いいちこ」「いいちこスペシャル」「いいちこフラスコボトル」の3種類を飲むも、“普通”のいいちこだけは唯一口をつけない事件
  • 2011年4月11日東日本大震災発生から1ヶ月となるこの日、東宮御所に愛子同級生を招き、午前11時~夜7時近くまでお楽しみパーティー開催、「皇太子殿下はビデオカメラを、雅子さまは小さなカメラをそれぞれお持ちになり、子供たちの様子を常に撮影していました」事件
  • 2011年5月14日六大行啓「みどりの愛護のつどい」で徳仁が富山県訪問、被災者15名と対面し「愛子もリレーの選手なんですよ」発言、クラスから2名選抜される秋の学習院初等科運動会リレー選手にもう確定済みなんですか?事件
  • 2011年5月17日徳仁と来日したルクセンブルク・ギヨーム皇太子が懇談、東宮御所玄関出迎えで徳仁が「Nice to meet you again」、英語の動詞meet中学生レベル誤用事件
  • 2011年8月11日那須御用邸静養へ出発する恒例の那須塩原駅前マスコミ撮影、トイレで粗相したのか、手洗いがぞんざいだったのか、飲み物をこぼしたか、理由は不明だが、ズボン股間に小さな染みを付けてお出まし事件
  • 2011年8月24日那須どうぶつ王国にて徳仁愛子とのび太君家族ら一行がお楽しみ、ラクダライドの徳仁はニッコニコ笑顔で到底51歳には見えません事件(この日雅子は同行せず)
  • 2011年9月14-16日学習院初等科4年生の山中湖2泊3日校外学習にまで雅子が同行、「皇太子妃雅子さまも付き添いのため、別の車で山中湖に向かわれた。」≪産経新聞9/14≫、「雅子さまも同じホテルに泊まり2泊3日の間、愛子さまを見守り続けるという。」「雅子さまは愛子さまが行く先々にすべて赴き、活動を見守るという。」≪毎日新聞9/14≫、そんな妻を諌めるどころか徳仁は「愛子さまは同級生らとともにバスに乗られ、出発の際には皇太子さまが見送られたという。」≪MSN産経皇室ウイークリー9/17≫、東宮夫妻は典型的なモンスターペアレント事件
  • 2011年11月13日、天皇陛下東大病院入院により両陛下欠席となった山梨県「恩賜林御下賜100周年記念大会」に名代として出席することになり御乗用列車(お召し列車)にて移動、その車内でデジタルカメラ片手にお手振りしている徳仁の姿が撮り鉄さんたちに激写され、『週刊新潮』11/24号グラビア記事にまでなってしまった、徳仁はいつでもどこでもカメラパチパチカメコ事件
  • 2013年12月3日、バイデン米副大統領がケネディ駐日大使を伴い東宮御所訪東日本大震災]]被災地を訪問した二人から「被災地の話を熱心に聞かれていたという」自分たちが視察した被災地についての話は?外国人から自国被災復興状況の話聞かされるのって情けなさ過ぎない?被災地情報を二人に聞かせるべきで立場逆じゃね?事件
  • 中学生にもなって単純な計算、また先々の見通しが苦手だとお察しされる「アイメイト盲導犬グッズ」愛子エピソード、足りない金は父徳仁があっさり補填するという甘やかしぶり事件
  • 2014年6月26日(木)愛子が学習院女子中等科に入って初めての保護者参観日、徳仁雅子二人揃って1時間目から5時間目までフル授業参観という、体力と暇ありすぎ事件
  • 2015年2月3日東宮御所にて徳仁雅子が「OECD東北スクール」参加の高校生たちと懇談、それが大幅に予定時間オーバー。懇談中部屋をノックした東宮職員に対して徳仁が言い放った言葉は「無視していいですよ」≪週刊文春2015/3/5号
  • 2016年3月1日エジプトのシシ大統領と徳仁(インフルエンザ療養中の陛下の代理)が会見・昼食会。それらが終わり「別れ際」になってようやく徳仁がエジプトによる東日本大震災への支援に言及返礼。本来なら最初の会見時に述べるべきことを別れ際になってようやく口にする体たらくにスレッド住民奥様方が呆れかえる事件
    参考:2016年3月1日エジプトのシシ大統領との会見・昼食会に徳仁代理出席ニュース集

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