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一足遅れのクリスマスカード

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平成4年(1992年)の暮れ、皇太子徳仁との婚約が内々に決定した時期の小和田雅子が両親恒・優美子に書き、翌年平成5年(1993年)1月頭に婚約内定がマスコミ公表された折、小和田家がマスコミ提供した写真等宣伝素材の一つとして存在しているものである。

<小和田雅子直筆「一足遅れのクリスマスカード」画像>

お父様、お母様
 
一足遅れのMerry Christmasですが・・・
今年一年は本当に随分と御心配をおかけ
しました。お陰様で私も十分に考えた
結果、新しい人生の一歩を踏み出す決心を
することができました。こうして皆でクリスマスや
年の暮れをお祝いできるのもこれで最後かもしれない
けれど、今思うことは、こんなに温かい家庭で
ずっと幸せに育てて頂いて本当に有難うということです
これから暫くまた大変になると思いますが、どうぞ宜しくね。最後に一杯の幸せを
お祈りして・・・Sincerly 雅子

  • 「一足遅れ」ってどうよ?「一足遅い」が普通の表現じゃね?
  • 日本語文章全体からしてgdgd
  • 家族で過ごす最後のクリスマスとか何とか抜かしてるけど、結婚後も「しょっちゅう会ってるシリーズ」で分かるように、クリスマスも正月静養でも一緒だろ!
  • 「クリスマスや年の暮れをお祝いできる」年の暮れって、祝うもの??
  • 「有難うということです」何この言い方?
  • 末尾の「Sincerly 雅子」は変すぎ。日本語の「敬具・かしこ」に相当する手紙の結びで、家族には普通使わない言葉
  • キリスト教世界ではクリスマスカードを12月25日過ぎて贈るなんて考えられない
  • カードがペラペラでしょぼすぎる。クリスマスを大事にしているならもっときちんとしたものを用意するはず
  • そもそも両親宛に書いた直筆カードがどうしてマスコミで公表されてる? どう見ても小和田恒優美子の側から提供したこと丸分かりじゃん

……ツッコミどころ・不審点だらけである。

小和田雅子が徳仁と婚約に至る時系列で確認しても、1992年12月25日(クリスマス当日)に雅子が徳仁のステディという立場で両陛下と初めて顔を合わせ、その後大急ぎでカードを作成したという流れが推察できる。欧米通を気取って、家族最後のクリスマスと涙を誘う演出をしたのだろうが、事実関係を突き合わせて考察すれば、小和田家では家族でクリスマスカードを贈り合うなんて習慣がそもそもなかった、という結論に辿り着く。学歴ロンダリングで分かるように自らを粉飾することに余念のないのが小和田家の人間であるが、欧米通・家族愛を宣伝するのに小細工を弄する傾向が顕著であると言えよう。

平成4年(1992年)8月16日徳仁小和田雅子の柳谷謙介・元外務次官宅デート~プロポーズ~両陛下との初対面~「一足遅れのクリスマスカード」作成公表の時系列編集

平成4年8月16日 皇太子と小和田雅子、東京・五番町の柳谷謙介・元外務次官宅でセッティングされた5年ぶりの再会デート。
  ↓
平成4年10月3日 徳仁があずき色ワゴン車で連れ出され、宮内庁新浜鴨場(柳谷謙介同席)で小和田雅子と極秘デート。徳仁、雅子にプロポーズ。
  ↓
平成4年10月20日ごろ OWDサイドから断りの返事がなされる。
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平成4年11月28日 一旦プロポーズを断ったはずの小和田雅子、のこのこ東宮仮御所を訪問する。
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平成4年12月12日 小和田雅子、またも東宮仮御所訪問、プロポーズ受諾の返事。
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平成4年12月19日 皇太子と小和田雅子デートを重ねる。恐らく東宮大膳課・渡辺誠シェフによるフレッシュフォアグラを使ったロッシーニステーキがふるまわれたか。【殿下の料理番】参照。
  ↓

常識的にはこの時期までにクリスマスカードを書いて贈るはず。でも小和田家ではそうしていない。

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平成4年12月25日 雅子、徳仁のステディという立場で初めて両陛下と引き合わされる。直前の両陛下&徳仁夕食会にも招かれず、両陛下お住まいの御所でもないところに注目。対面後、深夜0時遅くまで東宮仮御所滞在。

朝日新聞朝刊 1993年1月8日<Xマスの夜 天皇ご夫妻交え歓談>より引用

 皇太子さまと婚約が内定した小和田雅子さんは、プロポーズを承諾した後の昨年十二月二十五日のクリスマスの夜、皇太子さまの住まいの東宮仮御所を訪ねた。天皇ご夫妻に挨拶した後、皇太子さまと二人で深夜まで過ごしたという。
 天皇ご夫妻はこの日、夕方から仮御所を訪ねて、皇太子さまと三人で夕食を共にした。雅子さんはこの後の午後七時半ごろ、仮御所を一人で訪れた。四人で二時間ほど歓談。ご夫妻が赤坂御所に帰られた後も、二人は二十六日午前零時近くまでくつろいだ時間を過ごしたという。

  ↓
「一足遅れのMerry Christmas」クリスマスカードを小和田雅子作成、両親恒・優美子へ贈る。
「お陰様で私も十分に考えた結果、新しい人生の一歩を踏み出す決心をすることができました」「こうして皆でクリスマスや年の暮れをお祝いできるのもこれで最後かもしれないけれど」
  ↓
平成4年12月30日~平成5年1月2日 小和田一家猪苗代旅行、当旅行では恒がビデオ撮影してその映像を報道協定解除後にテレビ局に配る心づもりがあったという、周到な準備がされている状態【ジョーズのテーマ
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平成5年1月6日 自粛申し合わせしていた報道協定が午後8時45分解除、マスコミが一斉に小和田雅子皇太子妃内定と報じる。
  ↓
大量の写真とともに、小和田家美談の「一足遅れのクリスマスカード」がマスコミ公開。

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