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釣書き

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世間一般では、男女のお見合い(結婚)で取り交わす身上書のことを指すが、スレでは小和田雅子が徳仁親王との婚約内定にこぎつけた当時マスメディアで広く流布された雅子についての様々な情報をまとめ記したものを指す。
一般に結婚式では新郎新婦について、かな~り底上げしたご祝儀粉飾情報で褒め称えるのが世の常であるが、雅子についての「釣書き」は底上げどころかJAR●にでも訴えたいぐらいのハリボテ状態である。

参照:【ぶりっこ】、【学歴ロンダリング】、【1級位の実力】、【大食い雅子さま】、【小和田金吉

嘘てんこ盛りな小和田雅子の「釣書き」編集

<太字>は当まとめwikiによるツッコミ注釈である。
生年月日 昭和38年12月9日
学歴 昭和41年9月 ソビエト連邦モスクワ市立保育園入園

昭和43年9月 米国ニューヨーク市立第81キンダガーデン入園
昭和44年9月 米国ニューヨーク市立第81パブリックスクール入学
昭和46年3月 東京都目黒区立原町小学校1年編入
昭和46年4月 東京都新宿区立富久小学校2年編入
昭和47年4月 田園調布雙葉小学校3年編入
昭和51年4月 田園調布雙葉中学校入学
昭和54年4月 田園調布雙葉高等学校入学
昭和54年9月 米国マサチューセッツ州立ベルモントハイスクール2年編入
昭和56年9月 米国ハーバード大学経済学部入学
昭和60年6月 同校卒業
昭和61年4月 東京大学法学部3年学士入学
<1年間のみの在籍後、昭和62年3月東京大学法学部中退の事実はこの「雅子さま資料館」で隠蔽されている>

職歴 昭和61年10月 外交官試験合格

昭和62年4月 外務省入省
昭和63年9月 英国オックスフォード大学ベリオールカレッジ国際関係論修士課程入学
平成2年6月 同校修了
<修士号を取得していないことからこの表記は誤りである。宮内庁HPでは「ご留学」と記載]>
平成2年7月 外務省北米局北米第2課勤務
平成5年1月 外務省退職

小和田恒 昭和7年9月18日生

東京大学教養学部(国際関係論分科)卒業
英国ケンブリッジ大学法学部博士課程修了
<恒の学位は「LL.B.」なこと、本人がインタビューで語る「博士論文船便紛失事件」からして非常に疑わしい>
外務事務次官

小和田優美子 昭和13年1月30日生

慶応義塾大学文学部フランス文学科卒業
昭和37年10月7日、小和田恒と結婚

小和田礼子 昭和41年7月8日生

慶應義塾大学法学部政治学科卒業
ジュネーブ高等国際問題研究所大学院卒業
国連難民高等弁務官事務所ハノイ在勤

小和田節子 昭和41年7月8日生

東京大学文学部英語英米文学科卒業
<東大英米文学科を卒業したはずの節子(+礼子)の翻訳能力は【Madeleine】参照>
本田技研工業勤務後、東京大学教養学部学士入学(文化人類学分科)4年在学中

身長体重 身長164センチ、体重51キロ
得意科目 高校時代はどちらかといえば理数系。中学時代は地理、古文等も好き 大学時代は政治哲学、外国語
優等賞 ベルモントハイスクールで最優等生と認められ、ナショナル・オナー・ソサエティー賞に選ばれる。ドイツ語科でドイツ総領事賞、ゲーテ・インスティテュート賞。ハーバード大学では優等賞のマグナ・クム・ラウデを受ける。

学歴ロンダリング参照>

外国語 英語マサグリッシュ参照>、フランス語、ドイツ語

ドイツ語については、伝蓋高校1年1学期中途で転出する送別会にて、ハイネの詩を朗読したというエピソードが知られている。また小和田雅子が「韓国語(※後掲)」も習っていたとする記述も存在するのだが、この表の中では何らかの意図が働いているかどうだか不明だが、取り上げられていない。

趣味 音楽鑑賞、散策、ドライブ、外国語
スポーツ スキー、テニス

↓浩宮と公式に出会うスペインのエレナ王女レセプション・パーティの約1週間前に発売された記事。小和田コンクリ御殿にまで出向き、当人を写真撮影取材までしておきながら、「~位の」というアバウト表現を用いていることに注目。
『FOCUS』1986/10/17号<外交官に「清原級」ルーキー―ハーバード出身小和田雅子さんの完全無欠>“清原級”とまで優秀伝説を流布する小和田雅子記事
(記事より引用)テニスも田園コロシアムのスクール仕込み。スキーもバッジテスト1級位の実力だとか


『FOCUS』1998年7月22日号<ちょっと気になる「雅子妃」のお腹―テニスクラブのお盆パーティーにご出席>記事
p.5より引用
 ところでご存知の方も多いと思うが、東京ローンテニスクラブは1900年に設立されたわが国最古の超名門クラブ。皇室ご一家の方々はいずれもその名誉会員だが、雅子さまは5年前のご成婚以来、一度も足を運ばれたことがなかった。が、この日はご覧のように、会員と気軽に談笑し、会場に置かれたお握りやデザートなどにも手を伸ばされていた。「今回初めてお見えになったのは、これからここでテニスをされるので、そのご挨拶という意味があったようです」(会員)

好きな食物 ミルクティー、果物、サラダ、帆立貝等ホットミルク&ミルクティー&メロンミルク参照>

殿下の料理番 皇太子ご夫妻にお仕えして―伝統と新風 皇室のいま』渡辺誠・著、小学館文庫2001年 「微笑みのマリアージュ・フォアグラのおもてなし」の章、pp.134-135より引用
 やがて雅子さんの御所への訪問も公けのものとなり、回を重ねるようになりました。おふたりでお食事をされる機会も、私が担当しただけで数回ありましたし、和食を召し上がったことも幾度かありました。
 そのたびに殿下はおもてなしのお料理のことにも心砕かれていましたが、たいていは、ふだんお客さまがいらっしゃるときと変わらぬご指示で、あの晩のような特別なご要望はありませんでした、
 ところが、もう一回だけ珍しいご要望をされたことがあったのです。私が担当してフランス料理をお出ししようというときでした。
「ロッシーニはできますか?」
 侍従を通して、こんなお問い合わせがありました。
 ロッシーニとは、ひとことで言えばフィレ肉の上にフォアグラをのせたお料理です。イタリアの名作曲家ロッシーニが好んだ料理というところからその名が冠され、「牛フィレ肉のロッシーニ風」などと称されています。殿下もお出まし先などでしばしば召し上がっていらっしゃいます。
 それにしても、「ふだん、ご自分から高級食材を使うお料理をご指名になられたことはないのに、お珍しいな」、そんな思いが私の脳裏をよぎりました。
 そのころはまだ雅子さんのお好みがわかりませんでしたが、内廷の職員がお伺いしたりしたのでしょう、少しずつ情報が入ってきました。その中に、お肉類がお好きらしいというものがありました。殿下はそれをお知りになって、おいしいフォアグラを使って「ロッシーニ」とお望みになられたのだと思います。


『人間・皇太子さま―雅子さまとの“ちょっと気になる話”』松崎敏弥、フローラル出版 (1993/05)
雅子さまのキーワード(p.65)
好きな食べ物、飲み物 ミルクティー、果物、サラダ、ホタテ貝。嫌いな食物は卵、タマゴ・アレルギーでいらっしゃる
<別書籍においてもほぼ同じ記述あり。「嫌いな食物は卵」と書かれているが、結婚後の地方公務朝食でゆで卵2個をオーダーしていることからも、婚約時期に流布された釣書き情報が大嘘であることがよく分かる>

得意な料理 鶏のポルト酒風味、ラザニア、ふろふき大根、ヨーグルトムース
お酒 ワイン少々、ブランデーケーキでも顔が赤くなるぐらい

後掲<「ブランデーケーキでも顔が赤くなるぐらい」酒に弱い設定である小和田雅子、実はお酒大好き記事集>を参照されたい。

好きな音楽 主にクラシック。バロック音楽はバッハ等。協奏曲はラフマニノフのピアノコンチェルト等。ほかにキース・ジャレットのジャズピアノ等。

『週刊アサヒ芸能』2006年3月2日号、p.55より引用
 何事にも控えめで両陛下のご意思をすばやく察知される紀子妃とは対照的に、雅子妃はご自分の意見を明確に主張される。
「例えば、年末に皇太子殿下とコンサートに行かれた際、雅子さまは先に帰られたのですが、これは雅子さまがクラシックをあまりお好きではなかったためなのです」(前出・宮内庁担当記者)


ttp://www.kahoku.co.jp/news/2009/12/2009120301000826.htm
皇太子さま、辻井さんの演奏鑑賞 盲目のピアニスト
 皇太子さまは3日夜、東京・渋谷のオーチャードホールを訪れ、米国のバン・クライバーン国際ピアノコンクールで優勝した盲目のピアニスト辻井伸行さんと、読売日本交響楽団が共演する特別演奏会を鑑賞された。
 第2部に出演した辻井さんは、今年6月のコンクール決勝で弾いたラフマニノフのピアノ協奏曲第2番を演奏
 辻井さんのコンサートには、皇后さまも8月に静養先の軽井沢で足を運んでいる。
2009年12月03日木曜日
……ラフマニノフが本当に好きなら聞き逃せない演目であるが、雅子は鑑賞に現れず

好きな映画 ドクトル・ジバゴ、禁じられた遊び、クレイマークレイマー
座右の銘 実るほど頭を垂れる稲穂かな

徳においては純真に、義務においては堅実に(田園調布雙葉学園校訓)

読書 哲学書等
習い事 ピアノ、茶道、書道等
運転免許 昭和61年取得

↓で判明した取得時期には、雅子は学士入学した東大法学部在学中。僅か1年のみの在籍期間の後期に自動車教習所に通っている。
『週刊女性』1993/6/15号<Q71 運転免許はいつ、どこで取得したの?>記事
A 雅子さんが教習所に通ったのは外務省試験に合格した直後の昭和61年10月28日。東京・目黒の『日の丸自動車学校』で。卒業検定まで規定の27時間を1~2時間オーバーしただけで、年末までに卒業。翌62年3月、免許証を取得したばかりの雅子さんは友人と二人で九州へ旅行を。現地でレンタカーを借りての気ままな旅をした。

尊敬する人 皇太子殿下、何名かの外務省の先輩及び親しい友人、祖父母<二世代住宅同居していた母方祖父母チッソ江頭豊・寿々子夫妻と察せられる。父方祖父母の小和田毅夫・静子夫妻とはほとんど交流なし>両親
感動 皇太子殿下の思いやりの深さ、友人、妹たちや職場の上司らによる心遣い
性格 おおらか、恥ずかしがり屋。慎重で優柔不断な面も
社会的活動 心身障害児の運動指導(ハーバード大学時代)



「ブランデーケーキでも顔が赤くなるぐらい」酒に弱い設定である小和田雅子、実はお酒大好き記事集編集

↓1993年6月皇太子との結婚後諸行事で早速酒飲み姿披露
1993年6月15日 1日目の夜の宮中饗宴の儀<おーっと、イッキに杯をキュッ!>、乾杯で形だけ口をつける筈が一気に中身を飲み干してしまう雅子(上画像)
女性自身 1993年7月6日号<「宮中饗宴の儀」のすべて!写真と秘話(29ページ)大特集!! / 雅子さま愛すべき「失敗」集 2度の「右立ち」や「日本酒キュッ」のほかにも! / 「ショコラ」に独占仮想インタビュー!! / 「ショコラ」ぬいぐるみ!大プレゼント!(詳しくは75ページを) / 大公開!雅子さま“披露宴”6大盛装ファッションの秘密 優雅!あの真珠の「4連チョーカー」は雅子さまの発案!! / 私は見た!美智子雅子さま愛の温視線>表紙・目次・カラーグラビア一部ショコラ

以下の雅子酒飲み光景目撃証言記事とも真っ向反対である。

『週刊文春』2006年3月23日号<悲劇のプリンセス「不適応」の理由 雅子さま友人・恩師・同僚…50人の証言(下)>p.48より引用

 98年10月、皇太子ご夫妻は長野県蓼科高原にある「ホテルハイジ」で静養されていた。経営者の東伏見韶俶(ひがしふしみ あきよし)氏が思い出を語る。
「皇太子殿下がお酒がお強いのは有名ですが、雅子さまも同じペースでした。フランス料理にあわせてお出しした赤と白のワインを、昼も夜も1本ずつ召し上がり、夕食後にはロビーでコニャックを召し上がっておられました。『雅子さまもずいぶんお強いな』と感心したものです」

『サンデー毎日』2008年11月2日号<療養生活まる5年 孤独なプリンセス 午前零時に散歩する雅子さま>p.149より引用

 元宮内庁職員は、こうささやく。
「皇太子さまがいらっしゃる時と、帰京された後では雅子さまの態度が明らかに違うのです」
「少し前の話ですが」と前置きしたうえで、
「皇太子さまがいらっしゃる時は、雅子さまは愛子さまを入れて夕食を早い時間に一緒におとりになり、適当な時間に休まれますが、殿下が帰京されると、夕食がなかなか終わらない。食事が終わっても一人でワインを飲みながら、じっと考え事をしているんです」
 元職員が印象に残っているその日は、雅子さまは午後11時くらいまで飲み続けていたという


これらの酒飲みエピソードを打ち消そうという意図か、雅子が「ウイスキーボンボン」の外側だけ齧って中は吐き捨てているという記事も書かれているが、雅子の下品さを更に強調しているだけにしか思われない。

『週刊女性』2008年11月11日号<「ひとりワイン」「真夜中の散歩」報道が!いま雅子さまに何が起きているの?>p.28より引用

また宮内庁担当記者の一人も、「ワインをお飲みになるというのは、ちょっと考えられないですね。そもそも雅子さまはお酒は飲めないはず。以前、たまたまウイスキーボンボンを召し上がったとき、中身は除いて、それも全部は召し上がらなかったそうです。また、治療のため服用されている薬の関係上、お酒はダメなはずなのですが……」と、この報道には懐疑的だ。



Part3009-593 自治スレでLR等議論中@可愛い奥様@転載は禁止 sage 2015/09/03(木) 12:39:01.28 ID:AWI7DEy30
祇園精舎の鐘の声/東宮家御用達「高級リゾート」明け渡し騒動
   ◆ 二期倶楽部、ノンフィクション作家・桐山秀樹、栄光
週刊新潮(2015/09/10), 頁:32

大した情報はない記事だけど、最後の最後


当地でワインを嗜まれた雅子さまにとっても、騒動の味はさぞ苦いことだろう。


で締めくくっていたのが藁田www ブランデーケーキだけで酔っぱらう設定ドコーw


624 自治スレでLR等議論中@可愛い奥様@転載は禁止 sage 2015/09/03(木) 13:39:39.35 ID:PtaUotaY0
>>593
私も新潮を読んで、報告すべきはその1行だけだと思いました。

ワインの話ならナルでも良いでしょうのに、わざわざマサ子に言及したのは
記者さん達から大酒飲み認定されてるからかしら。

それから、他の皇族方も利用してると書いてありましたね。


朝日新聞 1993年1月7日夕刊<茶道習い和食が好み プリンセス小和田雅子さん 本人が語った「私」>より、更に細かい「釣書き」記述編集

◆外国育ち
東京の虎の門病院生まれ。父の転勤で一歳の時モスクワに行き、二歳ごろから地元の保育園に通いました。
モスクワでは駐車場に水をまいておくと、朝には凍ってしまうんです。
刃の二枚ついたスケート靴をそこで初めてはいたとたん転んでしまい、両親に笑われたのを覚えています。
スキーも確か五歳くらいからゲレンデに。中学時代には、スキーのインストラクターになろうと思ったこともあるんですよ。
四歳から小一までニューヨーク。
五歳ごろからピアノも習いましたが、中学でやめてしまいました。今思うと残念でなりません。

◆手習い
茶道を習い始めたのは外務省に内定後。将来外国に行った時、日本の心を知っておいた方が良い、きっと役に立つと考えたのです。華道も心がひかれます。
和食が好きで、銀座の日本料理屋で二ヵ月に一度開く料理教室で、板前さんから教わっていました。
おいしいダシの取り方から始まって、サヨリをおろして刺し身にしたり、イカの塩辛、ふろふき大根などの煮物も作りました。お酒はワインを一杯くらいなら。

(中略)ハーバードに決めたのは、日本で将来仕事をするにしても、名前の通っている学校が良いと考えたから。父を通して先生方もよく知っていましたし。
(中略)直後に通った東大と比べると、ハーバードの方が活気があったし、学生の活動や授業の内容に刺激が多かったように思います。
(中略)ハーバード一年の夏休みにはドイツのシュツットガルト近郊で独語を、二年目の夏は、フランスのグルノーブルで、ホームステイをしながら仏語を学びました。

「朝鮮語・韓国語・ハングル」にまつわるエピソード編集

p.170ページより引用
雅子さまを生んだ『雙葉』の教育! 雅子さんの作文の絵“クイーンM”が将来を暗示していた!
・・省略・・
 また中学の卒業文集では、好きな歌を「自分で三味線ひきながら歌うのが最高」と書いたり、担任の先生に贈った文集では、スキー教室に行く途中に学んだハングル語で“コーマプスムニダ!(ありがとう)”と恩師に感謝の気持ちを綴るなど、チャメっけのほうもたっぷりの雅子さまだ。

  • 『小和田雅子さん 素顔の29年』(永井雄一、データハウス1993年2月発行)より

pp.118-121より一部抜粋
「雅子さんは、高校1年の1学期が終わったあとに日本を離れられたので、いっしょに学校生活を送れたのは4ヶ月ほど。それなのに、とても印象に残っている生徒です。学業が優秀な上、明るくて活発。クラスで人気者になったのも当然でした」
 日本での高校生活はたったの4ヶ月だけだった。これは、そのときの担任だった北脇富美子さんの言葉である。
(中略)
 送別会では、クラスメートが作った“送る歌”が合唱され、雅子さんはその返礼にドイツ語でハイネの詩を朗読した。
(中略)
 語学を勉強することは、雅子さんにとっては趣味のような領域だった。フランス語もドイツ語も韓国語も、あくなき貪欲さで取り組んでいった
 渡米することになったその日、クラスメートの全員が、箱崎のターミナルまで見送りに集まった。
「本当に大勢の人が集まりました。たいていの場合ですと、いつもいっしょにいた何人かが、お見送りするということになると思うんですが、そうじゃなく、小和田さんならお見送りしたいという人が多かったんじゃないでしょうか」
 そのうち、15人ほどが代表して成田空港まで見送ることになった。最初は全員でということであったが、それではあまりにも人数が多すぎる。そこで、どうしてもという人だけを選抜したのである。

小和田雅子愛車カローラIIのダッシュボードにあったクラシック音楽カセットテープについて編集

Part433-36 名前:可愛い奥様 :2006/03/29(水) 22:16:59 ID:dcX1jjPf
前スレでちらっと話題になった雅子さんのクラシック音楽趣味について。
週刊文春が撮った愛車のダッシュボードのカセットを「フラウ」紙が解読したものを発見しました。
曲目と演奏者の判読可能なもの18本。
そのうち13本がクラシック。

1 ラフマニノフ ピアノ協奏曲第2番 ルビンスタイン/オーマンディ指揮
2 バッハ フォートランペット モーリス・アンドレ
3 バッハ ダブルバイオリン イツァーク・パールマン、アイザック・スターン
4 ベートーベン ソナタ(光の具合で、それ以上は判読不能)
5 シューベルト ピアノ五重奏「ます」 ゼルキン、ラレード他
6 ラフマニノフ ピアノ協奏曲第3番 ワイセンベルグ/バーンスタイン指揮
7 ブラームス バイオリン協奏曲 アイザック・スターン/オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団
8 ブラームス ピアノ協奏曲第2番 リヒテル/ラインスドルフ指揮シカゴ交響楽団
9 映像/ドビュッシー/ピアノ・ミケランジェリー(手書き)
10華麗なるバロック(手書き、これ以上判読不能)
11ショパン/ダン・タイソン(手書き、これ以上判読不能)
12ワーグナー序曲 クレンペラー指揮フィルハーモニア管弦楽団
13ギリレス オーマンディ指揮・フィラデルフィアオーケストラ(判読不能)

これを見たクラシックマニアの分析
※クラシックを市販のテープで持っているというのは、日本では珍しい。
多分アメリカで入手されたものと思われる。だとするとかなり聴き込んでおられる。
※かたよりなくまんべんなく聴いておられる。
※本物志向だが、例えばオーマンディが多い点など、微妙にシブい線を狙っていらっしゃる。
※コンチェルトが多いが、普通コンチェルトというのは、
オーケストラとソロのかけあいで曲としては豪華で重厚長大なものが多く、作曲家にとっては代表作であることが多い。

「勇ましい派手な局が多くて男性的な趣味」
(byフラウ)



なおクラシック以外のカセットテープ5本の内4本は以下の通り:
SPANDAU BALLET(スパンダー・バレー)
JAMES HUMPHREY
AMY GRANT(エイミー・グラント)
Kumi Hara(原久美


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