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柏原芳恵

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昭和後期の女性アイドルタレント。1986年10月19日浩宮(当時26歳)が薔薇「プリンセス・サヤコ」を一輪携えコンサート会場に訪れ鑑賞したことは非常に大きく報じられ、後々になっても語り継がれている皇太子浩宮徳仁最大のエピソードといっても過言ではない。徳仁の非常にミーハーな性格がよく分かる事件であった。
この柏原芳恵氏コンサート前日である18日、スペイン王女レセプションパーティに飛び込み参加した小和田雅子と浩宮が「運命の出会い」を果たしているのであるが、雅子の存在は当時全く世に取り上げられず、とにかく芳恵ちゃんコンサート鑑賞事件が世間に大きなインパクトを与えていた。

後に柏原芳恵氏については「空港バイブ事件」なる都市伝説が日本全国にいきなり広まることになるのだが、まだネットも未発達な時代にそんな情報を全国規模で流すことができたのは創価学会ぐらいじゃないか、そして小和田家と創価学会の関わりあれこれがあることから、張り切って浩宮と小和田雅子の「運命の出会い」を演出したのに完全スルーされた小和田サイドがせんべいを使ってしかいししたんじゃないかとも囁かれている。

1986年10月、18日浩宮と小和田雅子「運命の出会い」と、19日柏原芳恵嬢コンサート鑑賞関連画像集編集

『FOCUSフォーカス』1986年10月17日号表紙と目次:浩宮と小和田雅子が揃って同じ写真誌の同じ号に掲載される。
 <その夜の浩宮さま――渋谷のハウスレストランでご学友と“グルメ”>はっきりいってどーでもいい浩宮外食記事
 <外交官に「清原級」ルーキー――ハーバード出身小和田雅子さんの完全無欠>記事
1級位の実力
1986年10月18日、スペイン・エレナ王女歓迎パーティーにて浩宮と小和田雅子の二人が出会う。小和田雅子は名簿に手書きで名前を書き加え急遽飛び込み参加という事実が複数皇室ジャーナリストによる書籍で確認できる。二人はこの以前'84年仏アルザスで会っているという記事も存在するが、公的にはこの10月18日エレナ王女パーティが二人の初めての出会いということになっている。そしてこの翌19日には世に知られる浩宮の柏原芳恵コンサート鑑賞があった。

FOCUSフォーカス 1986年10月31日号<浩宮さま「公私」二つの顔――スペイン王女歓迎と柏原芳恵リサイタルの落差>モノクログラビア、右ページ:1986年10月18日スペイン・エレナ王女歓迎パーティに出席する浩宮/左ページ:19日柏原芳恵リサイタルに薔薇持参でお出ましの浩宮

1986年10月19日 小和田雅子との公式初出会いとされるスペイン王室エレナ王女パーティーの翌日、新宿区厚生年金会館で開かれた歌手・柏原芳恵のデビュー7周年リサイタルにバラの花を持参して駆けつけた浩宮当時26歳
1986年10月19日 東京・新宿の厚生年金会館で開かれた歌手柏原芳恵さんのデビュー7周年リサイタルを鑑賞した浩宮。写真は、出迎えた芳恵さんと一緒に会場に入る満面にっこにこ笑顔の浩宮(amanaimages)
1986年10月19日 柏原芳恵リサイタルにて一輪の薔薇を贈る浩宮 ようつべキャプチャ連結画像
朝日新聞 1986年10月20日朝刊14版<美智子さま52歳お元気に公務再開 / 芳恵さんバラをどうぞ 浩宮さまリサイタルへ>記事

朝日新聞1986年10月20日朝刊14版p.22より引用
芳恵さんバラをどうぞ 浩宮さまリサイタルへ
 浩宮さまは十九日午後、東京・新宿の厚生年金会館で開かれた歌手柏原芳恵さんのデビュー七周年リサイタルを楽しまれた。
 ご自身が柏原さんのファンで、英国留学中は自室に写真をはっておられたといわれ、主催者からのお願いに応じられた。
 白黒のツートンカラーのセーター、ベージュのズボンという気軽な服装で劇場に着かれた浩宮さまは、お出迎えの柏原さんからレコードや写真集を受け取られると、お返しに、用意された一輪のピンクのバラを贈られた。このバラは五十七年に来日したミッテラン仏大統領から皇太子ご一家に「プリンセス・サヤコ」と命名されて贈られた新品種で、東宮御所の庭に植えられたもの。同日朝、切り取ってお持ちになったという。

EMMAエンマ 1986年10月29日号<浩宮様が“あこがれ”の柏原芳恵リサイタルへ>表紙・目次
EMMAエンマ 1986年10月29日号<あの「ファン宣言」から幾年月。浩宮様がようやく柏原芳恵のリサイタルに>グラビア記事
TOUCHタッチ 1986年11月4日創刊号<浩宮さまがあこがれの「女性」柏原芳恵とご対面>表紙・目次・カラーグラビア記事
週刊明星 1986年11月6日号<感激!柏原芳恵「浩宮さまの手はとってもやさしかったです」>表紙・グラビア
週刊明星 1986年11月6日号<浩宮さまが大ファンの柏原芳恵のリサイタルに! / 芳恵が浩宮さまとの感激の2時間半を独占手記>目次
女性セブン 1986年11月6日号<ワイド 浩宮さまと柏原芳恵 お互いに「ポッ」>表紙・目次
週刊平凡 1986年11月7日号<開かれた皇室にまた新しい一ページが…浩宮さまが柏原芳恵に真心こめて贈った一輪のバラ>表紙
FRIDAYフライデー 1986年11月7日号<浩宮さま 柏原芳恵リサイタルで「バラ1輪」>表紙・目次
女性自身 1986年11月11・18日号<浩宮さまと“接近遭遇”の柏原芳恵 緊急独占インタビュー>表紙
FRIDAY SPECIALフライデースペシャル'86下期総集編 1986年12月25日増刊号<礼宮さまはご自慢の100万円のワーゲン駆って 浩宮さまはアイドル歌手のショーで初手拍子>記事運転免許証
『フォト・ドキュメント 浩宮さまのとっておき会話 お誕生から、ご婚約へ カッパ・ホームス 松崎敏弥(著)光文社 1987年1月31日』表紙・(僕はこの人のファンです)柏原芳恵さんとのエピソード記事一部

スペイン・エレナ王女歓迎パーティーで小和田雅子と「運命の出会い」をした翌日、ミーハー徳仁大喜びの出来事である。

サンデー毎日 1986年11月9日号<にんげんワイドスペシャル 浩宮妃 「うわさ」の22人のお家柄〈全家系〉>白いポロシャツ姿でテニスに興じる浩宮表紙・目次・記事一部
(1)石橋家と明子さん (2)北白川家と尚子さん (3)北野家と裕子さん (4)草刈家と智子さん (5)久邇家と晃子さん] (6)小林家と詔子さん (7)坂本家と敦子さん (8)真田家と治子さん (9)渋沢家と肇子さん (10)島津家と彩子さん (11)島津家と智子さん (12)清水家と美佳さん 13)住友家と愛子さん (14)瀬川家と祥子さん (15)竹田家と浩子さん (16)徳川家と恵子さん (17)徳川家と冬子さん (18)服部家と聡子さん (19)伏見家と雅子さん (20)古河家と美佐子さん (21)三井家と智子さん (22)三井家と史子さん
……この当時、小和田雅子の名前は全く挙がっていない。

TOUCHタッチ 1986年12月9日号<浩宮さまが柏原芳恵に贈った「バラ」のその後/浩宮さまとの握手に沢口靖子は大感激 沢口靖子を感激させた浩宮さまの「ご清潔な手」と“開かれた皇室”を象徴する一輪のバラのゆ・く・え>目次・グラビア
TOUCHタッチ 1986年12月9日号<浩宮さまが柏原芳恵に贈った「バラ」のその後/浩宮さまとの握手に沢口靖子は大感激>表紙・目次
スペイン・エレナ王女歓迎パーティーで小和田雅子と「運命の出会い」をした翌日、ミーハーナルちゃん大喜びの出来事についての約1ヶ月半遅れの記事。沢口靖子についても記事にされるが、小和田雅子との出会いについては当時完全スルー。
FRIDAY SPECIALフライデースペシャル 1986年12月25日増刊号<系図つき お妃選考がヤマ場に 「噂の令嬢」最終5人の家系・家柄 礼宮さまはワーゲン 浩宮さまは柏原芳恵>表紙・目次運転免許証

2016年12月12日放送「徹子の部屋」に柏原芳恵出演、ここでも徳仁コンサート来場と贈られたバラが話題に編集

http://www.hochi.co.jp/entertainment/20161212-OHT1T50169.html
柏原芳恵、皇太子さまにいただいた赤いバラ「原色ドライフラワーで家宝にしています」
2016年12月12日13時52分 スポーツ報知
 歌手の柏原芳恵(51)が12日放送のテレビ朝日系「徹子の部屋」(月~金曜・正午)に出演。1986年のコンサートに来場された皇太子さまからいただいた赤いバラを30年たった今も「家宝」にしていることを明かした。
 黒柳徹子(83)から「皇太子さまが、あなたの大ファンでいらっしゃって、赤いバラを持ってコンサートに行かれたのよね」と聞かれた柏原。「原色ドライフラワーにして部屋に飾ってあります。今でも家宝です」と照れ笑い。色が鮮やかで姿かたちも生花に近い状態で乾燥させるドライフラワーとして、30年たった今も大切に保管していることを明かした。
 かねてから柏原のファンであることを明かされていた皇太子さまは86年10月19日の柏原のコンサート「おんな飛翔」に来場され、柏原に赤いバラ「プリンセス・サヤコ」を贈呈。柏原は返礼としてサイン入り写真集を贈っていた。
 1980年、15歳でのデビューから36年を経ても美貌が衰えない柏原に黒柳も「10代で『ザ・ベストテン』で会ってから、何十年たっても、あなた、変わらないわね~」と驚きの表情。「スイッチが入ると、スポーツクラブで1時間泳いだり、筋トレしたりしますけど、そうでない時はフニャフニャしてますよ」と柏原は笑顔で答えた。
 プライベートではオーストラリア・サハリラリーにドライバーとして参加。9日間、6500キロの過酷なレースを完走。また、柏原の大ファンであることを公言している香港のトップ歌手、ビビアン・チョウの招きで行った香港で大人気となり、現地コンサートで喝采を浴びる様子など、様々な素顔を明かしていた。

参考:ミーハー徳仁ご所望によって対面することになったハリウッド女優ブルック・シールズ氏関係画像編集

  • 1985年10月 英国留学を終え、浩宮はわざわざ帰路米国に立ち寄り、女優ブルック・シールズ嬢と会いにプリンストン大学訪問【浩宮徳仁伝説

FRIDAYフライデー 1985年11月1日号<2年余の英国留学終え独身最後の感傷旅行「浩宮さまinアメリカ」は100%リラックスして>記事、プリンストン大学視察とはブルック・シールズと会うためである
スクリーン 1986年1月号<浩宮さまがブルック・シールズと感激のご対面>記事

ニュース速報+板:【皇室】雅子さまがウイルス性胃腸炎 2、3日静養★2
477 名無しさん@12周年 2012/01/14(土) 10:55:25.20 ID:9Dsovjih0
浩宮がブルックシールズに会うまでの経緯
 
オックスフォード留学中、ご学友に一族全員オックスフォードという秀才K君がいた。
K君の兄はオックスフォードで教鞭を執っていた。
K君の兄がアメリカのプリンストン大学に移転することになった。
プリンストン大学にはブルックシールズが在籍していた。もちろん一学生として。
その情報を知った浩宮、K君に拝み倒し、K君兄にブルックと面会できるよう
取り計らってもらう。
オックスフォード留学からの帰途、なぜかアメリカを経由し、
プリンストン大学に行きブルックとの面会を果たす。
ブルックにしてみりゃ、なんでいきなり私に会いに学校に来るの?って( ゚д゚)ポカーン。
 
つまり、友達の兄ちゃんが先生やってる学校に憧れのスターがいるから会わせろとゴネた。
ひでぇww


ザ・テレビジョン 1987年11月14-20日号No.46<“悩殺”を印象づけたシールズの来日>記事、「浩宮さまが大のブルック・ファンであるのも有名。」の一文あり


  • 1990年10月25日 来日中だった女優ブルック・シールズを浩宮が宮内庁を通じて私的に東宮御所に招いてご対面(FOCUSフォーカス11/9号がソース)

FOCUSフォーカス 1990年11月9日号<皇太子が密かに招かれた美人女優―ブルックシールズとの5年ぶりの再会>表紙・目次・記事
浩宮英国留学当時の部屋に貼られていたブルックポスターの横はシドニー・ポラック監督、ジェーン・フォンダ主演「ひとりぼっちの青春」(1969米)ポスターが。ナルちゃんはブルックの他にジェーン・フォンダもお好きだったようである。
FOCUSフォーカス 1990年12月21・28日号<ブルック・シールズが「皇太子妃」!?――本誌記事を発端にした“珍説”世界への広まり方>記事

参考:ミーハー徳仁は、当代きっての歌姫・中森明菜の写真とサインもご所望編集

女性自身 1987年5月12・19日合併号<明菜(21)感激! 浩宮さまが“隠れファン”だった! 望まれて「写真とサイン」をプレゼント! / 浩宮さま お妃候補50人のリストからなぜか22人が消えていた!>表紙
女性自身 1987年5月12・19日合併号<発掘スクープ!…いま、初めて伝わってきたほほえましいエピソード 明菜(21)が感激! 浩宮さまが“隠れファン”だった!>記事一部
イギリス留学の直前に、殿下はサインと写真をご所望に明菜はそれに応え特別撮影の和服姿のポートレートとサインを贈ったという。

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