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東宮一家が静養移動での利用時に、出発を遅らせたことが二度(2004年9月24日、2005年9月6日)あることで知られている公共交通機関。敬宮愛子ちゃんの足取りが遅かったことがその理由、要するに全部愛子の所為だとされているが、駅まで信号操作しノンストップで完璧スムーズな車移動ができる皇室特権を持ちながら、余裕を持たせて数分の調整すらできない東宮一家のgdgd振りは理解に苦しむところがある。

http://www.47news.jp/CN/200409/CN2004092401003915.html
皇太子ご一家、那須入り 雅子さま「治療の一環
 皇太子ご一家は24日夕、静養のため栃木県那須町に入られた。長期療養中の雅子さまは今春、長野県軽井沢町に滞在して以来の転地静養。
 東北新幹線で那須塩原駅に着いたご一家は、居合わせた人々に3人で手を振って応え、車に乗り込んだ。
 宮内庁は「妃殿下のこうした外出は治療の一環。現在は回復に向かうかどうかの極めて重要な時期にある」(林田英樹東宮大夫)として、映像取材を那須塩原駅での代表撮影に限定。帰京日を報じないよう報道各社に求めた。
 東京駅ではコンコースからホームにかけて数メートルおきに私服、制服の警察官が立ち並ぶ厳戒態勢。愛子さまが歩くのを嫌がったため皇太子さまが抱いて列車に乗り込み、新幹線の出発が定刻より1分遅れた。

2004/09/24 10:16 【共同通信】

週刊アサヒ芸能』2006年2月16日号<雅子妃「離婚報道」で飛び交う皇太子一家の「深刻孤立」>
p.41より引用
 今春から学習院幼稚園の入園が決まった愛子さまのご養育を巡っても、こんな場面が見られた。
昨年(=2005年)9月、奥志賀高原でご静養された際、新幹線でご帰京されたのですが、専用列車の発車が2~3分遅れたのです」(前出・担当記者)
 その理由は、愛子さまをホームで歩かせたためだという。これは抱きグセをつけないためなのだが、専用列車とはいえ、ダイヤへの影響は避けられない。
 皇室ジャーナリストの河原氏が語った「天皇陛下誕生日中座事件」も、雅子妃と離れたくないとむずがる愛子さまに付き添ったための「事件」だった。

抱き癖云々の言い訳は、雅子による「駅弁抱っこ」画像が多数存在することで完全に説得力を欠いていることが明らかである。下手な嘘も大概にしてほしいものである。

参考:【おむずかり】、【駅弁抱っこ

小和田雅子の遅刻エピソード編集

1988年4月25日 東京都文京区の外務省研修所に遅刻して駆け込む小和田雅子、入省した翌年4月のことである。

天皇家のユーモア―あんなジョークも!こんなシャレも!!』 「女性自身」皇室取材班/編著(2005年)
p.124より引用
小和田雅子さん、お早くご搭乗ください
 雅子さまが“お妃候補”のひとりとしてマスコミに浮上したのは昭和61年(1986年)である。以来つねに注目されつづけてきたが、「皇太子さまがのぞんで何度も会われたのは小和田雅子さんだけ」という情報が確度を増して、平成3年の暮れには「皇太子妃には小和田雅子さんしかいない」とささやかれるようになった。
 当時、雅子さまは外務省の職員。その雅子さまが、この年の末にプライベートな休暇をとってハワイに旅行するという情報をつかんだ『女性自身』皇室記者は、成田空港に向かった。そこで目撃したのが、なにかのアクシデントで遅れたらしい雅子さまがあわててサテライトに駆け込んでくる姿だった。紺のストールを肩に、急ぎ足でサテライトをいく雅子さま。そのとき、その名を呼ぶ空港のアナウンスが…。
 なんとか駆け込みセーフで、雅子さまは無事に常夏のハワイに旅立ったが、こんなエピソードも、いかにもバリバリのキャリアウーマンだった雅子さまらしいもの。「子供のころは、けっこう慌て者だった」という同級生の声にもナットク?

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