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浜尾実

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東宮侍従(就任期間1951年-1971年4月1日、退職時点で浩宮11歳・礼宮5歳)を務め、ナルちゃんこと浩宮徳仁親王幼少期の養育係として世に広く知られている人物。

浜尾元東宮侍従については、学歴ロンダリングのハリボテ小和田雅子を妻として迎え入れてしまったことで、徳仁の幼少期から何となく定着していた「思慮深く聡明でご優秀」イメージが全てメッキだと判明し剥げ落ちてしまった現在、その虚飾に関わっていたのではないか、殊に5歳年齢差がある礼宮と比較しそちらを貶めるような風潮を作り出した源ではないかという見方が、皇室御一行様スレッド住民奥様の一部からされることもある。

皇室特番より、浜尾実氏による浩宮・礼宮の評価の一例

元東宮侍従浜尾実著『浩宮さまの人間教育』(婦人生活社より)
虫たちを友達にする点で浩宮さまと礼宮さまでは違いがあった
浩宮さまは目を細めてやさしくいたわりを示される
礼宮さまはどちらかというと突いたり放り出したりして愛情を示される


冒頭に記したとおり、浜尾東宮侍従「退職時点で浩宮11歳・礼宮5歳」であることに注目して、この文章を読まれたい。


また両陛下即位時には『週刊朝日』<元東宮侍従、浜尾実氏の苦言『新天皇陛下、災害現場へもお飛びください』>や『週刊ポスト』<特別手記 平成の皇室の在り方を考える「恐れながら美智子皇后に申し上げます」浜尾実 元・東宮侍従(68)>といったタイトル記事で、昭和60年御巣鷹山日航機墜落事故等を引き合いに出し、両陛下が災害現場に駆けつけ慰問すべきという考えを発表したが、それは現地の混乱を助長するだけで不適切ではないかとスレ住民奥様方からは疑問視されている。また1992年夏に皇后陛下(美智子さま)の運転免許取得を目指す記事が女性誌に登場したのだが、浜尾氏はそれに対しても苦言を寄せている。

『女性自身』1992年?月?日号<美智子さまへ緊急提言「この時期に“運転免許”はいかがなものか」浜尾実さん(元東宮侍従)>表紙

『週刊ポスト』1993年8月20・27日号<特別手記 平成の皇室の在り方を考える「恐れながら美智子皇后に申し上げます」浜尾実 元・東宮侍従(68)>表紙・目次
『週刊ポスト』1993年8月20・27日号<特別手記 平成の皇室の在り方を考える「恐れながら美智子皇后に申し上げます」浜尾実 元・東宮侍従(68)>記事


しかし徳仁と小和田雅子の結婚直前時期にはマスコミに名出しではっきりとその結婚に対する危惧を表明(後掲)し、また全ての問題を拗れさせる発端となった徳仁「人格否定会見」についても明確な苦言を呈している(後掲。これらのことから、単にボンクラナルちゃんをご立派な人物と見せかけようとしているだけの人物ではなく、氏なりに徳仁の今後について真摯な考えを有していたことは疑いない。

浜尾氏は2006年10月26日逝去、同月30日東京都千代田区麹町にある「聖イグナチオ教会」で敬虔なカトリック信者であった氏の葬儀が行われたが、徳仁は葬儀に顔も出さず白菊の花籠を贈っただけと、『週刊現代』2006年11月18日号記事に書かれている。なお別の元東宮侍従葬儀やローマ法王ヨハネ・パウロ2世追悼ミサに徳仁が出席していることから、葬儀出席慣例が無いとか宗教が違うからといったものでは欠席理由がつかないことは明らかである。

『週刊現代』2006年11月18日号<故浜尾実・元東宮侍従「皇太子への遺言」-生前本誌だけに語っていた“皇室問題”>

p.56より引用
 (補足:2006年)10月30日には、カトリック信者だった浜尾氏の追悼ミサが、東京都千代田区麹町にある「聖イグナチオ教会」で行われた。約400人が故人を偲ぶなか、パイプオルガンの音色が静かに流れ、祭壇には、天皇皇后両陛下と皇太子から送られた白菊の花カゴが飾られていた
 喪主を務めた浜尾氏の長男である昇氏がこう話す。
「父は20年間、宮内庁で責任ある仕事をしておりましたが、私が覚えている父は優しかった。時折、皇太子さまのご様子を本当にうれしそうに話してくれたことが思い出されます」


1996年5月28日 聖イグナチオ教会での山下和夫元・東宮侍従長葬儀に徳仁雅子夫妻で弔問
2005年4月8日 ローマ法王ヨハネ・パウロ2世追悼ミサ(東京カテドラル聖マリア大聖堂)に出席の徳仁、足元まで鮮明に移ったこの画像により秘密靴疑惑が濃厚になる秘密靴


平成18年10月30日(月)浜尾実氏葬儀当日の東宮家公務記録
皇太子同妃両殿下 ご接見(コスモス国際賞受賞者夫妻)(東宮御所)
皇太子殿下 ご臨席(第33回「日本賞」教育番組国際コンクール授賞式)(NHK放送センター(渋谷区))


葬儀に贈られた白菊花籠が徳仁単独名義であったことから、雅子が結婚前の浜尾氏による酷評に恨みを抱き「しかいし」したのでは、という見方もスレ住民奥様方によりされている。

『サンデー毎日』1993/6/13号<ご結婚直前“菊のカーテン”から漏れてきた 雅子さんへのブーイング>記事編集

pp.153-155より全文引用

太字箇所が小和田雅子に対する浜尾実氏感想部分である。

 ご結婚の直前になって、これまで聞こえてこなかった雅子さんへの批判が噴き出してきた。「控えめこそ美徳」という皇室。国際派のジューンブライドは、伝統と独特のしきたりの世界に果たして新風を吹き込むことができるのだろうか。
 
 今年一月十九日午後、元東宮侍従の浜尾実氏は、東京都内の自宅でテレビを見ていた。テレビの画面には、東宮仮御所で行われた皇太子さまと雅子さんの婚約内定記者会見の様子が映し出されている。
「雅子さんは実に美しい。おめでたいことだ」
 そう思った次の瞬間、浜尾氏は自分の耳を疑った。
「(殿下は)とても人間ができた方でいらっしゃる」
 雅子さんが、皇太子さまについて語った言葉だった。
 人間ができているというのは、親が子供に言ったり、先生か生徒に言うならわかりますが、皇太子さまに対しては、随分、失礼な言い方ですよ。「私がもし殿下のお力になれるのであれば、謹んでお受けしたいと存じます」というのも、皇太子さまとの関係をもう少しお考えになれば、別の表現になったはずです。
 美智子さまは八四年、ご結婚二十五周年の記者会見の際、天皇陛下の夫としての点数を尋ねられて、
「殿下(当時)のお導きがなかったら、私はなにもできませんでした。また東宮さまのご指示とお手本がなかったら、どうして子供を育てていいのかわかりませんでした。私も、もし差し上げるとしたら、お点ではなく感謝状を」
 とお答えになっている。それと比べれば、目下の者に対するような雅子さんの言葉に、浜尾氏は違和感を感じたのだろう。さらに、
「基本的には殿下と一緒ですが、私の言葉で一言付け加えさせていただければ・・・・・・」
 という役所的答弁の表現も浜尾氏は気になった。
 ちょっと生意気な女だなって感じはしますよね。とにかく、しゃべりすぎですね。聞かないことまで、話している。
 確かに、雅子さんはよく話した。この会見で、皇太子さまが話した時間は、九分九秒、これに対し、雅子さんは九分三十七秒。
 浜尾氏の指摘はまだ続く。
 東宮仮御所におふたりでいらっしゃって、車を降りたところで、カメラに向かって会釈なさった。そこまではいいんですが、それが終わって玄関に入られる時、雅子さんのほうが先を歩いて、さっさといってしまった。これは、やはり殿下の後ろを歩かなきゃいけないでしょ。
 浜尾氏がここでもとまどう。しかしこういう雅子さんの〝型破り〟な言動は、どこからくるのだろうか。浜尾氏が続ける。
 ボストンの高校とハーバード大学を出て、外交官だった。結局、アメリカ式なんですね。レディーファーストで先、歩いちゃうとか。思ったことなんでも言うとかね。アメリカではいいのかも知れないが、日本ではもう少し控えられたほうがいいんじゃないかな。
 そうは言っても雅子さんに対しては、ハッキリと自分の意見を述べることに好感を持ち、〝新しい皇室の風〟を期待した国民も多かったのは事実である。
「知っていても知らぬふり」を
 しかし、どちらかというと、宮内庁改革派の浜尾氏が、これだけ苦言を呈するのだから、皇族方や宮内庁内部、旧華族など、天皇家の藩屏を任じる周辺からの反発は、想像を超えるものがあるようだ。
 学習院女子部出身女性でつくる常磐会や旧皇族・華族のメンバーで構成する霞会館は、雅子さんについて、「皇太子さまご自身が選ばれた方ですから、いいんじゃないんですか」{常磐会幹部)
 と表向き歓迎の姿勢をみせているが、内情は大分、違うようだ。
 常磐会のある幹部はお妃が二代続けて学習院出身でなかったことが、いまでも悔しくて仕方がないようだ。
「常磐から出られたらよかったのに、という思いはあります。でも、どうにもならないでしょ。常磐から何人もお妃候補はありましたが、みんな逃げ出したんですよね。なぜって?それは、雙葉の方々より皇室をよく知っているからでしょ。誰だって知ったら逃げ出したくなりますよ。今の若い人にとって自由がないことか、どれほどのことか,よくご存じでしょうから」
 学習院は皇室に近い、だから皇室の不自由さを知っている,ゆえに皇室には入らない、という屈折した論理で、納得しているようにも聞こえる。もうひとりの関係者は、お妃教育を語ることで、雅子さんを批判する。
「お妃教育は相手に恥をかかせないことを、ポイントとして教え込まれます。知っていても知らぬふり。これはインテリの雅子さんには、難しいかもしれませんね。例えば、掛け軸を見ても、七字か、五字かを見て、「ああ絶句ですね」くらいにぼかして聞くんですね。おじぎの仕方なんかもね、おあがり(ご成婚)になる前と後では違うんですよ。おあがり後にあまり深々とおじぎされては周囲が困ってしまいますしね。雅子さんもそういうことは、いろいろお聞きになっていらっしゃるでしょ」
 上流社会の方の話はどうもオブラートに包んだようなものの言い方でわかりにくいのだが、要するにこの関係者は、雅子さんは「知らないふり」ができないし、礼儀がなっていないと言いたいようだ。
 霞会館の旧華族たちも同様だ。庶民の言葉に翻訳すると、
「雅子さんは、外側は日本人にみえるが、中身は外国人」
 という点に、批判か集中しているようだ。
 ただ、こうした人だちが皇室に与える影響カは、天皇、皇后両陛下が結婚された当時と比べれば、はるかに低下している。ご婚約に正面から異議を唱えるような力も気力も今ではなくなったようだ。雅子さんが気に病むほどのことはないだろう。それよりも、もっと深刻な話が聞こえてきた。これから親類付き合いしなければならない天皇家以外の皇族の間で不協和音が囁かれているというのだ。
 今年一月、皇太子妃内定の報道協定が解除された際、最も驚いたのは、他の宮家だった。宮内庁は解除が決まった時点で、次々に宮家に連絡を入れたが、一部の宮家には間に合わなかった。宮家が知る前に、テレビのニュースが流れてしまった。これに激怒したのが、三笠宮寛仁さまだったという。
「私が言わなければ、誰がいう」
 というお気持ちからかなり厳しい口調で宮内庁に抗議されたと、宮内庁関係者が明かす。
 そうした皇族の不満が如実に表れたエピソードもある。二月八日夜。赤坂御所で開かれた天皇、皇后両陛下主催の晩餐会は、雅子さんを親類一同に紹介するお披露目だった。天皇陛下の一番上の姉の故東久邇成子さんの子供、三番目の姉の池田厚子さん、妹の島津貴子さん、皇后さまの兄嫁、川嶋家、小和田家、天皇ご一家の方々が出席した。この時、天皇、皇后両陛下は全皇族と民間妃の親族を招待しようとしたが、秋篠宮さまを除き、皇族方は欠席された。
 これも、お妃内定時のしこりが尾を引いていたのだろうか。そして皇族方の反発にさらに拍車をかけたのが、「納采の儀は三月十七日」というNHKの報道だった。宮内庁は一旦は、この日を内定していたのだが、その時も皇族方が、
「われわれへの連絡がないうちに」
 と反発。それが元で、「納采の儀」は四月十二曰に延期されたという。
 天皇家と皇族方のこのようなもやもやした状態は、ご結婚の当日まで持ち越されそうなのだ。雅子さんにとって救いなのは、皇族方の不満が今のところ、直接、雅子さんに向けてのものではないと、みられることだ。
「宮家のみなさんがいわれるのは、陛下と皇后さまはなんでも自分の家族を大事にされるファミりー主義で、公私のけじめがつかない、ということのようです」
 と、宮内庁関係者は証言する。
「積極性」が裏目に出ることも
 が、雅子さんが、皇太子妃となり、皇室に入れぱ皇室の一員としての立ち居振る舞いが注目され、それがまた、〝批判〟の対象になることは、間違いないだろう。
 美智子さまは、皇室の中でたったひとりの民間出身者として苦労されたことは、元侍従長の入江相政氏の日記などで描かれている。雅子さんには、美智子さまという味方がいるものの、才媛であればあるほど、外国生活の経験か長けれぱ長いほど、宮中で求められる妃の「礼儀作法」は、厳しい目で見られる可能性が高いのだ。
 宮内庁関係者は、雅子さんが結婚時に、比較的高齢であることを最大の心配事として挙げる。
「紀子さまのように、とにかく、若くて順応性のあるうちに、お妃になったほうがいいんです。ところが、雅子さんは、いい大人で、人格形成がされてしまっている方でしょ。こちらに合わせるのではなくて、自分の考えを貫くということなら大変ですよ。皇室外交で、なにかしようなんて考えていたら、とんでもない。天皇家というのは、ひたすら国民の幸せを祈る。それだけなんです。皇太子さまがどれだけ雅子さんをリードできるか、ですね」
 浜尾氏も、雅子さんの外交官としてはプラスに評価された積極性が裏目にでないか、という点を心配する。
 宮中では、慎み深すぎるぐらいでちょうどいいんです。ただでさえ、目立つ存在ですからね,なるぺく皇太子さまをお立てすること。皇太子さまの前を歩いてはいけないとか、記者会見では、皇太子さまが三言おっしゃったら、雅子さんは一言ぐらいと。控えめ、控えめにやってほしいですね。
 しかし今、宮内庁には、浜尾氏のような辛口の臣下はいないという。
 東宮大夫とか、東宮侍従長とかが、時には嫌な顔をされても苦言、忠言を申し上げないといけない。でも、みんな自分がいい子になりたいですからね。そういう人がいないと、結局、雅子さんがご不幸なんですがね。
 雅子さんが記者会見で語った「皇室という新しい道で自分を役立てること」ができるかどうか,それは、ひとえに天皇家や宮内庁が平成のロイヤルファミリー像をどのように築いていくかにかかっている。
   本誌・皇室取材班

YOUTUBE 浜尾実さん皇太子様の人格否定発言を語る「ちょっとそれは少し 宮さま おっしゃり過ぎじゃないですかと申し上げたいですね」編集

浜尾実さん皇太子様の人格否定発言を語る
http://jp.youtube.com/watch?v=As3BxLxm9FI

50秒から書き起こし
ナレーション:浜尾さんに問題の(人格否定発言)記者会見を見ていただいた。
浜尾実氏   :皇太子さまは随分地味なネクタイをしてらっしゃるね。
インタビュアー:そうですか?
浜尾実氏   :ええ。
         随分、あのちょっと、顔がこわばってらっしゃいますね、皇太子さま。
インタビュアー:そうですか?
浜尾実氏   :ええ。緊張してらっしゃるんじゃないんでしょうかね。
人格否定会見映像の徳仁:「それまでの、ま、雅子のキャリアや、まそのことに基づいた、ま、雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実です」
浜尾実氏   :どういう意味かな、人格を否定するって。
         慎重な皇太子さまにとっては、珍しく思い切って発言をなさいましたね。
         いつも前例前例って言ってる宮内庁に対する挑戦じゃないでしょうかね。
インタビュアー:やはりそれは雅子さまを気遣って…
浜尾実氏   :(雅子さまを)非常に気遣ってらっしゃいますね、はい。
インタビュアー:小さいときから、浩宮さまとして、皇太子殿下を見ていた浜尾さんとしては、どうなんでしょう?
浜尾実氏   :ちょっとそれは少しあの、宮さま、あのおっしゃり過ぎじゃないですか、って申し上げたいですね
         非常に個人的な事をお話しになってますね、随分とご発言になってますね
インタビュアー:浜尾さんはこんなときに側にいてあげられたらと…
浜尾実氏   :思いますね。
インタビュアー:なんか浜尾さん顔つきが、心配な顔つきになってきたんですけど(笑)
浜尾実氏   :そうですね、はい。
ナレーション:それは事情に詳しい者ほど、衝撃の強い会見だった。

YOUTUBE 浩宮様と浜尾実さん(大阪万博について)編集

1972年4月15日放送「ぼくら一年生」引用映像あり、浩宮が大阪万博(とてつもない混雑・行列は歴史に残るほどである)訪問で同じアトラクションに二度乗りたがり、それを許してしまうエピソードも。
http://jp.youtube.com/watch?v=SIl3AIvPELw

5分15秒あたりから
女性司会:昭和45年大阪で開かれた万博。
浜尾実 :いろいろなところをお供しておりますとね、帰ってから、浜尾さんああいうものがあったね、あれはよかったねとか、面白かったねと、いろいろおっしゃってくださるんですけども、実は私は見てるようなふりをして全然見てない(笑)宮さまのことが心配で、怪我をなさらないだろうか、転ばれないだろうか、少し寒くて風邪ひかれないだろうかとかいうことばかり気にしておりますのでね。ほとんど憶えてないんです。
女性司会:大変ですねえ。
浜尾実 :(笑)
女性司会:本当あの、浩宮さまは本当に子供らしいというか、嬉しそうですね。なんかこれあの待望の(浩宮がボートアトラクションに乗っている映像について)、2回お乗りになられたんでしょ。
浜尾実 :一度というお約束だったんだけども、「浜尾さんもう1回いいでしょ」とおっしゃって2回お乗りになったんですね
女性司会:それであんな嬉しそうな。
浜尾実 :これは番外なんです(笑)

女性自身別冊・1971年4月皇室特集号より、浩宮「浜尾さんの家は地震になったらつぶれるネ。ぼくの所は鉄筋だから大丈夫だよネ」編集

 いつのことだったか、浩宮が浜尾さんの官舎へ遊びに来られたとき、とつぜん、
浜尾さんの家は地震になったらつぶれるネ。ぼくの所は鉄筋だから大丈夫だよネ
 と言われたことがあったそうだ。それは子供らしいとっさの感じを親しみの中で言葉にされたのだろうが――正直のところ雨漏りのする官舎である。

いわゆる皇室内での「美智子妃いじめ」に反論する浜尾実氏編集

週刊女性 1985年8月13日号<『美智子妃いじめ』の真相!!公表された“いじめ”の数々と浜尾実さんの反論>表紙
週刊女性 1985年8月13日号<『美智子妃いじめ』の真相!!公表された“いじめ”の数々と浜尾実さんの反論>目次
記事未確認

浩宮と浜尾実東宮侍従(当時)画像編集

1967年10月 大日本印刷を視察、山口主任技師の説明を聞く7歳の浩宮。後ろ右端は同社北島社長。浜尾実侍従が後方に控える
学習院初等科に登校する浩宮と「オーちゃん」こと浜尾実東宮侍従
1970年4月 大阪万博を兄弟二人だけで見学する浩宮と礼宮(赤服コンパニオンの後列左端は浜尾実侍従)
浩宮はこの大阪万博で「一回だけ」の約束だったアトラクションに「もう一度乗りたい」と言い張り、同行した養育係の浜尾侍従がそれを許してしまう事件が発生。兄弟が行く先々は当然警備で閉切り、待たされたり利用を制限された一般人もいた。

ヤングレディ 1969年9月22日号<シリーズ結婚20 夫にかやのたたみ方から教わったクリスチャン妻十八年 痛快家族・浜尾実侍従(浩宮の養育係)夫妻と五人の子ら>表紙・目次
週刊女性 1971年4月17日号<東宮を去った日の浜尾さん ご兄弟を抱きしめて男泣き…>表紙・目次
浜尾実『皇太子さま雅子さまへのメッセージ』表紙 / 同帯つき画像

ナルちゃんが2才のころだったかな、積み木をなめ続けるのを止めるのに対応しきれなくてナルちゃんの口に積み木を押し込んだ この話を得意げに語る浜尾さんに哀れを感じたわ。編集

Part3081-519 可愛い奥様@無断転載は禁止 sage 2016/03/21(月) 12:47:17.39 ID:sNcshcQe0
>単なる子守とか医療従事者でなく春日局に近い人が浜尾さん。

これ、違うと思う。
浜尾さんはちょっと勘違いっぽいところがあって最後は職員の間でも浮いてしまった
のね、お気の毒に。
ナルちゃんが2才のころだったかな、積み木をなめ続けるのを止めるのに対応しきれなくて
ナルちゃんの口に積み木を押し込んだ この話を得意げに語る浜尾さんに哀れを感じたわ。

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