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敬宮愛子ちゃん

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20161201aiko.jpg

敬宮愛子内親王

全名 愛子
身位 内親王
出生地 東京都 千代田区・宮内庁病院
出生日 2001年12月1日(15歳)
学校 学習院女子中等科
部活 無所属
通称 愛子、アイボ
得意教科 英語
苦手教科 作法、数学、理科

皇族教育の伝統を持つ学習院が、2006年4月11日学習院幼稚園入園式において、公式に「ちゃん」付けで東宮家内親王を呼んだ事実を示す言葉。
なお、紀宮清子内親王、秋篠宮家眞子・佳子両内親王は、学習院幼稚園サイドから「ちゃん」付けで呼ばれた事は無い(後述)。

愛子当人についての様々なエピソードについては、下記参照項目を確認されたい。
参照:【優秀伝説】、【愛子の( ゚д゚)ポカーンな発言シリーズ】、【長瀞事件】、【かまぼこ事件】、【山中湖事件】  【ネ、ペ】、【おむずかり】、【木乗せ】、【シャネル足】、【補助輪付き自転車】、【木乗せ】、【自然】、【もうしょうがないね】、【ダブルリード】、【ありがとうは言わないもん】、【開き紙】、【ポイ】、【チャッキー】、【イタリア製の粘土】、【やめろよ】、【トンボと白百合の写真】、【フラフープ】、【着袴の儀】、【スティッキー】、【モップ姫】、【向き合われた】、【緊張】、【囁きティーチャー】、【駅弁抱っこ】、【光ポーズ】、【私は感じ取ることができます】、【ゴニョゴニョ】、【病弱】、【リーダーシップ】、【不登校】、【胸倉掴み】、【プール授業】、【チィーッス】、【イケメン君】、【のび太君】、【後ろ手】、【シート】、【テファニー】、【逆さバイバイ】、【親衛隊】、【ダッシュ】、【マスク】、【らっぱ飲み】、【ごみ事件】、【リヤカー】、【Friend】、【右膝】、【歯並び】、【逆パンダ

称号・名前「敬宮・愛子」が決定された経緯編集

「敬宮愛子」という称号・名前については、徳仁雅子がこの名にしたいという希望意見を選定に関わる学者に伝え、相談を受けた陛下がそれを了承・決定し授ける形式をとっており、実質的には徳仁雅子が決めたものである。


朝日新聞<雅子さまご出産>特集より、2001年12月7日命名の儀について
http://www.asahi.com/national/birth/K2001120700396.html
お名前は「敬宮愛子(としのみや・あいこ)」さま
皇太子ご夫婦のお子さまの名前「愛子」と称号「敬宮」を発表する岡弘文・宮内庁総務課長=7日午前10時37分、宮内庁で(代表撮影)
 皇太子ご夫妻の初めてのお子さまに7日、名前と称号が付けられた。称号は「敬宮(としのみや)」、名前は「愛子(あいこ)」と決まった。一般のお七夜にあたる日に行う「命名の儀」があり、天皇陛下が決めて、皇太子さまに伝えられた。ただ、陛下には皇太子ご夫妻の希望が事前に伝えられたという。命名を受けて皇居・宮殿では正午前から、小泉純一郎首相をはじめ三権の長らが天皇、皇后両陛下と皇太子さまにお祝いを述べた。
 午前10時36分、宮内庁の岡弘文総務課長が同庁3階の講堂で、「12月1日ご誕生になった内親王殿下は、御名(おんな)を愛子と命ぜられ、敬宮と称されます」と発表した。
 同庁によると、名前と称号の出典は「孟子」の「離婁章句下(りろうしょうくのげ)」で、該当個所は広く人間社会で修養すべき基本的道徳を述べ、敬と愛の重要さを説いたくだりという。
 天皇陛下が名前と称号それぞれの候補が書かれた紙につめで印を付けるのが古来の習わしだ。
 宮内庁によると今回の名前、称号の候補は、3人の学者が協議して選んだが、その過程で両親の皇太子ご夫妻の意見が反映され、最終的にそれぞれ三つに絞られ、ご夫妻が両陛下と相談しながら決めたという。それを「陛下からいただく」形をとったという。
 名前は、皇太子ご夫妻の名前、生まれた日時などとともに、天皇家の戸籍簿である「皇統譜」に登録される。
 同庁によると、命名の儀は午前9時50分に始まった。皇居・宮殿の表御座所で、天皇陛下が湯浅利夫・宮内庁長官に名前を贈る旨を告げ、名前と称号それぞれを大高檀紙(おおたか・だんし)に書いた「名記(めいき)」を同長官が渡辺允侍従長に渡した。
 名記は金の菊の紋が入った黒塗りの箱に収められ、渡辺侍従長は天皇陛下の使者として東京・元赤坂の東宮御所へ出向いて古川清東宮大夫に伝達。午前10時半すぎ、皇太子さまが名記を見て儀式は終わった。
 名記はその後、皇居内の宮内庁病院へ運ばれ、東宮女官から雅子さまに伝えられ、「守り刀」などと一緒に赤ちゃんのまくら元に並べられた。
 「命名の儀」終了後、衆参両院議長が天皇陛下と皇太子さまに国会を代表して賀詞を渡した。
(12/07)


サンデー毎日 2001年12月23日号<雅子さまご出産「敬宮愛子さま」命名までの密着報告>記事
p.155より引用
両陛下は、実質的な名・称号の決定は、皇太子ご夫妻に任せ、ご夫妻が選んだ名・称号を従来の宮中の手続きにのっとって授けるという形を採った。

「敬宮愛子」という称号・名前についての天皇陛下の考え編集

関連質問
問1 2番の内親王ご誕生に関連してですが,敬宮愛子様のご命名について,陛下は,選ばれた漢字と読み方についてどのような感想を持たれているかということと,今回,皇太子ご夫妻が実質的にお決めになったというふうにお伺いしていますが,陛下がご自分のお子様を命名されたときのことも踏まえながら,今回,どのようなお考えで,ご夫妻に委ねられたのかということを併せてお願いします。
天皇陛下
皇太子夫妻が一所懸命に考え,また,勘申者の意見も聞きながら考えたことで,名前というものは,やはり両親が最も深くかかわることが望ましいと思っております。ですから,そのような過程が一番良いのではないかと考えて,そのようにしました。私どもの場合においても,内々相談はありまして,昭和天皇もそのような形でお決めになっています。それでよろしいでしょうか。
 
問2 お名前の漢字と読み方について陛下のご感想は。
天皇陛下
それはさっき言ったように,皇太子夫妻がこれが非常に良いと考えていたと,一所懸命考えたこと,これはやはり良い名前であると考えるべきなのではないかと,こう思っているわけです。例えば,秋篠宮の時も相談を受けましたけれども,やはり今考えてみると,良い名前が付いたのではないかと,こう思っています。名前というのは,段々使っていくうちに,親しみを持ってくるのではないでしょうか。

「敬宮愛子」と決定したのは徳仁雅子夫妻であるとはっきり分かる陛下のご説明である。
「これはやはり良い名前であると考えるべきなのではないかと,こう思っているわけです。」
とは、東宮家長女の名前に対する実に微妙な評価である。
一方「私ども」=天皇皇后両陛下の皇太子同妃両殿下時代・昭和天皇・秋篠宮については、内々にそれぞれ当時の天皇に相談をしているとも述べられている。

 

学習院幼稚園入園式で「敬宮愛子ちゃん」と呼ばれた事件編集

下記の通り、幼稚園入園式で本当に「ちゃん」付けで呼ばれてしまっている事実が複数報道ソースで確認できる。いくら子供とはいえ式典の場にて皇族を呼ぶのに「~ちゃん」付けは嘆かわしいというのが大方のスレ住民の見解である。同じ学習院幼稚園入園式でも年齢の近い秋篠宮家佳子内親王殿下は「ちゃん」付けされておらず、何故愛子は「ちゃん」付けになってしまったのか、「ちゃん」付けでないと愛子が自分が呼ばれたことが認識できないからか?という推測もスレ住民奥様方の中にある。

入園式における愛子についての“ごく自然で すばらしい お嬢ちゃまです”
“返事は「ばうわい」というより、「あ"う!あい!」という感じでした”は【自然】参照。

この当時はそれでも「敬宮」を使ってもらっていたが、時が経つごとにその使用頻度は激減し、「敬宮」という表現を東宮一家ニュースで目にすることはほとんどなくなっている。

山陽新聞 2006/4/11 ttp://www.sanyo.oni.co.jp/newspack/20060411/20060411010011881.htmlほか

愛子さまが入園式 皇太子ご夫妻出席
皇太子家の長女愛子さま(4つ)は11日、皇太子ご夫妻とともに学習院幼稚園(東京都豊島区)の入園式に出席された。小学校入学までの2年間通園する。
愛子さまは制服、制帽姿。肩掛けと手提げの通園かばんには犬の刺しゅうがあしらわれていた。両親に手を引かれ、時折笑顔を見せて式の会場に到着。出迎えた園長にあいさつした。
宮内庁東宮職によると、午前10時からの式では園長が新入園児約50人の名前を一人一人読み上げ、「敬宮愛子ちゃん」と呼ばれた愛子さまは「はい」と元気よく返事して立ち上がった
式後は2組に分かれて、それぞれの保育室に親子で移り、担任の先生や友人と顔を合わせた。愛子さまは、3月に幼稚園のひな祭りに出席して入園に備えていた。


※参考:2ちゃんニュー速+板スレッド:【皇室】愛子さまが学習院幼稚園の入園式に出席・「敬宮愛子ちゃん」と呼ばれ「はい」と元気よく返事

読売ONLINE 4月11日 ttp://www.yomiuri.co.jp/national/news/20060411i404.htm

元気よく「はい」…愛子さま、幼稚園入園式
皇太子ご夫妻の長女、愛子さま(4)が11日午前、東京・豊島区の学習院幼稚園に入園した。
ご夫妻に手を引かれた愛子さまは、時折笑顔を見せながら、初々しい紺の制服姿で登園。小山久子園長が出迎える中、2匹の犬の刺しゅうが施された手作りの手提げかばんと肩掛けかばんを身につけ、園舎に入った。
この日、入園した園児は男女26人ずつの計52人。宮内庁によると、入園式では園児一人一人の 名前が小山園長から読み上げられ、「敬宮(としのみや)愛子ちゃん」と呼ばれた愛子さまは、元気よく「はい」と答えて立ち上がったという
ご一家はこの日夕方、皇居・御所を訪ね、天皇、皇后両陛下に入園のあいさつをされる予定。
愛子さまは、昨年4月から1年間、東京・渋谷区の児童施設「こどもの城」で同年代の子どもらとグループ活動を経験。今年3月には「入園前の社会体験」(宮内庁)として、ご夫妻とともに千葉県浦安市の東京ディズニーリゾートを訪問するなどしていた。

NHKオンライン 04/11 12:25 ttp://www3.nhk.or.jp/news/2006/04/11/d20060411000073.html

愛子さま 学習院幼稚園に入園
東京・目白の学習院幼稚園の入園式は午前10時から始まりました。愛子さまは、紺色の制服に帽子をかぶり、2匹の犬の刺しゅうがついた肩掛けかばんと犬やちょうちょの刺しゅうをあしらった手提げかばんを持って、皇太子ご夫妻と手をつないで幼稚園に向かわれました。愛子さまは、時折笑顔を見せながらおよそ80メートル歩いて、入り口で出迎えた幼稚園の園長にあいさつをし、建物に入られました。入園式にはおよそ50人の新入園児と保護者が出席し、愛子さまは、園長から「敬宮愛子ちゃん」と呼ばれると、立ち上がって元気よく「はい」と返事をされたということです。幼稚園での生活は12日から始まり、愛子さまは車で通園され、雅子さまが付き添われることもあるということです。愛子さまは、これまで、集団での生活に慣れるため、お住まいの東宮御所に同年代の子どもを招いて体操をしたり、週に2度、東京・渋谷の総合児童センターに通って友達といっしょに音楽遊びや踊りを楽しまれたりしてきました。


参考:紀宮清子内親王・眞子内親王・佳子内親王・悠仁親王の入園報道記事例編集

紀宮殿下の場合はさすが学習院としか言いようが無い「宮さま」である。 眞子・佳子両内親王殿下ご入園ニュースについて、秋篠宮同妃両殿下を記事中で「両親」呼ばわり、内親王を記事中で「ちゃん」呼ばわりしている朝日新聞(しかも、カバンを“下げる”と表記。“提げる”の方が適切。また、上級の学年には“進学”ではなく“進級”の方が適切である)にも呆れるが、幼稚園の入園式では“内親王殿下”として扱われていた事が分かる。
悠仁親王殿下は従来と異なり学習院幼稚園でなくお茶の水女子大付属幼稚園にご入園。愛子ちゃんと同じく「宮さま」扱いされていない。しかしこちらは秋篠宮ご夫妻の「積極的に同世代と交わる機会をつくることが大事」との考え、およびお茶大付幼稚園側の方針によるものであり、明確な理由がある。悠仁親王殿下は皇位継承者であり、一生涯を皇族として過ごすことを考えれば、同世代と対等な関係で交わることができるのは幼少期の今しかなく、ご夫妻のご方針も当然と言えよう。なお、眞子・佳子両内親王殿下も、幼少期にモンテッソリー教育を受けたことがある。「宮さま」扱いはされておらずとも、入園式では「さん」付けであり、「ちゃん」付けとは大違いなのは明白である。


朝日新聞1974年4月13日 紀宮さま、幼稚園へ
紀宮様が十三日、東京・目白の学習院幼稚園に入られた。
午前十時から行われた入園式には、美智子妃殿下とともに新しい制服姿で元気に出席。すでに一年間、目黒区の柿の木坂幼稚園に通われただけに、すっかり落ち着いたもので、五十五人の新入園児にまじって教室に入られ、高木良子園長から「さくら組」の十二番目に「宮さま」と呼ばれると、はっきりと「はい」と答え、立たれていた。


朝日新聞1996年4月11日夕刊 眞子ちゃんが入園
秋篠宮ご夫妻の長女眞子ちゃん(四つ)が十一日、学習院幼稚園に入園した。両親に手を引かれて登園した眞子ちゃんは紺の園児服姿。「さくら組」のピンクの名札を胸に付けてもらい、「秋篠宮眞子内親王殿下」と呼ばれると、「ハイ」と元気に返事していた。

『週刊女性』1996年4月30日号<眞子ちゃんの入園式 / 紀子さま心痛!秋篠宮さま「タイに親しい女性」報道で>表紙


朝日新聞1999年4月12日夕刊 佳子ちゃんが入園
秋篠宮家の次女佳子ちゃん(四つ)が十一日、東京・目白の学習院幼稚園に入園した。
雨がぱらつく中、両親とともに傘をさして入園式場に入った佳子ちゃんは、紺の制服に、クマやアヒルのアプリケ(ママ)がついた紺のバッグを下げ(原文ママ)やや緊張気味の表情。さくら組で二番目に「秋篠宮佳子内親王殿下」と名前を呼ばれると、「ハイ」と小さいが、しっかりした声で答えていた。
同宮家の長女眞子ちゃん(七つ)のほうは、今春、初等科二年生に進学。(原文ママ)
姉妹そろって学習院に通う事になる。


http://mainichi.jp/select/wadai/koushitsu/news/20100409k0000e040040000c.html
悠仁さま、お茶大幼稚園に入園
 秋篠宮ご夫妻の長男悠仁さま(3)は9日、お茶の水女子大付属幼稚園(東京都文京区)の入園式に出席された。卒園まで3年間通う。
 悠仁さまは午前8時40分すぎ、紺のブレザーに半ズボン姿で、ご夫妻に付き添われ登園した。幼稚園舎玄関前で、出迎えた宮里暁美副園長に「おはようございます」とあいさつ。同副園長が「ご入園おめでとうございます」と声を掛けると、「ありがとうございます」と応えた。
 同大によると、入園式は午前10時前からあり、悠仁さまは「秋篠宮悠仁さん」と、ほかの園児と同様、「さん付け」で名前を呼ばれたという
 新入園児数は70人で、うち3歳児は悠仁さまを含め41人。園の方針で、悠仁さまは特別扱いされないという。
毎日新聞 2010年(最終更新 4月9日 12時26分)

2017年3月22日学習院女子中等科卒業式での呼び方は「敬宮愛子」編集

http://www.news24.jp/articles/2017/03/22/07357118.html
愛子さまご卒業、少しふっくらと笑顔で―
2017年3月22日 18:47
 皇太子ご夫妻の長女・愛子さまが22日、学習院女子中等科を卒業された。以前より、少しふっくらとした様子の愛子さま。様々な経験を積んだ3年間の学校生活を終え、卒業文集では平和への思いをつづられた。
■22日、皇太子ご夫妻と共に登校された愛子さま。肩ほどまでの髪をなびかせ、少し大人びた印象に。
■先月の映像と比べると、愛子さまは少しふっくらされたご様子に。記者の問いかけにも笑顔で応じられた。
■この3年間で、皇室の伝統や公務など、様々な経験を積まれてきた愛子さま。一方で、去年の9月末からは体調を崩し、1か月半ほど学校を休まれた。
■12月に公開された映像ではかなり「痩せられた」様子がうかがえ、健康を心配する声もあがった。
■宮内庁関係者によると「当時、様々な環境の変化が訪れる中、食事をあまりとられなくなるような場面があった」という。
■そして22日、元気そうな姿で学習院女子中等科の卒業式に臨まれた愛子さま。式では一人ずつ名前が呼ばれ、「敬宮愛子」と呼ばれると起立されたという
■卒業文集に寄せた作文には去年5月、修学旅行で訪れた広島の平和記念資料館での体験もつづられた。
■「原爆ドームを目の前にした私は、突然足が動かなくなった」「これが実際に起きたことなのか、と私は目を疑った。平常心で見ることはできなかった。そして、何よりも、原爆が何十万人という人の命を奪ったことに、怒りと悲しみを覚えた」(卒業文集より一部抜粋)
■愛子さまは4月から学習院女子高等科に進学される予定だ。
詳しくは動画で。

天皇皇后両陛下公式記者会見/発表文書において、平成18年(2006年)11月11日東宮家「着袴の儀」を境に「敬宮」→「愛子」へと完全に呼び方が切り替わる事件編集

平成18年(2006年)11月11日東宮家の「着袴の儀」に関して、リハーサル映像は出たものの本番映像は皆無、11日当日は怪しすぎる謎の蛍光ピンク色装束で東宮御所玄関前に登場する疑惑満載ぶりで「着袴の“疑”」「着袴の“偽”」ともスレ住民奥様方より評されたが、これを境に両陛下公式会見/発表文書で、愛子を指す表現について明らかな変化が生じている
両陛下ご自身が揃って東宮家内親王を「宮」として扱うのを止めたことを示唆する一連の変化に、スレ住民はすっかり((( ;゚Д゚))ガクガクブルブル である。殊に天皇陛下が「愛子」呼びするようになってからは、必ずネガティブ評価を伴っていることも注目される。しかし、その真の恐ろしさが肝心要の東宮夫妻に伝わっているかは甚だ心もとない。

平成13年12月18日天皇陛下お誕生日会見 「敬宮」「愛子」いずれも使用なし=以下“なし”と記す。

敬宮愛子ちゃんは同月7日命名の儀で決定されたため、天皇陛下の当会見時では既に称号・名前が明らかになっているのだが、陛下はここでは述べていない。この称号・名前に対する陛下の考えはこちら参照。


12月に皇太子夫妻に内親王が誕生したことはうれしいことでした。(中略)無事に内親王が誕生し,多くの国民が喜んでくれたことをうれしく思っています。関係者の努力に感謝する次第です。また,諸外国の元首からもお祝いの言葉を頂きました。(中略)しかし,今は新内親王が健やかに育っていくことが最も重要であり,家族皆で見守っていきたいと思っています。

平成14年10月20日皇后陛下お誕生日文書ご回答 一家のうれしい出来事としては,敬宮の誕生がありました。東宮,東宮妃に深くいつくしまれ,元気に育ち,もう間もなく1歳の誕生日を迎えます。

敬宮の誕生は,東宮,東宮妃はもとより,家族の皆にとり,大きな喜びであり,その誕生を多くの方々が祝って下さったことで,喜びはさらに大きなものとなりました。
--- 一家の中での変化は,やはり東宮御所がにぎやかになったことでしょうか。また,数年前から,時々「妹が欲しい」といっていた秋篠宮家の次女の佳子が,敬宮と一緒になりますと,今まで姉の眞子が自分にしてくれていたのと同じように,優しく敬宮の相手をしている様子も可愛く思います。
東宮,東宮妃ともに,敬宮を一生懸命に愛情深く育てており,私は安心して2人にまかせています。会うごとに,敬宮の成長の著しさに驚かされ,頼もしく,うれしいことに思います。
秋篠宮,秋篠宮妃も,二人の内親王を大切に育ててきました。眞子も佳子も,小さい時からよく両親につれられて御所に来ており,一昨年ごろからは,両親が留守の時には,二人だけで来ることもできるようになりました。生物学御研究所のお庭に,陛下が水稲のための御田の他,五畝いつうね程の小さな畠をお持ちで,毎年そちらで陸稲と粟をお作りになるのですが,眞子が五つ,佳子は三つの頃から,種まきや刈り入れの時には,ほぼ毎年のように来て,陛下のお手伝いをしています。このようなとき,鋏や鎌などの道具の使い方や,使う時の力の入れ加減,抜き加減などを教えることが,私にはとても楽しいことに感じられます。養蚕のときに,回転まぶしの枠から,繭をはずす繭掻きの作業なども,二人していつまでも飽きずにしており,仕事の中には遊びの要素もあるのかもしれません。敬宮が大きくなり,3人して遊んだり,小さな手伝い事などができるようになると,また,楽しみがふえることと思います。

平成14年12月19日天皇陛下お誕生日会見 敬宮は健やかに1年を迎え,最近はいろいろな物に対する認識が深まってきているように感じられます。良い成長をしていることをうれしく思っております。
平成15年10月20日皇后陛下お誕生日文書ご回答 なし
平成15年12月18日天皇陛下お誕生日会見 なし
平成16年10月20日皇后陛下お誕生日文書ご回答 なし
平成16年12月23日天皇陛下お誕生日文書ご回答 なし
平成17年10月20日皇后陛下お誕生日文書ご回答 先々週には,東宮が一家して葉山の御用邸に訪ねて来てくれ,うれしく,一緒によい時を過ごしました。雨がちで気の毒でしたが,晴れ間を見て浜にも出,敬宮は楽しそうに砂で遊びました。東宮妃が段々と元気になっている様子で,本当にうれしく思います。
平成17年12月19日天皇陛下お誕生日会見 なし
平成18年10月20日皇后陛下お誕生日文書ご回答 「悠仁の成長への願いは」という質問ですが,悠仁はまだ本当に小さいのですから,今はただ,両親や姉たち,周囲の人々の保護と愛情を受け,健やかに日々を送ってほしいと願うばかりです。「教育のあり方」についての質問ですが,敬宮の生まれた時にもお答えしたと同様,まず両親の意向を聞き,それを私も大切にしつつ,見守っていきたいと考えています。

敬宮は,背もすくすくと伸び,おさげ髪のよく似合う女の子になりました。今年はもう着袴(ちゃっこ)の儀を迎えます。男の子の着袴(ちゃっこ)姿もそうですが,女児の裳着(もぎ)の姿も本当に愛らしく,清子,眞子,佳子のそれぞれの裳着(もぎ)の姿や所作は,今も目に残っています。

 
平成18年(2006年)11月11日 東宮家着袴の儀
 
平成18年12月20日天皇陛下お誕生日会見 最近の愛子の様子については,皇太子妃の誕生日の夕食後,愛子が皇后と秋篠宮妃と相撲の双六(すごろく)で遊びましたが,とても楽しそうで生き生きとしていたことが印象に残っています。ただ残念なことは,愛子は幼稚園生活を始めたばかりで,風邪を引くことも多く,私どもと会う機会が少ないことです。いずれは会う機会も増えて,うち解けて話をするようになることを楽しみにしています。
平成19年10月20日皇后陛下お誕生日文書ご回答 4人の孫がそれぞれ両親の許で,健やかに成長していることを嬉しく思っています。眞子,佳子は今年共に高校,中学に進学し,愛子ももう来年は初等科に上がります。悠仁も元気に成長し,この9月には満1歳になりました。前置胎盤の状態で出産の日を迎える秋篠宮妃を案じつつ,東京からの報せを待った旅先の朝のことが,つい先頃のことのように思い出されます。(中略)

愛子は,眞子や佳子と遊ぶ時,大層楽しそうですし,眞子と佳子も,愛子を大切に大切にしながらも,大人とは異なる,子ども同士でのみ交せる親しさをこめて相手をしています。悠仁に対しても,2人の姉たちが,丁度小さなおかあさんのように気遣いつつ,しかも十分に手加減を知った無造作さで,抱いたり着がえさせたりしている姿や,小さな愛子が,自分より更に小さい悠仁の傍でそっと手にさわっていたりする姿を,本当に好もしく可愛く思います。
先日,朝の散歩の折に,小さなジュズダマの茂みを見つけ,戦争中疎開先で遊んだことを思い出し,陛下とご一緒に少し実を採りました。毎年集めると,いつか針の持てるようになった愛子,首飾りを作って遊べるかもしれません。

平成19年12月20日天皇陛下お誕生日会見 なし
平成20年10月20日皇后陛下お誕生日文書ご回答 私どもの子供たちが,順々に初等科に入学し卒業していってから,まだそれほど年月が経ったとも思われませんのに,その子どもである眞子や佳子が既に初等科を卒業し,今年は愛子の入学という嬉しい年になりました。悠仁も健やかに成長し,9月には2歳の誕生日を迎えました。

この頃愛子と一緒にいて,もしかしたら愛子と私は物事や事柄のおかしさの感じ方が割合と似ているのかもしれないと思うことがあります。周囲の人の一寸した言葉の表現や,話している語の響きなど,「これは面白がっているな」と思ってそっと見ると,あちらも笑いを含んだ目をこちらに向けていて,そのような時,とても幸せな気持ちになります。

平成20年12月23日天皇陛下お誕生日発表文書 なし
平成21年10月20日皇后陛下お誕生日文書ご回答 なし
平成21年12月23日天皇陛下お誕生日発表文書 なし
平成22年10月20日皇后陛下お誕生日文書ご回答 なし
平成22年12月23日天皇陛下お誕生日発表会見 今年は,学習院初等科3年になる愛子に,登校が難しくなるという思い掛けない問題が起こり,心配しています。皇太子,皇太子妃の心配も大きいことと案じています。そのようなことから愛子と会う機会も限られ,残念ですが,交流としてお話しできるようなことはまだありません。皇后は他の孫たち同様,愛子をとてもかわいがっており,愛子もこちらに来るときには必ず庭の花を摘んできて皇后に手渡しています。先日来たときには,飼っているの動画を熱心に皇后に見せていました。運動会の映像で見る愛子は,昨年と変わらず,元気に楽しんでいるようで,安堵(ど)しています。
平成23年10月20日皇后陛下お誕生日文書ご回答 4人の孫たちは,秋篠宮家の上の二人,眞子と佳子が19歳と16歳,東宮の愛子が九つ,秋篠宮家の末の悠仁が五つになり,それぞれに個性は違いますが,私にとり皆可愛く大切な孫たちです。会いに来てくれるのが楽しみで,一緒に過ごせる時間を,これからも大切にしていくつもりです。
平成23年12月23日天皇陛下お誕生日に際してのご感想 なし
※例年の質問を受け付けそれに答える記者会見形式でなく、ご感想読み上げ形式。愛子だけでなく、他皇族についてもコメントなし。
平成24年10月20日皇后陛下お誕生日文書ご回答 なし
平成24年12月23日天皇陛下お誕生日会見 なし
平成25年10月20日皇后陛下お誕生日文書ご回答 東宮では愛子が6年生になりました。背も随分伸び,もうじき私の背を超すでしょう。チェロ奏者の一員として,皇太子と共にオーケストラに参加したり,今年の沼津の遠泳ではやや苦手であった水泳でも努力を重ね,自分の目標を達成したことをうれしく,又,いとおしく思いました。
平成25年12月23日天皇陛下お誕生日会見 なし
平成26年10月20日皇后陛下お誕生日文書ご回答 なし
平成26年12月23日天皇陛下お誕生日会見 なし
平成27年10月20日皇后陛下お誕生日文書ご回答 先頃,孫の愛子と二人で話しておりました折,夏の宿題で戦争に関する新聞記事を集めた時,原爆の被害を受けた広島で,戦争末期に人手不足のため市電の運転をまかされていた女子学生たちが,爆弾投下4日目にして,自分たちの手で電車を動かしていたという記事のことが話題になり,ああ愛子もあの記事を記憶していたのだと,胸を打たれました。若い人たちが過去の戦争の悲惨さを知ることは大切ですが,私は愛子が,悲しみの現場に,小さくとも人々の心を希望に向ける何らかの動きがあったという記事に心を留めたことを,嬉しく思いました
平成27年12月23日天皇陛下お誕生日会見 なし
平成28年10月20日皇后陛下お誕生日文書ご回答 なし

この1年,身内の全員がつつがなく過ごせたことは幸いなことでした。1月には,秋篠宮の長女の眞子が,無事留学生活を終え,本格的に成年皇族としての働きを始めました。真面目に,謙虚に,一つ一つの仕事に当たっており,愛(いと)おしく思います。


同年9月26日から愛子(中3)が宮内庁病院で診察(10月6日)しても悪いところを見出せない「体調不良」を理由に再々度の不登校に陥り、新任間もない小田野展丈東宮大夫が10月7日定例会見にて公式発表。皇后陛下文書がいつ提出されたか不明であるが、執筆当時にはこの事実を把握していた可能性が高いと考えるのが自然である。雅子も体調が回復しないのを理由に公務をしたりしなかったりの身であるのも今更言うまでもないことで、それでありながら「身内の全員がつつがなく過ごせた」と述べられていることについて、「もはや雅子愛子は身内と見做されていないのでは????」という感想が多い一節である。

平成28年12月23日天皇陛下お誕生日会見 なし


 

宮内庁公式HPでも「敬宮」は使われず「愛子内親王殿下」表記編集

平成19年(2007年)の茶会出席者は「御進講者始め御関係者」、平成18年(2006年)以前は誕生日祝賀スケジュールそのものが記載なし。

時刻 出御 行事 事項 場所
同(=午後)4:10 両陛下 茶会 愛子内親王殿下

眞子内親王殿下
佳子内親王殿下
悠仁親王殿下

御所
時刻 出御 行事 事項 場所
同(=午後)4:10 両陛下 茶会 愛子内親王殿下

眞子内親王殿下,佳子内親王殿下,悠仁親王殿下

御所
時刻 出御 行事 事項 場所
同(=午後)4:30 両陛下 祝賀 愛子内親王殿下

眞子内親王殿下,佳子内親王殿下,悠仁親王殿下

御所
時刻 出御 行事 事項 場所
同(=午後)6:00 両陛下 祝賀 愛子内親王殿下

佳子内親王殿下,悠仁親王殿下

御所



2013年12月9日愛子12歳誕生日・雅子50歳誕生日挨拶皇居参内予定発表における愛子表記の食い違い:両陛下サイド「愛子内親王殿下」、東宮家「敬宮殿下」編集

2013年10月から始められた朝日新聞<皇室とっておき 皇室7days>は、天皇皇后両陛下から高円宮家まで翌週公務活動予定スケジュールを掲載しているが、2013年12月9日に実施された愛子12歳誕生日(両陛下インドご訪問のため1日実施できず)・雅子50歳誕生日挨拶皇居参内については、両陛下と東宮家とで愛子を指す表現がそれぞれ「愛子内親王殿下」「敬宮殿下」と食い違っていることが注目される
両陛下ご公務予定は千代田から、徳仁雅子らについては東宮側と、情報提供ソースがそれぞれ異なる。愛子について東宮側は「敬宮」を使用しているのに両陛下側ではそうではないという、着袴の儀を境に両陛下が「敬宮」を使用しなくなった事実とこちらも符合している。

2013年12月9日(月)-2013年12月15日(日)(12月6日発表分まで)

12/9(月)
天皇皇后両陛下 両陛下 御所

楠本祐一掌典 拝謁(外国御訪問より御帰国につき神宮御代拝)
天皇陛下 御所
皇太子殿下 御報告(国事行為臨時代行について)
両陛下 御所
皇太子妃殿下・愛子内親王殿下 御挨拶(御誕生日につき)

皇太子家 両殿下、敬宮殿下 東宮御所など

皇太子妃殿下御誕生日につき諸行事
殿下 御所
天皇陛下に国事行為臨時代行終了について御報告


なお、2014年12月23日天皇誕生日における徳仁雅子愛子東宮一家全員のスケジュールについて、朝日新聞<皇室とっておき 皇室7days>WebArchive2014年12月22日記録で何も書かれておらず完全白紙状態である。他宮家が天皇陛下誕生日行事スケジュールをきちんと記載しているのと比較されたい

12/23(火)
天皇皇后両陛下 両陛下 宮殿など
天皇陛下御誕生日祝賀行事
皇太子家  
 
秋篠宮家 両殿下、眞子内親王殿下 宮殿
天皇陛下御誕生日行事 一般参賀、祝賀の儀、宴会の儀、茶会の儀
妃殿下、佳子内親王殿下、悠仁親王殿下 御所
天皇陛下御誕生日につき祝賀

両殿下 御所
お祝御膳

常陸宮家 両殿下 宮殿
天皇陛下御誕生日行事 祝賀の儀、宴会の儀、茶会の儀
三笠宮家 殿下 宮殿
天皇陛下御誕生日行事祝賀の儀
寛仁親王妃殿下、彬子女王殿下、瑶子女王殿下 宮殿
天皇陛下御誕生日行事 祝賀の儀、宴会の儀、茶会の儀
高円宮家 妃殿下、承子女王殿下
天皇陛下御誕生日行事 祝賀の儀、宴会の儀、茶会の儀


高円宮恒久子妃「愛子ちゃんのお花ね」、ただ一人「敬宮さま」を使い続ける秋篠宮妃殿下編集

平成20年(2008年)5月には高知新聞が次のようなニュースを報じた。終に末端宮家の妃からも「~ちゃん」付け呼ばわりでマスコミ記事にされている始末であり、「敬宮」はほぼ完全に消えてしまった状態である。

http://203.139.202.230/?&nwSrl=226972&nwIW=1&nwVt=knd(魚拓)

「プリンセス アイコ」牧野植物園で国内初公開
2008年05月23日11時00分
 皇太子家の長女、愛子さまにちなんで名付けられたアンスリウムの一種、「プリンセス アイコ」が、高知市五台山の高知県立牧野植物園で国内で初めて一般公開されている。今月十六日に高円宮妃久子さまが来園された際、「愛子ちゃんのお花ね。かわいらしいですね」と見入っていたという。
【写真】皇太子家の長女、愛子さまにちなんで名付けられたアンスリウムの一種「プリンセス アイコ」


敬宮の称号を使ってくれるのは、秋篠宮妃紀子殿下ただお一人のみというのが現状である。

平成22年(2010年)秋篠宮殿下お誕生日会見

殿下 先ほど言い忘れましたけれども,愛子内親王が悠仁を随分誘うような形で,一緒に御用邸の中の庭を連れてというか。(妃殿下を振り向かれる。)
妃殿下 (うなずかれながら,殿下をご覧になって)楽しそうに。
殿下 (妃殿下をご覧になって)ええ。連れて,(御用邸のお庭を)まわっているというのが印象に残っております。
妃殿下 そのような光景は,赤坂の御用地内でも,春から夏にかけての週末(にも見られました)。敬宮さまも悠仁も,トンボや蝶がたくさん見られる池がありまして,午後でしょうか・・・(殿下を振り向かれる。)
殿下 (うなずかれながら,妃殿下をご覧になって)ええ。
妃殿下 散策をしておりますと,何が捕れるだろう,何が見られるだろうと,網を持って,一緒に網を振り回していたり。また,池の中にも生き物が見られますので,小さい魚とか。(殿下を振り向かれる。)
殿下 (妃殿下をご覧になって)カエルがいますね。
妃殿下 カエルはなかなか捕るのが難しいのですけれども,生き物に二人で一緒になって親しんでいる様子が印象に残っております。
このように赤坂の御用地内で,また那須の豊かな自然の中でのびのびと過ごされる敬宮さま,運動会でもダンスや幾つも競技に参加され,更に良い方向にむかわれることをお祈りしております

平成24年(2012年)秋篠宮殿下お誕生日会見

殿下 質問の最後の方もう一度言っていただけますか。
幹事 ご公務の話はしていただきましたけれども,結婚についてどのようなお話をされているのか,そしてまた悠仁さまについてはお歳の近い愛子さまとのふれ合いも含めてお願いいたしますという質問です。
殿下 結婚については,これはもう本人次第でこちらが何か言うということは今の段階ではありません。(妃殿下を振り向かれて)ですね。
妃殿下 (殿下を振り向かれて)はい。特に結婚について特に具体的にお話しすることはございません。
殿下 (妃殿下をご覧になって)後,愛子さまとのお話。
妃殿下 敬宮さまと悠仁のふれ合いでしたでしょうか。敬宮さまとご一緒するときは,悠仁のほかに佳子が一緒のことが多うございます。眞子は今,留学しておりますので,敬宮さま,そして佳子,悠仁の3人で楽しく過ごすことがあります。来月に敬宮さまは11歳のお誕生日をお迎えになられますが,年齢が上がられますにつれて,敬宮さまは,佳子とお話をされていることが多くなっているように思います。恐らく二人とも十代であり,そのような女の子同士のお話を楽しんでいるのではないかと思います。
殿下 (妃殿下をご覧になって)そんなところですね。


いったい何アピールなのか「としのみや鉛筆」編集

ほとんどその存在意義を失いかけている称号「敬宮」であるが、2009年12月1日愛子8歳誕生日公表映像に使われていた小道具として、「としのみや あいこ」のネームをわざわざ刻印箔押し製作した鉛筆が登場している。

2009年12月1日 愛子8歳誕生日公表映像より、「としのみや あいこ」名前入り鉛筆を手に書き取りする愛子高画質画像

しかし皇族の持ち物に本来名前を入れる風習はなく、その代わりに「お印」を利用するのが慣例である(愛子の場合は「ゴヨウツツジ」)。皇族が鉛筆を利用する際に平仮名で称号と名前を入れて作る前例があったかは不明だが、相当違和感のある行為である。

彼女が「敬宮愛子内親王殿下」と呼ばれ、それを自分の呼称として認識する日はあるのかないのか、皇族として自らのお印を認識できるか否か、不透明な状態はまだまだ続くようである。

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