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浴衣

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小和田雅子の幼少時写真撮影でしていた格好の一つ。皇太子結婚記念で世に数多の写真集やグラビア掲載書籍が発行されているが、その中の雅子2歳時と6歳時の浴衣写真が2007年4月27日発掘・比較検討された。その結果、小和田家では2歳時点でほぼジャストサイズの浴衣をそのまま6歳の子供に着せ、その写真を後にマスコミ提供するという、非常にみっともない行為をしていることが明らかになった。

上 1966年7月19日 スイス・ジュネーブにて浴衣姿の小和田雅子(2歳7ヶ月)
下 1970年夏、NY自宅ベランダにて浴衣姿の小和田雅子(6歳半)


参考:1972年春 仲良しの米国人キンバリーちゃんとおそろいの浴衣を着て記念写真におさまった5歳当時の川嶋紀子さん(右画像)


特に下画像・6歳半当時の写真は以前から広く知られており、着物にはありえないことだがほとんど半袖状態で膝の辺りも開いてしまい、丈の短さや着付けの悪さもスレ住民に印象付けられていた。しかし2歳7ヶ月のときと全く同じ浴衣を6歳半過ぎても着せられていたことはそれまで気付かれておらず、「遊んでばかりサボってばかりの雅子は嫌いだけど、さすがにこれは可哀想に思う」という奥様方からの同情意見が多かった。

このアメリカ・NYにおける小和田雅子6歳半当時の「2歳7ヶ月のときと全く同じ浴衣」は、元女湯盗撮カメラマンにしてフリーライター友納尚子が連載した「ザ・プリンセス雅子妃物語」にて、「アパートメントのベランダで。浴衣は母の手づくり」なるキャプションを添えられ画像掲載もされている。
「海外にあっても、お母さまの手作り浴衣をお召しになる、日本文化を忘れず愛情を一杯注がれて育った雅子さま!!」という演出であろうと容易に想像はつくが、その「手づくり浴衣」が2歳7カ月当時と全く同じ大きさのままである事実は滑稽でならない。

『週刊文春』2012年7月12日号<ザ・プリンセス雅子妃物語 第4回 ニューヨーク、初めてぶつかった壁> p.121より引用
画像キャプション「アパートメントのベランダで。浴衣は母の手づくり


この次に和服を着ることになるのは「新弟子検査」で知られる1980年正月ボストンでの晴れ着写真であり、その次が徳仁との婚約正式締結を意味する納采の儀であり1996年4月「御婚約晴れ姿、お扇子ド真ん中挿し事件」で知られる「錦鯉」ペラペラ真っ黄色中振袖である。
そして入内後、1996年歌舞伎座へ向かう場面ではパンツスーツと同じような大股開きで非常に見苦しい歩き方を、和服姿の雅子が披露している(注:画面左上隅に「1985年」とあるが「1996年」の誤りである)。

20070121皇室と歌舞伎:1分52秒あたりに雅子が歌舞伎座に出かけた折の和服大股歩き映像収録
http://www.youtube.com/watch?v=G8roTDeb0_8

そして2005年11月15日の紀宮結婚披露宴においては、皇族女性が和服で揃えたのに雅子一人だけボルドーのベルベットスーツ&バックストラップシューズで登場するという、和服拒否の姿勢を明確に打ち出している。

雅子と着物との付き合いの歴史を見るにつけ、様になる着こなしも所作もいまだに身につけられないとあっては、日本人女性を象徴する立場として非常に問題があると断じざるを得ないだろう。

雅子の着物姿大集合画像(2010/9/28時点まとめ)


参考:【新弟子検査】、【錦鯉】、【私は病気ではありません】、【御地赤

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