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雅子夫人が平成12年(2000年)7月25日の香淳皇后葬儀である「斂葬の儀」を欠席した理由のようなもの。

皇室世界において最重要儀式の一つとして位置づけられる皇太后の葬儀を「夏バテ」で欠席というのは当時の女性誌でも大きく取り上げられた。但し「この暑い中雅子さまの体調を考えない東宮職が悪い」といったマンセー論調の記事である(参考:当時女性誌のグラビア画像

2000年当時の記事集(後掲)を読むと、一見雅子夫人の体調不良が印象付けられるが、斂葬の儀の2ヶ月前である5月28日東京ローンテニスクラブのパーティーでは大好物の外国人も沢山いる環境に興奮でもしたのか、ゴーゴーダンスに熱狂しローストビーフにもありつくという元気いっぱい食欲いっぱいぶりを周囲に見せ付けていたことが別ソースから明らかになっている。
もちろんゴーゴーダンス熱狂事件から2ヶ月の間に急激に体調を崩した可能性も考えられるが、その割には「医者はもちろん医療関係者の相談もお受けにならない」状態で、これでは病気と診断することもできず虚偽発表も勿論できず、古川東宮大夫が「夏バテのような状態」と欠席理由発表するのも無理からぬ事態である。
なお『週刊文春』2000年8月3日号にコメントを寄せている宮内庁御用掛の坂元正一氏は、結婚から4年後あたりの時期に発生した「雅子、基礎体温提出拒否事件」にも関わっている人物であり、何か思うところがあったはずである。

嫁ぎ先の冠婚葬祭を夏バテで休むという一般庶民奥様ですらありえない振る舞いにより、「夏バテのようなもの」事件は雅子ブッチ伝説の筆頭として挙げられるものとなっている。なお父方祖父母の小和田毅夫(1993年10月)・静(1997年9月)の葬儀と、母方祖父母の江頭豊(2006年9月)・寿々子(2004年11月)の葬儀、これらに雅子は全て出席している。殊に江頭豊の弔問には夫皇太子と内親王である愛子を伴い葬儀にも夫を連れて行ったことをきっかけに、2ちゃんねるニュー速+板では皇太子に「ヒロシ」という呼び方が与えられることになった。

『週刊文春』2000年8月17・24日号と同2006年3月23日号記事中に「せめて御所の南車寄せでの御棺のお見送りは可能だったのでは」とあるが、これは車椅子で不自由な身の桂宮殿下と幼い秋篠宮家眞子内親王殿下・佳子内親王殿下の3名が多摩御陵には移動せずお見送りをしたことを指す。車椅子利用者と学習院初等科3年生と幼稚園年長組が参加していることを「夏バテ」理由に出席しないというのは、雅子夫人の公務能力が彼らに到底及ばないことを示していると結論づけるのが妥当であろう。

参考画像:平成12年(2000年)7月25日香淳皇后「斂葬の儀」当日、御所南車寄せでお見送りをする桂宮殿下と秋篠宮家眞子内親王殿下・佳子内親王殿下

平成12年(2000年)7月25日香淳皇后「斂葬の儀」当日、御所南車寄せで車に向かい頭を下げる秋篠宮家眞子内親王殿下・佳子内親王殿下。桂宮殿下の乗られている車椅子が左端に見えている


さらに問題は、2000年当時の欠席にとどまらず、5年後にも
香淳皇后五年式年祭の儀と欧州王族の差事件
として、問題が表面化している。

この「夏バテのようなもの」事件からざっと8年以上経過した平成21年(2009年)に入り、友納尚子が「化学的流産」を根拠とする反論記事を発表しているが、この論がどこまで説得力を持って世に受け入れられるか今後の見物である。

参考:【堤治】、【基礎体温】、【ゴーゴーダンス】、【健康診断】、【友納尚子

『週刊文春』2000年8月3日号<蔵出し特集・嘘みたいな本当の話 宮内記者会が問い詰めた雅子妃「皇太后さま斂葬の儀」欠席の理由>編集

『週刊文春』2000年8月3日号
pp.26-27より引用

蔵出し特集・嘘みたいな本当の話 宮内記者会が問い詰めた雅子妃「皇太后さま斂葬の儀」欠席の理由
 
 雅子妃が、皇太后のご本葬にあたる「斂葬の儀」を欠席された――。
 宮内庁の古川清・東宮大夫が発表した欠席の理由は、
「雅子さまは暑さが続いて疲れがたまり、夏バテのような状態。お体を大切にしていただくという見地から、お取り止めになった」
 というもの。しかし、皇太子妃が夏バテ程度で、国内外の要人も多く参列する、大喪の儀のなかでも重要な儀式を欠席されることがありうるのか。
 この前代未聞の事態に、宮内庁担当記者たちは、古川・東宮大夫の会見に押し寄せると、次々と質問を浴びせた。
――ご懐妊の予定は?
「昨年末のようなことが今回の背景にあることは全くない。想像を逞しくしないでいただきたい」
――雅子さまのご様子は?
「普段の生活はいたってお静かであり、変化はない」
 実はこの数日前にも、宮内庁記者会と東宮とは、雅子日の予定を巡って、厳しいやりとりをしている。
 それは八月二十三日、佐賀県で開催される「全国農業青年交換大会」。この大会には、例年必ず皇太子夫妻が揃って臨席]されるのだが、今年に限って、雅子妃は同行されないとの発表があったのだ。
 しかし一方で、八月一日の高校総体(岐阜)には両殿下ともいらっしゃるという。なぜ、先の二十三日の日程だけ取り止めなのか。
 それに対して宮内庁は、雅子妃ご欠席の理由を、「オフレコなら話す」と強弁したのである。
「我々が『公務に関することをオフレコとは何事だ』と詰め寄ったところ、『方針転換だ』ということでした。これからは、何よりも雅子妃の体調を優先して、必ずしも公務に同行されない方針に変わったんだ、という理解をしました」(宮内庁担当記者)
 ご成婚から七年。昨年末の不幸な出来事を乗り越え、いよいよご懐妊に向けての準備を整えようとしていらっしゃるのだろうか。
 確かにここにきて、
「特に、皇太后の逝去後は、服喪期間のため、音楽会などの外出はすべて取り止め。宮伺候のため、皇太后の棺が安置されている宮殿との間を行き来されるだけの日々です。皇太子殿下と、赤坂御所を散策するのも控えざるをえない雰囲気ですから、ストレスも溜まっていらっしゃるのでしょうね」(同前)
 しかし、事態はそう単純ではなさそうである。宮内庁関係者が重い口を開いた。
「雅子妃はこのところ、ご気分が沈みがちでお部屋にこもりがちという状態なんです。原因はわかりませんが、七月に入ってから特にお疲れの様子です。昔、美智子さまが第二子を流産し、心身ともに疲れ果てこもりがちになられたり、言葉を失われた時期がありましたが、まさに、あれぐらい深刻な状況なんです。
 食欲もおありにならない、食事を摂らないこともままおありで、部屋からお出になろうとしない。可愛がっておられる二匹の犬の、散歩すらされない日があります」
 その根底には、雅子妃の根強い不信感があるという。
 宮内庁関係者が続ける。
雅子妃は、医者はもちろん医療関係者の相談もお受けにならない。昨年のご懐妊騒動以後は、宮内庁はじめ、身近なお世話係にまで不信感を抱かれていて、皇太子さまだけを頼られている有り様です。
 一体どうしたら良いのか、宮内庁も頭が痛いんです。何しろ、お声をかけても返事をされないこともしばしば。このままだと、ご夫妻で孤立されてしまいそうで心配です」
 いまや鎌倉節・宮内庁長官まで、「八月までご公務を休まれても仕方ない」と口にするほどだという。
 宮内庁御用掛の坂元正一・東大名誉教授(愛育病院センター所長)は、
「侍医がどう診断したかは聞いていませんが、最も責任ある神事を休むときに『夏バテ』と発表した、東宮大夫の判断もおかしいのではないでしょうか。記者が国民の耳となって尋ねているのに、『夏バテ』程度の説明では、雅子さまはそんなにお弱かったのか、山は登れても葬儀は欠席するのか、と批判されたらどうするのか
 と、東宮職の姿勢に疑問を投げかける。
 岸田英夫氏(朝日新聞社友・元宮内記者委員)も、こう語る。
「宮内庁が、メディアとの信頼関係をきちんと築き上げられないと、いざご懐妊というときに、安定期に入るまでは報道を控えるといった紳士協定も結べない。昨年末の愚かな騒ぎを繰り返してはならないのです」
 雅子妃が周囲への信頼感を取り戻し、再び公務に戻られる日はいつになるか――。


『週刊文春』2000年8月10日号<Catch up 雅子さまショートカットで笑顔満面 少しお痩せになられましたか? / 雅子妃本当に「夏バテ?」で記者奔走>編集

『週刊文春』2000年8月10日号<Catch up 雅子さまショートカットで笑顔満面 少しお痩せになられましたか?>モノクログラビア

グラビア説明文引用
 写真は七月三十一日、東京駅の新幹線ホームでの皇太子殿下(40)と雅子さま(36)。おふたりは、全国高校総体の開会式に臨席するため岐阜県に出発した。
 ショートカットにされた雅子さまは、グレーノスーツにヒールの低い靴を履いていた。心なしか痩せられた様子だったが、雅子スマイルはいつもの明るい表情だった。
 雅子さまは、二十五日の「斂葬の儀」を疲労のために欠席し、心配されていた。「東宮大夫が、『夏バテのような状態。お身体を大切にしていただくという見地から、お取り止めになった』と、『斂葬の儀』の前日発表したんです。夏バテで最重要な儀式を欠席するのは、余程のこと。ご懐妊の可能性を含めて、取材しましたが、真相は謎のままです」(宮内庁担当記者)
 昨年末の入院以来、宮内庁は雅子さまのスケジュールに神経質になっているという。
 猛暑のなか、雅子さまのもとにコウノトリが飛んできたのならば喜ばしいのだが。
   撮影 本社 白澤正

『週刊文春』2000年8月10日号<雅子妃本当に「夏バテ?」で記者奔走>記事

pp.31-32より引用  七月三十一日、東京駅ホームで混乱の一幕があった。
 岐阜のインターハイ開会式に向かう皇太子夫妻のお姿を捉えようと、カメラマンと記者がつめかけたのだ。
「雅子さま~」の歓声が響くなか、「下がって」と叫ぶ警備担当者。「押すな押すな」と脚立から落ちるカメラマンまで現れる始末。
「東京駅にこんなに記者が殺到するのは、異例の事態。普段は、女性週刊誌や皇室番組をもつテレビ局くらいです」(女性週刊誌記者)
 なにしろ、一週間前の二十五日、雅子妃は、皇太后の本葬にあたる「斂葬の儀」を欠席された。これは、ベテラン皇室記者が「ありえないことが起きた」と思わず漏らしたほど前代未聞の事態
 古川清東宮大夫は、欠席理由を「暑さが続いて疲れがたまり、夏バテのような状態」と説明し、ご懐妊の可能性を否定したが、「夏バテ」で済ませていい問題なのだろうか。
 小誌は先週号で、宮内庁関係者のこんな証言を伝えた。
「雅子さまはお部屋にこもりがちで、お声をかけても返事もされないこともしばしば。昔、美智子さまが心身ともに疲れ果てて長い静養をされたことがありました。それに近いくらい深刻な状況なんです」
 宮内庁の最高幹部も「八月中はご公務を休まれても仕方ない」と、口にしたというほどだったから、
「斂葬の儀欠席後の記者会見で、『岐阜のインターハイは、雅子妃も行かれる予定です』と発表されたときは、一同、ザワザワッとしましたよ」(宮内庁記者)
 ご欠席、ご出席と続く「夏バテ」の真相を巡り、マスコミ各社は東奔西走。
「宮内庁が批判覚悟で懐妊隠しの作戦に出たのでは」(民放テレビ局記者)
「記事に書かれると無理にその反対に出るのが宮内庁のいつものやり方。雅子妃にご無理を強いたのではないか」(宮内庁担当記者)
 東京駅の雅子妃は、髪型もショートカットで以前よりほっそりされた感はあるものの、笑顔で対応されていました。
「これでいっそうわからなくなりました。酷暑の岐阜に行かれるならば、ご懐妊隠しの可能性は打ち消されたのですが、それならばなぜ、重要な儀式の一つを『夏バテ』で欠席されたのか、説明がつかない。ことは雅子妃お一人の健康問題にとどまらない。国の象徴たる皇室の行動です。国民が納得できる説明を望みたい」(前出・宮内庁担当記者)


『週刊新潮』2000年8月10日号<雅子さまは欠席された皇太后さまの葬儀>編集

『週刊新潮』2000年8月10日号<雅子さまは欠席された皇太后さまの葬儀>モノクログラビア

皇太后良子さまの葬儀「斂葬の儀」が、25日行われた。追号は「香淳皇后」。「懐風藻」に収録されている二つの詩からとられたもので、日本の古典から追号がとられたのは初めてなのだそうだ。
28日からは、一般も最後のお見送りが出来るようになった。   撮影・土居誉
 
6月16日に崩御された皇太后さまは、この日25日、昭和天皇の眠られている八王子の武蔵陵墓地に無事、埋葬された。
皇室の方々が皇太后さまにお別れを告げるため、儀式に参加されたなか、皇太子妃雅子さまは何故かご欠席。
雅子さまは「斂葬の儀」だけでなく、24日、吹上大宮御所で行われた「霊代奉安の儀」や、26日の「斂葬後一日山陵祭の儀」もご欠席された。
宮内庁は「疲れがたまっておられる。暑い日が続いており、大事な儀式との認識はあるが、お体を大切にしていただく見地から取り止められる」との不可解なコメント。
その後の予定は「(変更は)視野に入っていない」(宮内庁)というのだから、なおさら訳がわからない。
その辺の事情に関しては、詳しくはワイド特集で。
撮影・日本雑誌協会代表取材
 
香淳皇后斂葬の儀に出席している小和田恒優美子画像あり、添えられた説明は 「ご親族も、もちろん御参列」


『週刊新潮』2000年8月10日号<ワイド特集人生「崖っ淵」の綱渡り 雅子さま「休養」」で伝えられた「真相」>編集

『週刊新潮』2000年8月10日号<ワイド特集人生「崖っ淵」の綱渡り 雅子さま「休養」」で伝えられた「真相」>記事
pp.134-135より引用
 雅子さま(36)が皇太后さまの本葬に当る「斂葬の儀」を欠席された。宮内庁は理由を“夏バテ”と発表したが、信じ難い。スワご懐妊かと周囲が色めき立ったのも当然だった。ところが、そのわずか1週間後には高校総体にご出席。いったい何があったのか。
 
 宮内庁の古川清・東宮大夫が臨時記者会見を開き、雅子さまが、皇太后さま(香淳皇后)の葬儀に欠席されると発表したのは「斂葬の儀」前日の7月24日のことである。
 理由は「暑い日が続いており、お疲れがたまっている」というもので、要するに夏バテのためだというのだが、
「皇太后さまのご葬儀はその程度の理由で欠席できるような行事ではありません」
 と皇室記者の一人は言う。
「今回のご葬儀には、皇族方はもちろん、森首相や三権の長や、各国の駐日大使、またタイからは特別にシリントン王女まで参列して執り行われました。皇室行事としての位置付けよりも、春秋の皇霊祭や新嘗祭よりはるかに重く、たとえ少しぐらい体調が優れなくても、まず欠席は許されない極めて重要なものなのです」
 ましてや皇太子妃である雅子さまは、将来、わが国の皇后になられる立場である。
 かつて雅子さまが勤めた外務省の幹部もこう話す。
葬儀に出席した各国の大使からも、84歳の三笠宮崇仁殿下が参列されているのに、なぜ、プリンセス・マサコは夏バテぐらいでお休みになるのか教えて欲しいと言われて困りました。しかも、その1週間後には、もうお元気になられて、岐阜の高校総体にご出席。これでは、私たちも説明の仕様がありません」
 皇室関係者が真相を語る。
「実は、葬儀の2日前の7月23日夜。ご夕餐といって、天皇ご一家が御所に集まって食事をする会がありました。雅子さまも、皇太子殿下と出席されたのですが、その時、雅子さまは、急に具合が悪くなり、殿下と一緒に途中で帰られてしまったのです。
 
「可能性」があった
 雅子さまは、昨年のご懐妊時の騒動後、毎月欠かさず検診を受けられているが、この時は、微熱があったという。
 いずれにせよ、皇太后さまの葬儀に欠席したのは、この出来事が直接の原因だった。
「しかし、雅子さまのご体調には、この時点で、もう一つ気掛りなことがありました」
 と皇室関係者が続ける。
「これは、申し上げにくいのですが、どうやら、雅子さまはこの時、もしかしたら“ご懐妊”かも知れないと思われる状況にあったのです。つまり女性としての、月のご体調の変化がその可能性を示していた。それで、万が一にも、と大事を取って、朝から晩まで屋外で過ごさなければならないご葬儀には欠席し、とりあえず、ご休養をとっていただくことにしたのです」
 もっとも、古川東宮大夫がそれを“夏バテ”と発表したのは余りにもお粗末だった。
「おそらく、宮内庁は昨年暮のような事態は絶対に招いてはいけないと、必死になっていたのでしょうが、それにしても、もう少し他に言いようがなかったのかと思います」
 とは、ある皇室記者。
「24日の緊急会見では、当然記者から“ご懐妊では?”という質問が出ましたが、それに対しては“全くない。想像を逞しくしないで欲しい”と言いながら、28日の定例会見では“今後の行事には、皇太子殿下お一人で出席することになるかもしれない”などと思わせぶりなことを言っていた。[[ドタ出|結局8月1日の高校総体に雅子さまが出席されると発表されたのは、その直前の7月30日のことでした]が、この間、雅子さまをめぐってはやっぱりご懐妊だ、いやストレス性のご病気だと、様々な憶測が乱れ飛びました」
 が、結論から言えば、やはりご懐妊はなかったようだ。
 先の皇室関係者が言う。
「それがハッキリしたので高校総体にも出席されたということです。ただ、雅子さまがここへきて、相当な重圧を感じておられることは間違いない。宮内庁も、その辺りをもう少し考慮して差し上げないと、本当にお気の毒ですよ」


『週刊文春』2000年8月17・24日号<深層憂慮レポート 孤独の人雅子妃>編集

『週刊文春』2000年8月17・24日号<深層憂慮レポート 孤独の人雅子妃>
p.208より引用
 雅子妃が皇太后の本葬にあたる「斂葬の儀」を欠席されてから約二週間――。
 当時、小誌は、雅子妃のご体調を不安視する宮内庁関係者の証言を紹介した。
「雅子妃はこのところ、ご気分が沈みがちでお部屋にこもりがちという状態なんです。昔、美智子さまが第二子を流産し、心身ともに疲れ果てこもりがちになられた時期がありましたが、それに近いぐらい深刻な状況なんです」
「斂葬の儀」前日の臨時会見で、古川清・東宮大夫は、「雅子妃は暑さでお疲れがたまり、夏バテのような状態」と説明したが、その一週間後の岐阜でのインターハイ開会式に、雅子妃は少し痩せられたものの元気な姿をお見せになった。ところが、八月後半の公務は欠席と発表される。
 一貫性のない公務出席状況の発表に、皇室担当記者たちも戸惑いの色を隠さない。
 ある皇太子の学友は、
「いいニュースの“前兆”かもしれない。ならば、たとえ宮内庁が嘘をついていても、いいじゃないですか」
と話すが、一般国民も宮内庁の発表に、一種の期待さえ抱いている。しかし実際には、「期待」だけでは済まない事態が進行しているのだ。
 少し考えて頂きたい。
 普通の国民であっても、祖母の葬儀にその家の嫁が参列しないというのは重大な事態なのだ。ましてや、皇室における儀式・祭祀の重要性は、我々一般国民の感覚とは、大きく異なっている。
 本葬までは殯宮(ひんきゅう)伺候という儀式が連日続く。皇太后のご遺体が安置されている宮殿でお香をたき、三十分ほどすごす。皇族や宮内庁職員が、二十四時間交代でお側に付く。百五十日の喪服期間中は、歌舞音曲は一切禁止。
 ある皇室関係者も率直に話す。
皇太子妃のご欠席は前代未聞です。ありえないことが起きてしまった、と驚きました。武蔵野御陵まで行く皇族関係者のバス車内でも、欠席の話題には触れられない雰囲気でした。せめて御所の南車寄せで、柩のお見送りにだけでも、いらっしゃることはできなかったのでしょうか、それともよほど体調が…
 もし、本当に「夏バテ」だとすれば、宮内庁の健康管理の責任が問われるが、以前から雅子妃のお疲れの色は、記者たちの目にとまっていた。
「四月の『みどりの日』の集いで、香川県を訪問されたのが、ご懐妊報道以来、五カ月ぶりの公務復帰でした。この時、初めは頬に影があるのかと思うような、目の下に大きな隈ができていたんです」(皇室担当カメラマン)
 別の宮内庁関係者も、こう証言する。
「雅子さまが、沈みがちなことは間違いありません。食欲も落ちていらっしゃいますし、眠れないということもあるようです」
 国民が雅子妃の体調を気遣うのは当然のこと。「夏バテ」という宮内庁の説明は、「事態の重大さ」に対して適切だったのだろうか。


文藝春秋』2005年3月号 岩井克己朝日新聞編集委員署名記事<特集平成皇室の命運・私はこう考える「雅子妃を抱きしめた皇后さま」>編集

文藝春秋』2005年3月号 岩井克己朝日新聞編集委員署名記事

<特集平成皇室の命運・私はこう考える「雅子妃を抱きしめた皇后さま」>
pp.126-127より引用
 
 昭和六十一年からわずか三年ではあったが、昭和の時代の皇室を見聞きし、昭和天皇や側近たちと身近に接した記者としては昨年は「昭和が一気に遠ざかった年」というのが実感だ。敗戦をくぐり、戦後の年月を経て、新憲法と伝統を踏まえて「牧歌的」とでも言える、どっしりと安定した「作法」が確立していると思っていた。
 ところが「皇室の環境」への「適応障害」で皇太子妃雅子さまがくずおれてしまい、皇太子さまが国民に訴えたことが激震と成り、根本を揺るがす言説の洪水を呼んだ。中には「ご夫妻を救い出すため、国民の側は『天皇制』を断念すべきだ」という意見まで出てきた。「お世継ぎのプレッシャー」から解放すべく、小泉内閣は有史以来初めて天皇の血筋に属さない男性の子でも天皇になれるという「皇統」理念の大転換を検討しはじめた。
 予兆はあった。平成十二年、「昭和の残照」とも言われた香淳皇后の逝去、葬儀である。母を失った天皇陛下の悲しみは深く、皇后さまは葬送を出来る限り手厚くと精魂を傾け、不眠不休の日々だった。それだけに、皇太子妃雅子さまの葬儀欠席は驚きだった。そしてその理由を東宮大夫が「夏ばてのようなご体調」とこともなげに説明したことに二度驚いたものだ。豊島岡墓地での斂葬の儀にご遺体が向かう朝、儀式に出席できない車いすの桂宮さまと幼い秋篠宮眞子さま、佳子さまが宮殿の車寄せに並び、沈んだ表情で出発を見送る姿は印象的だった。しかしそこにも雅子さまの姿はなかった。このような場合、事後には当然、宮内庁から「皇太子妃殿下は東宮御所で慎まれ斂葬の時刻は遥拝されました」との発表があると思っていたが、それも無かった。年末の誕生日会見で「うかがえなかったことをとても残念に思いました」と語ったのみであった。


『週刊文春』2006年3月23日号<悲劇のプリンセス「不適応」の理由 雅子さま友人・恩師・同僚…50人の証言(下)>編集

『週刊文春』2006年3月23日号
悲劇のプリンセス「不適応」の理由 雅子さま友人・恩師・同僚…50人の証言(下)

p.50より引用
千代田(皇居)と赤坂(東宮御所)の隔たりが誰の目にも明らかになったのは、二〇〇〇年七月、香淳皇后のご葬儀のときである。豊島岡墓地で行われた「斂葬の儀」は横殴りの強い雨のなかで行われたが、その場に雅子さまのお姿はなかった。ご欠席の理由は「夏バテ」。誰もが耳を疑った。
(41)皇室関係者J氏は、その日、皇族方が乗るバスの中を支配した重苦しい沈黙を記憶している。
「陛下のお許しがあったとはいえ、皇太子妃がご欠席とは前代未聞のことだと驚きました。体調不良でも入院するレベルではない限り、皇族は出席するものと考えておりましたので……。せめて御所の南車寄せでの御棺のお見送りは可能だったのではと思いました。しかしバスの車中ではこの件について一切触れられない雰囲気でした
ご欠席の衝撃は東宮の職員たちにも広まっていた。
(42)元宮内庁関係者K氏が語る。
「東宮職の側近たちは唖然としていました。本番までの一週間、連日炎天下で黒い服に身を包み、服に塩を吹くほど汗をかいて、リハーサルを繰り返していたからです。職員は事前に皇居から移動して多摩の御陵までの段取りを何度となく確認し、玉砂利の坂を上がったり、大テントに何百人と並ぶ練習を何回も繰り返していました。そんなリハーサルに妃殿下はお出でにならないけれど、一番最後のリハーサルにはきちんと参加されていたのです。
ですからご欠席と聞いたとき、職員は『まさか』と言葉を失ってしまいました。その後、妃殿下からは東宮職に何のご説明もなく、労いの言葉もいただけなかったそうです。
妃殿下は普段から側近にあまりご相談をされません。そのため側近たちは妃殿下の真意がわからず、気を利かせたつもりがかえってお叱りを受けてしまったりして、次第に“指示待ち”になっていったようです。そのことがご夫妻と東宮職との間に様々な齟齬を生じさせていったのです」
天皇皇后にとっても、雅子さまがご欠席されたことは大きなショックであったはずだと側近は言う。東宮家は秋篠宮ご一家や紀宮さまとも次第に疎遠になり、雅子さまの孤立はますます深まっていった。
 
(注:文中の(41)(42)とは「50人の証言」の登場順を示す)

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