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結婚前から現在に至るまで、見聞きした人に (゚Д゚)ハァ? という感情を抱かせる雅子夫人の発言をまとめたもの。
特に英語については「マサグリッシュ」の項目も併せて参照されたい。

参考:【ドス子の事件簿】、【おえらいの?】、【一言付け加えさせていただく】、【フンドシを締め直して】、【私の友達にそんなことを言う人は一人もいません】、【子供を産める身体】、【マサグリッシュ】、【為せば成る、為さねば成らぬ何事も】、【徳仁の(゚Д゚)ハァ?な発言シリーズ】、【愛子の( ゚д゚)ポカーンな発言シリーズ

雅子の(゚Д゚)ハァ?な発言集[]

  • 1986年9月18日スペインのエレナ王女レセプションパーティで浩宮に会って帰宅、祖母江頭寿々子に「浩宮様っておえらいの?
  • 1987年12月、追っかけマスコミカメラマンを指差し恫喝して、「どこの社なの?名刺を出しなさい!」
  • 1988年留学前の時期、取材記者に向かって声を荒らげ「あんな家には行かない」

『噂の真相』1993年3月号
p.27より引用
 実際小和田雅子はお妃になる意思のないことを自ら表明してもいる。オックスフォード大留学中の89年9月、日本から追いかけてきたマスコミ数社を前に即席の会見を開き、「わたくしはお妃問題には関係していません、ずっと外務省職員として生きていく」と語ったのはよく知られた話だが、実は、彼女はこの公になっているコメント以外にもっと強烈な台詞を発したこともあるという。
「一時たりとも活字になっていませんが、小和田さんは留学前の88年、ある新聞記者の執拗な取材に声を荒らげて『あんな家にはいかない』と答えてるんです。ちょうど報道陣に『名刺を見せなさい』と詰めよるなど、取材攻勢に神経を尖らせていた時期ですから、ついホンネが出ちゃったんじゃないですか。当時、この発言は記者連中の間でもかなり話題になりましたね」(もと宮内庁詰記者)

  • 英国オックスフォード大大学院への留学に際し、伝蓋友人らによる送別会で「最近母から気が緩んでいると注意されました。イギリスに行ってからは、フンドシを締め直して勉強したいと思います。……でもイギリスにはフンドシは売っていないから、買っていかなくちゃー」
  • 水俣病とチッソ社長であった雅子母方祖父・江頭豊について、世論が触れると「おじいちゃんが悪く言われた]」
  • 結婚前、駅ホームで撮影したカメラマンを追いかけ胸座を掴んで「フィルムを出してください!
  • 結婚前、カメラマンにマークされていることについて外務省の同僚に「マスコミってウジ虫みたい
  • 外務省北米二課の同僚・上田奈生子さんに向かって「ネズミに似てる」、上田さんが髪を切ってきたら今度は「うちのショコラに似てる」
  • 皇太子妃になることに積極的でなかったとされる小和田雅子が政府高官説得を受け「私は国家と結婚します」

ソース:2009年4月15日KTV「青山繁晴がズバリ!」より

ソース:『週刊新潮』1993年10月28日号<雅子さま初めての園遊会>モノクログラビア記事

  • 皇太子殿下のご学友の豊永聡美氏がお二人の様子を語る。
    「ご結婚前は花見やテニスや水泳など定期的に行事もあったんですが、ご結婚後はなくなり、御所にお呼びくださることも少なくなりました。お二人だけでいらっしゃる方が楽しいんでしょうね。
     一昨年(=1994年)の秋に最後にお目に掛かった時、雑誌を何冊か殿下と雅子さまに持っていったんです。その中についうっかりして、『夫に先立たれたとき』という特集がまじっていたのですが、雅子さまはそれを殿下にお見せになって『ほらこれ』といって仲良さそうに笑っていらっしゃったのが印象的でした」

ソース:『週刊文春』1996年1月18日号

  • 『週刊女性創刊50周年記念号別冊写真集・美智子さまと雅子さま』(主婦と生活社、2007/06)p.75より
    '94年11月11日、ご夫妻はオマーンを出発。次の訪問国カタールの水族館では魚を指さし皇太子さまのほうを向いて、「あれ!あれ!」と雅子さまが喜ばれる場面も。
  • 徳仁との登山で「ガスってるぅ~」
  • 1995年天皇陛下が東宮夫妻に「国民もみな(世継誕生を)待っているよ」と話しかけられた途端、「私の友達にそんなことを言う人は一人もいません
  • 平成8年(1996年)歌会始・お題「苗」にて、「もろ手もちてひたすら花の苗植うる知恵おそき子らまなこかがやく」<宮内庁公式情報>
  • 東宮夫妻が静養でマスコミ取材陣同行登山、頂上の足場の悪いところで写真撮影に応じた際、カメラマンが雅子に「(皇太子さまで隠れてるので)もうちょっと前に立ってもらえませんか?」とお願いした際、雅子がボソッと「落ちたりしてw」とタメ口で徳仁に話しかけ笑う事件マコオタ書き込み
    当該マコオタ書き込み魚拓
  • 1995-1997年あたりのことか、東宮夫妻が地方公務で地元有力者と食事会、後日東宮職がいる前で「ああいう集まりには、もう二度と出席したいとは思いません」

週刊新潮』<2012年1月5・12日新年特大号<雅子さまに御された「東宮」のラスプーチン>
p.27より引用
 さきに本誌は、ご病状が「適応障害」には当たらず、他罰的感情をその特徴とする「ディスチミア症候群」ではないかと報じた。事実、そうしたお振る舞いは長期療養に入られる2003年以前、さらに言えばご成婚直後から見受けられたという。さる東宮職OBによれば、
「ご懐妊の兆しが見える数年前、東宮ご夫妻が揃ってある地方都市を視察されたことがありました。土地の産業や地域の過疎化などについて、県や市の幹部と意見交換し、食事をともにされたのですが、後日、妃殿下は『ああいう集まりには、もう二度と出席したいとは思いません』と仰せになったのです」
 このOBが当時、耳を疑ったのは言うまでもない。
「つまりは、現在のご自分とお暮らしとは直接に関係がないことだというようなご趣旨だったのですが、皇族のお立場というものについて、根本的にご理解が異なっているのではないか、という違和感を強く覚えたことを記憶しています」

  • 33歳誕生日会見にて、質問「宮内庁の古い伝統主義の中で雅子妃が活躍できないと、国内外メディアで様々に報じられていることについてどう思うか?」に対し、「それからまた私が鬱状態にあるんではないかというような書き方をしているところもあるようなんですけれども、今、脳内モルヒネとかいうものがちょっと話題になっているようですけれども、そんなものも私の場合、それなりに出ているのか鬱状態とかそういうことは全くありませんので、どうぞそういう心配はしていただかないようにというふうに思います(笑)」<宮内庁公式情報>
  • 1998年秋に不妊検査を受けた雅子、「その結果が正常だと分かると安堵して、『検査の苦しさよりも私が子供を産める身体だと、両陛下にご理解をいただいてほっと致しました』とおっしゃったと聞いています」≪文藝春秋2004年7月号 雅子妃その悲劇の全真相(友納尚子)≫
  • 35歳誕生日会見にて、「最近公務を離れて興味を持って取り組んでいることは何か?」との質問に、「今年の夏、クワガタムシの、昆虫の(ノコギリ)クワガタですけれども、クワガタがここの御所の窓の外のところで弱っているのを見つけまして(以下略)」<宮内庁公式情報>
  • 1999年4月22日東京浅草仲見世見学、あげまんじゅう屋さんを覗くなどして、29年間日本の一般庶民をやっていた人間ではありえない常識外れ質問「(浅草寺は)いつもこんなに人が多いのですか?」
  • 2000年10月27日富山県富山市の福祉施設セーナー苑を視察、「食事はおいしいですか?」と大食い雅子さまがご質問。
    参考ようつべ:20050110-皇太子ご夫妻の励まし
  • 2002年愛子誕生についての記者会見で「生まれてきてありがとう」「生まれたての子供」<宮内庁公式情報>
  • 39歳誕生日会見冒頭の質問「結婚10年目という節目を迎えてどうお感じになっているか?」との質問に、「はい。いま10年目と言われまして,ああ10年目なんだなというふうにまず思いました。自分の中では9年という気持ちが強かったものですから,10年目と言われて,10年と申しますと,十年一昔とも申しますし,十年一日のごとしとも申しますけれども,確かに考えてみますと,年が明けますと,1月19日に皇室会議を開いていただいて,そして婚約ということになったのがもう10年も前になるんだなあということを思い出しますと大変深い感慨がございます」<宮内庁公式情報>
  • 39歳誕生日会見にて、愛子の子育てに対して、「お陰さまで,とても今のところ身体が丈夫で,そしてまた,おおらかな性格といいますか,皇太子さまに似ましたのか,何ていうのかしら,ゆったりと,どっしりとしておりますので,その点健康に恵まれた子供を持っているということは,そうでない方もたくさんいらっしゃるわけなので,本当に恵まれたことだと思って有り難いことと思っておりますし,また,こちらでは子供の世話を手伝ってくれる職員も配慮していただいて,手配していただいておりますので,公務などとのことで私自身が面倒を見ることができない時も,そういった職員がよく面倒をみてくれていることもとても有り難いことと思っております」<宮内庁公式情報>
  • 39歳誕生日会見にて、北朝鮮拉致被害者について「明るみに出て」「また亡くなられてしまったと言われている方々もいらっしゃるわけで」<宮内庁公式情報>
  • 39歳誕生日会見にて、スイスでの児童文学者会議について「(皇后陛下が)大変素晴らしいスピーチをなさいましたことを,本当にたくさんの方の心を打ったことと思いますし,本当に素晴らしい成果をお上げになって,素晴らしかったと存じます」<宮内庁公式情報>
  • 39歳誕生日会見にて、「愛子内親王が“おおらかなご性格”というのはどういうことから感じたのか?」との質問に、「おおらかというか,明るいというのか,私驚きましたのは,赤ちゃんでも,本当に2か月,3か月でもユーモアのセンスというのがあるんだなというのがビックリしたことだったのですけれども。殿下が,今までもお話したことがございますけれども,本当にとても子育てを手伝ってくださって,本当に大きな力になってくださってますけれども,例えば,殿下が何かで,ちょっとガーゼを落としておしまいになった時に,私が「あっ」という顔してみますと,子供が「にやっ」とこう笑ったり,それが本当に2,3か月のころからそういうことがあって,こんなに小さな子供なんかにもユーモアの感覚というのがあるんだなと思いました」<宮内庁公式情報>
  • 2002年12月5日NZ&豪州訪問前公式記者会見にて、「ジョルダンのフセイン国王が亡くなられた折のご葬儀と,それからベルギーの皇太子殿下がご成婚なられた時には,そちらに伺わせていただくことができましたことも大変有り難かったと思っております」<宮内庁公式情報>
  • 2002年12月5日NZ&豪州訪問前記者会見にて「外国訪問をすることがなかなか難しいという状況は正直申しましてその状況に適応することになかなか大きな努力がいったということがございます」<宮内庁公式情報>
  • オーストラリアの病院視察公務で歩行器姿の少年に向かって、持参したエルメス写真ケース入りの手押し車愛子写真を示し「Like you!
  • 橋本大二郎高知県知事(当時)と東宮夫妻が歓談、その折夫徳仁が「(愛子の鼻から目のあたりが)私に似ていると言われるんです」と嬉しそうに言ったのに対し、雅子が「私はそうは思わないんですけど」

h ttp://www.pref.kochi.jp/%7Ehisho/chiji/omoi-no50.htm
平成14年12月19日 NO.50 お二人のお誕生月に寄せて
・・前略・・
また、雅子さまは今回のお誕生日の会見で、愛子さまは性格的に皇太子さまに似たところがあると話されていましたが、話がお顔のことになりますと、皇太子さまは、「このあたりが」と鼻から目のあたりを指しながら、「私に似ていると言われるんです」と嬉しそうでした。
 それに対して、僕の隣りに座られていた雅子さまが「私はそうは思わないんですけど」と漏らされたのを、僕は聞き逃しませんでした。

  • 結婚10周年に際しての文書回答にて「皇太子様のおみ足をお引っ張り申し上げないよう」<宮内庁公式情報>
  • ヘイリーコンサートを鑑賞、舞台裏で歓談し予定時間オーバー、挙句の果てに「Oh, no, oh, wait, we want you to sign something for us!」とひどく乱暴な雅子俺流英語【マサグリッシュ】でサインおねだり
  • お芋堀りで愛子ちゃんが大きな芋を掘り出したら「うわ!すっごぉーぃ!]」
  • 2006年2月紀子妃殿下第三子ご懐妊発表後に、何故か引きこもっているはずの雅子が国風盆栽展鑑賞に登場。盆栽鑑賞しているだけなのに派手な笑顔が目立つ夫妻。「花が沢山咲いていますね 実はなるのですか」という雅子の言葉も。
    参考ようつべ:皇太子ご夫妻盆栽展ご鑑賞 http://www.youtube.com/watch?v=t6I8ykXavYQ
  • 聖路加病院押しかけ視察で、子供の健康診断に来ている夫妻のご主人に対して「旦那さんの協力も必要ですね」
  • 天皇陛下お誕生日祝いの夕食会にて、愛子おむずかりで東宮御所に帰還、陛下を2時間47分も待たせ、心配して出迎えに現れた皇后陛下紀宮殿下らを尻目に「どうも」とだけの謝罪なし
  • 正倉院展ドタ出公務にて「これは中国の犬ですか?」
  • 長野県安曇野市「県立こども病院」訪問、入院してる子供に向かって「おやつは何だったの?」
  • 2007年8月那須静養にて一家で那須どうぶつ王国行楽、パスタレストランでウェイトレスバイトしていた女の子に向かってタメ口で大学名を質問、「どこの学生なの~?
  • 徳島県「藍住町歴史館・藍の館」で藍染(あいぞ)め体験、白いハンカチを染料入りの水槽に浸した後、水にさらす工程中、鮮やかに染め上がっていく様子に、「ほんとだ。なるほど]」
  • 17歳年長である寛仁親王殿下に向かって「お身体の調子はどうなの?」「その後トレーニングはなさっているの?」

『週刊ポスト』2008/1/18号<全国民必読「平成日本」と皇室:ヒゲの殿下寛仁親王「皇太子殿下への御手紙」「雅子妃のご病状」「皇族のあり方」から「8回目の手術で落ちた体力」まで熱論4時間!(聞き手・竹田恒泰)>記事 pp.48-49より引用
竹田 お2人が偶然お会いになって、どのようなお話をされたのでしょう。
殿下 雅子様も私が宮内庁病院に入院していることをご存知だから、すぐ車から飛びおりてきてくださり、「お身体の調子はどうなの?」と、いつもと変わらずにおっしゃいまして、それで私は「いや、もう歩くのが苦しくてたまりません」とお返事しました。そういうことが2回ありましたけど、私がお目にかかっている限り、どこもおかしいところをかんじませんね。
竹田 貴重なお話だと思います。それ以外にも妃殿下とお話しになる機械はございますか?
殿下 紀宮様のご結婚式のときも、雅子様はわざわざ私の隣にいらっしゃって、そのときも私は入退院を繰り返していたので「お身体はどうなの?」とおっしゃるから「いや、もういろんな難しい問題がございまして、私の身体はもうよれよれでございます」とか申し上げました。
 先日も皇室会議の議員の選挙で皇族が宮殿薔薇の間に集まったときに、たまたま雅子様の横に私が座っていたので、雅子様のほうから「その後トレーニングはなさっているの?」とおっしゃいましたので、私は「もう参っていまして、相変わらずつんのめってしまいます」などといつものペースで話したわけです。すると雅子様もそのペースで話してくださるから、横で聞いていた娘の瑤子が「おとーまとは全く普通にお話しになるじゃないの」と言っていました。

  • 長野県小布施町の美術館・北斎館で「駿州江尻」を見て「飛んでるぅ~」
  • 「鳥のビオソフィア-山階コレクションへの誘い-」鑑賞で、ハッカンの剥製を見て「モノトーンすてき]」
  • 学習院初等科運動会にてハイネックセータ姿で一般席を陣取り、日差しが暑いと、女官に「ちょっと、扇子持ってる?」≪週刊新潮2008/10/23号≫
  • 初等科運動会にてカメラで愛子徒競争スタートを撮ろうとしたが失敗、「ああ、ダメだわ」≪週刊新潮2008/10/23号≫
  • 写真展「皇后さまと子どもたち」を一家三人で鑑賞、美智子さまと浩宮が腕相撲をする写真(昭和39年2月撮影)の前で、夫皇太子に向かい雅子がタメ口質問「いつごろの]」
  • 「宮内庁幹部によれば、雅子妃は、“公務に行けない理由を病気にしているのは宮内庁です。私は病気ではありませんと、おっしゃられたこともある。その発言を聞いた人たちは、“そんなことをおっしゃること自体が病気ではないだろうか”と話していたそうですが……」by宮内庁関係者≪週刊新潮2008/5/1・8号
  • 平成21年(2009年)11月25日、天皇陛下在位20周年・両陛下ご成婚50周年記念内祝を随分と遅ればせながら、改修済東宮御所お披露目も兼ねて開催。両陛下・秋篠宮ご一家(悠仁親王殿下を除く)等皇族・黒田清子さんご夫妻・旧皇族・親族ら、計46名出席。宴の半ばあたりで、皇太子夫妻が両陛下に感謝の言葉を述べるシーンがあり、その折雅子は、「私は殿下とともに、皇室に新しいぬくもりを投じてみたい。そして、日本の伝統を意識しながら、愛子の人生生活を守りたいと思っています」≪女性セブン2009/12/24号≫
  • 平成23年(2011年)4月6日、東日本大震災避難所の一つである味の素スタジアムを東宮夫妻訪問。被災者である漁師さんの「漁師は陸に上がるとかっぱになっちまうんです(=船が無いと全く仕事にならない、無力な状態だ)」という言葉にご夫妻は大爆笑(原文ママ)。また「(通学問題を抱える)愛子さまは大丈夫ですか」と女性が質問、その人に小学5年生の孫がいると知り、徳仁「愛子は4年生になります」、雅子「私も愛子も大丈夫です」≪週刊朝日2011/4/22号≫
    参考キャプチャ連結画像:2011年4月6日 スーパーJチャンネル、津波で船を流された被災者漁師さんの「仕事がなくなると陸に上がったカッパ状態です」の言葉に、大笑いの表情を見せる雅子

2011年4月7日 モーニングバードでも、同じく「陸に上がったカッパ」の言葉に笑う雅子の姿を放映

  • 平成23年(2011年)6月4日、東日本大震災被災地の宮城県訪問の際、雅子妃に「天皇皇后両陛下を大切に…」と声を掛けた80代の女性に、「ありがとうございます。大丈夫ですよ」≪テーミス2011年7月号≫
  • 学校に行きたがらない娘愛子と早朝から押し問答、そんな愛子に向かって雅子「大丈夫、為せば成る、為さねば成らぬ何事も、の精神で行きなさい」≪週刊文春2011/10/13号 友納尚子署名記事≫
  • (補足:2011年)9月14日から16日まで、愛子さまを含めた学習院初等科4年生の約120人は、2泊3日の日程で富士山麓を訪れていた。気象観測施設や青木々原樹海にある洞窟「コウモリ穴」などの見学と同時に、子どもたちだけで宿泊を含めた共同生活を経験することが、校外学習の狙いである。ところが、
    「雅子さまは、愛子さまたちが乗るバスを追い掛けるように、東京からアルファードに乗って富士山麓に向かわれました。そして、4年生の見学先全てに足を運び、愛子さまの姿を見守っていらした。しかも、児童と同じホテルマウント富士の、インペリアルスイートにお泊りになっていた」(学習院関係者)
    「コウモリ穴」付近では、愛子さまとすれ違った雅子さまが、
    あら、偶然ね
     と話しかける“珍妙”な光景まで見られた。さらに、東園基政・学習院常務理事が驚愕の事実を打ち明ける。
    「実は、雅子妃殿下を愛子さまら児童と同じバスに乗せてほしいという申し出があったんです。頑として断りましたが、要するに妃殿下は、愛子さまと一緒にいてご安心なさりたいお気持ちが強いのでしょう」≪週刊新潮2011年10月6日号
    →【山中湖事件】参照
  • 「ご挨拶は結局はご家庭の教育の成果なのです。雅子さまが、お客さまへどう接するべきなのかを、愛子さまにきちんとお教えしているということだと思います。
     もともとご接待に関しては、外交官の家で育たれた雅子さまは、とても慣れていらっしゃいました。
     小和田家に招かれた方が、5歳くらいだった雅子さまから“いらっしゃいませ、紅茶になさいますか、コーヒーになさいますか”と聞かれて驚いたそうなのです。
     最近は、女性宮家創設問題も注目されています。雅子さまは将来の“宮家当主”になられるためのご教育を、愛子さまに始められたのかもしれませんね」≪女性自身2012/2/7号 渡辺みどりコメントより引用≫
  • 平成24年(2012年)1月歌会始・お題「岸」にて、「春あさき林あゆめば仁田沼の岸辺に群れてみづばせう咲く]」<宮内庁公式情報>
    1996年4月下旬に東宮夫妻が福島県土湯温泉を私的旅行で訪れた際見学したミズバショウ群生地を詠んだとのこと、とってつけたような旧仮名遣い「みづばせう」もさることながら、早春(2月ぐらい)を指す「春あさき」を4月下旬春どっぷりの時期に用いる頓珍漢ぶり。

2013年4月4日 <皇太子妃の短歌の石碑除幕式>NHK福島ローカルニュース連結画像、「春あさき」の頓珍漢ぶりが石碑にまでなってしまう体たらく

  • 平成24年(2012年)9月23日東宮御所にて開催の皇后陛下喜寿内祝夕食会、「雅子さまが美智子さまに“素敵なお着物ですね。とてもお似合いです”といったことを話されると、美智子さまは笑顔を返されたそうです。雅子さまも、その笑顔に癒されたのか、緊張されることなく、終始リラックスしたご様子で美智子さまとの会話を楽しまれていたようです」(前出・宮内庁関係者)≪女性セブン2012/10/11日号
  • 平成25年(2013年)2月2日、国立劇場での東日本大震災復興支援企画で宮城石巻市の「雄勝法印神楽」を徳仁雅子鑑賞。ドタ出登場した雅子、神楽保存会の人たちに向かって「亡くなった方はいらっしゃいますか」「(津波で面や太鼓が流され、保存会会長ら多くの住民が死亡や行方不明になったと聞き)大変な中で練習されてきたんですね」≪朝日新聞2013/2/3
  • 平成25年(2013年)9月22日、福島県郡山市の屋内児童遊戯施設ペップキッズ視察にて、皇太子に向って「お父さん待って」

「雅子さまは郡山駅に到着されたときは笑顔も強張っているように見えましたが、ペップキッズでは子供たちに囲まれ、緊張もほぐれたご様子でした。お二人でエアマットで飛び跳ねる場面もありました。
 砂場では、先に進もうとした皇太子に雅子さまが『お父さん待って』と話しかける一幕もあったのです。リラックスされて思わずご家庭での呼び方が出てしまったのでしょう」(同前)≪週刊文春2013年10月3日号 雅子さま福島慰問直前 皇太子「小和田会」でのお立場

  • 平成26年(2014年)7月28-29日、伊勢神宮参拝のため東宮一家伊勢訪問、雅子(50)は20年ぶりで、愛子(12)は何とこれが初訪問。神宮関係者に雅子「伊勢に来たかったです]」とコメント。
  • 平成25年(2013年)9月27日、学習院女子中・高等科運動会競技で愛子在籍の中1が失格になったプログラムについて、夫皇太子に向かって「え、なんで? なんで? なんで?」

 皇太子ご夫妻は、学習院院長や理事などが座る「本部席」から観覧された。
「雅子さまはオペラグラスで得点板をたびたび確認されていました。勝負の行方を気にされていた。学年対抗の競技で中一が失格になったプログラムがあったのですが、皇太子さまに『え、なんで? なんで? なんで?』と繰り返し尋ねられていたのが印象的でした皇太子さまは、例年通りカメラを二台駆使して、たくさんの写真をお撮りでした」(学習院関係者)≪週刊文春2014/10/9号

  • 平成26年(2014年)10月26日夜9時前、閉店後の日本橋高島屋デパート開催特別展「天皇皇后両陛下の80年―信頼の絆をひろげて」を東宮一家鑑賞。展示品である幼稚園時代の浩宮が母美智子妃殿下のために描いたエプロンについて夫徳仁に向かって「久しぶり?」≪ttp://www.ji ji.com/jc/c?g=soc_30&k=2014102600204 時事通信10/26]、朝日10/26
    MSN産経は「何年ぶり?」だったと報じるが、タメ口なのは同じである≪MSN産経10/26
  • 平成26年(2014年)10月26日夜9時前、閉店後の日本橋高島屋デパート開催特別展「天皇皇后両陛下の80年―信頼の絆をひろげて」を東宮一家鑑賞。
    幼少時の皇太子さまの写真を見た長女の敬宮(としのみや)愛子さまが、秋篠宮ご夫妻の長男の悠仁(ひさひと)さまに「似ている」と話され、雅子さまが「ちょっとそうかも」と応じられる場面もあった。≪MSN産経皇室ウイークリー11/1
  • 平成26年(2014年)10月26日夜9時前、閉店後の日本橋高島屋デパート開催特別展「天皇皇后両陛下の80年―信頼の絆をひろげて」を東宮一家鑑賞。天皇陛下の学習院初等科時代のランドセルを見た雅子「[(愛子のものと)変わりませんね」、70年以上前に製作されたランドセルと愛子ランドセルが変わらないという、何ともいい加減な発言毎日新聞10/26

参考:大峡製鞄公式HPより、『愛子さまの「お持ちもの」』サライ編集部編(小学館)*幸せを呼ぶ贈り物リスト*取材による愛子ランドセル紹介ページ
なお25日に秋篠宮家が同展ご鑑賞、“天皇陛下の初等科時代のランドセルを前に悠仁さまが「小さい」と驚かれ、紀子さまが「今の教科書と大きさが違うのよね」と優しく説明されていました”≪朝日新聞中田絢子記者公式ツイッター
特別展には、両陛下のゆかりの品と写真およそ300点が展示されていて、陛下の初等科のランドセルを見た悠仁さまは、「小さい」「これじゃ入らない」と驚かれていました。≪TBS10/25

  • 平成27年(2015年)6月16日両陛下から引き継いだこどもの日公務として、新宿区の子育て支援施設「ゆったりーの」を徳仁雅子視察、幼児2人の母親に向かって雅子「どんなお遊びが好きなんですか」

http://mainichi.jp/feature/koushitsu/news/20150617k0000m040027000c.html (魚拓記録Webarchive記録archive.is記録
皇太子ご夫妻:東京の子育て支援施設訪れ親子と懇談
毎日新聞 2015年06月16日 18時53分
 皇太子ご夫妻は16日、「こどもの日」にちなんで東京都新宿区の子育て支援施設「ゆったりーの」を訪れ、親子と懇談された。今年、天皇、皇后両陛下から引き継いだ新しい公務で、9月の「敬老の日」前後の施設訪問と併せて秋篠宮ご夫妻と共に分担していく。
 ご夫妻はゆったりーの内で絵本の読み聞かせをしている場面を視察し、集まった約20人の親子と和やかに懇談した。3歳の長男と1歳の長女の母親(30)に雅子さまは「お弁当作りや(幼稚園の)送り迎えは大変でしょうね」「どんなお遊びが好きなんですか」と笑顔で話しかけ、皇太子さまは絵本を朗読した女性(32)に「愛子が小さい頃、私も読み聞かせをしました」などと感想を話した。
 この施設は親子の交流や子育て相談の場として2004年にオープン。0歳から小学校就学前の子どもや保護者が利用している。【真鍋光之】

  • 2015年7月6日トンガ国王戴冠式公式訪問から帰国した東宮夫妻感想文書、「天皇皇后両陛下には,歴代の国王王妃両陛下と親しくご交流になられてこられています。」<宮内庁公式情報>

http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/02/speech/gokanso-h27az-tonga.html
(平成27年7月6日)
トンガご訪問を終えて
この度,トンガ国を訪問し,トゥポウ6世国王陛下の戴冠式に参列できましたことを大変うれしく思います。7月4日にフリーウェズリアン・センテナリー教会で行われた戴冠式は,多くの参列者や国民が見守る中で厳粛に執り行われ,荘厳な中にも心温まる式典に深く感銘を受けました。天皇皇后両陛下には,歴代の国王王妃両陛下と親しくご交流になられてこられています。このように我が国皇室とトンガ王室との間で親密な交流が積み重ねられている中で,この度,トゥポウ6世国王陛下よりお招きをいただき,戴冠式に参列し,心よりのご祝意をお伝えできたことを大変ありがたく思っております。
・・後略・・

  • 2015年9月17日東京・港区の下水処理施設を徳仁と見学、そこでの質問「ビルを建てる時は、いくらくらいかかったのですか?」≪ANN2015/9/17≫

http://news.tv-asahi.co.jp/news_society/articles/000058945.html
皇太子ご夫妻 水資源の研究・施設を熱心に視察(2015/09/17 18:11)
 皇太子ご夫妻が水資源に関連する施設2カ所を視察されました。
 ご夫妻は17日午後2時ごろから、東京大学の生産技術研究所を訪問され、観測された気象をデータベース化し、災害予測に役立てる研究などについて説明を受けられました。その後、東京・港区の下水処理施設を訪問されました。この施設の上に建つオフィスビルでは、下水処理の際に出る熱を空調管理に利用しています。ご夫妻は熱心に説明を聞かれ、雅子さまは「ビルを建てる時は、いくらくらいかかったのですか?」と質問されていました。

  • 2015年12月雅子52歳誕生日発表用映像撮影で同年7月公務で行ったトンガ王国に関する小道具を使用、そんな中愛子に対して地図を前にして「トンガはどこでしょう」、普通公務出発前にするべき問いを5ヶ月以上も経ってする雅子

http://www.tv-tokyo.co.jp/mv/mplus/news/post_102511/ (WebArchive記録 / 魚拓記録
雅子さま 52歳の誕生日 12月9日
皇太子妃の雅子様が、きょう52歳の誕生日を迎えられ、宮内庁はご一家の最近の映像を公開しました。7月に訪れたトンガ王国の地図を前に雅子様が愛子様に「トンガはどこでしょう」などと話されていたということです。雅子様は先月12年ぶりに園遊会に出席されるなど公務が増えていますが、宮内庁では「まだ療養中であり、医師とのコンタクトや少量の薬を服用するなど治療は継続している」としています。

  • 2016年6月21日岩手県宮古市田老地区視察、一度見るだけでも耐えられないという人が少なくない「たろう観光ホテル」松本勇毅社長が撮影した津波映像DVD上映に「もう一度見せてください」お代わり所望し「おーおー」と感嘆事件
http://news.tvi.jp/index_78916483.html(魚拓記録

皇太子ご夫妻が宮古・田老へ  (06/21 19:12)
岩手を訪問されている皇太子ご夫妻は宮古市で復興状況や震災遺構を視察された。震災から5年3か月余。お二人のあたたかなまなざしと交流は、被災者の励みになった。皇太子さまと雅子さまは、はじめに二重の防潮堤を越えてきた津波で大きな被害を受けた宮古市田老地区で防潮堤の上から復興の現状等を視察された。そして、近くにある震災遺構の「たろう観光ホテル」で、被災の状況について説明を受けられた。ホテルの6階から撮影された津波の映像を、雅子さまは「もう一度みたい」と要望され、2度繰り返してご覧になったという。「たろう観光ホテル」松本勇毅社長:「(ご夫妻は)『おー』と声を発していたので、津波が考えていたものと全然違うものだったのかと思った」また、宮古市の浄土ヶ浜ビジターセンターでは、皇太子ご夫妻が災害公営住宅に住む被災者と懇談され た。ご夫妻は、「大変だったね」、「お体をお大事に」等と声をかけられ、被災者の一人が「震災当時、小学生だった子どもが、ことし高校に入学した。愛子さまより一つ上だ」と話すと、笑顔を見せられた。高台移転先の三王団地で住民と懇談された後、夕方の新幹線で岩手を離れた皇太子さまと雅子さま。震災後3度目となるお二人の岩手のご訪問は、復興へと歩む被災地に明るく温かな光を灯した。


http://www.asahi.com/articles/ASJ6P4QJTJ6PUJUB00F.html
岩手)皇太子ご夫妻、宮古市田老で被災ホテル見学
阿部浩明2016年6月22日03時00分
高台移転団地の「三王団地」で住宅再建した住民と懇談される皇太子さまと雅子さま=宮古市田老(代表撮影)
 被災地視察のため岩手県入りしていた皇太子ご夫妻は21日、宮古市で最も被害が大きかった田老地区を訪れ、防潮堤の上から復旧が進む市街地の様子などを見学した。
 被災当時の姿で保存されている震災遺構「たろう観光ホテル」では、松本勇毅社長が撮った津波映像を目の前の実際の風景と重ねながら視聴。しぶきを上げて襲ってくる津波の威力に驚き、1回の予定だったDVD上映を「もう一度見せてください」と求めた
 松本社長は「津波の恐ろしさを伝えることで、迅速に逃げる行動につながってほしい」と説明した。
残り:199文字/全文:442文字


http://www.youtube.com/watch?v=vP9PxRP7MVc
http://www.fnn-news.com/localtime/iwate/detail.html?id=FNNL00038362(WebArchive記録
皇太子ご夫妻、宮古市ご訪問 被災者と懇談される(岩手16/06/21)
20日、岩手県内入りされた皇太子ご夫妻は、21日は、東日本大震災で被災した宮古市を視察された。田老地区の防潮堤では、黙とうをささげられたほか、被災者に、お言葉をかけられた。
20日夜、宮古市内のホテルに宿泊した皇太子ご夫妻は、午前9時30分ごろ、田老地区の防潮堤を視察された。
ご夫妻は、津波で亡くなった人たちへの哀悼の意を込め、海に向かって深々と頭を下げ、犠牲者に、黙とうをささげられた。
このあとご夫妻は、震災遺構となっている、たろう観光ホテルを見学された。
津波で、ホテルの4階まで浸水したことなどの説明を受けられたほか、たろう観光ホテルの松本勇毅社長が撮影した津波の映像をご覧になった。
映像を流したあと、雅子さまが「もう一度見せてください」と話し、2回にわたって、ご覧になったという。
松本社長は「『お―おー』と声を出されていたので、津波のすごさや勢いを感じられたのだと思う」と話した
その後、浄土ヶ浜ビジターセンターに向かい、仮設住宅などで暮らす被災者と懇談された。
ご夫妻は、腰をかがめて、いすに座る被災者と同じ目の高さで話された。
懇談した人は、「『大変だった』ということで言われましたので、『1歩ずつ1歩ずつ、前を向いていくしかない』と答えた」、「わざわざ遠いところまでいらしていただいて、その分も、みんなで復興のために頑張っていこうと、あらためて思う」などと話した。
午後には、防災集団移転事業で高台に整備された三王団地も視察され、住民を慰労された。
そして、皇太子ご夫妻は21日午後、JR盛岡駅で新幹線に乗り、岩手をあとにされた。 (6/21 21:14) 岩手めんこいテレビ


  • 2016年8月11日「山の日」記念大会に参加した地元小学生に対し、徳仁皇太子は「この辺りの山に登ったことがありますか」と丁寧表現使用、一方雅子は「うまくできていたよ」と丁寧表現皆無
http://www.shinmai.co.jp/news/nagano/20160812/KT160811FTI090014000.php(WebArchiev記録)

皇太子ご一家、上高地を散策
自然保護官(左)の案内で上高地を散策される皇太子ご一家=11日午前11時8分、松本市
 松本市を訪問中の皇太子ご一家は11日、北アルプスの玄関口・上高地(松本市安曇)を散策された。上高地バスターミナルで開かれた第1回「山の日」記念全国大会記念式典に出席した後、青空にくっきりと浮かぶ穂高連峰の尾根など北アの雄大な自然を楽しんだ。同日夜に帰京した。
 ご一家はチェックのシャツにリュックを背負い、河童橋や明神池などを45分ほどかけて巡った。沿道の登山者や観光客に笑顔で手を振って応えていた。
 穂高連峰の眺望が良い場所では、記念式典で宣言文を読み上げた松本市安曇、奈川、大野川の3小学校の児童3人と懇談。皇太子さまは「この辺りの山に登ったことがありますか」と声を掛けていた
 奈川小6年の大橋萌乃莉(ほのか)さん(12)は、雅子さまから宣言文の読み上げについて、「うまくできていたよ」と声を掛けられたという。大橋さんは「とても優しいと感じました」と振り返った。ご一家は児童3人と一緒に、穂高連峰を背景に写真も撮った。
 皇太子さまの上高地訪問は、皇太子時代の天皇、皇后両陛下と訪れた1967(昭和42)年7月以来、49年ぶり。雅子さまもご結婚前の85年に家族で訪れており、愛子さまは初めて。 (8月12日)


画像で見る雅子の(゚Д゚)ハァ?な発言シリーズ[]

  • 馬馬馬馬

http://www.yuko2ch.net/mako/makok/src/1346616852693.jpg
参考:【アハージージュ

 

  • クワガタクワガタ

http://www.yuko2ch.net/mako/makok/src/1346686320591.jpg
参考:【クワガタクワガタ

 

  • 10年目

http://www.yuko2ch.net/mako/makok/src/1346686541360.jpg
参考:【10年目

 

  • そうでない方

http://www.yuko2ch.net/mako/makok/src/1346686871334.jpg
参考:【そうでない方

 

  • 外国訪問をすることがなかなか難しいという状況は正直申しましてその状況に適応することになかなか大きな努力がいったということがございます

http://www.yuko2ch.net/mako/makok/src/1346686712693.jpg
参考:【外国行かせろ会見

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