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秋篠宮(礼宮)の実母という都市伝説がある女優。加茂さくらは昭和30年(1955年)に宝塚歌劇団に入団し、昭和46年(1971年)に退団。タカラヅカ史に残る名娘役・プリマドンナだった。
秋篠宮殿下がお生まれになったのは昭和40年(1965年)11月30日。当時、加茂さくら氏は宝塚のメインを張る娘役の一人として大劇場で飛んだり跳ねたり歌ったり、また稽古に励んでいた。

加茂さくら氏1965年後半~1966年前半の出演記録・舞台写真等記録集編集

別HP魚拓参照、この他に東京公演・地方公演あり

上サイトから、加茂さくら氏宝塚大劇場舞台出演記録部分抜粋(見やすいように少し書き換えてあります。情報自体は変わりありません)

昭和40年(1965年)
冠名 作品名 初日 千秋楽 上演場所 主な出演者
タカラヅカミュージカル 港に浮いた青いトランク 雪組 1/29 2/28 宝塚大劇場 真帆志ぶき、加茂さくら
ミュージカル・プレイ ゴールデン・シャドウ 雪組 9/2 9/30 宝塚大劇場 内重のぼる、加茂さくら
11/30 礼宮文仁親王殿下ご誕生
昭和41年(1966年)
海外公演試作品
ミュージカル・ロマンス
日本の祭
夜霧の城の恋の物語
星組 1/1 1/31 宝塚大劇場 高城珠里、千波淳、如月美和子、加茂さくら
ハワイ公演
※この行のみ『宝塚歌劇ステージアルバム 舞台年鑑』第二十集参考
4月11日ハワイ公演組羽田発 同月25日帰着
第一部「日本おどり絵巻」
第二部「レインボー・タカラヅカ」
- 4/14 4/23 ホノルル・インターナショナル・センターのコンサートホール 春日野八千代・水穂葉子・加茂さくら・川路真沙など


加茂さくら氏の昭和40年における主な活動としては、1月29日~2月28日「港に浮いた青いトランク」に、9月2日~9月30日「ゴールデン・シャドウ」がある。秋篠宮は同年11月30日生まれなので、9月に身重の体で舞台女優は務められない。
更に彼女は翌年昭和41年1月1日~1月31日の期間、大劇場で「日本の祭」という舞台に出演しており、産後1ヵ月で舞台本番初日??であるからこの都市伝説はまったくの噴飯ものである。さらに昭和41年4月には、歌劇団第4回ハワイ公演でトップ娘役として参加している。 いずれにせよ娘役スターとして活躍の真っ最中であり、出産なんて問題外であることが常識を持った人々ならすぐに分かることであろう。

『宝塚グラフ』1965年10月号(9月25日印刷、10月1日発行)掲載、同年9月雪組公演「ゴールデン・シャドウ」舞台写真

『宝塚歌劇 舞台年鑑』SOUVENIR 1965 第十九集(昭和四十一年三月一日発行)掲載、9月・雪組公演 ミュージカル・プレイ ゴールデン・シャドウ
●右・マリオ・内重のぼるとキャサリン・加茂さくら 上・自動車事故で負傷したアントニオ・内重のぼるを見舞うキャサリン・加茂さくら

『宝塚ステージアルバム 舞台年鑑』第20集(昭和四十二年三月一日発行)掲載、昭和四十一年(1966年)一月星組公演 一月一日~三十一日 海外公演試作品「日本の祭」モノクログラビア、「日本の祭」「夜霧の城の恋の物語」スタッフ出演者配役記録
②歌う葵姫…加茂さくら
『宝塚ステージアルバム 舞台年鑑』第20集(昭和四十二年三月一日発行)掲載、昭和四十一年(1966年)一月星組公演 一月一日~三十一日 ミュージカル・ロマンス「夜霧の城の恋の物語」モノクログラビア
②フィナーレ・左から加茂・那智・美和・美吉

加茂さくらは、昭和40年(1965年)1月25日雪組から声楽専科へ、昭和41年(1966年)12月7日声楽専科から雪組へ、組変えしている。


また舞台活動以外にも当然仕事はあるわけで、宝塚雑誌バックナンバーで現在確認できるだけでも以下のようなものが存在している

『宝塚グラフ』1965年7月号(6月25日印刷、7月1日発行)
宝塚フェスティバル 五月二十九日 大阪毎日ホール(記事一部、加茂さくら氏ドレス姿写真あり)
『宝塚グラフ』1965年9月号(8月25日印刷、9月1日発行)
☆他流試合 七月二十五日、YTVの天神祭中継のゲストに加茂さくらが出演(ミニコーナー情報)
稽古場拝見 八月公演お稽古場再録と九月公演へのご招待 九月は内重・加茂・八汐路の顔合わせ!(稽古場レポ記事)
十月二十一日 情熱の歌姫 加茂さくらリサイタル 大阪毎日ホール(1p告知)
『宝塚歌劇 舞台年鑑』SOUVENIR 1965 第十九集(昭和四十一年三月一日発行)昭和四十年 宝塚歌劇の記録

加茂さくらリサイタル
十月二十一日  毎日ホール 第一部歌劇「トロバトーレ」 第二部小品集 第三部組曲「出雲阿国」(鴨川清作構成)
出演…大路三千緒ほか


テレビ
宝塚51'(参考サイト:宝塚プレシャス) KTV・フジテレビ(毎週金曜日夜10.15~45 10月7日から毎週木曜日夜6.15~45)阪急電車・阪急百貨店提供
放送日7月23日 No.72 珊瑚礁の彼方に 淀・加茂・近衛・高城
放送日8月13日 No.75 歌う加茂さくら 加茂・白峰・千波淳
放送日10月1日 No.82 今宵歌えば 淀・加茂・水代・松乃・南原
放送日12月9日 No.92 ことしの唄 加茂・高城・安芸・南原

『宝塚歌劇 舞台年鑑』SOUVENIR 1965 第十九集(昭和四十一年三月一日発行)昭和四十年 宝塚歌劇の記録

十月二一日 加茂さくらリサイタル<大阪毎日ホール>大路・松乃ほか出演
十二月一六日 読売テレビのロータリー・クリスマス<ロイヤルホテル> 加茂さくら、姫出演

『宝塚歌劇ステージアルバム 舞台年鑑』第二十集(昭和四十ニ年三月一日発行)昭和四十一年 宝塚歌劇の記録

宝塚フェスティバル
五月二十一日・二十二日 大阪毎日ホール
1舞踊劇「雪月花」三幕 白井テツ造・内海重典構成
2宝塚なつかしの歌「七つのリサイタル」十四場 内海重典 構成演出
出演…天津・春日野・那智・如月・加茂・上月・内重・高城ら


テレビ
宝塚52'(参考サイト:宝塚プレシャス) KTV・フジテレビ(毎週木曜日夕6.15~45)阪急電車・阪急百貨店提供
放送日2月10日 No.101 この道はいつかきた道 淀・加茂・牧

『宝塚歌劇ステージアルバム 舞台年鑑』第二十集(昭和四十ニ年三月一日発行)昭和四十一年 宝塚歌劇の記録

テレビ
放送日1月2日 放送局NHK オープニングショー1966 那智・加茂・上月・内重・麻鳥
放送日4月5日 放送局YTV 11PM 加茂さくら
放送日6月  放送局NTV 日立ミュージック・プレゼント 加茂さくら


ラジオ
グリーン・ミュージック(ABC・KHK平日朝7時15分から、日曜朝8時5分から各々5分間)
4月まで 淀かほる・5月から加茂さくら


公演期間だけでなくそのための稽古には何ヶ月もかかる。特に宝塚は稽古期間が長いことでも有名で、公演日数より稽古日数の方が多いとまで言われるぐらいで、昭和40年11月30日に加茂さくらが秋篠宮殿下を出産することはどうみても不可能、まったくあり得ない話である。
ここまで明確な証拠が挙がっているにも関わらず、今日でも皇室(特に秋篠宮家)を中傷する輩には「昔のタカラヅカは記録に残らない休演も多かった!」「妊娠中の美智子妃の姿が不自然」等と意味不明な主張を交え、この説を支持する者がいる。

都市伝説のしつこい流布のバックグラウンド~永六輔、中山千夏、矢崎泰久、本田勝一、佐高信らが参加の『週刊金曜日』主催緊急市民集会での「猿のぬいぐるみ」演劇パフォーマンス編集

「2ちゃんねる」というかインターネットが出現するずっと以前から、この都市伝説は非常に広くしつこく流布されてきた噂のひとつである。次のような背景があり、信じこまされている人が多い。

  • 美智子妃殿下が浩宮(現・皇太子)を出産後、すぐに第二子を妊娠したもの胞状奇胎になってしまったこと

(※これは俗にブドウ子と呼ばれ、本来胎児になるはずの細胞が異常増殖してしまう病気で当時の医学では治療が難しく、取りきれず残った細胞がまれに癌化することもあり、その後の出産は無理と思われていた。美智子妃殿下は当時最先端の治療を受け、5年間は妊娠しないという指示を守り治癒した)

  • 今上天皇が加茂さくらのファンだとされること
  • 幼児期の礼宮(秋篠宮)の可愛らしい顔立ちが加茂さくらになんとなく似ているように見えた
  • 今上天皇の子女のうち、礼宮一人だけ長身(※なお美智子さまのご実家正田家の人々は高身長揃いで有名である)


ちなみにこの説を信じると、美智子さまが第三子の紀宮(=黒田清子さん)を出産することが不可能になってしまうため、「紀宮は女官の子」説が抱き合わせセットになっている。

永六輔がラジオでネタとしてしゃべったことで全国に広まり、いつの間にか公然の秘密、と思い込んでいる人が多い。当時を知らない若年層にまで広まっているのは意図的に吹聴している勢力があるのかもしれない。
なお永六輔については、2006年9月6日悠仁親王ご誕生にからめて『週刊金曜日』が主催した緊急市民集会での芝居内容からも窺えるように、加茂さくら都市伝説大嘘をラジオで語った昔も、2006年の時点においても、下劣な感性もさることながら、皇室・日本に対し強い敵意を抱いている姿勢が一貫していることが分かる。

『週刊新潮』2006年12月7日号 陛下のガン」も笑いのタネにした「皇室中傷」芝居
安倍政権への対立姿勢を鮮明にする左翼系週刊誌の『週刊金曜日』が主催する緊急市民集会でのパフォーマンス、「永六輔、中山千夏、矢崎泰久、本田勝一、佐高信」らが参加した緊急市民集会。美智子皇后や君が代を貶める「不敬で下劣」なイベントに参加者は凍りついた。
本多勝一編集委員の挨拶から始まった集会で、問題のパフォーマンスがおこなわれたのは、午後2時半頃からである。司会を務めるのは、同誌の発行人でもある評論家の佐高信氏だ。
「えー、今日は特別なんで、とても高貴な方の奥さんにも来ていただきました。この会場のすぐ近く、千代田区一丁目一番地にお住まいのかたです」
佐高氏がそういうと、舞台の右袖から、しずしずと美智子皇后のお姿を真似たコメディアンが出てきた。黒いスカートに白のカーディガン、頭には白髪のかつらと、帽子に見立てた茶托を乗せている。そして、顔は前面だけおしろいを塗って女装した男である。会場は拍手喝采だ。
(中略)
「そう言えば、去年は皇室典範を変えるとか変えないとかで、マスコミが随分騒がしかった。でも、ウチの次男のところに男の子が生まれたら、それがピタッとおさまっちゃいましたね」
と、悠仁親王のことを話題に。そして、
「今日は、実はその子を連れてきてるの。ちょっと連れてきて」
と言うと、スタッフが舞台の下からケープに包まれた赤ちゃんの人形のようなものを壇上の“美智子皇后”に無造作に手渡した。よく見ると、猿のぬいぐるみである。“美智子皇后”は、そのぬいぐるみに向かって、
「ヒサヒト!ヒサヒト!」
と声をかけながら、その猿の顔を客席に向けたり、ぬいぐるみの腕を動かしたりする。場内は大爆笑。大受けに満足の“美智子皇后”の芝居は続く。やがて、抱いている猿のぬいぐるみに向かって、
「ヒサヒト!お前は、本家に男の子が生まれたら、お前なんか、イラナーイ!」
と叫んで、舞台の左側にポーンと放り投げるパフォーマンスが演じられた。だが、このシーンで場内は静まり返った。若者の中にはクスクスと笑いを漏らす者もいたものの、さすがにここまで来ると観客の大半が凍りついてしまったのである。


また、加茂さくら都市伝説に比べれば非常にマイナーではあるが、亜流として藤村志保都市伝説もある。藤村志保は昭和40年にNHK大河ドラマ「太閤記」で秀吉の妻・ねねという大役(ヒロイン)で出演しており、昭和40年11月の出産は同様に不可能である。

逆に美智子さまが皇宮警察官と不倫(ryという、これまたアホらしい誹謗中傷(都市伝説)も存在するが、同様に全く根拠がない。

なお、小和田雅子が徳仁親王との婚約内定時期に発売された『週刊朝日』1993年3月25日増刊号において「雅子さんクイズ」なる企画ページが存在するが、その中で小和田雅子とこの加茂さくら氏とが母方祖母方面の遠縁であると、クイズの正解として記されている。単なる偶然か、それとも未だ世に知られぬ企みが裏にあるのかは、一切不明である。

週刊朝日増刊号 1993年3月25日号<エピソードから秘密まで 雅子さんクイズ50>問題と解答
p.83より引用
Q24 山屋大将の血筋で、雅子さんとは遠縁にあたる元タカラジェンヌは誰
加茂さくら  2 鳳蘭  3 黒木瞳


比較画像編集

独身時代の正田美智子さんと秋篠宮の横顔比較画像
独身時代の正田美智子さんと秋篠宮の斜め前からの比較画像
独身時代の正田美智子さんと髭を蓄える以前の少年礼宮比較画像、顔の下半分がそっくりである
普段は秋篠宮さまのお髭で見えにくくなってしまっているが、横から見た鼻のライン、すこし奥寄りの上下の唇と顎、更に目元と眉もそっくりなことが良く分かります。

昭和天皇第一皇女照宮殿下(13/15歳)と秋篠宮家次女佳子内親王殿下(12歳)比較
昭和天皇第一皇女照宮殿下と秋篠宮家次女佳子殿下比較
昭和天皇と佳子殿下、曾祖父・曾孫娘比較
昭和天皇・照宮殿下(東久邇成子さん)・秋篠宮家佳子殿下は、眉・目元がとても良く似ていらっしゃいます。

目が小さく日本人形のような顔立ちが、「皇室顔」のように語られることもあるが、必ずしもそうではない。
1912年頃 大正天皇・貞明皇后・迪宮・淳宮・光宮
1915年頃 迪宮裕仁親王
このように、昭和天皇までは目元がくっきりとした"濃い"お顔立ちである。
逆に、以下の写真でわかるように、香淳皇后は"日本人形のような"お顔立ちである。
1917年頃 久邇宮家の良子女王
1922年 良子女王ポートレート

ご婚約当時の正田美智子さんの身長は、当時の女性の平均身長よりやや高めの161cm。しかし母の富美子さんは、さらに背が高い。富美子さんと同世代の宝塚男役スター春日野八千代(1915年生)が162cmで、当時の日本人女性として極めて高身長であった(平均は150cm程度)。富美子さんが当時の女性の中では高身長であったことがご理解頂けるだろう。正田美智子さんの父・正田英三郎氏もたいへん大柄で高身長であることは言うまでもない。
1958年11月27日 婚約内定記者会見終了後の正田美智子さんとご両親
1959年1月14日 納采の儀における、正田美智子さんとご両親
参考:日本人の平均身長の推移(30代)児童生徒の平均身長の推移(10代)

以上のことから浩宮・礼宮・紀宮の身長・顔立ちが異なるのは、祖父母の誰に良く似たかの違いでしかない。

ご懐妊中の美智子妃殿下画像編集

1959年11月 葉山にて

1965年6月 江ノ島にて
1965年8月 軽井沢にて
1965年10月3日 東京・目白の学習院幼稚園で美智子さまとフォークダンスで手をつないでいる浩宮
1965年10月3日 学習院幼稚園の運動会で美智子さま(ご懐妊中)の耳元で何かを囁く5歳の浩宮。この翌月11/30礼宮殿下ご誕生
1965年10月3日 同上学習院幼稚園運動会で浩宮が、当時ご懐妊中で見学のみの予定だった母美智子さまに遊戯を一緒にするようねだる事件連結画像(TBS「ひるおび!」2010/10/12)

ttp://sankei.jp.msn.com/culture/imperial/101009/imp1010090701001-n1.htm

MSN産経【皇室ウイークリー】(153)愛子さま、メディアがプレッシャー?「ナルちゃん」の運動会を振り返る 2010.10.9 07:00
 愛子さまの運動会の様子は次回の皇室ウイークリーで詳しくご紹介することにして、今週は45年前に行われた学習院幼稚園の運動会を取り上げたい。主役は当時5歳だった皇太子さま(浩宮さま)だ。
 「ナルちゃん楽しい半日 学習院幼稚園の運動会」。昭和40年10月4日の産経新聞朝刊はそんな見出しで、浩宮さまの元気なご様子を伝えている。浩宮さまは綱引きとタマ入れの競技にご出場。「顔をまっかにしてふんばったり、元気にタマをなげる姿に、ご両親はいかにも楽しそう」。当時皇太子だった陛下の様子も「ほかのパパ、ママにまじって、三角帽子をかぶり、二人一組で、フラフープの輪をくぐりながらのかけっこ。こんどはナルちゃんが大声援」と紹介している。
 他社の報道だが、当時皇太子妃だった皇后さまは、礼宮さま(秋篠宮さま)の出産を間近に控えていたため、母子が手を取って踊るフォークダンスはご見学の予定だったが「浩宮さまは相手の先生をすっぽかしておかあさまのところに走り寄られていた」。リレーでは「軽井沢できたえられた健脚をみせて力走、ご両親も身を乗り出すようにして声援をおくられた」と、運動会を楽しむご一家の様子を伝えている。


1969年1月2日 新年一般参賀
1969年3月1日 ご懐妊9ヶ月目に行う「着帯の儀」を前にして
『別冊女性自身写真集 ご成婚10周年記念家庭保存版 皇室と昭和の秘録/大写真集』(1969年4月1日発行)<よろこびの皇太子ご一家 おめでたの日も近い美智子妃殿下>

創価学会と統一教会と左翼のコラボが都市伝説流布の背後に?編集

245 名無しさん@十一周年 2010/09/07(火) 11:54:30 ID:SDC4sFrL0
>>74
賀茂さくらが秋篠宮を産んだという、あの都市伝説を広げているのは、
創価学会だけでなく、ソウカと統一教会のコラボですね。どっちも朝鮮カルトですが。
ゲスな下ネタ使って、日本の皇室を誹謗中傷する事に喜びとアイデンティティを
持つ人達が、確実に存在するんです。ロスアンジェルスの日本食レストランで
実際に体験した人が身近にいるんです。アメリカのシーフード系日本レストランは、
100%統一教会系ですが、そこへ常連の客が来て、回りの客に聞こえる様に、
ウェイトレスを捕まえて個人的に、熱心に折伏するかの様に、説くんです、
「秋篠宮は賀茂さくらの子だ、自分は皇室関係ジャーナリストが友人に居て
秘密を知る立場に有る」と。その常連客は、ロスの創価学会・国際支部の
人だそうです。場所は統一教会系の日本食レストランでしたけどね。
創価学会の上層メンバーが言う事は、1にも2にも、池田犬作の意を呈しています。
賀茂さくらが秋篠宮を産んだなる噂を広めて、天皇陛下を誹謗中傷する指令を
出しているのは、間違いない、池田大作です。


255 名無しさん@十一周年 2010/09/07(火) 12:14:56 ID:GC5DvG6j0
>>245
俺は賀茂さくら伝説は
ゲバサヨの大学教授から聞いた。
ソウカとか統一は毛嫌いしてるが
「従軍慰安婦~~!南京大虐殺~!
日の丸・君が代は問題あり~~!」
というお人だ。

当然、御優秀な雅子様、愛子様をマンセーしているが
昭和天皇、今上両陛下と秋篠宮家の事はボロッカスに叩く。
サヨちゃん達は伝統を継承されるのが嫌なんだろう。


259 名無しさん@十一周年 2010/09/07(火) 12:23:42 ID:SDC4sFrL0
>>255
ゲバサヨの革マル派や中核派や、日航機をハイジャックして北朝鮮へ行った赤軍派の
指導部が在日朝鮮人だった事を御存知でしょうか。日本人のメンバーが
指導部にチャレンジすると、反革命!プチブル反動!として
いわゆる内ゲバで抹殺されました。


260 名無しさん@十一周年 2010/09/07(火) 12:24:17 ID:AEhfO5Ff0
>>245
自分も加茂伝説をはじめてきいたのは、ソウカの学会員からだったな。

自分は20年ほど前、結構熱心な学会員の知り合いが
「はやく浩宮様が天皇になればいいのに」とよく言ってたのを覚えてる。
すでに内々に雅子様と殿下が交際されてたころだ。
しかしまさか、ソウカの野望がからんでるとは思ってもみなかったな。


261 名無しさん@十一周年 2010/09/07(火) 12:33:22 ID:GC5DvG6j0
>>259
はぁ。本当にチョンだったのかは知らないが
その大学教授は間違いなく日本人。
彼女は反米、反体制思想だが実力行使はしてないよw
全共闘時代に東大通ってると反米思想になるからねw
そのまま社会に出ずに研究→今でも大学内じゃ
当時の思想のままに伝統権威主義は悪!になるんじゃね?

サヨ集会でも悠殿下人形を放り投げてをブジョクしたりしてるだろ??
でもあいつら、何故か雅子様、愛子様マンセーなんだぜwww

こういうヤツラが、学生に賀茂さくら伝説とかを伝授してるんだろうなぁ。


543 名無しさん@12周年 2011/08/21(日) 05:54:54.30 ID:eGZtn+ad0
実家のある田舎の話。
オバアちゃんが老人センターで会った創価ババア。
老人が週に一度あつまって刺繍手鞠や折り紙彫刻みたいなの一緒に作りながら
世間話をするらしい。合間に創価学会のババアが、
 
1。創価学会に入ると癌にならない
2。池田先生は120歳まで生きる
3。早く皇太子と雅子妃殿下の世に成ればいいのに
 (つまり今の天皇陛下と美智子皇后が早く死ねば良い
4。秋篠宮は天皇陛下が加茂桜を手込めにして産ませた恥かきっ子
 
と、しつこく同じ事を言うんだって。
ところがその人がボケて直腸癌に成った。介護で嫁や孫や嫁いだ娘らの手を煩わせ、
さんざん家族を翻弄したあげく最後は糞便にまみれた死に方だった。
その人に勧められて創価学会になってた別のババは恐ろしくなって創価を抜けた。
お盆に帰った時オバアちゃん言うの、えが、創価学会なんて入るもんじゃないど。

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