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マコオタ画像集(雅子関係)01

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◆雅子関係画像集(~1986年秋・徳仁と小和田雅子初めての出会いとされるスペイン・エレナ王女パーティ時期~1987年12月小和田雅子指差し恫喝事件~1992年夏・皇太子妃の座ゲト大作戦時期)

1963年、この当時の住所は東京都世田谷区だった。12月9日小和田雅子誕生編集

1963年12月14日 東京・虎ノ門病院のベッドの中にいる生後5日の小和田雅子。この時既に髪が黒々としている
1963年12月 病院の新生児ベッドか?生後間もない頃の雅子 / 同アップ画像
1964年1月1日 初めての正月、母小和田優美子の膝に抱かれている雅子。優美子の手が赤ん坊の体を直接支える形になっていないことに注目。これは2001年雅子が長女愛子出産後の退院光景で、赤ん坊を組んだ腕の中に入れただけで、直接手で使って抱こうとしなかった姿勢と共通している / 大きめ画像駅弁抱っこ
1964年3月頃 父小和田恒の膝に抱かれる生後3ヶ月の雅子
1964年春頃 ベビーベッドの中でたくさんの縫いぐるみに囲まれた、うつ伏せで体を起すことができるようになった時期の雅子<ニックネームは「マーちゃん」。愛らしく、聡明に…>
1964年夏 生後6ヶ月頃の雅子、何故か金魚鉢を持っている母優美子と
1964年夏 両親と避暑地の長野県・軽井沢で過ごした生後8ヶ月ごろの雅子
1964年 上画像とほぼ同時期か、乳児時代の雅子のアップ。娘・愛子の乳児時代とそっくりである
1964年冬 生後11ヶ月の雅子、髪の量が多いところは娘愛子ちゃんに遺伝しているようである
1965年ごろ 小和田恒・優美子・雅子と、小和田毅夫・静の父方祖父母(前列両端)と江頭豊・寿々子の母方祖父母(後列)小和田毅夫
1965年8月、小和田恒がソビエト連邦(当時)モスクワへ異動になる。小和田雅子当時1歳8ヶ月。
1965-6年頃? モスクワ駐在時代、湖上?でボートに乗る小和田優美子・雅子母子連続画像
1966年 小和田雅子2歳7カ月パスポート写真 / 大きめ画像
1966年7月7日 スイスのジュネーブにて、半袖マタニティで臨月姿の小和田優美子と、お気に入りの茶色ウサギぬいぐるみ「よしこちゃん」を手にしている何故か赤いコート姿の雅子。この翌日8日に双子妹礼子・節子が誕生礼節姉妹
1966年7月15日 ジュネーブにて手をつないでいる雅子と母方祖母江頭寿々子当時50歳。祖母と孫娘揃って当時流行のノースリーブ服を着ているチッソ
上:1966年7月19日 ジュネーブにて浴衣姿の雅子当時2歳7ヶ月/下:1970年夏 NYの自宅ベランダにて、半袖&丈足らずでつんつるてんの浴衣姿の6歳半過ぎた雅子。上下画像の浴衣は全くの同一物である浴衣
1966年? 同時期と思われる、街中で浴衣を着て歩いている雅子キャプチャ連結画像。優美子夫人の友人・柏谷公子さんのコメントつき「日本の文化とか習慣をすごく大切にしていらっしゃいましたね。礼儀作法とか。例えば豆まき、雛祭り、七夕、お月見などをちゃんとやっていらっしゃいました」
1966年夏 自動車後部座席に乗っている雅子
1966年? ソ連モスクワにて、公園のような場所で遊んでいる水色カーディガンと白帽子の雅子
1966年12月? モスクワにて雪が降った居住アパート近くの広場にて撮影されたコート姿の雅子3歳(2009/1/30YTVミヤネ屋より)
1966年12月? 雪野原の中に立つ雅子のアップ画像(2009/1/30 YTVミヤネ屋より)
1967年1月 モスクワにて、小和田雅子3歳はじめてのスキー
時期不明 モスクワ在住時代?白樺林を背景にした草原で撮影された優美子と雅子
1967年7月 大使館別荘裏のモスクワ川河原にて、当時の友達サーシャと雅子
1967年8月 「モスクワ郊外の公園で妹たちの食事を手伝う」雅子とのことだが、二人の妹礼子・節子の口元がゲロかと見紛う悲惨な状態。足元・敷物の上にも食べ物が散らばり、態々マスコミ提供し公表することを決定した小和田家の感性が疑われてならない写真
↑はグロ画像レベルなので耐性がない人は閲覧注意のこと。北海道新聞社発行『平成の祝典』結婚記念写真集に掲載。
1966年ごろ? モスクワの動物園と思しき場所で、毛皮のトーク帽姿の小和田優美子と大きなポンポン付き白毛糸帽子姿の雅子、背景にラクダ
1966年ごろ? モスクワの動物園と思しき場所で、毛皮のロシア帽を被っている笑顔の小和田恒と、横目+片笑い→笑顔の雅子表情連結画像
参考:雅子幼少時の8mm映像も収められたYoutube http://www.youtube.com/watch?v=8c1OGrZgT2Y 2分08秒から恒と一緒の場面があり一部奥様が気になると指摘した「横目+片笑い→笑顔」の表情変化があります。
時期不明 3歳~10歳くらいまで、小和田雅子幼少期に撮影された映像よりキャプチャ連結画像
どの映像(19930609皇太子さまと雅子さまの歩み)でも雅子の落ち着きなく動き回る様子が印象的。「よく動かれましたので、お世話する方としては目が離せなくて大変だなあと思っておりました」と語る小和田家のお手伝い兼ベビーシッター井上道子さんの証言あり
時期不明 小和田雅子幼少期の小和田家子ども部屋。ぺたんと大股開きで座り、床に置いた絵本を見ている雅子
1967年冬 モスクワにて、ウサギぬいぐるみ「よしこちゃん」を手にしながら幼稚園友達と遊ぶ小和田雅子
1967年12月 ソ連の日本大使館でクリスマス会、頭になぜかダビデの星をつけているのが雅子。誕生日祝いも兼ねていたか?黒蝶ネクタイの給仕がいて子供相手にしては豪華なクリスマス会
1967-8年頃冬 モスクワの幼稚園にて、3歳の時と同じ水色オーバーコートを着ている小和田雅子

1968年5月、小和田恒の異動でアメリカ・ニューヨークへ。小和田雅子当時4歳5ヶ月編集

1969年1月 NYで正月を迎えた小和田家、ソファに勢ぞろいで記念写真。左からスーツネクタイ姿の小和田恒・雅子・珍しく着物姿の優美子・礼子節子・お手伝いの井上道子さん
1969年 ニューヨークで撮影された5歳頃の小和田雅子。フード付きコート、手袋をつけ、遊具に登って両手を挙げている
1969年 ニューヨーク郊外のモホンク湖へ小和田一家&お手伝いさんとピクニック、パンツが見えてる座り方を誰にも注意されずその写真をマスコミ提供されている雅子と妹
1969年 ニューヨークの公園のベンチに座っている小和田三姉妹。目玉を剥きおどけたような表情の小和田雅子
1969年 ニューヨーク郊外へドライブに行ったときの小和田雅子・礼子・節子
1969年 ニューヨーク郊外へドライブ、礼子・節子の顔を両脇に抱えた雅子
1969年5月3日 在米時代のアパートに訪ねてきた母方祖父母江頭豊・寿々子夫妻と一緒に記念撮影する小和田優美子・雅子・礼子・節子。3児の母でありながら頭に大きなリボンがついている優美子に注目 / 大きめ画像チッソ
1969年 ニューヨーク郊外での小和田雅子スナップ写真、娘のパンツが見えてしまっている写真をマスコミ提供し公開させた小和田家両親、チューリップの咲く初夏にノースリーブワンピースという季節感のなさも注目
↑は「まさかパンツ履いてないのでは??」とも言われる性的児童虐待も匂うレベルなので耐性がない人は閲覧注意のこと。北海道新聞社発行『平成の祝典』結婚記念写真集に掲載。
1969年7月 グランドキャニオン観光の小和田優美子・雅子・礼子・節子の記念写真
1969年7月 家族でディズニーランド旅行、小和田優美子・雅子・礼子・節子の記念写真
1969年? ニューヨークの噴水まわりで水遊びをする水着姿の雅子。1992年GW土川純代「子育て合宿PV」撮影にも通じる、カメラに自分からズームアップするのは、カメラ大好き小和田雅子の癖のようである土川純代
1969年12月9月 小和田雅子6歳誕生日、ロウソクのついたバースデーケーキを前にしている雅子礼子節子三姉妹、礼節姉妹はペアルックっぽい赤いチェックのジャンパースカート姿
成婚記念本から 時期不明 幼少期の小和田雅子画像集
1970年4月 家から10分ぐらいのVan Cortland Park乗馬場にてポニーに乗る雅子引き馬
1970年7月 スイス旅行のホテルの庭にて現地で知り合った子供二人と双子の妹たちと一緒に、テーブルにカタツムリをいっぱい並べて遊ぶ雅子
1970年8月 スイスのレマン湖畔にて、母優美子お手製の丈足らずワンピース姿で水鳥に餌をやる小和田雅子。妹もお揃いの洋服
1970年8月 マッターホルンハイキングで記念写真の小和田雅子礼子節子三姉妹、礼節姉妹はピンクのダブルボタンコートと緑色ズボンのペアルックペアルック
1970年夏 NY郊外の海岸にて、水着姿の小和田優美子・雅子・礼子節子双子姉妹
ハロウィン仮装で骸骨に扮している雅子と、「trick or treat」の大きなビニール袋を手にして動物のお面を被っている妹礼子・節子
1970年11月 NYにて、珍しく全員お揃いの服を着て記念撮影の小和田三姉妹。この時期既に雅子のオリジナルの瞼が左目くっきり二重、右目奥二重であることがわかる画像。後年雅子の右目だけが大きな変化を見せることにアイプチ】【ペアルック
1970年11月27日 チッソの株主総会で本格的にデビューした「怨」の黒旗(大阪駅前にて、宮本成美氏撮影)チッソ
週刊女性増刊平成5年3月3日号永久保存版 皇太子さま貫かれた初恋 佳麗雅子さんとご婚約<特別寄稿・元お手伝いさんが語ってくれた幼少時代のマーちゃん秘話>記事
当然子供らしいわがまままもあった。雅子さんがニューヨークの公立小学校に入ると、お昼は、学校給食、お弁当、それに帰宅しての食事と3通りあったが、家が遠かったことからお弁当を持参した。
「ご飯は食べやすいように、おにぎりにしたんですが、ハシを入れなかった。でも日本人はおにぎりを手でつかんで食べるので、友だちに汚いといわれたらしく、ちゃんとハシを入れてと注文しました。ところが、私が忘れてしまい、マーちゃんにひどく怒られたことがあります」【ドス子の事件簿
1970年12月9日 当時はNY在住、地元公立小学校に通っていたけど何故か日本人の友達ばかりが集まっている小和田雅子7歳誕生日パーティー、何故か子供たちと一緒に写真に収まる母小和田優美子
この時優美子の腰のあたりに、赤い髪飾りをつけた頭だけが見えているのは、礼子ではないかと推測される。翌年秋帰国後の礼子・節子のいわゆる七五三写真で、礼子が付けている髪飾りは、おそらくこの時と同一のものである。
1970年12月 米国バーモント州キリントンにて、黄色いウエアでスキー板を履いている小和田雅子 / 同ロゴ入り大きめ画像
1970年12月 アメリカはバーモント州にて、緩やかなゲレンデ斜面をスキーで滑る小和田雅子
1971年2月 帰国前、当時通っていたNYの小学校前で妹礼子節子の肩を抱く小和田雅子

1971年2月アメリカから帰国、東京都新宿区の公務員官舎で暮らすことに。田園調布雙葉学園小学校の編入学試験に不合格となった小和田雅子は、目黒区立 原町小学校1年3学期に編入学編集

1971年 東京都目黒区立 原町小学校時代(1971年一年生三学期~二年生一学期始め)の小和田雅子作文「わたしの友だち」、字が小学校低学年にしては綺麗過ぎるので先生による清書がされていると考えられている
1971年5月、新宿区立富久小学校に転校。理由は不明。
1971年5月21日 「帰国後、編入した富久小2年生の遠足。川崎市の向ヶ丘遊園で。後列右から3番目」と説明されているが、最前列右から3番目パンツ丸見えうんこ座りしている少女が小和田雅子では?と思われる集合写真うんこ座り
時期不明 軽井沢にて、お揃いボーダー柄服の双子妹礼子&節子と、箱ブランコで遊ぶ赤いワンピースに黒カーディガンの雅子
1971年12月9日 この画像では「妹たちの七五三で記念撮影(1971年=昭和46年11月)」と説明が入っているが、実は12月9日雅子8歳誕生日に撮影されたという、神社の前の母優美子と雅子と双子妹礼子節子。雅子はおめかし風の白黒柄ワンピース、妹たちはお揃いのパンタロンスーツで千歳飴の長い袋を手にしている。雅子誕生日と礼節七五三をまとめて祝ったのか? なおこの時点で1966年7月生まれの礼節は5歳。女児は3歳と7歳に祝いをするため頓珍漢なことになっている
上画像撮影日について、例えば『皇太子さまと雅子さん(ご婚約記念写真集/朝日新聞社)』p74では「8歳の誕生日に妹たちと。ちょっぴりおしゃまに(日付は1971.12.9)」と記載、その他書籍にも同様の記述あり。
1971年12月9日 同じく神社前で撮影された、千歳飴の袋を手にしている礼子節子と、雅子と母優美子。画像の説明文「'71年12月9日、8歳の誕生日。帰国後公立小学校を経て'72年から私立田園調布雙葉小学校に編入。小学校時代はピアノを習っていた。」 / 当画像と説明文を掲載しているグラビア記事(Part2099-470奥様ご紹介)
1971年12月9日 蝋燭の灯されたバースデーケーキを前にした小和田三姉妹、雅子8歳誕生日画像。ちなみに1971年末当時の雅子は田園調布雙葉学園編入前で、新宿区富久小学校在籍中
1972年1月7日 当時チッソ社長だった祖父・江頭豊が暴力団を雇い患者や支援者を襲撃させる事件(五井事件)を起こす。(ユージン・スミス写真集『水俣』P93より)チッソ
同上チッソ五井事件について、赤囲み入りバージョン
1972年 東京都新宿区立富久小学校時代(1971年5月二年生一学期半ば~1972年3月二年生三学期まで。なおこの後田園調布雙葉学園小学校三年生に編入する)、転校から9ヶ月後ぐらいに書いた小和田雅子作文「雪がっせん」しかいし】【伝蓋
那須高原の那須戦争博物館に展示された同上の小和田雅子作文「雪がっせん」 / 同「雪がっせん」画像

1972年春、目黒区の江頭豊・寿々子宅(後にコンクリ御殿が立てられる敷地)に小和田一家が同居を始める。田園調布雙葉学園小学校3年生に小和田雅子の編入がようやく決まる編集

1972年3月27日 編入学に失敗していた田園調布雙葉小学校にやっと入れたご褒美で、母方祖母・江頭寿々子と一緒に新幹線で関西旅行の小和田雅子(8歳)。「マーちゃん」とあるのは、寿々子自身が写真に説明をつけているため
1972年3月 奈良公園で鹿に餌をやる小和田雅子、スカートの隙間から見えているのは下着のシャツとのこと
1972年4月8日 田園調布雙葉小学校3年へ編入時の小和田雅子。場所は当時住んでいた官舎の前か?やけに短い制服スカート、初登校なのに雑な結び方のスカーフが印象的
1972年4月 田園調布雙葉学園小学校学芸会、脇役集団前列左から2番目にいる小和田雅子
1972年7月 8歳の夏、軽井沢で初めてゴルフクラブを握る小和田雅子
1972年 小学校3年生当時の小和田雅子、友達の誕生日パーティーか何か?可愛いという感想の多い画像である
1972年11月26日 砧緑地児童サイクリングセンターにて、自転車の傍らに立つ小和田雅子8歳11ヶ月
1972年12月9日 9歳誕生日自宅庭で妹&友達と、自分の指を噛んでる雅子
1972年12月9日 つんつるてんの服装で指を噛んでる9歳誕生日を迎えた雅子と礼節双子と友達ら。指を噛んでる右から4番目の子が雅子だという説明入り
1973年2月 友達の誕生日会にて、雅子が箸を手にしている珍しい画像
1973年7月 <軽井沢旅行で、このころはずいぶんボーイッシュ 左/千ヶ滝のスケートセンター前で 中/浅間山鬼押し出しで記念メダルにスタンプを押す 右/土屋乗馬クラブ前で>説明入り雅子画像。一緒に写っている子供とどんな関係なのか不明。親戚か?スケート
1973年11月 ピアノ発表会(荏原文化センター)での小学四年生の雅子、弾いてる曲は難易度が高いとはいえない「柱時計」;ソース『小和田雅子さん素顔の29年』(永井雄一著、データハウス1993年)p.70
1973年 宮島へ家族旅行、鳥居を背景に咆哮しながら跳びはねる雅子礼子節子三姉妹礼節姉妹】【ペアルック
参考ようつべ:19930609皇太子さまと雅子さまの歩み http://www.youtube.com/watch?v=olw3clvre78
1分40秒から徳仁雅子二人の二人の幼少期~大学入学までの映像紹介
1973年 小和田雅子小学校四年生のときの詩集から、「木」という詩とイラスト(週刊女性増刊永久保存版1993年3月3日号 皇太子さま貫かれた初恋 佳麗 雅子さんとご婚約 p.80より)
 (以下全文)そよ風がふくと 木はゆれる。/木は通りすぎていく風に/「どこへ行くの、どこへ行くの。」/とききながらみおくっている。
1974年 小和田雅子小学校五年生のときの『秋の詩集』から、カゲロウについて書いた「一日」という詩(週刊女性増刊永久保存版1993年3月3日号 皇太子さま貫かれた初恋 佳麗 雅子さんとご婚約 p.80より)
 (以下全文)「一日」/カゲロウにとって/一日は一生だ。/なんて短かい一生だろう。/めすは/そんなに短かい時間に/たまごをうむのか。/たまごをうみおえて死んでいく「カゲロウ」/そんな短かい一生を/大切使ってほしい。
小和田雅子誕生~1974年田雙小学校時期の白黒4画像(皇太子・雅子さま御成婚スペシャル1960-1986より)
時期詳細不明 芝生のあるリゾート地を背景に撮影された小和田三姉妹、白いジャンパースカート雅子を挟んで双子妹礼子節子はお揃い紺色ワンピース姿ペアルック
1974年12月31日 草津スキー場にて、頭を包む毛糸帽子を揃って被っている小和田三姉妹
1975年 田園調布の公園/登呂遺跡遠足での集団写真小6当時の雅子
1975年9月 朝日小学生新聞にて懸賞の自転車が当選
朝日小学生新聞1975年9月6日から
 ある日、朝日小学生新聞を読んでいたら、わたしの名まえが大きく出ていました。そのときのおどろきとよろこびは、とてもことばではいえません。けん賞で一等の自転車が当たったのです。うすみどり色のきれいな自転車はたいへん乗りごこちがよくて、このごろはまい日のように乗っています。自転車は楽しいけれど、交通事故にあわないように気をつけなければいけないと思います。ありがとうございました。(東京都目黒区・小和田雅子)
後に、1993年皇室入内と自転車当選を同列にして江頭寿々子が語る雅子の「運」
 雅子はよく懸賞などに当選する子でして、十七年ほど前には自転車をいただきました。これはそのときに朝日小学生新聞に出たものです。何事にもすぐお礼を出す子でした。ずいぶん長いこと愛用した自転車です。とても喜んでいた少女時代の頃がなつかしく思い出されます。何か彼女には「運」というものがついているような気がすると、主人(=元チッソ社長・江頭豊)ともども話し合っております。
雅子小学校時代のクラス集合写真
時期不明 雅子小学校時代の運動会写真その他
小6の林間学校で雅子がハエをお尻に敷いて「押し虫」にしたというエピソードを紹介する成婚本内容押し虫
六年C組 小和田雅子 修学旅行の時、四時半まで起きていたのが忘れられない。おかげで朝、日の出は見られなかったけれど、とても楽しかった!
小学校6年生当時の雅子、卒業文集の寄せ書きに「じゅう医さんになりたい ムリカナ?」と記す
1976年3月 田園調布雙葉学園小学校卒業文集、一番の思い出が「先生がコジュケイの剥製作りに失敗したこと」、婚約時期『週刊読売』にて<小6で綴った“コワーイ”作文>とのタイトル記事でコジュケイ剥製作り作文が紹介される。枠外に「もてる女はつらいなあ~Ri~n!Ri~n!」とも。
1976年3月 小学校卒業でクラスメートに書いた寄せ書き、友達のことを「へんな顔」、自分のことを「いだいなワオ」と書く小六の雅子
当時の伝蓋生物クラブ顧問だった岸田泰則先生インタビュー記事「ハムスターに噛まれて血を出しても飼いならした雅子さんのガッツ」
上画像:1976年4月 雅子が田園調布雙葉学園中学校に入学した当時の小和田一家/下画像:ソフトボール部を創立、練習する雅子ソフトボール部
1976年4月 雅子が田園調布雙葉学園中学校に入学した時の小和田家集合写真。恒のみ椅子に座り、優美子・雅子・礼子・節子が脇に立っている。一見写真屋に依頼してスタジオ撮影したように見えるが、背景のカーテン・壁の写り込みからしてプロカメラマンによるものとは思われない不可解な画面構成 / 同画像、雅子と優美子、礼子(?)部分
1976年7月 中学1年の時、家族で長野県の白馬岳に登山した雅子(左端)=76年7月
1976年7月 上画像と同日に撮影されたと思われる、雪渓を背景に立つ小和田恒と雅子・礼子・節子
1977年8月 長野県軽井沢での夏休み、油絵で浅間山を写生する雅子。右は妹の礼子
1978年 小和田雅子中学三年生当時の絵「八ヶ岳と小海線鉄橋」
1978年夏 田園調布雙葉学園中学校3年の夏休み「宗教合宿」で、ホスチア盗み食い事件を起こす(『皇室アルバムvol.11 ご成婚特別号 世紀のロイヤルウエディング皇太子殿下と雅子さま』学習研究社1993年発行 p.177より引用。「p117」とあるのは誤り)ホスチア
ご結婚によせて 田園調布雙葉学園の学友が語る 小学校・中学校時代の雅子さん
村岡(ルリ子さん) 夏休みの宗教合宿でもよくみんないたずらしてましたね。信者でなければ食べられないワインをつけたパンを食べてしまったり……。まずいんですけどね。こんなまずいものだったら食べなければよかったなんて、二人で話したこともありました。あれも中学の時でした。
1978年 世田谷のソフトボール大会で優勝、カップを手にしている小和田雅子とチームメイトソフトボール部
1978年 世田谷区中学のソフトボール大会で優勝、額入り賞状を手にしている小和田雅子
『美貌なれ日本 雅子妃の時代』赤塚行雄 KKベストセラーズ1993年、p.56より
 野球に話をもどそう。中学三年のときに、世田谷の大会でようやく優勝したことがあった。まぐれの優勝といった感じだったが、はじめてのことで、皆、抱き合ってよろこんだ。優勝カップにジュースを注いで回し飲みをして、オワちゃんはご機嫌だった。
『FRIDAY SPECIALご成婚記念緊急特別号おめでとう!皇太子さま雅子さま』1993/6/26増刊号p.15より
区の大会で優勝したときは、カップにジュースを入れてみんなで回し飲みしたんですよ」(天野有子さん)

1979年2月 (右画像)新潟県岩原スキー場での中学3年スキー合宿集合写真、前列向かって左端ゴーグルつけたまま無表情で膝を抱えているのが小和田雅子。他女子生徒がゴーグルをはずし笑顔であるのと対照的な姿である
1979年3月 田園調布雙葉学園中学校卒業文集、恩師の身体的特徴を揶揄したり勝手に好きな食べ物を想像したりする小和田雅子ダーツ目
1979年3月 「また中学の卒業文集では・・中略・・担任の先生に贈った文集では、スキー教室に行く途中に学んだハングル語で“コーマプスムニダ!(ありがとう)”と恩師に感謝の気持ちを綴るなど、チャメっけのほうもたっぷりの雅子さまだ。(女性自身緊急増刊 永久保存版1993年6月30日号 雅子妃誕生愛「決断」のすべて! p.170 雅子さまを生んだ『雙葉』の教育! 雅子さんの作文の絵“クイーンM”が将来を暗示していた!より)釣書き
1979年4月18日 田園調布雙葉学園高校進学、記念集合写真(左画像)、小和田雅子の向かって右隣にいるのは恐らく奥村純代。後に「小和田雅子の一番の親友」の肩書きを持つ土川純代としてマスコミに登場する女性である。姓が「お」始まりで近いためこの並びと推察土川純代
1979年4月18日 田園調布雙葉学園高校1年C組の入学記念集合写真、小和田雅子の向かって右隣に奥村(土川)純代さん(毎日グラフ1993年1月24日号)
1979年4月18日 田園調布雙葉学園高校1年記念集合写真からのモノクロ抜粋小和田雅子(週刊朝日1993/1/22号<スーパーレディ伝説>より抜粋)
1979年 田園調布雙葉学園高校1年学校主催の高原教室で日光へ
1979年6月 米・ハーバード大客員教授に派遣される外務省経済局参事官・小和田恒インタビュー写真(1979年6月17日毎日新聞朝刊掲載)
1970年7月 アメリカへの転出を控えた時期、田園調布雙葉高校ベランダで撮影された小和田雅子
1979年7月11日 田園調布雙葉学園高校にて渡米する雅子のお別れ会
1979年7月11日 田園調布雙葉学園高校で開かれた渡米前のお別れ会、花束と手紙らしいものを手にしている小和田雅子
1979年11日 高校1年1学期米ボストンへの転校直前、送別会後プレゼントを前に置いてクラスメートと記念写真、頭の後ろから指で「鬼」にされる雅子
参考:『週刊文春』2001年12月13号<総力特集雅子妃ご出産 初めて明かされるとっておきの十大秘話>記事
【密かに応援していた選手】 原久美さん
 雅子妃と「オワ(雅子さまの学生時代の愛称)」「クミ」と呼び合う田園調布雙葉時代からの親友。ボサノヴァ歌手。
「仲良くなったのは中学生の時です。ふたりとも巨人ファンで、よく多摩川に練習を見に行きました。妃殿下が巨人の高田選手のファンだったことは有名な話ですが、実は一人で密かに大洋(当時、現横浜)の長崎選手の応援にも行ってたんです。ある日突然、『ちょっとつきあって』と川向こうの大洋のグラウンドに連れていかれたのですが、『こちら大洋の長崎さん』と紹介されて、驚きました。そんな行動力もある方でした。(中略)
 高校でボストンに行った彼女と文通を続けましたが、ある日、『こちらの優秀な学生についていくには一日十数時間勉強しなければならない。もう返事は書けない』という手紙が来ました。彼女はハーバード大に入学し、帰国後外交官試験に合格、交換日記に『国際的な視野にたった仕事がしたい』と書いていた通り、目標を達成した彼女を私は尊敬していました。ご結婚されると聞いた時、個人的には、これからもう会えないし、失恋に近いような、絶望的な別れ、という気分でした。でも今年三月の同窓会で、七年ぶりに再会したら、妃殿下の表情が私のわだかまりを吹き飛ばしてくれました。

1979年7月14日、再び異動でアメリカ・マサチューセッツ州ベルモント市へ小和田一家引越し編集

1979年7月14日 渡米直後、サンフランシスコ総領事公邸を訪問した小和田雅子と妹礼子節子
1979年8月 浩宮の初公務、北海道スポーツ少年大会にて
1979年9月 ボストン郊外の公園にて、地べたに座り股ぐらに手をやる胡坐状態の小和田雅子
1979年9月 上と同じくボストンの公園にて小和田一家とお手伝いさんの皆川薫さんとが写真撮影、父親よりも男らしい座り方で物を食べる雅子 ]【胡坐寿司
1979年ごろ ベルモント高校ソフトボール試合で一塁に走る雅子、背番号11の二塁手だった
1979年12月25日 ボストン自宅での小和田家クリスマスパーティ胡坐寿司
1980年1月1日 小和田三姉妹がボストンで迎える正月、生まれて初めての晴れ着姿に新弟子検査
1980年1月1日 実は上の三姉妹晴れ着写真、オリジナルは小和田家お手伝いである皆川薫さんと一緒に4人で撮影したものを、まるで北朝鮮の工作活動よろしく、後に画像編集して姉妹三人のみに合成しなおしたものである
1980年ごろ? 「ニューヨークでの雅子さん。旧友への手紙に添えられたもの」説明入り画像、高層ビル屋上で撮影された小和田雅子。旧友とは原久美らしい原久美
ボストン時代、母親優美子の誕生日を祝う雅子・礼子・節子三姉妹とお手伝いの皆川薫さん。手袋と鳥の置物がプレゼントと思われる
アメリカ滞在時、旅行先で記念撮影されたと思われる小和田雅子礼子節子三姉妹と父恒
ttp://img240.imageshack.us/my.php?image=19800500vr7.jpg 1980年5月 親友ジェニー・イムさんと小和田雅子]
1980年 ハーバードスクエアにて
1981年5月 ベルモントハイスクールではソフトボール部に所属、卒業を前にしてチームメイトと記念写真(前列右から4人目)ソフトボール部
1981年 ベルモントハイスクールでは数学クラブにも所属
1981年6月 ベルモントハイスクール卒業、「成績優秀者に選ばれた生徒たち。後ろから2列目の中央が雅子さん」説明入り集合画像と、ベルモントハイスクール1981年度卒業アルバム表紙。当年度の卒業生母数は不明だが、成績優秀者集合写真に写っているのは全部で65名
1981年6月 ベルモントハイスクール卒業、白角帽に白マント姿の雅子 1981年6月 ベルモントハイスクール卒業、白角帽に白マント姿(1ドルの貸衣装)ではちれそうにパンパンな真ん丸顔の雅子。小和田一家との写真や、卒業アルバム写真も
1980年6月 ベルモントハイスクール卒業、白角帽・マント姿の小和田雅子(getty)
参考:母親がベルモントハイスクールで小和田雅子と同期だったという人がflickr.comにうpした、高校アルバムからの画像
Crown Princess Owada's yearbook entry in my mother's yearbook.
Entry Text:
Masako Owada
56 Juniper Road
Activities: Math Team, French Club
Memories: Kennedy Library, M*A*S*H, German, E=Q-Q, Tokyo, A.S., M.G., J.Y., ESL, Encyclopedia
"I came here at the beginning of my junior year and had a wonderful time. I thank all my friends. ...Friendships Forever.
母のアルバムに皇太子妃大和田さんの年鑑エントリです。(うp主が添えた日本語自動翻訳)
エントリのテキスト:
大和田まさこ。
56ジュニパーロード。
活動:数学チーム、フランス語クラブ。
メモリ:ケネディ図書館、M*A*S*H、ドイツー語、E=Q-Q、東京、A.S.、M.G.、J.Y.、ESL、百科事典
"私は3年生の初めにここに来て素晴らしい時間を過ごしました。私はすべての私の友人に感謝しています。...永遠に友情。"

小和田恒、在ソ連特命全権公使(1981年7月~1984年)に編集

1981年6月 ベルモントハイスクール卒業、白角帽に白マント姿、17歳の小和田雅子やや大きめ画像
1981年8月 ハイスクール卒業旅行でスイス・チューリッヒへ高校の親友を訪ねる、はちれそうにパンパンな真ん丸顔の小和田雅子
1981年? 同時期に撮影されたと思われる、雅子の恩師リリアン・カッツ女史を訪問した小和田家三姉妹。雅子と礼子の肥満度がMAXの頃
1981年8月 スイス・ツェルマットにて撮影された小和田家三姉妹
1981年 雅子大学1年時の小和田家家族旅行。ベニスのリアルト橋近くの運河か、船尾に座り風を受けながら大口を開けて笑っている三人姉妹
参考ようつべ:19930609皇太子さまと雅子さまの歩み http://www.youtube.com/watch?v=7ytbjZhFo8M
1981年夏 <ハーバード大学入学を前に。東京の友人宅で>と説明の添えられた画像。赤いポロシャツ姿の女性友人と一緒に、レモンティーのカップを前にパン朝食をとっていたような小和田雅子、どうしてこんな食卓風景が態々撮影されたのかは不明。雅子の前にあるシュガーポットはビレロイボッホのフルーツバスケットシリーズ
参考:東宮仮御所での新生活で使う洋食器として雅子が選んだのが、便器も作ったりする(いわば日本の東洋陶器=TOTOに相当する)ヨーロッパの中級クラス陶器メーカー「ビレロイ&ボッホ」のフルーツバスケットシリーズ。上流階級で生活するということが全然理解できてないチョイスである。保管庫07
1981年10月 小和田家と親交が深く、ハーバード大客員教授でもあった書家小川東洲教授の部屋で開かれたコンパに参加、日本人留学生らと乾杯する小和田雅子(当時17歳)、飲酒していたかどうかは不明小川東洲
1981年10月 「'81年秋、ハーバード大学での日本人学生とのコンパで(左から二人目)」と説明が添えられた、日本人学生らと小川東洲氏コンパでの小和田雅子モノクロ画像(FOCUS1993年1月22日号)
1981年12月 ハーバード大恩師オールドマン夫妻とクリスマスを過ごす当時大学1年生の小和田雅子
1982年 オーストリアのツヴェルファーホルンに登った際の小和田雅子写真
1982年 オーストリアのツヴェルファーホルンに登った際の小和田雅子写真
1984年6月9日 広尾の外務省官舎でのホームパーティにて、できるだけ真ん中で写りたいのか後ろで斜めっているのが小和田雅子
1984年6月9日 広尾外務省官舎ホームパーティ別画像、雅子の逞しい両足が印象的
1984年8月 ソフトボール部を中心とした田園調布雙葉時代の同窓生と食事会。当時は若干ロングヘアーな雅子

1984年の9月と12月、小和田雅子と浩宮がフランスのコルマールで逢引していたと、複数雑誌が後に報じる編集

1985年6月 ハーバード大学を卒業、黒角帽に黒マント姿、はちれそうにパンパンな真ん丸顔の雅子
1985年6月 ハーバード大学卒業の切り抜き前画像。何故か場の主役である卒業生よりも目立とう精神が感じられる母優美子
1985年6月 ハーバード大学卒業、黒角帽に黒マントで学友と握手をする雅子
1985年6月 ハーバード大学経済学部卒業論文の献辞
糠澤和夫・真野輝彦・榊原英資といった日本経済界の大物を、たかだか一学部生の卒論に駆り出していることが分かる【学歴ロンダリング
参考:『THIS IS 読売』1993年4月号<群を抜く論旨の展開と学問的素養>、小和田雅子のハーバード卒論を手伝った一人、糠沢和夫氏本人の寄稿記事
1985年6月 ハーバード大学卒業アルバム掲載の小和田雅子プロフィールと写真
日本の住所「渋谷区広尾4-2-20広尾住宅1-304」から目黒コンクリ御殿に移る前ということが分かる。この頃からエルメスのスカーフを愛用。

1985年6月ハーバード大学卒業後、小和田雅子アメリカから帰国。1986年4月東京大学法学部へ学士入学編集

1986年4月26日 東大赤門前の写真店(スドウカメラ写真スタジオ)に現在飾られている写真を撮影していた雅子。飾られている写真現物では首のアトピー痕も確認できるとのこと
1986年8月 この時期に目黒の小和田邸=コンクリ御殿が完成する。建築は長崎ハウステンボスも手がけた有泉峡夫氏だった
なお有泉峡夫氏は1998年3月20日、金融機関の差し押さえ逃れを図った強制執行妨害事件で逮捕されている。【コンクリ御殿
1986年8月9日 外務省試験終了して男性とともに打ち上げ
1986年秋 東大在学中の小和田雅子が田園調布雙葉時代の友人と、金沢出身の東大同級生岡田直樹の案内で金沢旅行、その後書いた礼状。小和田雅子自ら「日本語や英語の語彙が少ない」と語ったとか、ただの一般人なのに金沢旅行で古美術商から硯箱をプレゼントされたなどといった、東大時代の同級生・岡田直樹氏証言コメントあり金箔箪笥
1986年9月 北陸旅行帰りに寄った京都にて、うな丼の札を後ろに撮影された小和田雅子

1986年6月小和田雅子外交官試験を受験、10月6日合格通知が届く。倍率は約40倍で合格者は28人でうち女性は3人。当時父恒氏は外務省条約局長で、現職外交官の2世誕生史上2人目というよく分からぬ“快挙”とやらでマスコミ取材が始まる。 編集

上:1986年10月上旬 ウインナー炒め姿を淺岡敬史カメラマンに披露し撮影させる小和田雅子/下:2000年6月 英ウイリアム王子18歳の料理姿ウインナー炒め
1986年10月上旬 コンクリ御殿中庭にて、ロシアのイコン美術書をおハイソな小道具に用い、上目遣い表情をすごいアングルで淺岡敬史カメラマンに撮影させている雅子左向き上目づかい
1986年10月上旬 コンクリ御殿にて撮影され、のちにカメラマン淺岡敬史氏により「素敵な雅子さま」と題してサイトに公開された雅子の写真
1986年10月頃 完成して間もない自宅コンクリ御殿に友人らを招いて外務省試験合格パーティ。男性とツーショットで嬉しそうな表情の雅子の背景にダンボール箱&暖炉の火掻き棒&楽譜が乗った譜面台、料理の量からしてまだ始まったばかりなのにハーパー(バーボンウィスキー)だけがテーブル上に、パーティで半透明使い捨てプラスチックコップを利用しているなど気になる点満載画像
1986年10月頃 自宅コンクリ御殿での外務省試験合格パーティ、ディナーとは違うローテーブルを使って床に直座り、ケーキなどデザートを食べている小和田雅子と妹礼子と友人たち。テーブル下に隠すように置かれたミカンが印象的(右画像)
1986年10月頃 新築の小和田邸にて外交官試験合格祝い、小和田雅子と妹礼子と女性友人1人・男性友人7人とで記念写真。同年12月雅子誕生日祝い画像説明にあるように、これらの友人は雅子ではなく礼子人脈可能性あり(下画像)
1986年10月6日 日本経済新聞夕刊<(外交官試験に)父娘2代の小和田さん 合格28人、女性は3人>、他記事に比してかなり大きな顔写真入りで宣伝される小和田雅子(1993/1/19婚約内定特集報道より、1986/10/6福岡県大任町長射殺事件から日付が特定できる)
1986年10月6日 日本経済新聞夕刊<(外交官試験に)父娘2代の小和田さん 合格28人、女性は3人>記事

1986年10月18日、スペイン・エレナ王女歓迎パーティーにて浩宮と小和田雅子の二人が出会う。小和田雅子は名簿に手書きで名前を書き加え急遽飛び込み参加という事実が複数皇室ジャーナリストによる書籍で確認できる。二人はこの以前'84年仏アルザスで会っているという記事も存在するが、公的にはこの10月18日エレナ王女パーティが二人の初めての出会いということになっている編集

『FOCUS』1986年10月17日号表紙と目次:浩宮と小和田雅子が揃って同じ写真誌の同じ号に掲載される。
 <その夜の浩宮さま――渋谷のハウスレストランでご学友と“グルメ”>はっきりいってどーでもいい浩宮外食記事
 <外交官に「清原級」ルーキー――ハーバード出身小和田雅子さんの完全無欠>記事
ウインナー炒め】【1級位の実力】【百年の孤独
FRIDAYフライデー 1986/10/24号<いっぺんに「女性外交官」3人誕生「スマイル外交はワタシたちにおまかせネ」>記事
小和田雅子(22)、松田弥生さん(24)、志野光子さん(23)の3名を紹介している記事。松田さんは後に弁護士に転身、志野さんは外務省総合外交政策局・人権人道課長で活躍中とか。
1986年 たかだか入省内定でTVインタビューまで受けちゃう、何の実績もない当時22歳の小和田雅子「これだけ国際化社会が緊密化してきますと 国際社会の中で日本の役割とかそういった事を考える事が とても重要な時期に来ていると思うんですね そういうことを手がけて考えていきたいと思っております」
1986年 入省内定でTVインタビューを受ける22歳の小和田雅子連結画像。ドヤ顔で偉そうに語っているが、口元の歪みと白目を剥くほどの目玉グルグル特徴はこの頃から顕著である
1986年 入省内定でTVインタビューを受ける22歳の小和田雅子、キャプ画像(BSJapan「皇室の窓 スペシャル ~ロイヤル・ウエディング~」2013年12月8日放送)、首の皮膚の色と皺がすごいことになっている
1986年 入省内定でTVインタビューを受ける22歳の小和田雅子、キャプ画像(BSJapan「皇室の窓 スペシャル ~ロイヤル・ウエディング~」2013年12月8日放送)、首の皮膚の色と皺がすごいことになっている

参考:サンデー毎日 1993/1/24号<愛を“予言”し、初めての出会いをセット・高円宮憲仁親王殿下>恒久子
右ページ:1986年10月18日スペイン・エレナ王女歓迎パーティに出席する浩宮/左ページ:19日柏原芳恵リサイタルに薔薇持参でお出ましの浩宮(FOCUS1986年10月31日号)
参考:2007年11月時点にて離婚前提別居中のスペインエレナ王女と夫ハイメ氏法則
参考:2009年11月25日、エレナ王女とハイメ・デ・マリチャラル公爵が、約2年間の別居生活を経て離婚したと報じられる。画像は長女のヴィクトリア王女と
1986年10月19日 雅子との公式初出会いとされるスペイン王室エレナ王女パーティーの翌日、新宿区厚生年金会館で開かれた歌手・柏原芳恵のデビュー7周年リサイタルにバラの花を持参して駆けつけた浩宮柏原芳恵
1986年10月19日 新宿区厚生年金会館柏原芳恵リサイタル、妹紀宮のために作出され贈られた特別品種の薔薇を芳恵ちゃんに渡し、また芳恵ちゃんから記念の花束を受け取る徳仁の映像連結画像バラバラ
朝日新聞1986年10月20日朝刊14版p.22より引用
芳恵さんバラをどうぞ 浩宮さまリサイタルへ
 浩宮さまは十九日午後、東京・新宿の厚生年金会館で開かれた歌手柏原芳恵さんのデビュー七周年リサイタルを楽しまれた。
 ご自身が柏原さんのファンで、英国留学中は自室に写真をはっておられたといわれ、主催者からのお願いに応じられた。
 白黒のツートンカラーのセーター、ベージュのズボンという気軽な服装で劇場に着かれた浩宮さまは、お出迎えの柏原さんからレコードや写真集を受け取られると、お返しに、用意された一輪のピンクのバラを贈られた。このバラは五十七年に来日したミッテラン仏大統領から皇太子ご一家に「[[バラバラ|プリンセス・サヤコ]」と命名されて贈られた新品種で、東宮御所の庭に植えられたもの。同日朝、切り取ってお持ちになったという。
週刊明星 1986年11月6日号<感激!柏原芳恵「浩宮さまの手はとってもやさしかったです」>表紙柏原芳恵
週刊明星 1986年11月6日号<浩宮さまが大ファンの柏原芳恵のリサイタルに! / 芳恵が浩宮さまとの感激の2時間半を独占手記>目次
スペイン・エレナ王女歓迎パーティーで小和田雅子と「運命の出会い」をした翌日、ミーハー徳仁大喜びの出来事である。
1986年10月 福島県磐梯高原で東大の友人たちと、右手が何故か親指を下に向けた「地獄へ落ちろ!」の形になっている
1986年10月? 同時期と思われる友人たちとの小和田雅子写真
1986年10月28日 東京・目黒「日の丸自動車学校」に通いだす小和田雅子
Q:運転免許証はいつ、どこで取得したの?
A:雅子さんが教習所に通ったのは外務省試験に合格した直後の昭和61年10月28日。東京・目黒の『日の丸自動車学校』で。卒業検定まで規定の27時間を1~2時間オーバーしただけで、年末までに卒業。翌62年3月、免許証を取得したばかりの雅子さんは友人と二人で九州へ旅行を。現地でレンタカーを借りての気ままな旅をした。
1986年11月 田園調布雙葉時代の友人・村岡ルリ子さん結婚披露宴で介添え役を務める雅子伝蓋】【ホスチア
1986年11月 田園調布雙葉時代の友人・村岡ルリ子さんの結婚式に黒いドレスで出席した雅子、記事に「率先してスカートめくりをやっていた」「中2の関西旅行でツアーコンダクターに『急病人が出た』と嘘を言って部屋に呼び出し閉じ込めた」といった悪質いたずら証言も(FRIDAYフライデーSPECIAL 1993年6月26日増刊号より)いたずら
1986年11月 江頭豊・寿々子夫妻の金婚式を揃って祝う小和田一家フルメンバー / 大きめ画像チッソ
文藝春秋 1986年12月号<人びと劇場 娘はなぜ父に憧れたか。父娘二代の外交官、小和田恒、雅子さん>モノクログラビア記事文藝春秋
FRIDAYフライデー 1986年11月21日号<浩宮さまのお妃を「最初に知る人物」 団藤重光東大名誉教授が文化功労者になった「重み」>記事
TOUCHタッチ 1986年12月9日号<浩宮さまが柏原芳恵に贈った「バラ」のその後/浩宮さまとの握手に沢口靖子は大感激 沢口靖子を感激させた浩宮さまの「ご清潔な手」と“開かれた皇室”を象徴する一輪のバラのゆ・く・え>目次・グラビア
TOUCHタッチ 1986年12月9日号<浩宮さまが柏原芳恵に贈った「バラ」のその後/浩宮さまとの握手に沢口靖子は大感激>表紙・目次
スペイン・エレナ王女歓迎パーティーで小和田雅子と「運命の出会い」をした翌日、ミーハー徳仁大喜びの出来事についての約1ヶ月半遅れの記事。沢口靖子についても記事にされるが、雅子との出会いについては当時完全スルー。
毎日新聞夕刊 1986年12月6日 「麗しき外交官の“卵”」と外交官試験合格した小和田雅子を態々取り上げ紹介する新聞記事
エルメスのスカーフを首に巻き、帰国子女(注:小和田雅子は義務教育をほぼ全て日本で受けているため厳密にはその定義に当てはまらない)、ハーハード大卒という華麗な学歴をアピール。
「アメリカ人と一緒に仕事をやっていくのは、肌が合わない」と言い切っている雅子の言葉にも注目。
1986年12月 原宿の料理店で小和田雅子23歳誕生日パーティー、4人の男性友人に囲まれて写真を撮る雅子
1986年12月 小和田雅子23歳誕生日パーティを開いたレストラン前で記念撮影、雅子と妹礼子と男性友人4人と女性友人2人(左画像)
1986年12月 小和田雅子23歳誕生日パーティ、レストラン前記念写真の小和田雅子と妹礼子「23歳の誕生日、妹礼子さんの学友らと。」の説明入り(右上画像)
FRIDAY SPECIALフライデースペシャル 1986年12月25日増刊号<系図つき お妃選考がヤマ場に 「噂の令嬢」最終5人の家系・家柄 礼宮さまはワーゲン 浩宮さまは柏原芳恵>表紙・目次運転免許証】【柏原芳恵
1986年12月~1988年7月 「ワタシ料理得意です」という演出のためか、和食料理教室「イカロス(=烏賊おろす)の会」に通う小和田雅子(講師である銀座の割烹晴美の料理長山田寿男氏証言入り)、風呂吹き大根やサヨリの刺身などを作ったというエピソードが婚約時期に流布される。同年10月からの運転免許同様、東大法学部在学時期に始め、単位取得など考えている風がみじんもないことに注目
1986~1987年? 巨人軍原田治明氏と六本木バーにてツーショット撮影する小和田雅子。酒が入っているのかほころんだ表情、手の位置に注目原田治明】【原久美 】氏提供の【便本】掲載画像

  • 1987年3月小和田雅子東京大学法学部中退。4月外務省入省

1987年4月1日 文京区・旧外務省研修所にて入省記念写真撮影、皆が灰色・紺色系統スーツ姿の中で小和田雅子だけがただ一人大きく目立つ前身ごろに大胆な白い切り替えデザインがあるツーピース衣装。なおこの服は同年5月5日友人結婚式にも着て出席している。両親ともに彼女が家を出る前に注意しなかったのか不思議でならない光景

1987年4月25日、高円宮邸での夕食会に浩宮と小和田雅子が招かれツーショット状態に。夜遅くまで歓談編集

『美智子さまから雅子さまへ プリンセスへの道』河原敏明、ネスコ(1993年) pp.65-66より引用
 入省して三週間目の四月二十五日に、雅子さまは高円宮邸に一人招かれる。高円宮ご夫妻と浩宮、雅子さまの四人だけだった。英国人カップルも招かれていたが、「都合で欠席」とされた。
 お二人は、高円宮夫妻とともに会食した。浩宮は、同年三月に訪問したネパール、ブータン、インドのアルバムを用意していた。写真は浩宮がご自分で撮ったものである。・・中略・・
 話ははずみ、たった四人のホームパーティは、数時間にもおよんだ。雅子さまがその日帰宅したのは、夜遅くなってからだった。</TBODY>


1987年5月5日 田園調布雙葉学園時代の友人の結婚式で、同年4月1日外務省入省時と同じ服を着ている雅子
1987年夏 入省1年目ヨット船上パーティーにて
1987年6月 「外務省研修時代のパーティー」と説明の入った映像より、紫色のワンピース姿でカメラを手にしておどけた様子の雅子(画像で1988年とあるが上と同じパーティーと推察され、年が誤っていると思われる)
1987年 入省1年目逗子のテニスコートで
1987年 外務省の課の旅行にて、パーカー姿でヨットに乗り記念写真の小和田雅子

1987年10月24日夜、小和田雅子が東宮御所に招かれ浩宮と歓談、賀陽正憲氏同席。【賀陽さん】参照編集

FOCUS 1987年11月13日号<急がれる浩宮妃の条件“有力候補”8人に見る血統と才色>記事
有力候補8人とは「三井史子さん、渋沢肇子さん、服部聡子さん、徳川冬子さん・直子さん(姉妹) 、徳川恵子さん・純子さん(姉妹) 、明石牧子さん」
この1987年4月高円宮邸に小和田雅子と浩宮を招いた夕食会があったが、上記事で雅子は妃候補に入れられていない。
1987年12月 職場にて写真撮影。電話に応えるポーズをとるものの、メモ書き準備の素振りも見せずばっちりカメラ目線で撮影された、明らかに強くマスコミを意識している小和田雅子
1987年12月 外務省国際機関第二課に勤務していたころ

1987年12月18日 小和田雅子によるマスコミカメラマン指差し恫喝事件発生編集

1987年12月18日 指差し恫喝事件が発生する数秒前
1987年12月18日 ‘’’小和田雅子による指差し恫喝事件発生(『FOCUS』1993/1/22号)指差し恫喝
参考:週刊女性 1993/6/29御成婚記念号<皇太子妃スクープ合戦>記事
社命で雅子さまとデート。焼き鳥屋や映画に誘って…
 新聞社も雅子さまの取材となると“仁義なき戦い”――。ある新聞社など昭和62年12月から平成元年11月まで、第3社会面で企画物を掲載。
「殿下への雅子さまの気持ちを確認しろ。友達になれ」
と社命が下っていた。担当になったのは女性記者。電話をかけるのは当然だが、花束を贈ったり、手紙を書いたり、映画へも。
「いろんな口実を作って、16回も一緒に食事に出かけてた。焼き鳥屋、イタメシ、オムレツ店等……とにかく自分をアピールするので一生懸命」
その女性記者は「女性を誘うときの男性の気持ちがわかった」と……。
FOCUSフォーカス 1988年1月1・8日号<最強の「浩宮妃候補」登場――東宮に招かれた「女性外交官」>記事ウインナー炒め
小和田雅子が'87年とある宮家(=高円宮家)に招かれ浩宮と歓談、夏にも東宮御所を訪問、10月末には旧宮家であり浩宮の友人でもある賀陽正憲氏とともに東宮訪問、宮内庁も「ある音楽界で同席」を認めるなど、小和田雅子がしきりに浩宮と接触していたという内容。
1987~1988年 スキー場の小和田雅子
右:1988年頃 テロリストのごとき顔が見えない状態のスキーウェア姿小和田雅子 左:1993年2月紀子さま赤いスキーウェア姿
1987~1988年頃? ぷりぷりした体型を灰色ジャージに包み、テニスの練習をする小和田雅子(右画像)
1987~1988年頃? 目黒区洗足のゴルフ練習場にて、打ちっ放し練習でクラブを振る小和田雅子、後ろにいるのは母方祖父・江頭豊チッソ
1988年1月 「謹んで初春のお慶びを申し上げます」の書き出しで始まる、小和田家と親交深い小川東洲氏への小和田雅子による年賀状小川東洲
1988年1月 正月に二世帯コンクリ御殿のチッソ江頭豊宅にて撮影、「祖父母宅で。二人の妹と」説明入り小和田雅子・礼子・節子三姉妹画像チッソ
1988年1月6日 創価学会が小和田恒外務省官房長宛に、池田大作会長の香港ならびにアセアン三ヶ国訪問のために便宜を図ってくれと要請する文書を送るせんべい
1988年1月 アメフト選手みたいな大きな肩パッド入り白コートで出勤する小和田雅子正面画像
1988年1月 大きな肩パッド入り白コートがアメフト選手みたいな小和田雅子出勤光景、後姿がごっついことになっている
FLASHフラッシュ 1988年1月5・12日号<浩宮妃候補?女性外交官の素顔>表紙
週刊女性 1988年1月14日号特別2週合併号<独占スクープ浩宮さま最有力お妃候補才媛外交官小和田雅子さん24歳電撃浮上!!>表紙・目次
週刊女性 1988年1月20日号<スクープ第2弾!浩宮妃最有力候補小和田雅子さん(24歳)と『今春ご婚約』の可能性>表紙・目次
女性自身 1988年1月20日号<カメラがとらえた天皇家愛と悲しみの63年史 / 浩宮さま最有力お妃候補小和田雅子さんがなぜか突然留学決定!>表紙・目次
女性自身 1988年1月20日号<小和田雅子さん 第2の美智子妃か!? 父も外交官、ハーバード大卒のふっくら美人>記事一部(女性自身1993年6月30日号緊急増刊永久保存版 雅子妃誕生 愛「決断」のすべて! pp.148-149 より)ふっくら
女性セブン 1988年1月21日号<小和田雅子さん日本脱出>表紙
週刊女性 1988年1月26日号<スクープ第3弾 浩宮妃候補 証言!伊達宗克さん(皇室問題に詳しい中京女子大教授)小和田雅子さん浩宮妃問題大詰め「最有力の理由」>表紙
週刊女性 1988年2月2日号<浩宮さま渦中の雅子さん近況>表紙
女性自身 1988年2月9日号<緊急ニュース 皇后様 心臓発作!! / 新連載 浩宮さま今夏ご婚約発表?へ『妃殿下への道』いま意中の人、小和田雅子さんは!>表紙
週刊女性 1988年2月16日号<浩宮妃最有力候補小和田雅子さん〝急変の身辺〟!!>表紙・目次
女性自身 1988年2月16日号<短期集中連載妃殿下への道(2) 小和田雅子さんを直撃!>表紙
女性セブン 1988年2月18日号<皇后(84)「いやよ」「心臓疾患」に緊迫態勢 / 浩宮妃本命女性がまさか! 選定に重大影響 浩宮妃候補3人のまさかの難問>表紙・目次
1988年2月5日 「昨年12月のお誕生日に、浩宮さまからお花が贈られたそうですね」という記者の質問に「そんなこと…ありえません」と答える小和田雅子
1988年2月9日 「浩宮さまが雅子さんへ誕生日プレゼント」との記事について「神に誓ってそういうことはありません」と言い張る小和田雅子

週刊女性 1988年2月23日号<独占スクープ 浩宮さまお妃候補有力小和田雅子さんの誕生日(昨年12月9日)に「贈り物」!!>表紙
1988年2月 六本木のパブから午前様で(夜中の1時半)出てきた小和田雅子、カラオケの十八番は「いい日旅立ち」とも
1988年2月18日 OECD大使としてパリに赴任する小和田恒が優美子と東宮御所へ挨拶に、その車に途中まで乗せてもらう雅子。路上にてカメラに気付いた様子でガンをとばしている表情(FRIDAY 1988/3/11号)
女性自身 1988年3月1日号<独占スクープ 妃殿下候補に新事実!!小和田雅子さんが皇太子ご夫妻と1時間半密かに>表紙
週刊女性 1988年3月1日号<独占スクープ 小和田雅子さん浩宮さまとの「運命の出会い」新事実!!と英国留学延期>表紙
週刊新潮 1988年3月3日号<特集「頂上が見えた」というご発言で絞られる浩宮妃候補>記事
p.134
 何でも、女友達に、
「プロポーズもされてないのに何でこんなに騒がれなくちゃいけないの」
 といったという。
「それにしては、何回も東宮へ行くのはどういうわけ?」
 と聞かれると、雅子さん答えていわく、
「好奇心よ」
p.135
「小和田さんは“プロポーズもされてないのに、云々”と女友達に話したっていいますが、これまで東宮へ招待された女性の、ほとんどは一回で二度と行きません。本人が行きたくても、東宮で呼んでくれないケースも無論ありますが、浩宮様や皇太子ご夫妻が気に入られても女性の方で二度目の招待をお断りするわけです。それがお妃候補から外して欲しいという一つの意思表示になる。
 ところが小和田さんは少なくともこれまでに四回は浩宮様にお会いしています。いくら“好奇心”からだといっても、お相手が今どういう立場にいる人か承知しているわけですから、彼女の方にまったくその気がなければ出かけませんでしょう」
週刊新潮 1988年3月3日号より引用、女友達への小和田雅子談話「プロポーズもされてないのに、何でこんなに騒がれなくちゃいけないの」
週刊女性 1988年3月8日号<特報 浩宮さま注目発言「結婚を富士山とすれば今は7合目から8合目!」小和田雅子さんの両親 東宮御所訪問!!>表紙
1988年3月8日 外務省前へコート姿で出勤中、指先でこめかみを押さえ、異様に不機嫌な目つきでカメラを睨みつける小和田雅子
1988年3月8日 外務省に出勤する濃紺コート姿の雅子連結画像。左人差し指が不自然に伸びたままの手の形
1988年3月8日 外務省東玄関前を歩いて出勤する濃紺コート姿の小和田雅子
左:1988年3月20-21日 福田赳夫元首相の孫娘横手香代子さんとスキー旅行/右:1988年6月 道端で紙袋を抱えて歩く小和田雅子福帯】【ウポポ
1988年3月20-21日 福田赳夫元首相の孫娘横手香代子さんと北海道スキー旅行、滝川市のホテル三浦華園に小川東洲夫妻が合流。左画像:貴賓室801号室にて撮影、左から小川東洲夫人、小和田雅子、ホテル女将の三浦夫人、福田元首相孫の横手香代子さん/右画像:三階料理茶屋「華月」看板前にて、ホテルの三浦社長、小和田雅子、横手佳代子さん。看板は小川東洲氏の書を彫刻したものとのこと福帯】【小川東洲
参考:1988年3月北海道スキー旅行について取り上げている友納尚子記事 『週刊文春』2012年11月8日号 ザ・プリンセス雅子妃物語 第18回「<名刺出しなさい>事件」の真相 記事その1 / 記事その2
1988年 むっちりとした足をミニスカートに包んでご出勤の小和田雅子
FOCUSフォーカス 1988年4月15日号<浩宮妃候補小和田雅子さんの「留学」準備>表紙
FOCUSフォーカス 1988年4月15日号<「浩宮妃候補」は、目下研修中―小和田雅子さんを取り巻く永田町・霞が関の“雑音”>カラーグラビア記事
1988年4月 外務省へ通勤途中、淡い灰色のトレンチコート姿の小和田雅子
1988年4月 成田空港、大量の荷物を手に成田空港へ向かう小和田優美子と礼子(説明では節子とあるが恐らく誤り)、口を折り曲げただけの紙袋を上下逆さに持っている礼子のガサツさに注目小和田優美子
1988年4月 成田空港の小和田優美子・礼子・節子母娘。写真説明ではジージャン上下が礼子で、赤ツーピースが節子ということになっているが、恐らく逆だと思われる礼節姉妹
1988年4月 成田空港にて、左から江頭豊、ジージャンにジーンズ上下の小和田節子(説明では礼子とあるが恐らく誤り)、小和田顕(恒の兄)不明女性、江頭寿々子
1988年4月 成田空港の待合フロアの椅子に座っている向かって左が江頭寿々子、右が小和田恒の実母である小和田静チッソ
1988年4月25日 東京都文京区の外務省研修所に遅刻して駆け込む小和田雅子
1988年5月 外務省の同僚と尾瀬旅行、川遊びをする小和田雅子、「ウポポ」と全く同じ組み合わせの服装ウポポ
1988年5月 料理教室「イカロスの会」で講師である銀座の割烹「晴美」料理長山田寿男氏を囲んでの記念写真、前列真ん中に陣取る小和田雅子
女性自身 1988年5月24日号<小和田雅子さん 浩宮妃をお受けする親族会議が…>表紙
右:1988年6月 道端で紙袋を抱えて歩く「売出中」小和田雅子/左:同時期お妃候補の一人北白川尚子さん
1988年6月13日 目黒区コンクリ御殿自宅付近をドスドス歩いて出勤する雅子。激太り時代に臍穴が生地の上から見えていた例のスーツである。太股のあたりがぱっつんぱっつん状態
1988年6月14日 文京区大塚の外務省研修所にて、研修を終えた同僚と共に出てきた雅子。肩パッドスーツの袖をまくりあげている(よみうり写真館)
1988年6月14日 文京区大塚の外務省研修所、マスコミカメラを強く意識している目線表情の小和田雅子、すごい肩幅ジャケットの袖口折り返し、顔の肉付きが見事に真ん丸である袖口折り返し
FOCUSフォーカス 1988年7月1日夏増大号<女のターゲット“本気”になった浩宮殿下とお妃候補“最後の二人”>写真記事
三越デパートの紙袋を抱えて歩く「売出中」小和田雅子(ウポポ写真掲載)と、スーツ姿の北白川尚子さんの対照比較

1988年7月小和田雅子英国オックスフォード大学院へ国費留学へ(結局修士号取得できず)編集

週刊女性 1988年7月5日号<外交官留学直前お妃候補NO・1小和田雅子さん直撃取材で「にじませた涙」その意味 / 独占掲載正田富美子さん衝撃回想録「約束が違いすぎました」>表紙・記事一部
週刊女性 1988年7月19日号<良い旅を 注目のお妃候補 小和田雅子さん留学渡米。来年帰国の可能性が!!>表紙
FLASHフラッシュ 1988年7月19日号<小和田雅子さん、英国留学へ出発>表紙
1988年7月 成田空港にて英国オックスフォード大学院へ国費留学出発する小和田雅子、お妃候補として注目されていた(させていた?)こともあり、たかだか一新米女性外務省員に報道陣が。緑の麻スーツは帝国ホテルで購入の約11万円
1988年7月 英国国費留学出発場面の小和田雅子、取材カメラを相当意識している様子である
1988年7月 英国オックスフォード大学院国費留学出発時、空港での小和田雅子『愛蔵版 皇太子さまと雅子さま ご結婚記念写真集』(読売新聞社編)掲載写真
FOCUSフォーカス 1988年7月15日号<ふと手をつかむ「思いやり」―「公務復帰」美智子さまを支えた皇太子さま / 浩宮妃候補の「海外流出」――小和田雅子さん英国留学を見る周囲の目>記事
p.51より引用
某消息通は、「二人が会わなくなってからも電話連絡はあるようだ。美智子妃は母親にも滅多に会えないなどと騒がれましたね。その時、雅子さんは、“そんなことありませんよ”と親しい人に漏らしている。浩宮と付き合いがなければ知らないことですからね」(別の皇室記者)
FRIDAYフライデー 1988年7月22日号<三井史子さんは「フィアンセ」と式の打ち合わせに 小和田雅子さんはイギリス留学へ>記事
1988年10月18日 英国オックスフォード大学院入校式の日、同大学ベリオール校のホリウェル・マナー・ガーデンにて、同窓生らと集合写真に収まる雅子
1988年頃? オックスフォード国費留学時代の日本協会「すしパーティ」を記録した会報の1ページ、下段集合写真に小和田雅子の姿
1988年 英国オックスフォード大学院国費留学当時の雅子。結果は修士号取得失敗学歴ロンダリング
1988年 英国オックスフォード大学院国費留学当時の雅子、体格は西洋人に引けをとっていない貫禄ぶり
1988年12月 国費留学期間中、パリ在住していたOECD大使恒ら家族を訪ねる。母優美子・妹礼子?とルーブル美術館へ、姉妹で腕組みする密着振り

1989年(昭和64年)1月7日、昭和天皇崩御。継承順位に従い、皇太子明仁親王殿下が即位、浩宮が新皇太子となる編集

1989年1月9日 昭和天皇崩御の2日後「即位後朝見の儀」に薄笑いを浮かべた表情とそっくりかえった足取りで向かう新皇太子徳仁(吹上御所玄関にて)ツッタカター
1989年1月9日 吹上御所での即位後朝見の儀
左から、礼宮、徳仁、今上陛下、皇后陛下、華子妃、勢津子妃、喜久子妃、百合子妃、信子妃、久子妃。紀宮は未成年(成年は当年4月18日)のため出席せず。
可愛がってくれた祖父を亡くし目を伏せ俯きがちな礼宮、悲しみをこらえ謹厳な表情で儀式を進める陛下、最愛の母・正田富美子さん(1988年5月28日逝去)に続き義父を亡くし肩を落とされる皇后陛下。対照的にピンと指先を伸ばし直立姿で平然とした表情の徳仁に注目。

1989年(平成元年)2月、皇太子は側近に「小和田雅子さんではだめですか?」と尋ね、彼女との結婚にこだわりを見せたといわれる。(『消えたお妃候補たち』小田桐誠、宝島社1993年 p.159より引用) 編集

1989年 オックスフォード大学院国費留学時代、実はボート部に在籍していた小和田雅子。落水し風邪を引いたとの訳の分からぬ理由により半年で退部
1989年2月 妹と一緒にイタリアローマ旅行での雅子
1989年2月 妹と一緒にイタリア・ローマ旅行での雅子モノクロ画像。英国留学中の写真にも登場している、袖に白いアーガイル柄が入った青いカーディガンを着用しているものと思われる
週刊女性 1989年7月4日号<皇太子さまのご結婚は延期?最有力候補小和田雅子さんは>表紙・目次
週刊ポスト 1989年7月7日号<5年前の極秘旅行を徹底追跡 皇太子と小和田雅子さん「アルザスの恋」>表紙
週刊ポスト 1989年7月7日号<5年前の極秘旅行(1984年9月・12月)を徹底追跡!! 皇太子徳仁と小和田雅子さん「アルザスの恋」>記事(上画像)コルマール
女性自身 1989年7月18日号<美智子さま苦悩!皇太子さま「アルザスの恋」小和田雅子さん(26)>表紙
週刊女性 1989年7月18日号<独占 皇太子さま 小和田雅子さんと フランス・アルザス・アルプス お見合い旅行していた?!>表紙・目次
1989年8月 海外訪問記者会見で「皇太子妃にどんな人を?」と質問され、答えた徳仁の言葉「紀子さんとうまくやっていける、そういう人柄の女性が必要であると思います」
週刊文春 1989年8月17・24日号<ワイド特集事件の女たちは今…… お妃候補ナンバー1はロンドンで研修中 小和田雅子に帰国命令ナシ>目次
女性自身 1989年8月22・29日号<《本誌独占スクープ》皇太子妃今秋婚約!小和田雅子さん 皇室親族会議了承>表紙
週刊女性 1989年9月5日号<お妃候補小和田雅子さんに怪文書が!>表紙
週刊女性 1989年9月5日号<皇太子さま“お妃候補” 小和田雅子さん・25歳 に怪文書が!/礼宮さまご留学から一時帰国。噂の女性 川嶋紀子さん・22歳 ともデート?>記事
≪こんな馬鹿なことがあろうか。皇太子妃の第一候補の小和田雅子の祖父が、あの水俣病の水銀垂れ流しの原因株式会社チッソの、専務社長会長を歴任。しかも、水俣病の原因がチッソ工場排水と確定した37年に常務に就任した。その後41年に水俣病の原因アセトアルデヒトの生産中止するまで専務として、中止や損害賠償について何もせず。……≫(原文ママ)
 8月15日午後、本誌編集部に郵送されてきた“怪文書”はそんな書き出しで始まっていた。
 切手の消印は“名古屋中央”とあり、茶封筒の裏には“松本誠一”とボールペンで書かれていた。
 封筒にはワープロで打たれた19枚が同封されていて、現在、英国留学中の小和田雅子さん(25歳・外務省勤務)の周辺の人たちのことが克明に示されていた。
昭和48年までチッソの会長だった祖父のことを中心に、東大名誉教授、専修大教授、著名な評論家のおじから、雅子さんの父親のこれまでの行動等に細かくふれ、雅子さんが<皇太子妃にふさわしくない理由だ>というものだった。
 また、皇太子さまがファンでもある歌手の柏原芳恵が<小和田雅子の従姉妹>であり、<最近は下着一枚のセミヌードのビデオや週刊誌の写真に登場している>ことも“ふさわしくない”としている。
 雅子さんが最有力のお妃候補といわれて約2年。
 こんな“怪文書”が登場するあたりが“本命”といわれるところなのだろうか――。
サンデー毎日 1989/9/17号<深層スクープ 礼宮さまご婚約は皇太子殿下が小和田雅子さんを選ぶ「布石」だった>記事その1 / 記事その2
FLASHフラッシュ 1989年9月19日号<来春婚約?浩宮さまと小和田雅子さん秒読み!>表紙
FLASHフラッシュ 1989年9月19日号<来春婚約!?浩宮さまと小和田雅子さんに再び熱い視線>記事
美智子さまが関係しているというのは眉唾だが「'84年の9月と12月の2回に渡る浩宮さまのフランス旅行に、極秘で雅子さんが同行していたことが明らかになりましたが」と、ここでもコルマールについて触れられている。
16歳当時の小和田雅子と礼節姉妹のどちらかが写っているアメリカ・ロッキー山脈旅行写真掲載。家族旅行スナップ写真を提供できるのは、小和田家の人間と解釈するのが普通であろう。
ttp://img127.imageshack.us/my.php?image=19890928us6.jpg 1989年9月28日 留学先の英国にてTV取材を受け「(皇太子妃問題に)私は関係していない」ときっぱり言い切る小和田雅子]
FLASHフラッシュ 1989年??月??日号<ありえません…小和田雅子さんの母“皇太子妃”にノー―本人が英国で“否定”したのに続いて本誌に断言!これでお妃選びは振り出しに戻った!?>記事一部
週刊微笑 1989年9月30日号<長男浩宮さま 熱愛 小和田雅子さんに誠意の説得作戦開始/次男礼宮さま 紀子さん 嫁入り仕度のすべて 発掘 愛と青春のアルバム>表紙
女性自身 1989年10月3日号<礼宮さまが告白!90秒に託した信号待ちプロポーズ!「私と一緒になってくれませんか / キコちゃんの赤ちゃん時代など、発掘!100枚写真館 / 2大ロイヤルスクープ/皇太子さま 小和田雅子さんとのモンマルトルの愛!!パリ空白の一日は最愛の女性との劇的再会のため!?>表紙
サンデー毎日 1989/10/8号<お妃スクープ第2弾!!小和田雅子さん「行方不明」で囁かれる皇太子「パリのしのび逢い」>記事その1 / 記事その2
週刊明星 1989/10/19号<注目!!ロイヤルカップル 川嶋紀子さん(23)ロンドン←1万キロ→東京 礼宮さまと連夜テレフォンデート/浩宮さまお妃候補No.1 小和田雅子さん(25)ロンドンで胸中告白!!「そっとしておいて…私はお妃候補ではありません」>表紙
1989年10月4日 オックスフォード留学中、路上でカメラを向けられ、やけにご機嫌なカメラ目線で満面笑顔の青カーディガン小和田雅子。皇太子妃候補と見なされて非常に困っているというポーズをマスコミにとり続けているはずなのだが……
1989年10月4日 オックスフォード留学中、バッチリカメラ目線でものすんごく嬉しそうな笑顔を見せる小和田雅子。裏地やスリップの類を使っていないのか膝上丈白タイトスカートが股間と腿周りに貼り付きみっともない姿に
1989年10月4日 オックスフォード留学、路上撮影にてマスコミカメラが大嫌いだとは到底思われないほどのものすんごく嬉しそうな歯剥き出し笑顔の小和田雅子大き目画像、おかげで歯並びの悪さもよくわかる状態。相当にサイズオーバーの男性用青カーディガン袖口を折り返して着用、股間と太腿に貼りついたスカート裾がずり上がり内側が覗いている袖口折り返し
1989年10月4日 オックスフォード留学中、路上で歩きながら取材を受ける青カーディガンの小和田雅子連結画像。裏地やスリップの類を使っていないのか膝上丈白タイトスカートが股間と腿周りに張り付きまくっているところに注目
1989年10月4日 オックスフォード留学中、路上で取材を受ける青カーディガンの小和田雅子モノクロ画像
1989年? オックスフォード留学中、路上で取材を受け、拒絶する素振りをするも、内心嬉しくて仕方のない様子で笑みを見せる雅子
週刊新潮 1989年10月5日号<皇太子殿下「長期戦宣言」で特集合点小和田雅子さん>記事
週刊女性 1989年10月17日号<来年 紀子さんジューンブライド パールのご婚約指輪キラッ! / 5大独占! 週刊誌で本誌だけが現地取材に成功 皇太子さま“意中の人”小和田雅子さんにこやか胸中初告白!!「関係していないと思っていますが」 / 英国オックスフォード現地独占取材皇太子さまの“意中の人”小和田雅子さん初めて胸中を… “パリのしのび会い”はなかったが…>表紙・カラーグラビア
FLASHフラッシュ 1989年10月17日号<小和田雅子さんの母 皇太子妃を否定>表紙小和田優美子
FLASH 1989年??月??日号<ありえません…小和田雅子さんの母“皇太子妃”にノー―本人が英国で“否定”したのに続いて本誌に断言!これでお妃選びは振り出しに戻った!?>記事一部
FRIDAYフライデー 1989年10月20日号<小和田雅子さんがロンドンで艶然「NOサイン」>表紙・目次
週刊女性 1989年10月24日号<皇太子さま雅子さん パリ再会キャンセル(秘)理由>表紙・目次
週刊SPA! 1989年10月25日号<「これだけは申しあげたい」小和田雅子さんの母が語る「娘は[お妃報道」に涙したこともあります」>表紙・目次小和田優美子
週刊SPA! 1989年10月25日号<小和田雅子さんの母親が語った「娘は“お妃報道”に涙したことも」 「お妃候補には関係していない」と、雅子さんに続き母親も“全面否定”>記事一部
皇太子殿下のお妃候補として、最有力とみられていた小和田雅子さん(25)が、「関係ありません」と自ら否定したことで、「お妃問題」は再び白紙状態に―。殿下の“意中の人”とまでいわれた雅子さんだったが、本誌の直撃取材に対し、雅子さんの母、優美子さん(51)も、同感した心中をのぞかせた。
週刊新潮 1989年11月23日号<「妃候補」小和田雅子さんの線はこうして消えた>記事おえらいの?
「雅子が皇太子さまに四、五回お目にかかる機会があったということ。これは事実です。しかし、私が知る限り、小和田家としては、雅子がオックスフォードに留学する直前の昨年七月ごろに、東宮御所に対しては、しかるべき人を介し、皇太子妃ウンヌンはあり得ませんと、ハッキリお伝え申し上げてあるのです。もとより、それは御所から特別の意思表示がおありだったというわけではありません。」
1989年11月 英国留学中オックスフォード大学“マートン・カレッジ”を訪れた雅子。マートンは浩宮が学んだカレッジであり、雅子は“ベリオール・カレッジ”で別。修士論文も仕上げられないくせに、態々自分と関係ないカレッジを訪れていた理由は不明
1989年11月 マートン・カレッジ前に立つ雅子=1989年11月、英オックスフォード、斎藤智子撮影
1989年11月、雨の中テムズ川の川岸に傘をさして立つ雅子、斎藤智子撮影
週刊朝日 1990年2月23日号<浜尾実・元東宮侍従が語る皇太子様30歳のお妃選び「小和田雅子さんはまだ本命でしょう」>表紙・目次浜尾実
週刊女性 1990年3月13日号<この3人の中から誰が? / 胸中告白皇太子さま[公約の30歳]お妃選びは難航「悲観はしてません…」>表紙
表紙に皇太子妃候補3名の顔写真掲載、その一番上が小和田雅子である。
1990年3月30日 オックスフォード郊外ブレナムパレスにて、前年10月と同じ特徴のある青カーディガン姿の雅子
1990年頃 オックスフォード院国費留学時代と思われるカーディガン姿で大股闊歩する雅子モノクロ画像
週刊ポスト 1990/6/22号<卑劣な怪文書「それなら僕は結婚しない」皇太子を激怒させた「妃選考の密謀体質」を許してはいけない>記事デビッド・カオ
1990年7月 英国留学から帰国後、田園調布雙葉小学校からの友人である土川純代夫妻宅にて。土川さんの夫君がTシャツにトランクス姿であり、誰が撮影したのかは不明である土川純代
1990年7月28日 妹・小和田礼子ジュネーヴ留学歓送会、雅子と礼子の画像
左2画像:1990年8月 婚約時期でも着回しされている特徴ある服で臍の跡まで見える激太り小和田雅子、バッグに突き刺さっているのはバットではなく傘(英国フォックス社製)、ファーストクラスの赤いタグ付き/右画像:1993年婚約時期 同一人物とは思われないほどにダイエットしたことが分かる同じ服の雅子
参考: 臍の穴が浮き出るほど激太り雅子(1990年8月)の画像を、横縮小かけて細く見せかける画像編集をしたと思しき『週刊現代』1993/1/23号比較マコオタ画像集(報道)01
週刊女性 1990年8月21・28日合併号<紀子さま新婚1カ月レポート「お身体だいじょうぶですか?」 / 皇太子さま“意中の女性” / 独占スクープ皇太子さまお妃選び難航の中小和田雅子さん(26歳)電撃再浮上!!最有力候補から3年 6月密かに帰国して―>表紙
1990年9月 友人宅に手作りのヨーグルトムースを持参した小和田雅子
1990年11月 友人の結婚披露宴で記念写真、小和田雅子の隣に土川純代さん着席土川純代
FOCUSフォーカス 1990年12月7日号<首相官邸がリークする「皇太子妃決定」情報――新たに3人が候補に加わ秒読み開始>記事
瀧直子さん、三井永子さん、二荒美香子さん、波多野真理さん、そして小和田雅子の名前が出ている。
1990年12月10日 皇太子妃候補の取材を試みるフジテレビ情報番組「タイム3」ディレクターの勝本晶子氏に対し、路上で何故か声を上げて身をよじるほどの大笑いした雅子についての回想記事(『エッセ2002年1月号臨時増刊・フジテレビ情報プレゼンターとくダネ!プレゼンツ完全保存版 皇太子さま、雅子さま、おめでとう!敬宮愛子内親王さまご誕生』pp.62-63より)
参考ようつべ:Masako and the Other 8 Candidates of Chrysanthemum Fiance http://www.youtube.com/watch?v=1z57AT288yM
1990年12月10日、妹(礼子節子いずれか不明)と一緒になって、路上で取材記者を小馬鹿にしたゲラゲラ笑いをしてみせる小和田雅子の映像あり。
1991年1月 結婚した友人に子供が生まれ抱かせてもらう小和田雅子だが、画像説明「赤ちゃんの抱き方も上手です」とは到底思われない、余りに不安定で赤ちゃんをいつ取り落としてもおかしくない腕の格好駅弁抱っこ
女性自身 1991年1月22日号<「もう一度殿下と会ってください!」皇太子妃激動! あの小和田雅子さんに宮内庁長官が緊急接触>表紙・(秋篠宮両殿下)グラビア
1991年2月 同窓会に出席したときの小和田雅子
1991年3月11日 外務省員時代、海部俊樹首相(当時)の公務に随行している小和田雅子。向かって左は全米商業会議所のレッシャー理事長
FLASHフラッシュ 1991年4月23号<あの小和田雅子さんの父・恒氏が外務省トップ次官に昇進!>表紙・目次
FLASHフラッシュ 1991年4月23号<あの小和田雅子さんの父・恒氏が外務省トップ次官に昇進!>記事小和田恒
1991年5月12日 友人宅にて、子供を出産した友人に母の日のプレゼント(バラの花束)を持つ雅子。右にはベビーベッド、左後ろには粉ミルクの缶が
1991年5月 日米半導体協議に日本側スタッフとして出席、髪を触る仕草がせわしない小和田雅子
1991年5月 「日米半導体交渉でも活躍。」と説明があるが、どこか不満そうな表情で写っている小和田雅子
参考ようつべ:雅子さま-外務省時代と1993年(音声なし) http://www.youtube.com/watch?v=3__VfoLrxAc
外務省員時代、迎賓館での会食の場に通訳として同席している小和田雅子。手前は海部俊樹首相(当時)
1991年 友人の結婚披露宴で記念写真、珍しく首元が開いた水色衣装着用ですっきりと写っている小和田雅子

1991年8月9日 小和田恒外務次官就任編集

FOCUSフォーカス 1991年8月16・23日合併号<「最初の浩宮妃候補」小和田雅子さんのその後の家庭>記事、三越デパートの紙袋抱えて歩く小和田雅子「ウポポ」写真再掲ウポポ
1991年8月10日 テニスのミニスコートに青いリボンカチューシャで審判台に足をかけてぶりっこ姿ポーズの小和田雅子27歳8ヶ月ぶりっこ
女性自身 1991年8月20・27日号<周辺再浮上!『皇太子妃はやっぱりあの小和田雅子さん!!』〝応援の声〟事情>紀子妃殿下表紙
1991年8月25日 軽井沢のゴルフ場にて、ベルトなし、足元はゴルフシューズでなくただのスニーカー(?)な格好の小和田雅子
FLASHフラッシュ 1991/9/3号<小和田雅子さんと父親・恒外務次官の内規違反発覚!父親用に発行された「駐車許可証」で外務省にマイカー通勤していた“有力お妃候補”の失点>表紙とトップ記事小和田恒アップ写真運転免許証
FLASHフラッシュ 1991/9/3号 雅子の父・小和田恒名義駐車許可証利用による外務省内規違反の雅子マイカー通勤が発覚、同上記事
1991年9月1日 絵を趣味としていた元チッソ社長母方祖父・江頭豊が個展開催、その折の雅子と江頭豊
1991年9月1日 江頭豊の絵の展覧会で。豊と母優美子と共に記念写真におさまった雅子
1991年9月 ピアニスト・中村紘子の難民奨学生のためのチャリティーコンサート会場で、中村氏を囲む中にいる小和田雅子と母優美子
1991年9月 小和田雅子・中村紘子・小和田優美子らの画像モノクロVer. 向かって右端に中村紘子の夫・庄司薫氏とも説明入り
参考:週刊文春 1993年1月21日号<特別寄稿 日本はとってもツイている 皇太子妃決定!>ピアニスト中村紘子が雅子の両親小和田恒・優美子を褒めちぎっている寄稿記事
1991年10月23日 オランダ女王主催のロイヤルコンセルトヘボー交響楽団公演に出席の小和田優美子と小和田恒
1991年10月29日 小和田雅子のマイカー通勤光景、説明文で車種が「コルサ」とあるが「カローラII」の誤り
1991年11月 港区外務省飯倉公館にて米国ベーカー国務長官来日時通訳。渡辺美智雄外務大臣に竹下登の姿も
1991年11月 米国ベーカー国務長官来日時通訳カラー画像。渡辺美智雄外相、竹下登、中曽根元首相ら同席
1991年11月 ヒルズ米通商代表と三塚博の会談で通訳をする小和田雅子『フライデーSPECIAL』1993年6月26日増刊号より
1991年11月 ヒルズ米通商代表と三塚博の会談にて、化粧がかなりケバい雰囲気の小和田雅子
FOCUSフォーカス 1991年11月22日号<小和田雅子さんも華を添えて― 〝ミッチー外交〟デビュー戦の大応援団>表紙・目次・グラビア一部
1991年 「キャリアウーマン」時代、外務省国際機関第二課勤務で海部首相の通訳や日米半導体協議のスタッフになったりした頃の小和田雅子
空港のような場所で撮影された、当時かなりケバい感じで髪が伸びている、横目でカメラ目線の小和田雅子
空港で撮影された、横目で睨むカメラ目線がおっかない小和田雅子
女性自身 1991年12月24日・1月1日合併号<独走スクープ!小和田雅子さん聞こえてきた『正式ご求婚(プロポーズ)があればお受けします』発言!「皇太子妃来春決定」説の“全シナリオ”を追う!>表紙
女性自身 1991年12月24日・1992年1月1日合併号<独走スクープ!小和田雅子さん聞こえてきた『正式ご求婚(プロポーズ)があればお受けします』発言!「皇太子妃来春決定」説の“全シナリオ”を追う!>記事一部(女性自身1993年6月30日号緊急増刊永久保存版 雅子妃誕生 愛「決断」のすべて! pp.148-149 より)
FOCUSフォーカス 1992/1/3号<「皇室の最重要課題」32歳を迎える皇太子のお妃選び>記事
最近、小和田さんが、“皇太子さまご自身、あるいは皇后さまから直接、お言葉をいただいたら……”と漏らしたという話が親戚筋から伝わっています」という内容も。
〝お妃候補〟の10年史(1982年3月~1992年2月)、どのようなお妃候補がどの時期に存在していたかが確認できますくにさん
女性自身 1991年1月7・14日号<独走スクープ第2弾!皇族からも聞こえてきた!「皇太子妃には小和田さんしかいない」の声!! / 紀子さま「お忍び忘年会」?の合間の“眞子ちゃま”電話!>表紙
女性セブン 1992年1月2・9日号<どうしても消えない 皇太子妃候補 小和田雅子さん>表紙
女性自身 1992年1月7・14日合併号<総力取材皇太子妃独走スクープ第2弾!こんなに集まった「お妃には小和田雅子さんしかいない!」>記事一部(女性自身1993年6月30日号緊急増刊永久保存版 雅子妃誕生 愛「決断」のすべて! pp.148-149 より)
微笑 1992年1月11日新年特大号<皇太子妃か女性大使か 小和田雅子さん母激白「娘は過労死しそうです」>表紙小和田優美子
女性自身 1992年1月21日号<独走スクープ第3弾!皇太子さま「重大発表」か!?渦中の小和田雅子さんに直撃!親友の一人も「彼女は前向きです」と― / 紀子さま冷凍母乳の愛?>表紙
女性自身 1992年1月21日号<「皇太子妃」独走スクープ第3弾!皇太子さま32才の誕生日2月23日に重大発表が!?>記事一部(女性自身1993年6月30日号緊急増刊永久保存版 雅子妃誕生 愛「決断」のすべて! pp.148-149 より)
女性セブン 1992年1月30日号<秘話皇太子さまの恋 小和田雅子さんと そしてE・Mさんと / 皇太子妃で1月8日重大会議!その最中に小和田雅子さんの母が真相?初告白 もうお相手は決まっている>表紙小和田優美子
1992年3月15日 海部元首相長男正樹氏と外務省同僚・児島優子さんとの結婚式披露宴に出席、態々小和田雅子出席をクローズアップして報じる『FOCUS』3/27号<捨てがたい「美」と「気品」―海部前首相長男の結婚披露宴に出席した小和田雅子さん>提灯記事
1992年3月15日 海部元首相長男正樹氏結婚披露宴出席カラー画像、スケキヨもびっくりの白塗りフェイス小和田雅子はコラではありません(『毎日グラフ』1993/6/26臨時増刊号p.98より)
1992年4月 友人の結婚式に出席、二次会のような場所でのピンク・黒ワンピースの小和田雅子

1992年5月、GWを利用して友人土川純代氏別荘にて「育児合宿」なる「小和田雅子サンは実は家庭的で子供が大好き」演出PV撮影編集

参考ようつべ:1993/1/19土川純代氏出演N○Kようつべ動画
http://www.youtube.com/watch?v=lQnAu6UVNF8
1992年5月 「'92年5月、友人宅(注:正確には別荘)で。台所に立つ姿もサマになっています。」「ちょっと待っててね」子供を気遣う優しさも。別グラフ誌では「友人の別荘で手馴れた包丁さばきを披露」とも。子供が足元にいる状態での刃物使い、鮎のような魚を捌いているのに人差し指を伸ばした変な包丁の持ち方、両手首に腕時計とブレスネットをしたままで腕まくりも全くしていないという、料理ができるとはとても思われない格好の小和田雅子ぶりっこ
1992年5月 伊豆赤沢の土川純代さん別荘にて、長女リサちゃんに「TOPPAN TUTOR SYSTEMS」トッパン絵本を読んでやる雅子
1992年5月 伊豆高原にある土川家別荘にて撮影。大袈裟にもゴム手袋をはめて、コンロに火を点けたままレンジ拭き掃除をしたり、手を拭いた後の湿った雑菌付きタオルをペーパータオルロールの上に置こうとする(当然タオルは落下)、どう見ても台所仕事に無知なことが丸分かり「家庭的女性演出PV」な小和田雅子の姿。翌1993年雅子を皇太子妃として内定する皇室会議当日1月19日にこの映像がN○Kで放映されることになる
1992年5月 「育児合宿」PVで撮影された小和田雅子のガサツな一瞬。手を拭いたタオルをペーパータオルロールの上に置こうとしてタオルが落ちかけているが、雅子は横目でそれを見ていない
1992年5月 「育児合宿」PV撮影当時、オムツ替えでお尻を丸出しにしている土川純代さん第二子(ゆうじ君)と小和田雅子・土川さん・土川さん長女リサちゃんが何故か記念写真撮影し、婚約内定後マスコミ提供することに。撮影したのは恐らく「パンツ男」こと土川さんの夫と推察される土川純代
1992年5月 「育児合宿」PV撮影にて土川純代氏第二子赤ちゃん・ゆうじ君を抱っこし、しきりにカメラ目線を決める小和田雅子
1992年5月 「育児合宿」土川ゆうじ君抱っこ映像の続き、雅子の顔面にひたすらズームアップする場面。自分(=土川夫妻)の可愛い子供をメインに映像記録に残すのが普通であるが、友人雅子がまるで主人公であるかのような撮り方をしている(2001/12/1愛子ちゃん誕生当日特集映像より)
1992年5月 伝蓋小学校時代からの友人・土川純代さん提供、箪笥上の鏡餅や椅子上の炊飯器など不審点の多い画像
上画像については「純代さん一家と伊豆・一碧湖に滞在したおり、川奈ホテルで(昭和63年4月)」と説明をつけている写真集もあるが誤り。
比較:鏡餅や椅子上の炊飯器などと小和田雅子 / 土川純代氏提供「1992年土川家別荘“子育て合宿”」ホームビデオ映像キャプチャ、特徴ある箪笥、小和田雅子の着用しているインナー、カチューシャ、テーブル上のワイン瓶にボックスティッシュの配置などからして同一日に撮影と考えられる。
不審点について諸説出ている件について:1「マルボロのロングサイズ/レモンの乗ったグラス/哺乳瓶」などの説もあり/2「ラッキーストライク/パーラメントボックスの上に赤いライター」説あり / 拡大版
1992年7月23日 出張先のNYでハーバードの友人たちと
1992年7月31日 外務省北米第二課の同僚たちと集合写真

  • これ以降はこちら
  • 浩宮については小和田雅子との関わりで重要な画像は掲載していますが、それ以外はこちら

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