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基礎体温

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1997年(平成9年)頃、東宮妃懐妊プロジェクトチームが結成されたが、肝心の東宮妃雅子が提出を激しく拒んだもの。不妊治療を始めるにせよしないにせよ、基礎体温は婦人科の基礎的診断として必須情報であり、その提出に非協力的な雅子は徳仁皇太子と子作りする気がさらさらなかったと認定されるのが妥当だろう。

東宮夫妻は1993年6月の結婚後から4年間子宝に恵まれず、両陛下がそれを心配し、宮内庁御用掛を務める坂元正一医師(皇后陛下・秋篠宮妃殿下の担当医)に相談したものの東宮サイドから敬遠され手の施しようがなく、代わりに東宮侍医長が基礎体温の提出を求めたものの雅子の激しい拒否に遭う。事態を打開すべく坂元正一医師の“弟子”に当たる堤治医師(体外受精の専門家)らで、皇太子妃懐妊プロジェクトチーム結成。但し、表向き堤氏は宮内庁病院の非常勤医師の扱いであった。

関連:女性自身 1997年12月23日・1998年1月1日合併号<雅子妃34才と宮内庁病院「不妊治療」の権威>記事

しかし東宮夫妻が「自分たちでちゃんとやります」ということで折角のプロジェクトチームは解散することとなった。堤治医師が雅子妊娠のためのサポート(或は高度な懐妊治療)に携わることとなるのはここから更に数年後となる。

なお、この基礎体温提出拒否事件が起こるしばらく前の結婚後3年目時期に、今上陛下が雅子に対してかけたお言葉「(子供が授かることを)国民みんなが待っているからね」に対し、「私の友達にそんなことを言う人は一人もいません」と口答えした事件も発生している。基礎体温提出拒否事件といい、いずれも小和田雅子が夫徳仁との子作りガン無視、特権だけを目当てに皇太子妃になったとしか思われないエピソードである。

1999年12月妊娠初期の身でありながらベルギー訪問(飲酒グルメ旅行付)を強行した雅子は同月末稽留流産することになるが、その際「基礎体温を報じられ深く傷ついた」なんて記事まで登場している。流産に傷つくなら理解もできようが、体温データごときの公表でそこまで傷ついたと大騒ぎするところは、正直言って非常に理解に苦しむものである。

参照:【私の友達にそんなことを言う人は一人もいません】、【子供を産める身体】、【堤治】、【ベルギー訪問

Part2946-583 可愛い奥様@転載は禁止 sage 2015/04/07(火) 12:00:42.88 ID:yNjGlRhg0

三十路で結婚した途端、3年は子作りしません宣言
子作り始めた途端、公務が忙しくて子作りできない宣言
不妊治療始めた途端、科学的流産で公務祭祀休みます宣言
妊娠した途端、極寒ベルギーに出掛けてマスコミのせいで流産した宣言
女児を一人生んだ途端、育児休暇は3年もらいます宣言
第二子を期待された途端、人格否定、適応障害で無期限休養宣言

世継ぎ産む気も、公務する気もないでしょ、この女


『基礎体温表を出していただけないでしょうか』とお願いに上がった東宮侍医長が雅子の不興を買い退任に到る事件編集

『週刊文春』2006年2月23日号<二人のプリンセスお世継ぎをめぐる12年 紀子さまが雅子さまの前でご懐妊直前流した涙
pp.27-28より引用
 天皇家にとって「お世継ぎ」は最重要の課題であったが、皇太子ご夫妻のお考えは天皇とは異なっていた。
 元宮内庁関係者が明かす。
「天皇皇后が『お世継ぎ』を望まれるご意思は強く、いわば『デューティ(義務)』だとお考えでした。ところが皇太子ご夫妻は>『子どものことは自分たちで考える』というお考えだった。
 その後も天皇皇后は、皇太子ご夫妻が四年間も子宝に恵まれないことについて何の対策もお取りになっていないことをお知りになって、さすがにご心配が募られたようです。そこで、宮内庁御用掛で皇后さまの掛かりつけ医であった産婦人科医の坂元正一氏にいろいろとご相談されました。ところが坂元さんは皇后の信頼が厚いためか、皇太子ご夫妻から警戒されてしまったそうです。坂元さんは『自分のことを両陛下の側の人間だと思われるらしく、敬遠されてしまう』と嘆いていた。 両陛下にご報告するにも材料がなく困っていたみたいです」
 そこで坂元御用掛の代わりに東宮侍医長が皇太子ご夫妻におうかがいを立てることになったという。九七年頃のことだ。
東宮侍医長は温厚な人だったので苦慮したようですが、失礼なことは承知の上で、『基礎体温表を出していただけないでしょうか』とお願いに上がったのです。それが皇太子ご夫妻のご不興を買ってしまった。『他人が口をはさむものではない』 と厳しいご返事をいただいたと聞きました。その後、東宮侍医長は遠ざけられ、雅子さまへのお目通りは一切許さなくなり、連絡はメモのやり取りだけに限定されたそうです。彼はまもなく東宮御所を去ることになりました」(同前)

東宮侍医長が基礎体温ぐらいは報告していただかなきゃ困りますと言った途端に更迭、なお香山リカだけは「基礎体温提出を求めた侍医をクビにしたのは提出理由を説明しなかったから」と意味不明擁護編集

『文藝春秋』2009年12月号<御即位20年の重大事件 雅子妃が変えた平成皇室>(保阪正康/櫻井よしこ/高橋紘岩井克己/香山リカ座談会)
pp.109-110より引用
保阪 素朴な疑問ですが、宮中のコミュニケーション回路は宮内庁の役員たちが作らないのですか。それが彼らの仕事でしょう。
高橋 東宮というのは一つの独立した役所なんですね。外務からみれば、宮内庁長官―東宮大夫という上下関係があるように考えてしまいますが、陛下側の代弁者と皇太子殿下側の代弁機関は独立した別のものと考えたほうがいい。だから情報も上ってこないし、錯綜する。宮内庁長官も皇室医務主管も、雅子さまの正確なご病状は把握していないでしょう。
岩井 本来なら東宮大夫、東宮侍従長が陛下との回路を作ったり、日程調整したりしなければならない。しかし皇太子ご夫妻が東宮職を信用なさらないんです。
高橋 皇太子ご夫妻とコミュニケーションラインを引こうと東宮職は努力してきたけれど、もうギブアップなんです。
岩井 新婚早々からその傾向はありました。東宮侍医長が基礎体温ぐらいは報告していただかなきゃ困りますと言った途端に更迭されたと聞いています。これでは誰も何も言えなくなってしまう。
香山 「これは慣例ですから」って提出を求められたから雅子さまは拒否反応を示されたんじゃないですか。きちんとこういう理由で体温が必要なんですと言ってもらわないと、プライベートなデータは出せませんと思ったのではないですか。雅子さま世代にとっては「慣例」で済ますことがいちばん納得できないことなんですよ
岩井 それは僕も分かりますが、皇室の「最重要な任務」のために、当然の義務を果たしたつもりの侍医長にとっては納得いかなかったことでしょう。
櫻井 話が元に戻るかもしれませんが、皇室の最重要な任務のひとつがお世継ぎを産むということだと自覚されていないとすれば、やはり問題だとしか思えません。それがひいては東宮と千代田という皇室そのものの亀裂を走らせたのですから。
香山 皇太子さまの説明責任もあると思います。もしかしたらあまりにも嫁いでいただきたかったがため、魅力的なことばかり雅子さまに仰ってしまった可能性もあるのではないですか。
櫻井 愛するあまりですね。でもそういうふうに皇室全体の環境がよくない状況下でお育ちになる愛子さまのことも、私は心配になってしまいます。
高橋 さっき香山さんが言ったとおりで皇太子さまは説明責任を果たしていない。「新しい公務を目指したい」「皇室外交をやりたい」と発言しておきながら、具体的な意見は表明していないのだから。
岩井 雅子さまを守るのはいいんですけれども、雅子さまの希望通りにやっていたら結果的に雅子さまを守ることになってない、というのが構図なんです。これが歯がゆいわけです。
保阪 確かにそう思いますし、ここまで根深いものになった「人格否定発言」というのは雅子さまを「全力で守る」ためばかりでなく、東宮家の個人主義、宮中に対する依怙地なまでの反動、そうしたものを全部包有した、ある意味では革命的な言葉だったのではないでしょうか。
高橋 いや、あれは東宮の独立宣言ですよ。皇太子の人間宣言ですよ。昭和天皇の人間宣言に匹敵するくらいの皇室の一大事件としてこれからも記憶されるものになるでしょう。


後日、『文春新書742 皇太子と雅子妃の運命 平成皇室大論争』なる保阪正康、香山リカ、福田和也、友納尚子、斎藤環、櫻井よしこ、岩井克己、佐藤愛子、茂木健一郎、猪瀬直樹、御厨貴ほか17人のアンソロジーが文藝春秋から2010年2月20日発行される。→表紙宣伝広告
内容は全て過去『文藝春秋』本誌掲載記事の再録で、序文や結論や編者名はなし。但しスレにて突っ込まれていたトンデモ擁護を含む含む文は除外されているとPart1729-688奥様ご報告。
除外例:「東宮家から皇居まで携帯電話の電波が届かなかったので連絡できなかった」(友納尚子)→【江頭2:47
  「香淳皇后の葬儀に出なかったのは化学的流産のため」(友納尚子
  「基礎体温提出を求めた侍医をクビにしたのは提出理由を説明しなかったから」(香山リカ)

坂元正一御用掛ですら東宮夫妻に不妊治療の進言をしたとたん雅子の不興を買い遠ざけられることに編集

『週刊新潮』2013年1月3・10日号<「天皇陛下」最後の誕生日記者会見でも明かさなかった胸中 宮内庁関係者が重大証言 陛下が漏らした「皇太子は変わってしまった」>
pp.30-31より引用
愕然とされた紀宮さま
 さる宮内庁OBは、
「陛下が皇太子ご夫妻のお振る舞いに心を痛められた、いわばエポックメーキングとなった事柄は、過去に2つあります」
 としながら、こう続けるのだ。
「1つは、言わずと知れた2004年5月の『人格否定発言』。この時、皇太子さまが仰った『雅子のキャリアや人格を否定するような動き』というフレーズの“主体”が、両陛下を指していることは明らかでした。皇太子さまは直後に渡欧されましたが、このご発言を大いに憂慮された陛下は、詳しいご説明をするよう皇太子さまに求められたのです。ですが、帰国後、宮内庁幹部が真意を伺おうとしたところ、妃殿下はその求めを強く拒まれたのでした」
 実はその頃、陛下を雅子妃との間で板挟みになっている兄の姿をご覧になり、たまりかねた紀宮さま(当時)が動かれたことがあった。
「紀宮さまは『陛下も大変に心配なさっていますよ』と、皇太子さまにお会いして懇々と話をされ、円満な解決を願ったのですが、これに対し皇太子さまは何と『どちらを立てていいのか分からない』とお答えになったのです」(同)
 この場合の「どちら」とは、むろん陛下と雅子妃を指すわけだが、これを聞いた紀宮さまは愕然とされたという。
「皇室の一員である以上、陛下のご意向に優先されるものなどあるはずがない。自明の理であり、双方を天秤にかけているような皇太子さまの仰り方は、まさに耳を疑うような話でした。ここで紀宮さまは、仲介の労も空しく、刀折れ矢尽きてしまったのです」(同)
 もう1つ、これより遡ること数年前の出来事が、陛下のお心を暗鬱にさせているという。別のOBによれば、
「93年のご成婚以降、99年に雅子妃が第1子をご懐妊になり、稽留流産なさるまでの6年間、お世継ぎに恵まれなかったご夫妻について、陛下は大いにお嘆きのご様子でした。この間、言うまでもなく両陛下はご懐妊を心待ちにされており、一時期は東宮側の担当医師が毎月、秘密裏に皇居に呼ばれ、女性特有の体内周期を含む雅子妃のご体調について、両陛下にご報告をあげていたこともありました」
 そのころ、周囲ではご夫妻に不妊治療を勧める声も出始めていたという。が、
ご夫妻は一貫して『私達に任せておいてください』と、治療を拒み続けてきたのです。ある時、御用掛だった産婦人科の坂本正一・母子愛育会総合母子総合保健センター所長(故人)がその話題を持ち出したところ、ご夫妻の不興を買ってしまい、それ以来しばらくは直接お目にかかれなくなってしまったこともありました」(同)
 さらにこのOBは、次のような「重大証言」をしてくれたのである。
「こうしたご夫妻のお振る舞いをご覧になるにつけ、陛下はある時、明確にこう仰ったことがあります。曰く、『皇太子は、結婚してから変わってしまった。あのような子ではなかったのだが……』と」

「基礎体温を報じられ深く傷ついた」理解不能な雅子編集

『週刊文春』2012年3月15日号<雅子さま天皇お見舞いでショックを受けられた「ある出来ごと」> 深層レポート ご公務復帰に疑問符! 雅子さま天皇お見舞いでショックを受けられた「ある出来ごと」
p.172より引用
「龍岡門をくぐられるとき、雅子さまは前をじっと見つめたままでした。窓は閉められていて、室内灯がついていなかったので、各社一斉にフラッシュを焚いてお顔を撮ろうと必死でした」(皇室担当記者)
 (補足:2012年3月)一日、東大病院へと続く東大龍岡門前には、朝から五十人以上の報道陣が集まっていた。約一週間前の「両殿下はお見舞いを希望されている」という発表を受け、報道陣は雅子さまのお見舞いを今か今かと待っていたのだ。
 
 病院到着時も、久しぶりに天皇とお会いになる緊張感からか、雅子さまの表情は強張っていた。
「口を真一文字に閉じられ、口角を上げようと力が入っていらした。皇太子は気遣われるように雅子さまの少し先を早足で歩かれていました」(同前)
 ご夫妻のお見舞いは、ほぼ予定通りの約二十分間。愛子さまからのメッセージカードに、天皇は礼の言葉を仰ったという。
「お帰りの際、東大病院の近辺では、雅子さまはプレッシャーから解放されたように車の窓を開け、患者やその家族に対し、身を乗り出してお手振りをされていたんです。
 ところが、報道陣が待つ龍岡門を通過される際には、白いレースのカーテンが閉じられていて、雅子さまのご様子を窺うことはできませんでした」(同前)
 この“拒絶”には報道陣も呆気にとられた。
 そして、翌日に開かれた定例会見で、小町恭士東宮大夫は記者たちに訴えた。
<公道にたくさんカメラが集まり、フラッシュ撮影が行われたことは、妃殿下にとりご負担になりました。フラッシュ撮影は控えていただけるように改めて協力をお願いします>
 しかし、雅子さまのお見舞いについては、国民の関心も高く、当然、報道陣が集まることは想定できた。だが、事前の東宮職の対応は十分とは言えなかった。
「『それなら初めから取材対応すればよかったのでは』と突っ込まれて、大夫は『あれだけ(報道陣が)多いことは十分予想していなかった』『我々も反省しなくてはならない』などと、釈明していました。挙げ句、『記者会の皆さんとよく議論していきたい』という。妃殿下のご病状は公表しないのに、何をベースに議論しようというのでしょうか」(宮内庁担当記者)
 カメラやフラッシュが雅子さまのご負担になるという話が出始めたのは、十二年以上前に遡る。
「九九年の稽留流産の後からではないでしょうか。雅子さまは、ご自分の基礎体温などが詳細に報道され、深く傷つかれたといいます。その頃から、当時の古川清東宮大夫は『妃殿下は光にお弱くて』と記者に漏らすようになった。再びご懐妊の兆候が見られた〇一年春には、古川大夫は『カメラのフラッシュが一番のプレッシャーだ』と公言。報道陣への自粛を求めました」(元宮内庁担当記者)

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