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裕次郎ファッション

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ストライプ生地のパンツスーツに代表される、2000~2006年前半あたりに雅子夫人が好んでしていたファッションスタイルのこと。全身から醸し出される貫禄とダンディーさが特徴であり、女性らしさ・柔らかさ・エレガントな風格を求める伝統的な皇族女性ファッションとは真逆の方向をまっしぐらに驀進していた。
往年の石原裕次郎を思わせる貫禄ぶりに「これで葉巻を燻らせたら最高」との意見がしばしば見られ、雅子夫人のストライプスーツ姿とサングラス姿を「西●警察」ビデオパッケージにあしらった見事なアイコラ作品も存在している。

参考:【袖口折り返し

雅子ストライプシリーズ(Part551-403奥様まとめを参考にしています)編集

2000年頃 静養先への移動にて、丈長めストライプ「裕次郎」スーツで短足に見える・パンプスも不釣り合いな雅子と、大き目チェックシャツの襟を細かなチェック柄ジャケットの外に出している、これがお洒落のつもりらしい徳仁
2002年5月14日 1週間の那須静養から帰京した東京駅での一家、愛子を抱く皇太子とストライプスーツの雅子
2002年9月13日 山梨県塩山市上於曽の国の重要文化財「甘草屋敷」を訪れ、敷地内にある「子ども図書館」を見学する東宮夫妻。きつくなった裕次郎スーツの前ボタンを無理やり閉めているため、ジャケットのストライプ柄が歪んでいる雅子。徳仁はノーネクタイで、案内する関係者はネクタイ姿(よみうり写真館)
2002年12月16日 ニュージーランド・オークランドのスターシップ小児病院を訪問した夫妻。ベッドに横たわる少年を見下ろすストライプスーツの雅子
2003年8月7日 那須御用邸静養のため到着した那須塩原駅前での東宮一家。お手振りする愛子ちゃんを腹肉の上にのせながらハンドバッグを腕にかけているストライプスーツの雅子(よみうり写真館)
2003年8月18日 那須静養から帰京する新幹線車内で、雑誌を見ている雅子と愛子。行きだけでなく帰りもまたストライプスーツ雅子は、首筋のシワが凄まじいことになっている
2004年10月4日 那須静養を終え帰京、那須塩原駅到着の東宮一家。かなり大きくなった愛子ちゃんを駅弁抱っこしているストライプシャツ雅子駅弁抱っこ
2005年7月20日 愛知万博日帰り視察の夫妻、胴長短足に見える効果しかない雅子の変なロング丈ベージュジャケットについては、友納尚子が「産後の肥立ちが悪いことにより痩せすぎてしまった腰周りを隠すため」と妙ちくりんな説明をしている。変な丈ジャケットの一番下ボタンから左右に大きな皺がくっきりと入っていることから、プレスせず皺がついたままの状態で着用していることがわかる。同日には「モリコロ無視」事件が発生友納尚子】【モリコロ無視
2006年2月16日 当初徳仁単独出席予定だったのが唐突に雅子も参加の「第80回国風盆栽展」(上野の東京都美術館)鑑賞、盆栽を観るだけなのに謎の笑顔をやたらと振りまくストライプスーツ雅子ドタ出
2006年7月24日 那須御用邸静養に向かう那須塩原駅前に現れた東宮一家、お手手がパーの徳仁、黒ストライプスーツの雅子、手をつながれぼんやりした表情の愛子
2006年7月24日 那須塩原駅前にて、横目表情で手をつなぐ雅子と愛子、手を振る徳仁(Getty)

2007年頃から裕次郎を脱却した雅子、理由は大野裕せんせぇ?編集

ところが2007年2月23日徳仁誕生日発表映像では「ぶりっこ」とも言われる程の、裕次郎のユの字もない、短めスカートで両膝小僧丸出し43歳雌フェロモン発散ファッションに方向転換している。この時期以降は、雅子の公務お出まし機会が激減することもあるが、ストライプパンツスーツ姿はお目にかかっていない。
2007年2月23日 夫徳仁の誕生日なのに何故かソファの中心に陣取り、短めタイトスカートから足を長く見せることに執心しているらしい雅子。口からは2本の前歯がニュッと覗いている表情
2007年2月23日 徳仁誕生日発表映像より、「ウフッ♥ウフフッ♥」という声が聞こえてきそうなぶりっこ雅子キャプチャ画像

タートルネックを選ぶ傾向はこれまでと変わっておらず、これはアトピー痕が残る首もと皮膚を隠すためと思われる。タートルニットはフォーマルな場には似つかわしくない衣装であるので、女性らしいファッションには変化しているが、皇族として全世界に公式配信する場ではいかがなものかと思われる。

裕次郎を脱却し女っ気むんむんファッションに移行した理由は不明だが、スレでは「大野裕医師に恋でもしているのでは?」とも言われている。依存心の強い女性患者が男性精神科医に恋心を抱くのは割りとよくあることなので、あながち荒唐無稽な説とも思われない。また東宮御所を訪問した大野医師が雅子と「東宮御所を訪れ、日付が変わるまで話し込む日もある」「明け方まで話し合ったこともあった」「携帯電話で、時に深夜1時2時になるまで話し込んでいる」という、マトモな精神科医にあるまじき非常に濃厚な接し方をしていると伝えられてもおり、オンナ強調ファッションに走り出した理由として大野裕せんせぇの存在が洒落にならなくなっているようである。

『週刊新潮』2007年12月20日号 <雅子さま「主治医説明」を拒むプライバシーの壁>、p.31より引用

 周知の通り、雅子さまの治療には、東宮職の医師ではなく、臨床精神医学が専門の大野裕・慶応大学教授が主治医を務めている。
 同教授は、慶大医学部卒後、米国コーネル大学、ペンシルバニア大学に留学。その歳に、うつ病治療法の「認知療法」創始者アーロン・T・ベック教授に師事し、日本に同療法を紹介した。いわば第一人者である。
 05年12月の医師団の見解では、雅子さまの「適応障害」という診断は、アメリカ精神医学会のマニュアルに基づいて行ったことを明らかにした。むろん、「適応障害」と診断したのは大野裕教授である。
「大野さんは、昨年8月のオランダ静養や、今年の長野、徳島訪問にも同行。雅子さまの信頼も厚く、日頃携帯電話で連絡を取り合い、相談を受けています
 と、宮内庁担当記者。
 東宮職医師団は、雅子さまの治療に関しては、すべて大野教授の指示に従い、公務の出欠の可否を判断するのも同教授である。大野教授が、雅子さまの病状を最もよく知っているわけだ。
 それだけに、宮内庁担当記者が、主治医である大野教授の会見を求めるのも当然である。ところが、
「宮内記者会でも、これまで再三、大野教授の会見を東宮職に要望してきました。今回の誕生日(注:2007/12/9雅子誕生日のこと)でも同様ですが、しかし東宮職からは拒否されました」
 と、先の宮内庁担当記者は言うのである。

『AERAアエラ』2007年12月31日・2008年1月7日合併増大号 <雅子さまへ20の質問状>

具体的に治療をしていますか(質問3、p.24より引用)
 宮内庁関係者は言う。
「雅子さまは夜型。朝7時に散歩に出かける皇太子さまと生活のスタイルが違う。朝食もご一緒ではない日が多いようです」
 愛子さまに幼稚園まで付き添うのは、ほとんど養育係というのが実態のようだ。
 雅子さまの担当医は慶応大学保健管理センターの大野裕教授。週に1度のペースで東宮御所を訪れ、雅子さまと向き合っているとされる。ときには日付が変わるまで話し込む日もあるという。
 
悠仁さまのご誕生どう感じていますか(質問14、p.26より引用)
 天皇一家に誕生した41年ぶりの男子・悠仁さま。雅子さまは06年の誕生日の所感でこう述べた。
「愛子にも可愛らしいいとこが新たにできましたこともうれしく、今後のお健やかなご成長を心よりお祈りしております。
 関係者によれば紀子さまの第3子ご懐妊で、雅子さまは心理的に不安定な時期もあった。担当医の大野教授と明け方まで話し合ったこともあったという。

『週刊現代』2008年6月28日号<ご成婚から15年皇太子48歳、雅子さま44歳「それぞれの孤独」>記事 p.30より引用

「雅子妃は、機嫌が悪いと女官が声をかけても、いきなり無言でドアを『バタン!』と閉じて部屋に籠もってしまう。…・・中略・・
「…また雅子妃は、主治医の大野裕先生(慶応大学教授)を深く信頼しています。大野さんは雅子妃の妹さんの紹介ということもあり、雅子妃が特に心を許している。携帯電話を使って話し込み、さまざまな“人生相談”を持ちかけている。それがときには深夜1時、2時になることもあるんです」(前出・宮内庁関係者)


参考:【小力ヘアー

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