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給食

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敬宮愛子ちゃんが学習院初等科での生活で大きな問題を抱えていると繰り返し伝えられているもの。元盗撮カメラマンにして強硬雅子愛子擁護フリーライターである友納尚子ですら、美化処理を加えつつも愛子給食問題の存在は認めているのが興味深い。

2010年3月5日に愛子不登校が野村東宮大夫により定例会見で公式発表されたが、その後追い報道で「乱暴男子」対策として東宮サイドが学校給食に向精神薬混入教唆したと伝える記事も登場しているが、そちらについては【向精神薬】の項を参照されたい。

2014年4月女子中等科入学以降は給食からお弁当に切り替わったが、まともに朝起きられない雅子が「お弁当作り」に努力しているというプロパガンダ記事も出るなど、給食に引き続きお弁当になっても、愛子の学校内昼食については注目が集まっている。

参照:【不登校】、【シート】、【下品室】、【向精神薬】、【優秀伝説】、【愛子の( ゚д゚)ポカーンな発言シリーズ】、【食卓

愛子給食についての記事コレクション編集

毎日新聞 2010年3月8日<愛子さま登校 1時限で早退 雅子さまが参観>真鍋光之記者編集

愛子さま登校1時限で早退雅子さまが参観
 宮内庁の風岡典之次長は8日、皇太子ご夫妻の長女愛子さま(8)が、雅子さまに付き添われて学習院初等科に登校したと発表した。4時限目の国語の授業(午前11時45分~午後0時半)だけ出席し、給食や5時限目は受けずに早退した。雅子さまは教室で授業を参観したという。

日刊スポーツ 2010年3月9日<愛子さま6日ぶり登校 雅子さま同行し授業参観 4時間目国語だけ給食も食べず / 保護者「いじめ多い」学習院「情報ない」 / 皇太子さまはガーナ到着>編集

 学習院初等科には、午前7時過ぎから制服姿の児童が次々に登校した。登校に付き添った保護者も複数いたが、「何もコメントできません」と言葉少なだった。正門前に集まった報道陣に対し、男性教員が児童への取材自粛を求めるシーンもあった。ただ、みんなおおむね元気で、報道陣を見て「取材の人だ。おはようございます」と、笑顔であいさつする児童もいた。午前8時過ぎに校門が閉まり、全校朝礼がスタート。高い声の校歌が敷地外にも響いた。

  • 今日以降は未定

 愛子さまは登校時間には現れなかったが、4時間目から登校した。宮内庁によると、愛子さまは雅子さまに付き添われて到着し、国語の授業を受けた。2日に出席した4時間目の国語以来6日ぶりの授業は、雅子さまも参観。授業終了後、給食は食べずに2人で帰った。今日9日以降も登校するかどうかは分からないという。
 愛子さまをめぐっては、野村大夫が5日の定例会見で2日に早退して以来、欠席が続いていることを発表。「同学年の複数の男児から乱暴な振る舞いを受け、強い不安感や腹痛を訴えている」と説明した。学習院の東園基政常務理事も5日会見し、「愛子さまに直接の暴力行為があったとは聞いていない」とした。

  • 発表から3日目

 東園氏によると、昨年7月に愛子さまと同じ学年の男児数人が小さなカバンを女児らに向けて投げつけるなどの行為をしていた。
昨年11月には沈静化したが、2日に愛子さまが下校する際、近くの教室から駆けだしてきた男児とすれ違ったという。昨年7月の一連の「乱暴な」行為を愛子さまも見た可能性があるといい、「(2日に)怖い思いをしたことで、以前の乱暴行為を思い出したのではないか」としていた。

スポニチWeb記事 2010年3月9日<愛子さま9日も登校…でも4時限目の国語だけ>編集

愛子さま9日も登校…でも4時限目の国語だけ
 今月に入ってほとんど学校に行けない状態だった皇太子家の長女愛子さま(8)=学習院初等科2年=が9日、前日に続いて一部の授業を受けるため登校した。
 宮内庁東宮職によると、愛子さまはこの日も皇太子妃雅子さまに伴われ、4時限目の国語の授業にだけ出席。雅子さまも授業を参観し、給食の時間の前に早退した。
[2010年03月10日]

日刊スポーツ 2010年3月11日<愛子さまお楽しみ会お楽しみ会出席 雅子さま付き添い5時間目「生活科」>編集

 同級生男児の乱暴な行為などから、3月に入ってほとんど学校に通えない状況だった皇太子家の長女愛子さま(8)が10日、3日連続で学習院初等科に登校した。雅子さまも付き添って登校し、授業参観した。8日と9日は、4時間目の授業だったが、この日は5時間目の「生活科」の授業を受けた。
 宮内庁によると、この日の授業内容は「お楽しみ会」だったといい、内容は不明。学習院初等科周辺を宮内庁職員らが見回る中、愛子さまは午後1時半から始まる5時間目直前に登校。授業終了後、雅子さまとともに学校を出た。今日11日も登校するかどうかは「分からない」という。

週刊文春 2010年3月18号<愛子さまいじめ 学習院の「崩壊」>友納尚子編集

p.26より引用
 二月下旬、愛子さまが風邪をひかれた。三十七度の熱と嘔吐、吐き気、腹痛があったという。
 それまで愛子さまはご自身が受けた乱暴について、皇太子ご夫妻に打ち明けることはなかった。お子様なりにご心配をかけたくなかったのだろう。
 それが、侍医に診てもらっているときのことだった。
学校に行くと食欲がなくて給食が食べられないから、今日はお休みするの
 と、ポツリと話されたという。
 いつもとは違うご様子に気づいた侍医が尋ねると、愛子さまは辛かった胸のうちを、少しだけお話しになったようだ。

p.28より引用
 そして今回、愛子さまの長期欠席につながった出来事が発生したのは、三月二日のことだった。
 愛子さまは、四時限目の国語の授業だけを受けて帰宅されるため、給食は食べずに、昇降口付近の下駄箱で靴を履き替えられていた。
 その時、男子児童二人が給食に遅れそうだからと、すごい勢いで廊下を駆けて来た。初等科の一、二年生は、四時限目が終わると、本館三階の「一二年生食堂」に昼食をとるために移動するのだ。
 児童は愛子さまにぶつからなかった。だが、すれ違いざまのその瞬間に「以前怖いことがあったことを思い出され」(学習院)たのだ。
 怖いこと、とは何か。
 確かに愛子さまは以前にも、このときと同じ昇降口付近の下駄箱で、最も怖い思いをされていたのだ。
昨年、男子児童が靴を履き替えようとする愛子さまの頭を後ろからつかんだことなどがあったそうです。突然のことに驚いた愛子さまは、恐怖のあまり泣かれてしまったそうです」(別の同級生の母親)
 その話を愛子さまから聞いていた両殿下は、東宮職の調査結果と合わせて、愛子さまが学校に行けなくなった“原因”を理解されたのだろう。会見で野村東宮大夫は、「全体像が分かったのは、今週(三月第一週)半ばくらい」と明かしている。

FRIDAYフライデー 2010年3月26日号<愛子さま不登校を騒動化した「宮内庁の非常識」-再登校しても、雅子妃参観の異例の事態が続く>編集

p.16より引用
 愛子さまは3月8日と9日、1~3時間目は欠席したものの、4時間目の国語を受講するため雅子妃(46)に付き添われて登校。雅子妃が見届ける中、授業を受けると、給食は食べずに早退した。
「2年生に進級されてから愛子さまは早退や欠席が目立っており、今年に入ると風邪を理由に休まれることが多くなっていました。騒ぎが表面化する直前も、2月22日~24日が風邪で欠席、25日は登校したものの、26日はまた欠席。土日を挟んで、3月1日を病欠して、2日は4時間目の国語だけ出席して早退、3日~5日と休み、5日の東宮大夫の会見へと至ったわけです」(宮内庁担当記者)
 愛子さまは文系の勉強や習字、図工は得意だという。休みがちになっても国語の授業だけは出ていた理由はそこにあると推し量れるが、その一方で苦手なのは体育で、特に水泳。走るのはともかく、例えば夏場のプールの授業では見学も嫌がるほどで「このままでは出席日数が足りなくなるのではと、学校側も焦っていた」(前出・宮内庁担当記者)という。

週刊女性 2010年5月4日号<不登校の真相第6弾 緊迫の新学期開始1週間を密着ドキュメント 雅子さま主治医 大野裕先生が愛子さま問題を“診察”>編集

p.34より引用
「少しずつ登校時間を早めたり、授業時間を増やしたりするなど、徐々に慣らしていく方針を立てられたようです」
 元宮内庁関係者の言葉を裏づけるように、先週12日~16日までの愛子さまの学校滞在時間は、日を追い長くなっていった。
 月曜日は10時40分ごろに登校され、12時40分ごろに下校していたが、金曜日には9時30分ごろにご登校。さらに水曜や木曜には、時間帯としては給食も召し上がったようなのだ。(表参照)

p.35の表内容引用
愛子さま初等科3年最初の1週間登下校時間
4月12日(月) 10時43分ご登校 12時43分下校
4月13日(火) 10時44分ご登校 12時45分下校
4月14日(水) 10時15分ご登校 13時35分下校
4月15日(木) 10時25分ご登校 13時45分下校
4月16日(金) 9時28分ご登校 12時20分下校
登下校、学内とすべて雅子さまが同伴された

「時間帯としては給食も召し上がったようなのだ」という記述がある一方、
「登下校、学内とすべて雅子さまが同伴された」とも記載があることから、
給食を食べたにしても貴賓室利用のような隔離した形式を採ったと解釈できる。


週刊新潮 2010年6月10日号<学習院コンフィデンシャル!日常になった「雅子さま一人父母参観」! イジメっ子対策で「給食に向精神薬を混ぜては」と提案した「東宮」愛子さまの日記に綴られていた乱暴男子の行状。再び持ち上がった転校計画の行先はスイスのプライベートスクール。>編集

p.132より引用
 愛子さまの“イジメ”問題が発覚して、はや3カ月。
 だが、事態は一向に好転している様子はなく、雅子さまの“お付き添い”通学も未だに続いている。
 皇室ジャーナリストがこういう。
「愛子さまが授業に出られるのは、大抵、2時間目から。教室の後ろで雅子さまが授業を見学されるのも、相変わらずです。2時間目と3時間目の間に20分の休み時間があり、愛子さまは校庭で遊ばれますが、その時も雅子さまは近くでじっと見守っていらっしゃるそうです」
 愛子さまは、午後の授業を受けずに雅子さまと帰宅されるが、稀に給食を召し上がることもあるという。
 学習院関係者によれば、
「初等科の児童は本館3階の食堂で一斉に給食を食べます。4時間目の授業が終わると、クラスごとに整列して、食堂にぞろぞろと向かう。愛子さまはランドセルを背負い、帰り支度をした格好で、雅子さまと一緒にその列に並んでいます。階段のところで、お2人は列から離れ、3年生の教室と同じ2階のフロアのある“貴賓室”に入り、そこで、職員が用意した給食を摂られている
 ちなみに、貴賓室とは皇族専用の特別ルームで、昭和天皇などがお使いになった机や宮様の卒業文集などが展示されているそうだ。

週刊文春 2010年6月10日号<愛子さま問題で浮上した“三食別々”の食卓 皇太子と雅子さま「不穏な距離」「不登校会見に迷いもあった」皇太子が打ち明けたある“疑念”>編集

p.139より引用
 (補足:2010年3月5日愛子不登校を発表した東宮大夫定例)会見の翌週から始まった雅子さまによる“付き添い登校”は依然として続いている。給食を召し上がらずに、下校されるパターンも相変わらずだ。
「この騒動の前まで愛子さまは、走って学校に通われていたんです。護衛が全力で追いかけると、ぴたっと止まり、追いつかれるとまた走り出したり。お元気そうでした。一刻も早く以前の状態に戻られるといいのですけど……」(学習院初等科の父兄)

週刊文春 2010年6月17日号<「週刊新潮」に猛抗議!東宮で何が起こっているのか 雅子さまご結婚18年目の「正念場」 「学校がもっと楽しければいいのにな」愛子さまの解消しない不安、“不登校会見”を事前に打ち合わせた学習院の裏切り。「もはや区立しかない」の声も上がる悲惨な「転校先」再び……>友納尚子編集

p.151より引用
 給食は一階にある貴賓室で、雅子妃と一緒に召し上がられる。昼過ぎに御所に戻られ、給食を召し上がらなかったときなどは、愛子さまと雅子妃は別々に食卓に着かれる時もある。これは今に始まったことではなく、雅子妃がご病気になられてからは、皇太子と愛子さまのお二人で食事をされることも少なくない。

サンデー毎日 2010年7月18日号<「学校に行きたい」愛子さまと雅子さまの「学習院不信」>、愛子が周囲の子からお弁当「おもらい」事件発生編集

・7月2日愛子が雅子と一緒に登校したのはam11:30過ぎ、4時間目の音楽の時間にリコーダーを練習
 昼食をはさんで5時間目の道徳、6時間目終了まで学校に滞在(pm3:30まで)ただしこの日の6時間目は「放課後遊び」で自由に校庭で遊ぶ。
 「愛子は他の児童といくつかの球技を楽しまれていた」(学習院の保護者)
 この日の昼食は貴賓室で雅子と一緒に食べた様子 この時のお弁当は雅子が作ったもののようだ。
・6月3日 この日は月1度のお弁当の日。給食の日は3階にある食堂で、他のクラスの児童と一緒に食べるが、お弁当の日は各教室でとる。
 4時間目の授業を終え、いつものように帰り支度を始めた愛子にクラスメートの一人が 「愛子ちゃんも一緒に食べようよ。お弁当分けてあげるから」と声を掛ける。
 愛子も表情が明るくなり、にっこりうなずく。
・「今日は先生、あまりおなかがすいていないから」と話す担任や、他の児童からも少しづつ弁当のおすそ分けがあり、やがて一人分のお弁当になった。
 「ありがとう。みんなと食べると楽しいね」
 愛子は笑顔で言って、にこやかな表情を浮かべ、その間雅子はやはり教室の後ろで見守っていた
・2週間前には、3時間目の授業に合わせて登校した愛子は、他のクラスの仲良しの友達に「ああー、○○ちゃん元気ー?」と手を振りながら、小さな声で、しかし嬉しそうに話しかけた。
愛子自身は学校で楽しく過ごしたい様子が見えるけど、未だに雅子が学習院側の対応に不満を抱いているようだ。

共同通信系地方新聞 2010年7月24日<愛子さま“不登校問題”4ヶ月…「良い兆候」にも解決の展望無く 雅子さま続く療養“二重苦”の宮内庁>編集

 ただ通常の通学には程遠い。午前10時すぎに雅子さまとともに登校し、教室の後ろで雅子さまが控える中、午前中の2時限の授業を受け、給食を食べずに下校する。写生大会や泊りがけの校外学習は欠席し「不登校に近い状態」(東宮職幹部)に変わりはない。

週刊女性 2010年9月28日・10月5日合併号<愛子さま 雅子さまに付き添い“おねだり”も2学期4日目から「不登校」!>編集

p.33より引用
 楽しい夏休みの後の憂鬱な新学期。学校に行かなければならないというお気持ちと、行きたくないというお気持ちの葛藤を宮内庁関係者が明かす。
「6日の朝、ギリギリまで何度か説得されたのですが、あまり無理にするのも……ということで、妃殿下がお付き添いになったのです。
 愛子さまは学校に行きたくないことを、独特の言い回しで訴えます。“お友達に給食を食べられない子がいるけど、無理やり食べさせるのはよくないと思うの”などと、友人の話を自分に置き換えるような言い方をされるそうです
 始業式の朝も、「学校に行くのが嫌だ」という言葉がでたわけではなく、周囲が察したのだという。

週刊ポスト 2010年10月8日号<現場の磁力 男どもが知らない「雅子妃と愛子内親王」そして「人間の壁」>編集

p.128より引用
 初等科には貴賓室がある
 昭和天皇以降、各宮家の子息女が通われていたころ、皇族が待機した部屋である。
 だが雅子妃が使い始めて、これまでと違う光景が見られるようになった。雅子妃は内親王とふたりだけでここでランチをとる。
 給食の代わりに学校が決めた「お弁当の日」のときもここで食事をされる。
 ほかの生徒は大食堂で食べる。
「あれなら家の食事と同じです」
「子ども同士、どんどん距離が生まれます」
 こんな父兄の声も、とどかない。
 給食すらいただかずに、下校することもある。
 さらに、通常では考えにくい光景が毎日、内親王の教室<3年南組>でみられる。
 雅子妃が、いちばん後ろにずっと坐って内親王と授業のようすを見聞きしているという。いわば、毎日が授業参観である。
「子どもたちはもう慣れたようですが40代の女性主管、彼女はやりにくいでしょうね」
「愛子ちゃんのママは、なぜいつも後ろで見てるの?」
 父兄と子どもたちの声のニュアンスはちがうが、いずれも違和を覚えていることはまちがいない。
 休み時間の校庭、鉄棒で遊ぶ内親王に雅子妃はぴったりと付き添った。気づいた高学年の児童たちは場を離れた。
 廊下に出られただけで内親王を、5人ほどの教師が護衛をする。
 次第に「内親王に近づかないほうがいい」と子どもに教える保護者も出始めている。
 これが次期天皇の8歳になる長女の現在の学校環境である。

文藝春秋 2011年1月号<雅子妃は愛子さまを甘やかしているのか>友納尚子編集

★記事概要
愛子不登校についての異変を感じたのは侍医。風邪を引いた愛子を診ている時、「もう学校に行けますね」との問いに、愛子は「学校に行くと食欲がなくて給食が食べられないから今日はお休みするの
 愛子は静養中の母雅子に気をつかい、「あんまりお母さまには心配をかけたくないの。だって、ご病気でしょう。可哀そうになってしまうから」

毎日新聞 2011年2月21日<愛子さま 学校への不安和らぐ 在校時間延び、徒歩帰宅も>真鍋光之記者編集

 3学期は6時限目の最後まで学校にいることが多く、3日に1回程度、徒歩で帰宅している。1月18日は雅子さまが父母会に出席したこともあり、付き添いなしで歩いて帰宅。今月18日の参観日には皇太子さまも学校を訪れ、元気に合唱する姿を見守った。
 ただ、いまだに1時間目から授業を受ける日はなく、給食も食堂で友達と一緒に取らず、雅子さまと一緒に教室に残って弁当を食べるなどしている。

女性セブン 2011年3月24日号<愛子さま 給食時間、今日も別室で皇太子妃雅子さまとお弁当 もうひとつのいじめ事件>編集

女性セブン 2011年3月24日号<愛子さま 給食時間、今日も別室で皇太子妃雅子さまとお弁当 もうひとつのいじめ事件>表紙
[http://www.yuko2ch.net/mako/makok/src/1299729061803.jpg

週刊文春 2011年9月29日号<愛子さま「校外学習」山中湖2泊3日、雅子妃密着に学習院保護者が激怒!>編集

p.28より引用
(補足:2011年9月14-16日学習院初等科4年生の山中湖2泊3日校外学習に、雅子が同行した事件について)
 二日目の昼食時に立ち寄られた「富士緑の休暇村」では、愛子さまは二階の食堂で、雅子妃はその食堂から近い六人部屋の客室で食事をされた。
「何かご心配だったのでしょうか、『雅子さまが愛子さまのお食事の様子を見に行くかもしれない』と事前に連絡がありました」(休暇村関係者)
 愛子さまはふだん学校では、児童が一堂に会する食堂での給食を召し上がれず、別室で雅子妃と昼食を召し上がっているという。
「原因はわかりませんが、一時は御所でテーブルの下にシートを敷いて食事をされていたそうですから、ご飯をこぼしたりしたのを他の児童にからかわれたのかもしれません」(宮内庁関係者)
 「富士緑の休暇村」では結局、雅子妃は食堂へはいらっしゃらなかった。
「献立はポークカレー。ちょっと驚いたのは、愛子さまがスプーンを左手に持って召し上がってたことですね」(前出・休暇村関係者)
 食事中、愛子さまはとても元気で笑顔を見せられ、はしゃぎ気味なほどだったという。

週刊文春 2013年12月19日号<ザ・プリンセス雅子妃物語 第66回 愛子さまが学校に行かなくなった日 「不登校問題」への苦悩が初めて明らかに>友納尚子編集

pp.42-43より引用
 二月二十三日には、皇太子が五十歳の誕生日を迎えられた。諸行事を終えられてご接見が続く日々を過ごされていた。愛子さまは風邪をひいて学校を休まれていた。三十七度の熱と嘔吐、腹痛があったという。
 その日の朝はようやく熱も下がり、腹痛だけが残っていた。愛子さまが東宮御所の医務室で侍医(小児科)の中村嘉宏医師
診てもらったときのこと。中村医師は熱もないことから急を要するものではないと判断し、学校に行かれるかどうかを尋ねたのだった。
 すると元気のない愛子さまはこうお話しになったという。
学校に行くと食欲がなくて給食を全部食べれないから、残してしまうと迷惑がかかってしまうでしょ。だから今日はお休みするの
 中村医師は愛子さまのいつもとは違うお話に異変を感じて、やさしくどうしてなのかを聞き出したというが、うつむいたまま、「せっかく給食を作ってもらっているのに悪いでしょう」といい、それ以上はお話しにならなかったという。

週刊新潮 2014年3月27日号<「学習院初等科」卒業式に「宮内庁記者」と激しい冷戦 「愛子さま」お言葉の機会を断固拒否した「雅子妃」>編集

p.34より引用
 こうした事態の直接の引き金とされるのは「イジメ事件」だ。愛子さまが2年生だった2010年3月、「乱暴な目に遭った」ことを理由に、不登校になってしまわれたのだ。この一件以来、1年半以上にわたる雅子妃ないし皇太子殿下による登下校付き添い、そして雅子妃が授業の様子を見守る「1人授業参観」が始まったわけだが、
「今になってみれば……」
 と、学習院関係者は首を捻る。
雅子さまは給食の時間も愛子さまに付きっ切りで、他の児童と離れた貴賓室で食事をとらせていましたが、授業は皆と一緒に受けられるのに、給食だけダメというのは筋が通らない。愛子さまは食事をゆっくりとされる方ですが、学習院には全て食べきらないと昼休みに遊べないというルールがある。要は早く遊びに出させるべく、食べ残しても咎められないですむように考え出された、『抜け道』だったのではないかと勘繰りたくなります」
 給食の他にも、
付き添いは車で行われることが多かった。でも、雅子さまが傍にいらっしゃるんですから、イジメから守るためであったとしたら、歩いて行き帰りしたところで何の問題もない。しかも、初等科では車の送迎が禁止されているんです。つまり、イジメを理由にして、単に雅子さまの我が儘で、可愛い我が子の特別扱いを通していたに過ぎない気もします」(同)

雅子による「お弁当作り」を吹聴する記事編集

女性セブン 2014年5月29日号<雅子さまを悩ます愛子さま「お弁当問題」-初等科時代のいじめのトラウマ>編集

pp.32-33より引用
 五月晴れの爽やかな空が広がった5月11日――天皇陛下が80才の傘寿を迎えられたことをお祝いする昼食会が開かれた。
「この会は、皇太子ご夫妻、秋篠宮ご夫妻、黒田清子さんご夫妻が主催したもので、三笠宮さまやお孫さまがたも含め、皇族、元皇族ら約40人がお集まりになりました。
 昼食の前には、人間国宝の坂東玉三郎さんらが日本舞踊の地唄舞『雪』を披露するなど、和やかな会となったようで、両陛下は大変喜ばれたそうです」(皇室記者)
 この3日前の5月8日には、両陛下は東京・葛飾区の区立花の木小学校を訪ねられ、防災関連の授業を視察された。
「毎年、両陛下は『こどもの日』にちなんで小学校などを訪問されていますが、今年、両陛下がともに80才になられるため、今回が最後の視察となりました。
 来年以降は、皇太子ご夫妻ら若い世代が引き継がれることになるそうです。これに際して、皇太子さまは“心を込めて受け継がせていただきたい”と話されるなど意欲を見せられています」(前出・皇室記者)
 しかしここにきて懸念されているのが、最近の雅子さまのご公務への姿勢である。
 昨年春のオランダ公式訪問以降、東日本大震災の被災地3県を訪問されたり、全国障害者スポーツ大会の開会式に出席されるなど、体調が快復傾向にあると伝えられてきた。
 しかし、今年に入ると再び公の場に姿を見せられる機会が極端に減っている。御所や東宮御所でのご進講ご会釈などの公務はされているものの、外出を伴う公務は1月25日の『東日本大震災復興支援東北の芸能IV~伝統の技、つながる心』公演のご鑑賞以来、約4か月間“ゼロ”という状態なのだ。
「そんな雅子さまの状況に、美智子さまは“また病状が後退してしまったのでは・・・”と大変心配なさっているのです」(宮内庁関係者)

  • お弁当で孤立するケースも

 そんな雅子さまは、今どんな生活を送られているのだろうか――
 ゴールデンウイーク前の東宮大夫定例会見で、報道陣から雅子さまの近況について質問が出ると、小町恭士東宮大夫は、
「妃殿下は内親王殿下(愛子さま)の新生活をサポートされ、日々、ご腐心なさっています」
 といった旨の発言をしたという。
「つまり、雅子さまは愛子さまの新生活のことが、心配で仕方がないということです。大夫の発言は、また公務より私的なことを優先していると取られかねないものでした」(別の皇室記者)
 4月に学習院女子中等科に入学された愛子さま。
 新生活スタートから1か月が経った5月中旬のある日の午前8時半前、学校の近くまで送りの車で登校された愛子さまは、車を降りられると他の生徒たちと同様に歩いて校門をくぐられた
「愛子さまはお友達を見つけられると、ドラマの『花子とアン』のように“ごきげんよう”なんて挨拶されているそうです。
 女子中等科は“礼儀作法”などを厳しく教えるお嬢様学校ですから、愛子さまもすでにその教えを会得されているのかもしれませんね」(学習院関係者)
 さらに愛子さまは、積極的に学校生活に取り組まれようとされているようだ。
「愛子さまは自ら立候補して厚生委員になられたそうです。厚生委員はユニセフ募金や赤い羽根募金、さらには八重桜祭(文化祭)の食券の集計など、お金を扱う役目で責任重大なため、生徒たちはあまりやりたがりません。そんな仕事に愛子さまは率先して手を挙げられたわけですから立派ですよね」(前出・学習院関係者)
 委員会は週に1度、お昼休みに集まり、活動状況などについての話し合いなどを行い、愛子さまも出席されているという。
 そして中学に入学して、初等科時代と最も変わったのが“給食”から“お弁当”になったことだ。
「初等科では児童全員が食堂に集まって給食を食べますが、女子中等科では教室内で各自がお弁当を自由に食べます。ですから仲の良い友達同士で食べることが多いんです。
 このお弁当を食べるグループというのは、今後、学校生活を送るうえで、ずっと続く仲良しグループになっていくわけですから、最初に仲間に入り損ねたりすると結構大変で、クラス内で孤立するケースすらあります。
 また生徒たちはそれぞれ友達がどんなお弁当を持ってきているかなどと比べたりするので、母親たちには豪華すぎず、地味すぎないお弁当作りが求められるんです」(前出・学習院関係者)
 そのため、雅子さまも愛子さまのお弁当作りに尽力されているのだという。本格的なお弁当作りは幼稚園時代以来、実に7年ぶりのこと。
「今、雅子さまは、毎朝、東宮御所の台所に立たれて愛子さまのお弁当を作られているそうです。食材こそ大膳課に用意してもらっているそうですが、レシピはご自分で考えているみたいです。
 愛子さまの健康を考えて、玉子焼きや野菜中心のメニューのようですが、愛子さまが唐揚げやハンバーグ、春巻きなどの肉料理も入れてほしいと要望されているため、バランスが良い献立になるようにと工夫されていると聞いています」(東宮職関係者)
 雅子さま手作りのお弁当といえば、本誌は愛子さまが初等科2年生のときの初等科祭で、お友達と一緒にお弁当を広げられるシーンを目撃している。
 このときは黄色いひよこのお弁当箱に三角に切り揃えられたサンドイッチ、ウインナーとミニトマトが入っていて、パセリが添えられた色鮮やかなお弁当だった。
 雅子さまが公務をお休みされてまで、お弁当作りに勤しまれるのには、初等科時代の“いじめ”のトラウマがあったようだ。
「女子中等科には、初等科からの持ち上がり組以外に、多くの受験組の生徒が入学しています。初等科時代とはまったく異なる人間関係になるわけですから、新たなトラブルなどが起こる可能性も否定できません。ですから少しでも心配を減らそうと、“お弁当”はご自身の手で作っていらっしゃるようです」(前出・東宮職関係者)
 前述した通り、愛子さまの新生活は充実しているようなので、今のところ雅子さまの“お弁当作戦”は成功しているようだ。
 しかし、ご公務を休まれる状態がまた長引くようだと、再び雅子さまの“母親業”と“公務”の両立に注目が集まりかねない。愛子さまの新生活が早く落ち着くことを願わずにはいられない。

友納尚子連載<ザ・プリンセス雅子妃物語>が記す、ほんとうにどうでもいい小和田雅子の弁当箱情報編集

p.43より引用
 雅子さんのお弁当箱は、小学生の時の三匹の子ブタが描かれたアルミ箱から、二段重ねのプラスチック製の弁当箱に変わった。花柄や可愛いキャラクターものではなく、男子が使いそうな色目の巨人軍のマークが入ったものだった。


不登校時期における「愛子が同級生と担任から少しずつ弁当の中身を恵んでもらう」事件編集

サンデー毎日 2010年7月18日号より引用
6月3日 この日は月1度のお弁当の日。
給食の日は3階にある食堂で他のクラスの児童と一緒に食べるが、お弁当の日は各教室でとる。
4時間目の授業を終え、いつものように帰り支度を始めた愛子さまにクラスメートの一人が「愛子ちゃんも一緒に食べようよ。お弁当分けてあげるから」と声を掛ける。
愛子さまも表情が明るくなり、にっこりうなずく。
「今日は先生、あまりおなかがすいていないから」と話す担任や、他の児童からも少しづつ弁当のおすそ分けがあり、やがて一人分のお弁当になった

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