Fandom

Dosuko Wiki

礼宮・川嶋紀子婚約内定記者会見

639このwikiの
ページ数
新しいページをつくる
コメント0 シェアする

平成元年(1989年)9月12日に行なわれた、礼宮文仁親王殿下と川嶋紀子嬢の婚約“内定”記者会見。
一般に「婚約記者会見」などと世間で呼ばれているが、昭和天皇の喪中である1989年9月12日に行なわれたのは、あくまでも“婚約内定”であり、これ以降に婚約することが決定したに過ぎない。したがって喪中に“婚約”したというのは明らかな事実誤認である。また昭和天皇の第三皇女・順宮厚子内親王が、祖母・貞明皇后の喪中に婚約内定した前例もある。
宮内庁公式HPにおいても、

http://www.kunaicho.go.jp/about/history/history03.html
ご結婚関係
皇室会議 平成元年9月12日
納采の儀(ご婚約) 平成2年1月12日
ご結婚 平成2年6月29日

のように記録されており、皇室会議による婚約内定と、納采の儀による正式婚約締結が、公的にも明確に区別されていることが分かる。その他報道資料についても後掲しているので、ぜひ参照されたい。

また東宮擁護が(昭和天皇喪中なので)喪服で会見をした等と虚偽の中傷をしばしば繰り返しているが、当時の報道により川嶋紀子嬢のワンピースは濃紺であると確定している。

週刊女性 増刊ムック 礼宮さま紀子さま青春華燭 p.152右下隅コラム<紀子さまミニデータバンク 一世一代の服は手作り>より引用
 紀子さまが婚約発表の当日にお召しになった紺のドレスは、母和代さんの親友の手作り。和代さんが平成1年8月下旬に親友のもとを訪れ「娘の“一世一代の服”をお願いします」とご注文になった。紀子さまが希望するデザインをもとに、3人でじっくりと相談されデザインを決められた。婚約発表2日前の9月10日、濃紺のシルク地の清楚なワンピースができあがった。紀子さまは、このほかにも手作りの洋服をいろいろとお持ちだった。


礼宮殿下と何度も見つめ合いながら、恥ずかしそうに話す紀子嬢の初々しさは、「紀子さまブーム」を呼んだ。


1989年9月12日婚約内定記者会見画像集編集

1989年9月12日 婚約内定が決まりおそろいで記者会見に臨む礼宮殿下と川嶋紀子さん
1989年9月12日 婚約「内定」が正式に決まり、記者会見する礼宮殿下と川嶋紀子さん=1989年9月12日、東京・元赤坂ん
1989年9月12日 婚約内定記者会見での川嶋紀子さん
1989年9月12日 婚約内定記者会見での川嶋紀子さん
1989年9月12日 婚約内定記者会見での礼宮殿下と川嶋紀子さん
礼宮殿下アップ画像
川嶋紀子さんアップ画像
川嶋紀子さんアップ別画像
川嶋紀子さんアップ別画像
川嶋紀子さんアップ別画像
川嶋紀子さんアップ別画像
川嶋紀子さんアップ別画像
会場でのお二人。ご成婚に際して皇后陛下の「また一つ宝物が増えました」感想もキャプションに
1989年9月12日 婚約記者会見での礼宮殿下と川嶋紀子さん
1989年9月12日 婚約記者会見での礼宮殿下と川嶋紀子さん
婚約記者会見での礼宮殿下と川嶋紀子さん
会場でのお二人
会場でのお二人
会場でのお二人
会場でのお二人
会場でのお二人別画像
会場でのお二人連結画像ん
1989年9月12日 婚約内定記者会見を終えられた礼宮殿下と川嶋紀子さん

婚約内定会見を終えた川嶋紀子さんバストアップ画像
婚約内定会見を終えたお二人
婚約内定会見を終えたお二人バストアップ画像
あこがれファッション1位に選ばれた「紺色ワンピース」紀子さん全身画像(『週刊女性』1991年12月2日増刊「天皇皇后両陛下初孫ご誕生記念号 おめでとう紀子さま お健やか秋篠宮眞子さま」より) / 「あこがれファッション」グラビア
ご婚約内定を報じる当時の雑誌記事

動画編集

冒頭30秒が婚約内定記者会見の映像 http://jp.youtube.com/watch?v=VbQdTgOyhHA

1989年9月12日婚約内定記者一問一答記録編集

http://www.yomiuri.co.jp/feature/impr/0609article/fe_im_89091303.htm(webarchive記録)

  • ホーム>特集>秋篠宮家 男児ご誕生>秋篠宮ご一家の歩み

■ 秋篠宮ご一家の歩み
礼宮さま・紀子さんの記者会見での一問一答
 礼宮さまと川嶋紀子さんの記者会見は、12日午後3時から25分間、赤坂御所の「桧の間」で行われた。一問一答は次の通り。

 −−このたびは、ご婚約決定、おめでとうございます。

 礼宮さま「どうも、ありがとうございます」

 −−質問に移らせていただきます。お2人は皇室会議で正式にご婚約決定となりましたが、現在のご心境をお聞きしたいと思います。

 礼宮さま「皇室会議で承認していただきまして、いま、ホッとしているというか、そういう気持ちです」
 紀子さん「私も、礼宮さまと同じく、私どもの結婚に皆さまのお認めをいただき、まことにうれしく存じます」

 ◆ひかれた点 プロポーズ
 −−お互い、どんな点にひかれたのでしょうか。

 礼宮さま「以前にもお話ししたことがございましたが、話をしていて楽しい人。また、どことなく愛きょうがあるというか……」
 紀子さん「生物、例えば御所内で飼ってらっしゃるナマズやアヒルなどをかわいがっておられるお姿や、熱心に魚類を研究しているお姿に強くひかれました。タイのお酒、メコンに誘われるまま、先生やお友達と語り合い、またギターを弾かれたりするご様子、そんなところにひかれました」
 礼宮さま「付け加えると、(紀子さんは)非常に話題が豊富な方じゃないかと思っております」

 −−ご結婚を決意されたのは、いつごろでしたか。礼宮さまからのプロポーズのお言葉と、紀子さんのご返事は。

 礼宮さま「決意は、だんだん、徐々に、そういう方向に固まっていったというところでしょうか」
 紀子さん「私も礼宮さまと同じく、徐々に気持ちを整理して参りました」
 礼宮さま「プロポーズは……そうですね、確か昭和61年の6月26日だったと思いますけれども、『私と一緒になってくれませんか』と話した記憶があります」
 紀子さん「私は『よく考えさせていただけませんか』と申し上げました」

 −−先ほど、お2人は両陛下のところにごあいさつされたと思います。その時、両陛下はどんなことをおっしゃいましたでしょうか。

 礼宮さま「このたびの婚約をうれしく思います。いままで2人が培ってきたものをさらに伸ばし、また、お互いに補いあい、よい家庭といいますか、よき宮家を築いていくことを期待しているとのお言葉でございました」
 紀子さん「同じようなお言葉をたまわりました」

 −−現在、(昭和天皇の)喪中で、ご自身も留学中のお立場ですが、そういう時のご婚約決定をどうお考えになりますか。両陛下から反対はございませんでしたか。

 礼宮さま「現在、留学中、喪中ということでもありますが、ここ一、2年の間に川嶋家の方にいろいろ問い合わせ等が多くなって、私としても責任のあることですので、早い時期に公にしたいと判断いたしました。そうなりますためには、本日もございました皇室会議を経なければいけないわけですが、それにつきましては宮内庁としても特に異議はありませんでしたし、両陛下から反対もありませんでした」

 ◆結婚の抱負 新家庭像は
 −−ご結婚の儀式はいつごろと考えていらっしゃいますか。新婚旅行のご希望は。

 礼宮さま「現在は喪中ですので、明年1月の喪明けを待ち、それから考えていきたいと思っています。新婚旅行などは、今のところまだ考えておりません。結婚の後は、伊勢神宮とか神武天皇陵などの参拝もございます。また、昭和天皇のご生前にお耳に入れることができませんでしたので、武蔵野陵に参り、ご報告したいと思っています」

 −−ご結婚されると、独立され、宮家を営まれるわけですが、今後のご自身のあり方、抱負というものがございましたら、うかがいたいと思います。

 礼宮さま「新しい経験となるわけですけれども、いろいろな方からお導きいただきながら、2人でいい家庭を築けたら幸いと思っております。皇族としての抱負といたしましては、天皇をお助けする立場でございますし、与えられた皇族としての仕事をひとつひとつ、大切に果たしていくつもりでおります」

 −−皇太子さまより先に結婚が決まりましたが、ご感想は。宮内庁は皇太子さまのご結婚をできるだけ早くと考えているようですが、お近くにいてどのような雰囲気でしょうか。

 礼宮さま「兄の皇太子が早く決まればそれに越したことはなかったわけですし、私もそのことを強く望んでいましたが、先ほども申したような事情もございまして、私の方が先になってしまったということでございます。雰囲気? 以前に30歳までにできれば上出来というふうに申しましたけれども、やはり30歳までにできれば上出来なのではないかと私は思っております」

 −−暗い見通しですね。

 礼宮さま「暗いと言いますか……。私もわかりませんけれども」

 −−紀子さんは一般の家庭から皇室に嫁ぐことになりますが、これから皇族の一員になられるお気持ちは。

 紀子さん「私は礼宮さまと4年にわたり親しくさせていただき、礼宮さまのお人柄、お考えから多くのことを学ばせていただきました。また両陛下、東宮殿下、それから紀宮さまが、明るい中にも責任あるお立場をご自覚になり、ご生活なさっているお姿を拝見させていただきました。ありがたく、まことに心強いことでございました。皆さまのお教えを賜りながら一つ一つ学んでいきたいと思っております」

 −−紀子さんにお尋ねいたします。ご結婚されたら、どんな家庭を築いてゆきたいとお考えでしょうか。また、お子さまは何人ぐらい、お望みでしょうか。

 紀子さん「礼宮さまとご一緒にのんびりと明るく、和やかな家庭を築けたらと思っております。後の質問についてでございますが、それについても、これからゆっくりと考えていきたいと思っています」

 −−初めて結婚の話が出た時、(紀子さんの)ご両親は何とおっしゃっていましたか。

 紀子さん「父は『自分の人生は自分の責任や判断で決めることが望ましい。よく考え、よく悩んだ上で、結論を大切にしなさい』と申しておりました。また、母は『紀子ちゃん、よく考えてみましょうね』と申しまして、そのあとで『はたち前半のころは豊かな経験をすると同時に、よく勉強し、ライフワークの基礎を作る重要な時期ですよ』と申しておりました」

 ◆勉学の見通し 今後の計画

 −−これから結婚の日まで、学業など日々の生活についてどのように考えていらっしゃいますか。

 紀子さん「私は現在、大学院生でございますが、礼宮さまは大変ご理解があるようで、そのご理解のもとに、時間の許す限り勉強を続けたいと思っております」
 礼宮さま「私も、まだイギリスの方でやりたい仕事、研究と申しますか、たくさんありますので、このことが一段落つきましたら、できるだけ早い機会にイギリスへ参りまして、前と同じような研究生活に戻れればと考えております」

 −−(11日の)誕生日に礼宮さまから何かプレゼントがあったとうかがっておりますが。

 礼宮さま「私からお答えさせていただきますと、何というか、写真立てみたいなものなんですね。ちょうど2人の人が入るような、そんなものをプレゼントいたしました」

 −−中に写真は入っていたのでしょうか。

 紀子さん「これから思い出深い写真を入れて、飾っておきたいと思います」

 −−どこで求められたものなんですか。

 礼宮さま「日本で」

 −−紀子さんはご結婚後、大学院での勉強をどうなさいますか。

 紀子さん「今後どんな生活を送るか、ちょっと分かりませんけれども、時間が許す限り勉強はずっと……一生続けたいと思っております」

 −−失礼な質問ですが、お2人は長い交際を続けていらっしゃいますが、けんかなどというのはなさったことはございますか。

 礼宮さま「けんかの度合いにもよりますが、双方、からかったり、そんなことはいたしましたけれども」

 −−涙を流したようなことはございましたか。

 紀子さん「みなさん、ご存じだと思いますが、(礼宮さまが)英国にいらっしゃった日でございます」

 −−プロポーズの場所はどこだったのでしょうか。

 礼宮さま「場所は目白近辺。夕方、集まりがありまして、私が(紀子さんを)送って帰る途中、ちょうど横断歩道のところで信号待ちをしている間に、ついつい長話になって、その時に」

 −−結婚までにお2人でタイへ出かけるとか、イギリスへお連れになるというお考えは。

 礼宮さま「まだ、そういうことにつきましては全然考えておりません」

 −−先ほどのプロポーズの話ですが、紀子さんは「よく考えさせていただきます」と答えられ、そのあとはどんな展開だったのでしょうか。

 紀子さん「先ほど申しあげたように、徐々に気持ちを確かめあいながら、きょうになりました」

 −−紀子さんは礼宮さまが初恋の人ですか。

 紀子さん「そうでございます」

 −−(学習院大構内の)本屋で最初の出会いがあったとお聞きしていますが、その時の第一印象は。

 礼宮さま「こちらのお父さまを前から存じ上げていたんですが、非常にお父さまの話し方と似ているなと思いました」
 紀子さん「私はお友達と話してらっしゃるお姿を拝見して、思ったより気さくな方という印象を受けました」

 −−ご婚約に至るまでに障害のようなものは感じられませんでしたか。

 礼宮さま「私といたしましては、ほかからの反対は一切なかったと思っております」

 −−皇太子さまの方から祝福のようなお言葉はございましたでしょうか。

 礼宮さま「おめでとうということですね」

 −−前回、イギリスに礼宮さまが行かれた時、涙を流されたということですが、また礼宮さまはイギリスに戻られます。ご婚約が決まられたことで気持ちはだいぶ楽になりますか。

 紀子さん「これからは以前よりも親しくさせていただくことができるとうれしく思っておりますが、やはり、心に通じ合うものがございましても、距離が離れますと寂しいものでございます。おたちになる日はしんみりと涙を流すことになるのではないかと思いながらも、笑顔でご出発を送りたいと思っておりますが」

 −−きょうはありがとうございました。お幸せに。
(1989年9月13日 読売新聞)

秋篠宮ご一家誹謗中傷スレッド嵐がしきりに主張したがる「喪中婚約」に関する資料いろいろ編集

読売新聞 1989年8月26日<礼宮さま、同窓の川嶋紀子さんと来春ご結婚 学習院大教授の長女>より引用
 今後の段取りとしては、来月12日に開かれる皇室会議でご婚約が内定。来年1月の昭和天皇の喪明け後に、一般の結納に当たる「納采(のうさい)の儀」や、結婚式の日取りを川嶋家に伝える「告期(こくき)の儀」などがあり、「結婚の儀」は皇居内の賢所で行われる。皇族のご結婚は、前例では皇室会議から半年前後が多く、来年秋には天皇陛下の即位の礼もあるため、「結婚の儀」は気候の良い来年春に行われる見通しだ。



読売新聞 1989年8月26日<礼宮さまのご婚約内定は喪中でも構わず 26日、宮内庁が判断>記事全文
 天皇陛下や皇族方は、昭和天皇のご逝去で来年一月まで喪に服されているが、宮内庁は皇族の結婚について、挙式や結納に当たる「納采(のうさい)の儀」など晴れの儀式は、喪中はふさわしくないものの、皇室会議によるご婚約の内定は喪中でも差し支えないと判断している。天皇陛下ご自身も、そうしたお考えを持たれているという
 兄弟のご婚約が逆になることについても、両陛下がお子さま方の意思を尊重するお考えのため、「一般家庭でもあることで、大きな問題ではない」(同庁幹部)としている。



朝日新聞 1989年8月28日<皇室会議は9月12日 礼宮さま、ご婚約正式決定へ>記事全文
 天皇家の次男、礼宮文仁さま(23)と川嶋紀子さん(22)とのご婚約、ご結婚を決めるための皇室会議について、海部首相は皇室会議議長として28日、会議を9月12日午前9時から、宮内庁特別会議室で開くことを決め、招集の手続きをとった。同会議の決定を受けて礼宮さまと川嶋紀子さんとのご婚約が公式に決まるわけで、来年1月の昭和天皇の喪明け後に「納采の儀」(結納をかわすこと)を経て正式にご婚約となる。
 皇室会議日程の決定を受けて今後、礼宮さまがご両親の天皇、皇后両陛下に正式にごあいさつされる一方、皇室から川嶋家へ正式の申し入れの使者が立つなどの手順が進むとみられる。
 12日の会議終了後には、直ちにご婚約が正式発表される。皇居で天皇、皇后ご夫妻に川嶋紀子さんと両親がごあいさつし、そのあと紀子さんの記者会見などが行われる運びだ。
 来年1月以降の「納采の儀」に続いては、紀子さんに勲章を贈る「贈勲の儀」、礼宮さまから紀子さんに守り刀を贈る「贈剣の儀」などがある。そのあと、天皇陛下が結婚式の日取りを告げる「告期の儀」が行われ、結婚式の前日「贈書の儀」を経て「結婚の儀」となる。
 結婚式の時期について、礼宮さまご本人は、昭和天皇の喪明け後の来春早々にも挙式し、留学先の英国へ紀子さんを同道したい考えといわれるが、留学中というお立場との絡みで、流動的な面も残されている。新居についても、赤坂御所内に適当な施設がなく、ほかに利用可能な土地もないことから、宮内庁にとっても緊急の課題となる。
 皇室会議の日取りについては、9月中旬をめどに、日程の詰めを進めていた。メンバーのうち土屋参院議長に9月17日まで欧州旅行の日程が入っており、安井衆院副議長も12日には欧州旅行の予定と重なっているなどの事情があったため結局、2人は欠席し、代理出席については検討することにした。
 皇族男子が結婚する場合は皇室典範10条により「皇室会議の議を経なければならない」とされている。



読売新聞 1989年8月30日<礼宮さまご結婚 「90年9月」案も浮上
ご婚約が内定した礼宮さま(23)と川嶋紀子さん(22)の「結婚の儀」について、来年九月とする案が新たに浮上してきた。
(中略)
 ただ九月挙式となると、婚約期間が一年にも及ぶ上、礼宮さま自身が春の挙式を希望されていることから、宮内庁では政府とも協議しながら、調整を急ぐことにしている。



朝日新聞 1989年9月12日<礼宮さま、川嶋紀子さんとご婚約、12日皇室会議>より引用
 皇族の結婚までの手続きは、皇室会議での決定の後、1、2カ月後に「納采の儀」を行い、さらに数カ月後の結婚式へと続くのが一般的。しかし今回は、来年1月7日まで昭和天皇の喪が続くことから、喪明け後、礼宮さまの留学に支障が出ない時期を選んで「納采の儀」が行われることになる。



読売新聞 1989年9月13日<礼宮さま・紀子さんの記者会見での一問一答>より引用
 --ご結婚の儀式はいつごろと考えていらっしゃいますか。新婚旅行のご希望は。
 礼宮さま「現在は喪中ですので、明年1月の喪明けを待ち、それから考えていきたいと思っています。新婚旅行などは、今のところまだ考えておりません。結婚の後は、伊勢神宮とか神武天皇陵などの参拝もございます。また、昭和天皇のご生前にお耳に入れることができませんでしたので、武蔵野陵に参り、ご報告したいと思っています」



ttp://www.yomiuri.co.jp/feature/impr/0609article/fe_im_89091301.htm 読売新聞 <礼宮さま・紀子さん会見 ホオ染め語る“二人の世界”>より引用
 「桧の間」に着席された礼宮さまは濃紺のダブルの背広。やはり濃紺のワンピースのひざに、白手袋を置いた紀子さんは、まぶしいばかりの“きこちゃんスマイル”を絶やさない。



朝日新聞 1990年1月12日<礼宮さま・川嶋紀子さん、納采の儀>より引用
 天皇家の次男、礼宮さま(24)=文仁(ふみひと)親王殿下=と、学習院大経済学部教授、川嶋辰彦氏(49)の長女で同大大学院生の紀子さん(23)の結納にあたる「納采の儀(のうさいのぎ)」が12日午前11時過ぎから、東京都豊島区目白1丁目の学習院大構内にある同大職員住宅内の川嶋家で行われた。昨年9月12日の皇室会議で内定した礼宮さまと紀子さんのご婚約は、この儀式で正式に調ったことになる。「結婚の儀」は、儀式の日取りを天皇家から川嶋家に伝える「告期の儀」を経て、礼宮さまが英国留学を終えられた後の6月29日に皇居で行われる予定。ご結婚とともに新宮家が創設される。

2015年6月29日ご成婚25周年=銀婚に際し公表された秋篠宮同妃両殿下対談形式のご感想<結婚にむけた準備>より、「1989年の9月に公表するに至りました。これはいわゆる結納に当たる正式な婚約ではなく、皇室会議の議を経て婚約が内定したということを発表する機会でした。服喪中のこうした発表は異例なことと思った人がいたようですが、1951年7月の順宮(現池田厚子)様の発表は貞明皇后の崩御から約2ヶ月後で、しかも当時参考としていた旧皇室服喪令によると、私たちの発表時期より一段階重い服喪期間中でしたので、手続きを終えたという発表は前例にもあり問題ないと宮内庁は判断したわけです。」編集

http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/03/kaiken/gokanso-h27-gokekkon25.html

  • 文仁親王同妃両殿下ご結婚満25年に際してのご感想

・・前略・・
<結婚にむけた準備>
文仁
少し時計の針を進めましょう。私が大学を卒業したのが1988年ですが,その年の夏から暫くの間英国に滞在しました。この間,昭和天皇のご不例と崩御があったことから,しばしば日本に帰ることになりました。日本にいる間は,諸行事に参列するためだったのですが,そのおりに,将来のことについていろいろと話す機会にもなりました。そして,1989年の9月に公表するに至りました。これはいわゆる結納に当たる正式な婚約ではなく,皇室会議の議を経て婚約が内定したということを発表する機会でした。服喪中のこうした発表は異例なことと思った人がいたようですが,1951年7月の順宮(現池田厚子)様の発表は貞明皇后の崩御から約2ヶ月後で,しかも当時参考としていた旧皇室服喪令によると,私たちの発表時期より一段階重い服喪期間中でしたので,手続きを終えたという発表は前例にもあり問題ないと宮内庁は判断したわけです。
そして,私たちの結婚の時期についてです。秩父宮両殿下のご婚儀が1928年9月末で,昭和天皇の即位の礼が同年の11月初旬。その間は2ヶ月もなく,大変だったことを両陛下が聞いていらしたそうです。そのようなことから,私たちのときには,結婚から同じ年の11月予定の即位の礼までにある程度の時間があったほうがよいとのことで,私が帰国した直後に式がおこなわれることになりました。
紀子
とてもありがたい思し召しを賜り,感謝申し上げております。
文仁
話が少し前後しますが,昭和天皇の一周年の行事が終わり,私は1990年の1月から6月にかけては英国に滞在していたわけですが,その間,新たに住む家については,あなたに任せきりでした。もっとも,改築の平面図を見てもイメージすることができない私より,多少は空間認知に優れているあなたが見る方がよかったのは明らかでしたが。
今のは自分にとって都合のよい言い訳なのですが,実際のところ帰国したのが6月21日で,6月29日の結婚式までは約1週間しかなかったことを考えれば,新居での生活の準備は完全にあなたへ依存していたわけで,このことについては申し訳なかったとしか言いようがありません。
紀子
いいえ。むしろ,英国よりのご帰国を待っていたのかのように,式までの約1週間,宮中行事の習礼しゅらいをはじめ,関係者とのこまかい打ち合わせが多くおこなわれましたが,時差がある中,大変ではありませんでしたか。
文仁
幸いなことに,私は一般的に言われていることとは逆で,若いころは東へ向かうほうが時差の影響が少なかったため,それで大変ということはなかったと思います。
紀子
新しい生活にむけての準備や支度は初めてのことばかりで,新居について,相談をしたいと思いましても,当時は連絡手段としてメールはまだ普及していなくて,電話やファクシミリで,英国との時差もあり,すぐには連絡がとれない状況でした。式までに考えるべきこと,決めるべきことがたくさんあり,大学院の講義も受けていましたので,時間が経つのが早く,準備を終えられるか心配でした。
そのような中,宮内庁の職員が,改築や内装をはじめ,よく考え,提案してくれました。そばにいらしてくださったら,どんなに心強いかしら,と思うことはありましたが,いろいろな人の助けを借り,用意をある程度進めることができました。
帰国されたときは,本当にうれしく,それまでの不安もどこかにいってしまうくらいでした。
・・後略・・

広告ブロッカーが検出されました。


広告収入で運営されている無料サイトWikiaでは、このたび広告ブロッカーをご利用の方向けの変更が加わりました。

広告ブロッカーが改変されている場合、Wikiaにアクセスしていただくことができなくなっています。カスタム広告ブロッカーを解除してご利用ください。

Fandomでも見てみる

おまかせWiki