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居眠り

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雅子夫人が式典公務壇上で白目剥いてやっちゃった実績のある行為。彼女にとって「やりがいのない」退屈な公務ではついついこうなってしまうのではないかと思われる。
新婚時代は「ほら、夜の方を頑張っているからw」と世間から一応温かく見守られてもいたのだが、その後雑誌記事などで皇太子夫妻が朝起きる時間も別、食卓を共にすることもなく、更にはベッドも結婚当初から別だったという話も聞かれるなど、当時の居眠りは彼らが夫婦生活に励んでいた結果ではなく、ただのぐうたらだったという見方に落ち着いている。
それにしても皇太子妃になんかなってしまえば公務先でマスコミカメラが張り付いているのは当たり前のことであり、そこでの出来事は将来に渡って記録される。それを承知していながら「うっかり」「コックリ」してしまうというのは大した度胸であると言えるだろう。

さらに問題であるのは、この出来事をスルーせず、逆に「愛すべきほほえましいプリンセス」「私たちと変わらない一面」等と擁護する報道の論調である。

そんな居眠り雅子の夫である徳仁については、独身時代に移動バス内で居眠りしていた取材記者に向かって「皆さん、寝ていらしたでしょう」と上から目線発言をしたこともあるのだが、果たして壇上公務居眠り妻に対して「雅子さん、寝ていらしたでしょう」と指摘できたかどうかは、不明である。

入内早々公務の場での雅子居眠り画像集編集

1993年7月14日 岩手県29回献血運動推進全国大会にて、宿泊先ホテル朝食メニューと壇上で居眠りする雅子
1993年7月14日 上記地方公務壇上居眠りが「雅子さま、お疲れコックリ」と書かれる(光文社『天皇家のユーモア』p.125より引用)
1993年7月14日 壇上で堂々居眠り雅子の表情変化、連結画像
1993年7月14日 岩手県29回献血運動推進全国大会にて(上:壇上で居眠りする雅子/下:下を向いて移動する雅子)
『女性自身』1993/8/3号<雅子さま、愛すべき“居眠り”!>表紙
『女性自身』1993/8/3号<短期集中連載第3回 雅子さまの幸せ“ハマナス日記”あっ!雅子さま愛すべき“うつらうつら居眠り”!>
『週刊文春』1993/7/29号<その時雅子さまは超眠たかった>CatchUpモノクログラビア
白目剥いてる居眠り表情を激写掲載している容赦なさに注目。
1993年7月14日 壇上居眠りからハッと目が覚めた瞬間の雅子表情

1993年7月28日 山口県行啓第35回自然公園大会にて。一般参加者への「ご起立下さい」の声に“うっかり”立ち上がってしまった雅子。閉じた目からして居眠りしていた模様
1993年7月28日 第35回自然公園大会にて<あっ、先にお立ちになっちゃった!>、寝ぼけて一般向けアナウンスにつられうっかり立ち上がってようやく目を開けた雅子。隣では座るよう促している表情の徳仁(下画像)

『女性自身緊急増刊1994年6月13日号増刊 新妻・雅子さま輝いて「愛の一年」』表紙<本誌だけが見つめた!雅子さま愛すべき“失敗”集「お酒クイッ」「イヤリング落とし」「居眠り」ほか!>

2004年12月26日 高松宮妃喜久子殿下斂葬の儀・葬場の儀にて睡魔を堪えているような目付きの雅子。同日斂葬の儀・柩前祭の儀と翌日斂葬後一日権舎祭には雅子は出席せず皇太子のみ

居眠り雅子、それを放置する徳仁についての雑誌記事編集

『女性自身』1993年8月3日号<短期集中連載第3回 雅子さまの幸せ“ハマナス日記”あっ!雅子さま愛すべき“うつらうつら居眠り”!>記事編集

『女性自身』1993/8/3号<短期集中連載第3回 雅子さまの幸せ“ハマナス日記”あっ!雅子さま愛すべき“うつらうつら居眠り”!>記事
pp.69-71より引用
ゆかりの地・盛岡へ皇太子さまと1泊2日で。大歓迎と不慣れな分刻みのスケジュールに、日赤の献血大会でつい――

地方初ご公務で、すっかりお疲れ!
「ワーッ!」
 という大歓声が絶えることなく続いている。
 すさまじい歓迎だった。
「盛岡は雅子妃殿下ゆかりの地ですからね」
 地元の記者が言った。
 雅子さまの母方の曽祖父・山屋他人(たにん)海軍大将(昭和15年75才で没)が、盛岡の出身なのだ。
 7月13日から1泊2日で皇太子さまが名誉副総裁をなさっている日本赤十字社主催の“第29回献血運動推進全国大会”ご出席と、地方事情ご視察のため、岩手県盛岡市をご訪問になったご夫妻。
 13日午後0時28分。東北新幹線で到着し、盛岡駅のホームに降り立たれた皇太子さまはグレーの背広。雅子さまは白地に紺のストライプの入ったスーツ。紺のリボンのついた白のつば広帽子。さわやかな初夏の装い。
 ご夫妻がホームの階段を下りられる途中から、コンコースに詰めかけた群衆の間から大歓声があがり、ご休息所の盛岡グランドホテルへお入りになるまで、その大歓声はひきもきらず続いていた。
 ご夫妻のお車の後から報道バスでついて行く私たちは、ただ圧倒されるばかり。
 しかし、皇太子さまも雅子さまも、最徐行するお車の窓をいっぱいに開けて、少しも休まず手を振られ、歓迎におこたえになっている。
<お疲れになるんだろうなぁ>
 それが密着取材の最初の印象だった。
 とくに雅子さまにとってはご結婚後初のご公務による地方ご旅行なのだ。
 分刻みのスケジュール。
 古参の皇室記者が言った。
「この盛岡ご訪問は1年も前から組んであったスケジュールなんですよ。もちろん皇太子さまお一人だけの予定。それがご結婚によってご夫妻のご旅行になったわけです。妃殿下はお出かけの支度など時間がかかりますからね。
 雅子さまにはきびしいスケジュールだと思いますよ」
 盛岡グランドホテルで昼食をおとりになる間にも、工藤岩手県知事から県勢概要のご説明があり、ご昼食をすまされるや、沿道の歓迎の人波の中を盛岡赤十字病院へ――。その忙しい間にも、雅子さまはピンクのスーツにお着替えになっていた。
 ここの新生児室では、東北で初めてという五つ子ちゃん(6月15日誕生)とご対面。
 事前にご存知でなかっただけに、ご夫妻ともに驚いたり、目を細められたり。
 ついで病院からお歩きになって、岩手県赤十字血液センターへ。そして盛岡グランドホテルへお帰りになるまでの約8キロも、沿道は人の波。
 ていねいにお手を振っておこたえになるご夫妻。
 日暮れからは歓迎の“夢灯り”が中津川の川原で。
 粘土で作った灯籠にロウソクを飾る。岩手県に伝わる初夏の夜のイベント。
 灯籠と作ったなかには、山屋家の先祖が眠る教浄寺の善友保育園の園児たちも。
 ご夫妻はホテルの4階のお部屋からごらんになっておられたが、曽祖父ゆかりのこの歓迎に、雅子さまはどんな感慨にひたっておられたことだろうか。
 翌日は朝から激しい雨。
 しかしスケジュールはきっちりと分刻み。
 盛岡白百合学園で、高校生の集団献血をご視察。
 バイオリン合奏のご歓迎とレリーフの献呈を受けられた。
 慣れないご公務を、皇太子さまを見習って、懸命につとめておられた雅子さま。
 午後1時過ぎから岩手県民会館で催された“第29回献血運動推進全国大会”にご出席。
 開会のことば、君が代斉唱、厚生大臣挨拶、日赤社長挨拶、県知事挨拶、県会議長歓迎の辞、盛岡市長歓迎の辞、昭和天皇記念学術賞授与、表彰状感謝状贈呈・・・・えんえんとセレモニーが続く。
「あっ」
 と望遠カメラをのぞいていたカメラマンが声をあげた。
「雅子さまのお目の下に、青いくまが・・・・。よほどお疲れになっておられる」
 ステージ中央のお席で、雅子さまは睡魔に襲われて、すーっと眠りに引きこまれながらも、必死になって眉を上げ目を大きく見開いて、睡魔との闘いを続けておられるようだった
 しかし、また耐えきれずにスーッと眠りの底に・・・・。
 宮中晩餐会では世界の首脳夫妻と堂々と応対し、皇室外交のヒロインとなった雅子さまにも、私たちと変わらない一面が・・・・。
 皇太子さまがお言葉をのべられて、よく通る澄んだお声が会場に流れると、雅子さまにも生気がもどられた。ばかりか、その視線には皇太子さまへの深い信頼感がうかがわれたのである。
 皇太子さまはごあいさつの冒頭に、北海道南西沖地震の犠牲者の冥福をお祈りするとともに、遺族、被災者へのお見舞いをおっしゃった。
 雅子さまもこの大災害には心を痛められ、ご帰京後の週末に予定されていたご実家へのお里帰りも取りやめられたという。

『女性セブン』1993年8月5日号<雅子さま超多忙の毎日「ご公務で居眠り」への反発>編集

記事内容未確認。

『週刊文春』1993/7/29号<その時雅子さまは超眠たかった――初の地方公務で岩手県に行啓>CatchUpモノクログラビア記事編集

『週刊文春』1993/7/29号<その時雅子さまは超眠たかった――初の地方公務で岩手県に行啓>CatchUpモノクログラビア記事
 ともかく、思いっきり眠たい大会ではあった。七月十四日に盛岡の岩手県民会館で行われた「第29回献血運動推進運動全国大会」。皇太子さまは日本赤十字社の名誉副総裁をなさっている関係で、雅子さまとともにご出席になったのである。
 厚生大臣や岩手県知事、盛岡市長ら七人のオエラガタがお決まりの挨拶を次々と繰り返し、その後、皇太子殿下始め、厚生大臣、岩手県知事らからそれぞれの賞の受賞者へ表彰状や感謝状の贈呈が延々と続く。強力な催眠効果に、会場の観客の頭も約半数がゆらゆらしていた(ような気がする)。
 大会後、取材に来ていた一部の記者たちの間で、「壇上の雅子さまも寝ていた」というまことしやかな噂が流れたが、自分も眠りこけて見ていなかった記者が多かったため(小誌記者含む)真偽のほどは分からなかった。
 が、しかーし、カメラは捉えていたのである、雅子さまが一瞬、眠っちゃった瞬間を!
 実際、皇太子さまと雅子さまは、この大会に至るまで、ものすごいハードスケジュールをこなされていた。
 前日の十三日、十二時二十八分に新幹線で盛岡入りした後、ご宿泊場所の盛岡グランドホテルで少し休んで、盛岡赤十字病院と岩手県赤十字血液センターを視察。。沿道オバサン度数は異常に高く、行く先々で、「キャー」という悲鳴と「雅子サマーこっち向いてえ」と恐れ知らずの黄色い声が沸き起こる。
 翌十四日は朝から雨。九時三十分に、ホテルを出発、盛岡白百合学園の高等学校、小学校、幼稚園をご視察。高等学校の献血会場では、献血をしていた生徒や先生ら全員にお言葉をおかけになった。「献血は何回目ですか」「スポーツは「やっていますか」「好きな教科は何ですか」「将来は何になりたいですか」「子供は好きですか」……など、質問を考えるのも大変だろうなぁと頭が下がる。
 その後、一度グランドホテルに戻られたお二人は午後から「献血運動推進全国大会」にご出席、雅子さまはあまりの催眠パワーに一瞬意識をなくされたわけであります。
 おつとめ、ごくろうさまでございます。
                   撮影 上森清二

『VIEWS』1994年11月号<何が、誰がロイヤルカップルを苦しめる 皇太子と雅子妃『苦悩の結婚16ヶ月』>高山文彦署名記事編集

『VIEWS』1994年11月号<何が、誰がロイヤルカップルを苦しめる 皇太子と雅子妃『苦悩の結婚16ヶ月』>高山文彦署名記事VIEWSヴューズ
p.31より引用
 それは、ちょっと信じがたい光景だったという。
 ことし(1994年)七月六日の夕方、ある皇室ウォッチャーは、横浜市内を東京方面へむけて走る第三京浜の保土ヶ谷インターチェンジ近くのドライブインで、友人とくつろいでいた。
 そこには、どういうわけか警備警官の姿があった。なにごとかとたずねてみると、葉山の御用邸で静養を終えた皇太子夫妻がもうすぐここを通る、という返事。彼はできるかぎり道路ぎわまで行き、車がやって来るのを待った。
 まもなく皇太子夫妻を乗せた黒塗りの車が、疾風のごとく近づいてきた。
 進行方向右側の後部座席は皇太子の席、左側は皇太子妃の席と決まっている。立っている位置からみると、車はすぐ手前の車線を右から左に通りぬけていく。だから、左座席に座っている雅子妃の姿がもっとも近くにみえ、皇太子の姿はその向こうにみることができる。
 そのとき彼はわが眼を疑った。
雅子妃は寝ておられたのです。おどろいたのはその寝姿でした。左後頭部を車の窓ガラスにもたせかけ、そのために、からだ全体は大きく斜めになって、崩れるように寝ておられた。皇太子は居ずまいを正して座っておられたのですが……。おなじ車両には運転手と侍従も乗っているわけですからね。疲労の度は極限にまで達していたのでしょうか」
 七月四日から二泊三日で神奈川県葉山町の御用邸で静養した皇太子夫妻は、一歩も外にでなかった。人目を気にする必要もないので、十分休養になったはずだとおもわれていたのだが、帰りの車のなかの雅子妃の寝姿からは、疲労の堆積が感じられた。
 それにしても周囲の眼を考えれば、皇太子から注意をうながすことはあってもいいとおもわれるのだが、彼はじっと正面を見据えたまま黙っている
 結婚十六ヶ月、まだ杳として世継ぎ誕生の知らせはきこえず、昏々と眠りつづける雅子妃と、石のように動かない皇太子――。

『週刊文春』2013年2月14日号<ザ・プリンセス雅子妃物語 第27回 「居眠り事件」と皇室バッシング>友納尚子記事編集

『週刊文春』2013年2月14日号<ザ・プリンセス雅子妃物語 第27回 「居眠り事件」と皇室バッシング>友納尚子記事友納尚子】【プリババ
pp.40-41より引用
 翌日は激しい雨だった。雅子妃の気分を明るくしたのは、盛岡白百合学園の園児たちによる小旗を振ったお出迎えだった。午後からは「献血運動推進全国大会」の式典にお出ましになった。開会から君が代の斉唱、厚生大臣、日赤社長、県知事らの挨拶に続き県会議長、盛岡市長の歓迎の辞などが読み上げられ、セレモニーは延々と続いたのだった。
 すると、雅子妃の瞼がだんだんと重くなり、眼を大きく見開いては睡魔と闘っているようにも見えた。そして、ほんの一瞬だったが、耐え切れなくなり眠りの底に……。
「ご婚約からこの日までの半年、ゆっくり気の休まる暇もほとんどなかったのではないでしょうか。実際、この盛岡のご訪問も強行スケジュールで、雅子さまは目の下にクマができるなどお疲れのご様子でした。この岩手のご公務を始め、当時の公務は皇太子がまだ独身だった当時に組まれたもの。それを雅子妃とお二人でこなされるようになったわけですが、妃殿下は、御仕度など時間がかかるものですし、慣れないことから緊張の連続だったのではないでしょうか」(宮内庁記者)
 そんな疲れの出た一瞬を、女性週刊誌は見逃さなかった。
「雅子さま、愛すべき“居眠り”!」(女性自身/九三年八月三日号)
 雅子妃自身はこの記事を読まれることはなかったというが、波紋を呼んだ。報道に敏感に反応する宮内庁の職員もいたのである。
「皇太子さまと雅子さまのお世話をする東宮職は、マスコミに『ライトが眩しかったため目をつぶっただけ』と火消しに回っていましたが……。ご結婚されてから日が浅いとはいっても妃殿下としての自覚が足りないのではないでしょうか」
 こうした小姑めいた声がさっそく職員から漏れてくるのが宮内庁というところだ。天皇皇后両陛下をお守りする側近の職員を「千代田」と俗称するが、雅子妃への批判がその周辺からじわじわ漏出してくるのは、すでにこの時から始まっていた。この構造を理解しないと、後の雅子妃バッシングの実相は分からない。
 千代田側は小さな記事までくまなくチェックしており。温度差があった。というのも、この頃、美智子皇后バッシング(後述)と呼ばれた一連の記事が続いていたからだ。
「皇后陛下のバッシング記事を書きたてられていた時期だったので、こうした妃殿下のマイナスな話が書かれることはできれば避けたかった」(元宮内庁幹部)
 この盛岡市での小さな“失敗”が、やがて雅子妃を「自覚がない」と追い詰めていくきっかけになったのかもしれない。それは雅子妃自身もそうだったのではないかと、ある皇室記者は語る。
「あの岩手での出来事が、雅子妃を一層、皇太子妃として頑張らなくてはならないと自分を追い込んだ原因のひとつではないかと思います」

週刊文春連載なのに、「雅子さま、愛すべき“居眠り”!」(女性自身/九三年八月三日号)だけ態々取り上げて、同じ週刊文春の1993/7/29号<その時雅子さまは超眠たかった――初の地方公務で岩手県に行啓>CatchUpモノクログラビアはスルーを決め込んでいる友納尚子の態度に注目。


移動バス内で居眠りしていた取材記者たちに向かって徳仁「皆さん、寝ていらしたでしょう」発言編集

『雅子さま―殿下の愛に守られて』江森敬治、集英社(2001年)
pp.148-149より引用
 当時、皇太子さまは三十歳代前半。記者会のメンバーたちとも年齢が近かった。いささか年長の私も、ひとり勝手に皇太子さまに親近感を抱かせてもらっていた一人である。
 私にとっては忘れることのできない同行登山。ご結婚前年の平成四年八月十二日、軽井沢で静養中の皇太子さまは、白砂山(二千百四十メートル)に登られたのであった。今にして思えば、雅子さまとの五年ぶりの再会をわずか四日後に控えていらしたのだった。
 真夏の炎天下の中での登山。体力不足と連日の不摂生がたたり、私は山頂はるか手前でギブアップしてしまった。
 皇太子さまは軽々と頂上をきわめ、同じく成功した記者たちと談笑されたのだった。その後、知人が「江森さんがいつの間にか見えなくなりました」との皇太子さまのお言葉を私に伝えてくれた。私はまことに面目なく冷や汗が出る思いがしたものだった。
 こんな思い出話もある。地方に同行取材した時のことが。私たち取材記者は、皇太子さまの乗られた車の、数台後ろを走る同行バスに乗り込んでいた。バスは、山間部のつづら折りの道を走っていた。皇太子さまは車に乗られると、いつも背筋をピンと伸ばされ、沿道の人々に手を振って応えられる。この態度は、どんな時にも変わることがない。
 私たちはといえば車中では本を読む者、編み物をする者などまちまちである。しかし、このつづら折りの場所では、居眠りをしていた記者たちが多かったらしい。普段なら前を走る車の皇太子さまから、後部に位置する私たちの様子はわからないのだが。場所が悪かった。確か、道が次々と折れまがっていた下り坂。皇太子さまから車内で窓ガラスに寄り掛かって居眠りをする私たちが、丸見えだったのだ。
 あとで、我々は皇太子さまから「皆さん、寝ていらしたでしょう」と言われた。「あっ、見えましたか」と、仲間の一人がすっとんきょうな声を出したほど、その時、私たちは、皇太子さまのその一声にとてもあわてたものだった。

結婚1周年記事、雅子が変えた宮廷慣習、その筆頭がなんと「朝寝」編集

『微笑』1994年6月25日号<雅子さまが変えた宮廷慣習「朝寝」「マウンテンバイク」―10項目の大胆な試み>

『週刊現代』1994年7月30日号<皇太子・雅子妃「不仲説」が流れる理由>表紙
p.44より引用
 先日、皇太子・雅子さまご夫妻は結婚1周年を迎えた。女性誌を始め各マスコミはこぞってお二人の結婚1周年の記念特集記事を組んだが、なかにはこんなものがあった。
 ある女性週刊誌は昨年(補足:1993年)7月お二人が岩手県を訪問された際、雅子さまが式典中に疲れのためかウツラウツラされたことを「ご公務での居眠り」とし、「『両陛下には、あんなことは一度もない。雅子さまは緊張感が足りないからだとしかいいようがない』と書いた。同じ記事のなかでは、「雅子さまが皇太子の隣に立つ位置が逆のことがある。「マナーに反して手袋をしたまま乾杯した」などと指摘していた。
 また別の隔週刊女性誌は、「朝寝――公務がお休みの日には、皇太子殿下の優しいお気遣いで」という小見出しをつけ「(起きるのが)お昼近くになるときもあるようですよ」と宮内庁関係者の声を紹介している。先の女性週刊誌と同様「頭の下げ方が軽すぎるのでは」「大またで歩かれるので殿下との距離が縮まりすぎる」など、マナーについても言及している。

もしこの間に国会が解散になれば、天皇の代行として国会解散の承認という国事行為を皇太子が努めなければならない。国会解散に備え、スケジュールを空けておいたということです。」(全国紙・社会部デスク) しかし、実は東宮職がご夫妻のスケジュールを把握していなかったというこれまでは考えられないことが起こったというのだ。ある皇室関係者はいう。「実際に国会の動きも横目でにらまなければならなかったのですが日米野球の当日に、ご夫妻にプライベートなスケジュールが入っているのを、宮内庁が確認せずに、開会式への参加をOKしてしまったことが原因です」

面白いので晒しあげ、居眠り雅子を擁護する滑稽な書き込み編集

Part2325-752 可愛い奥様 sage 2012/04/18(水) 11:56:03.48 ID:CpuXch4l0
動物でも人間でも寝なきゃ次の活動ができないシステムになってんだから
居眠りは異常なことではないよ。
むしろ居眠りしなければハードなスケジュールはこなせないものです。
最近では職場でのちょっとしたお昼ねはかえって仕事がはかどるという
研究結果が出ているくらいですから。

762 可愛い奥様 sage 2012/04/18(水) 12:01:39.48 ID:CpuXch4l0
 >>753
決して擁護しているつもりではありませんが
入内したてであんな退屈で意味の無い事を無理矢理強要されては
誰でも居眠りくらいしますよ。
むしろ居眠りしない方がおかしいくらいですよ。
だから関係者の間では当時からマサコの居眠りは承知の事実でしたけれども
両陛下を筆頭にだれもなんら意義を唱えなかったでしょ。

767 可愛い奥様 sage 2012/04/18(水) 12:06:37.71 ID:CpuXch4l0
エジソンは3~4時間と睡眠時間がとても短かったのですが
実はちょっとした時間に常に居眠りをしていたのです。
あのエジソンですら居眠りをするのですから
否、むしろ居眠りのおかげで天才的な能力が発揮できたのです。
皇太子妃が居眠りをしてもなんら不思議な事ではありませんね。

772 可愛い奥様 sage 2012/04/18(水) 12:12:44.71 ID:CpuXch4l0
発明家の天才エジソンも皇太子妃も唯一無二の絶対的存在ですから
共通点は多々ありますよね。

794 可愛い奥様 sage 2012/04/18(水) 12:34:13.28 ID:CpuXch4l0
たかが居眠り程度で何云ってんだか
ばかばかしい
関係者なら誰でも知っていますけれども
美智子サマだって紀子サンだって誰だって寝てるのよ。
お話になりませんっ!

805 可愛い奥様 sage 2012/04/18(水) 12:43:09.63 ID:CpuXch4l0
美智子サマも紀子サンもゴコーム中にもかかわらず
目を閉じている場面の写真がありますが
あれは完璧なる居眠りをしてるのですよ。
関係者なら誰でも知っている公然の秘密ではありますが。

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