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小和田雅子が伝蓋こと田園調布雙葉学園中学校・高等学校在籍時に活動していた部のこと。伝蓋時代における小和田雅子の野球好きは婚約内定時代から広く報じられており、親友原久美と共に巨人の多摩川グラウンドに出向いて追っかけをしていた。はっきり言って洒落にならないエピソードもあるのだが、そちらについては【原田治明】【原久美】の項を参照されたい。

伝蓋ソフトボール部における雅子については、

  • 当時野球・ソフトボール部が存在していなかった伝蓋に同好会から発展させ部を設立した中心人物だった
  • 中学3年生の世田谷区大会で優勝し、優勝カップにジュースを注いで乾杯して回し飲みした

…といったものが知られているが、その中でも一際興味を引くのが

  • 高校1年のソフトボール部夏合宿で、部員たちとの意見の対立から雅子一人だけが家に帰ってしまい、後に母小和田優美子がアイスクリーム持参で雅子と一緒にやってきて部員たちとの仲をとりなす

事件である。

関連項目:【原田治明】、【原久美】、【ナンシー雅子】、【いたずら】、【ホスチア

優勝カップでジュース回し飲み事件編集

1978年 中学3年生の時期、世田谷区のソフトボール大会で優勝、カップを手にしている雅子とチームメイト

『美貌なれ日本 雅子妃の時代』赤塚行雄、KKベストセラーズ(1993年)
p.56より引用
 野球に話をもどそう。中学三年のときに、世田谷の大会でようやく優勝したことがあった。まぐれの優勝といった感じだったが、はじめてのことで、皆、抱き合ってよろこんだ。優勝カップにジュースを注いで回し飲みをして、オワちゃんはご機嫌だった。

『FRIDAY SPECIALご成婚記念緊急特別号おめでとう!皇太子さま雅子さま』1993/6/26増刊号
p.15
より引用
区の大会で優勝したときは、カップにジュースを入れてみんなで回し飲みしたんですよ」(天野有子さん)

夏合宿で部員とトラブった小和田雅子が勝手に帰宅→母優美子とアイスクリーム持参で謝罪事件編集

『雅子さまの明日』友納尚子 文藝春秋(2006年)
pp.82-84より引用
・誤解されやすいタイプ
 田園調布雙葉高校に入ると、得意科目はそれまでの古文と地理から理数系へと変わった。勉強は夕食の後、一時間ほどするだけだったが、集中力があった。
 同級生によれば、学校の授業のノートの使い方にも工夫があり、「授業」「予習」「復習」の三項目に分けて英語の日本語の両方で書いた。整理整頓が上手で、自宅二階にあった自分の部屋はつねに片付いていた。
 高校時代にはこんな“つまづき”も味わっている。
 一年生のとき、ソフトボール部の夏合宿にいったときのこと。友人たちと練習のことで意見が食い違ったことがあった。「有名私立のスポーツ部だからといって、手を抜きたくない」という雅子さま。それとは反対に「合宿だからといって焦らずに練習したい」という友人たち。どちらも合宿生活を成功させたいと思っていたからこそなのだが、先輩がいない同学年だけの小さなクラブだったことや、慣れない集団生活から疲れが出たせいもあったのだろう、合宿も残すところ後二日という日に気まずい雰囲気になってしまった。
 同級生が回想する。
「雅子さまは『もう少し真面目にやりましょう』と言ったのですが、『ちゃんとやっているのに、何故そんなことを言われなくてはならないのか』と言い返されてしまった。その時、何人かに反対意見を叩き込むような感じで言われてしまい、黙り込んでしまったという記憶があります」
 グラウンドから離れても緊張した空気が重く流れるようになった。雅子さまはうつむき加減で口をつぐんだまま。他の友人が場の雰囲気を和ませようと関係のない話を始めると、ますます頑なになった。この同級生は後に、雅子さまに当時の気持ちを聞いてみたところ、「別に怒っていたわけでもなく、どう切り出したらいいのかタイミングが摑めずにいた」からなのだという。
 だが、自分が口火をきったことがせっかくの合宿の雰囲気を悪くしてしまったことを後悔しはじめた。遂には、それに耐えられなくなってしまい、合宿の途中で荷物をまとめて自宅に帰ってしまったのだった。
 後日、雅子さまは母親の優美子さんとアイスクリームを持って学校に謝りに行ったという。それからはケロッとして、友人たちとも仲直りしてソフトボールの練習に明け暮れる毎日だったというが、繊細さと鷹揚な性格をあらわすエピソードの一つではないだろうか。
 ソフトボール部の友人がそのときの様子を語る。
「その出来事は、そんなに大したものではなく些細な食い違いだったと思います。オワは自分はあまり話が上手なほうではないと思っているようなところがあったので、心の中で思っていたことが、相手に誤解されて伝わってしまったのではないかと気にしたんでしょうね。そんな時は性格って出るもので、相手に分かってもらおうと必死に説明する人もいれば、別の話題に振りながら自然と関係を修復する人もおりますし、相手にしないとばかり無視する人もいる。オワはどれにも当てはまらず、傷ついてしまうと言葉を発しなくなるタイプですね。ただ、頭のいい人ですから目だけは常に冷静に状況を見ている。これが人によっては、何を考えているんだろうと思う人もいるんですね。そしてオワは、誤解が誤解を生むことに傷付いていたみたいです」
 この友人が語る「傷ついてしまうと言葉を発しなくなるタイプ」という分析は、雅子さまが皇室に入ってからの状況の一端を物語るものなのかもしれない。


『雅子さまの明日』は、雅子擁護ライターの最右翼と言える友納尚子の手によるもので、歯が浮くほどのべったり美化擁護がなされている。その中に置いても雅子の失敗談とも言える出来事を後年皇室における“不適応”の理由を説明する材料として態々披露しているということは、実際に起きた事件を反映させていると考えて差し支えないだろう。

ソフト部合宿時期と小和田家移住時期、同級生との関わりの謎編集

それにしても摩訶不思議なのは「ソフト部高校1年夏合宿雅子バックレ&優美子とアイスクリーム持参」事件の発生時期に関してである。「夏合宿」と言えば普通夏休み期間中に行われるものだろうと思われるが、小和田雅子は伝蓋高校1年1学期の7月に一家でアメリカボストンへと移住していることから夏休み期間は有り得ず、高校1年1学期の6~7月に行われたのだろうと推察される。

『素顔の雅子さま』週刊女性皇室取材班 主婦と生活社(1993年)
pp.44-46より引用
 日本を離れる日が近づくにつれて、相次いだお別れ会。友人のお宅にはクラスメートが20人ほど集まった。
「帰りぎわに雅子さまは集まった全員に薔薇の花をくださいました。いまでも薔薇の花を見るとあのときの寂しい思いが、ふと思い出されます」
 と振り返る友人のひとり。
 教室での送別会が行われたのは昭和54年7月11日
 クラスメート全員からのプレゼントは雅子さまへのお別れの歌だった。
「作詞も、作曲もクラスの子のオリジナルでした。“涙は見せずに笑顔を贈るから あなたも私たちのことずっと忘れないでね 世界を飛び回って活躍してほしい――”という内容の歌でしたが、歌っているうちにやっぱり涙が出てしまって……」
「雅子さまは私たちへのありがとうの気持ちをハイネの詩に託してくれました。素晴らしい発音のドイツ語でした。雙葉はフランス語が必修でしたので、フランス語にはみんな馴染みがありましたが、ドイツ語には触れる機会は初めてでしたので、いまでも大変印象に残っています」
 雅子さまは最後のひとときにもまた、伝説を残した――。
 米国ボストンへの出発の日。東京箱崎のターミナルにはクラスメート、ソフトボールのチームメートだけでなく、後輩たちの姿もあった。
「オワ、元気でね」
「オワ、手紙書くからね」
「私たちのこと、忘れないでね」
 と別れを惜しみ涙ぐむ友、友、友――。
 雅子さまも泣きたかったかもしれない。
 だが、雅子さまはこらえるような笑顔だけを残し旅立っていった――。
 昭和54年7月、田園調布雙葉高校1年C組のクラスメートと別れを惜しんだ雅子さまは、米国マサチューセッツ州のベルモント市で新たな生活のスタートを切った。8年ぶりのアメリカ。小学校1年までを過ごしたニューヨークから約300キロメートル北東の中核都市であるボストン。アメリカ独立戦争のきっかけをつくった歴史ある都市は“強いアメリカ”を支えるエスタブリッシュメントを生む学問の街でもある。

『雅子妃殿下のご実家 小和田家の歴史』川口素生 新人物往来社(2001年)
p.204より引用
昭和54年 一九七九 3月雅子妃殿下、田園調布雙葉中学校を卒業。田園調布雙葉高等学校に進学。7月 小和田恒、アメリカのハーバード大学法学部客員教授に就任。一家はボストンに転居。9月 雅子妃殿下、ボストンのベルモント・ハイスクールに転校し、二年に編入。在学中、成績優秀でドイツ総領事賞などを受賞。

『雅子さまの明日』友納尚子 文藝春秋(2006年)
p.86より引用
 高校一年の夏、父親の恒氏がハーバード大学の客員教授に就任したため、一家は再びアメリカのマサチューセッツ州に渡った。

1979年ごろ 渡米後、ボストンのベルモント高校ソフトボール試合で一塁に走る雅子、背番号11の二塁手だった
1981年5月 ベルモントハイスクールではソフトボール部に所属、卒業を前にしてチームメイトと記念写真

高校1年1学期7月小和田家渡米による伝蓋級友たちとの別れはなんとも感動的な文章で書かれているが、そのごく近い時期に「ソフト部高校1年夏合宿雅子バックレ&優美子とアイスクリーム持参」事件が発生していること、送別会で雅子は何故かドイツ語の詩を披露し素晴らしい発音だったとヨイショしているかつての同級生は「ドイツ語には触れる機会は初めて」という矛盾振り、クラスメートは涙を流していたというのに雅子は涙を流さなかったということ、よくよく読めば違和感ありまくりの状況である。
小和田雅子が浩宮と婚約し結婚に漕ぎ着けた時期の雑誌記事には次のようなものがある。

『サンデー毎日』1993年6月27日号<秘話スクープ!!殿下は“いちご大福”をご存じなかった 41回のデートで交わされたお二人のやりとり>
pp.25-26より引用
 お二人のこれまでの生い立ちを話し合われるため、デートではアルバムをご覧になる機会もあった。雅子さまは東宮御所に幼いときからの写真をお持ちになった。
 中学時代に雅子さまが熱中したのは、ソフトボールだった。同好会をつくり、中学二年でクラブに昇格。三年の夏には世田谷区大会で優勝している。雅子さまは三番でサードだった。
「私も髪が短かったんですけど、雅子さまは日に焼けてショートカットでしたから、男の子みたいだったんです」
 と、ソフトボール部時代の友人は話す。雅子さまはこの友人に、
「私はボーイッシュだって言われてたけど、あなたの写真を指差して、こっちのお友達のほうがボーイッシュよねって、殿下におうかがいしたら、そうですね、とおっしゃってたわよ」
 と、皇太子さまとの打ち解けた会話の様子を話された。
 ソフトボールの話題では、皇太子さまは雅子さまに宮内庁のソフトボールの親睦大会に、ぜひ参加するようにとお誘いになったこともあるという。その時、雅子さまは、
「まさか、それだけはやめて下さい」
 と、苦笑されたそうだ。
『週刊読売』1993年6月27日皇太子さまご結婚記念号<「田園調布雙葉」同級生メッセージ「オワ、お幸せに!」>
p.37より引用、なおマスコミ登場しまくり土川純代はここでも名出しでコメントしている。
 編集部では、一人でも多くの同窓生から、お祝いのメッセージを集めるべく、アプローチした。ご婚約内定前後のあわただしい時とは違うので、かなりの祝福が寄せられると予想したが、思うような結果は得られなかった。


雅子友人として世に広く知られる土川純代さんは、「実は雅子とそれほど親しい仲ではなく婚約報道時の対応のために親友役を任された」説が浮上しており、雅子夫人と伝蓋ソフトボール部の級友たち、どうにもすっきりしない関わり方のようである。

雅子擁護ライター友納尚子の食い違う主張:小和田雅子ソフトボール部合宿バックレ事件について、当初部員たちとの意見対立が原因としていたのが、いつのまにか顧問の先生に責任転嫁の言い訳をすることに編集

[ Part2253]-368 可愛い奥様 sage 2012/01/10(火) 15:27:40.40 ID:q75XBqGNP
『文藝春秋』2月号に掲載された永田忠興(元宮内庁掌典補)のインタビューで、
侍従をも含めた官僚による宮中祭祀軽視が、昭和50年代に顕著になったと言っている。

で、当時の総理は?と思ってWiki見たら...何と「福田赳夫」だと。
フフンの家は、父子二代にわたって皇室の「権威薄め」に邁進してたわけかね。

>>334
ナルが皇族議員に落選したのも、2003年9月からだよね。
2002年に何かが起きたんだろう。


370 可愛い奥様 sage 2012/01/10(火) 15:31:19.02 ID:HFiLcPGX0
>>368
同誌によると安倍信三は女性宮家にはっきり反対のようで、心強いね。
あとトモノー文で、雅子のエア同級生が今更ソフトボール合宿の言い訳をしてて笑えた。

380 可愛い奥様 sage 2012/01/10(火) 15:40:50.85 ID:HFiLcPGX0
>>376
トモノーの文庫本では友人と対立して帰宅となってたが、
今回は顧問の先生が前と違うことを言ったせいでとなっていた。
大人の表裏ある態度にどうこうとか書いてあったが。

『雅子妃の明日』友納尚子、文藝春秋(2006年7月15日初版
pp.82-84より引用
・誤解されやすいタイプ
 田園調布雙葉高校に入ると、得意科目はそれまでの古文と地理から理数系へと変わった。勉強は夕食の後、一時間ほどするだけだったが、集中力があった。
 同級生によれば、学校の授業のノートの使い方にも工夫があり、「授業」「予習」「復習」の三項目に分けて英語の日本語の両方で書いた。整理整頓が上手で、自宅二階にあった自分の部屋はつねに片付いていた。
 高校時代にはこんな“つまづき”も味わっている。
 一年生のとき、ソフトボール部の夏合宿にいったときのこと。友人たちと練習のことで意見が食い違ったことがあった。「有名私立のスポーツ部だからといって、手を抜きたくない」という雅子さま。それとは反対に「合宿だからといって焦らずに練習したい」という友人たち。どちらも合宿生活を成功させたいと思っていたからこそなのだが、先輩がいない同学年だけの小さなクラブだったことや、慣れない集団生活から疲れが出たせいもあったのだろう、合宿も残すところ後二日という日に気まずい雰囲気になってしまった。
 同級生が回想する。
雅子さまは『もう少し真面目にやりましょう』と言ったのですが、『ちゃんとやっているのに、何故そんなことを言われなくてはならないのか』と言い返されてしまった。その時、何人かに反対意見を叩き込むような感じで言われてしまい、黙り込んでしまったという記憶があります
 グラウンドから離れても緊張した空気が重く流れるようになった。雅子さまはうつむき加減で口をつぐんだまま。他の友人が場の雰囲気を和ませようと関係のない話を始めると、ますます頑なになった。この同級生は後に、雅子さまに当時の気持ちを聞いてみたところ、「別に怒っていたわけでもなく、どう切り出したらいいのかタイミングが摑めずにいた」からなのだという。
 だが、自分が口火をきったことがせっかくの合宿の雰囲気を悪くしてしまったことを後悔しはじめた。遂には、それに耐えられなくなってしまい、合宿の途中で荷物をまとめて自宅に帰ってしまったのだった。
 後日、雅子さまは母親の優美子さんとアイスクリームを持って学校に謝りに行ったという。それからはケロッとして、友人たちとも仲直りしてソフトボールの練習に明け暮れる毎日だったというが、繊細さと鷹揚な性格をあらわすエピソードの一つではないだろうか。
 ソフトボール部の友人がそのときの様子を語る。
その出来事は、そんなに大したものではなく些細な食い違いだったと思います。オワは自分はあまり話が上手なほうではないと思っているようなところがあったので、心の中で思っていたことが、相手に誤解されて伝わってしまったのではないかと気にしたんでしょうね。そんな時は性格って出るもので、相手に分かってもらおうと必死に説明する人もいれば、別の話題に振りながら自然と関係を修復する人もおりますし、相手にしないとばかり無視する人もいる。オワはどれにも当てはまらず、傷ついてしまうと言葉を発しなくなるタイプですね。ただ、頭のいい人ですから目だけは常に冷静に状況を見ている。これが人によっては、何を考えているんだろうと思う人もいるんですね。そしてオワは、誤解が誤解を生むことに傷付いていたみたいです」
 この友人が語る「傷ついてしまうと言葉を発しなくなるタイプ」という分析は、雅子さまが皇室に入ってからの状況の一端を物語るものなのかもしれない。
文藝春秋2012年2月号 嗚呼同級生 たかが同い年されど同い年
1963年 雅子妃「雇均法世代が寄せるエール」 友納尚子(皇室ジャーナリスト)
注:リードで<親しかった友人の一人が皇室ジャーナリスト友納尚子氏に語った。>と説明書きがある。
p.306より引用
 中学校では、ソフトボール部を立ち上げられました。学校近くの多摩川沿いに読売巨人軍のグラウンドがあって、休日には練習をよく見に行ったものです。雅子さまは高田繁選手のファンで、テレビ番組のプロ野球ニュースを観るのが大好きだと言っておられました。ご家庭ではテレビを見る習慣はなかったようですが、この番組だけは欠かさず見ていたといいます。
 毎日、放課後によく練習をされていましたが、決して成績が落ちるわけではなく常にトップでした。雅子さまは、いわゆるガリ勉タイプではなく集中力と記憶力が良かったので、学校の授業だけで習得されて、塾に行くことなどはなかったといいます。
 クラスでも人気があり、目立っておられましたが、決してクラスの中心的な役割をされることを好まれませんでした。リーダーシップを取るというよりも周囲から背中を押されて前に出るというご性格でした。しかし正義感が強く表と裏の顔を持つ大人の言動に戸惑われることがありました。
 例えば、高校の時にソフトボールの合宿があったのですが、雅子さまと顧問の先生との間で練習の仕方について行き違いがあったのです。雅子さまは先生が前と言ったことと違うと意見を言われました。当時から外交官になりたいと思われていたといいますが、そういうことを簡単にお話しされるようなことはありませんでした。しかしあれだけ優秀な方ですから世の中のためにお仕事をされるのだろうなとは思っておりました。


……「前と言ったことと違う」というこのフレーズ、友納尚子本人にそっくりそのままブーメランでお返ししてやりたいものである。

週刊文春にて友納尚子連載の「ザ・プリンセス雅子妃物語」では、小和田雅子ソフトボール部合宿抜け出し事件が完全削除編集

著書『雅子妃の明日』文藝春秋(2006年7月15日初版)と『文藝春秋』2012年2月号において、小和田雅子ソフトボール部合宿抜け出し事件について記述していた友納尚子であったが、その理由付けにおける自分自身が書いた矛盾にギブアップしたのか、自身の週刊文春連載「ザ・プリンセス雅子妃物語」ではこの事件に全く触れない、完全隠蔽に走っていることが注目される。
田園調布雙葉学園中学校でソフトボール同好会を設立し熱心に活動、後に世田谷区中学部門で優勝という経緯はやたら細かく記述しているのであるが、小和田雅子の田雙生活最大の事件と言っても過言で無い出来事について隠蔽しているのは、ジャーナリストとしてあまりに不適格な資質・不誠実な態度を友納尚子が示していると判じられても仕方あるまい。

「ザ・プリンセス雅子妃物語」記事については【プリババ】参照のこと。田雙ソフトボール部が関わっているのは以下の2号である。
週刊文春2012年8月9日号 ザ・プリンセス雅子妃物語 第8回 三番小和田雅子、背番号8
週刊文春2012年8月30日号 ザ・プリンセス雅子妃物語 第9回 新たなる旅立ち、再びアメリカへ

『週刊文春』2012年8月30日号ザ・プリンセス雅子妃物語より、昼休みに多摩川河川敷グラウンドに出かけ巨人軍の練習を見ながらお弁当と食べたことがあったという友納尚子記述、昼休みに学校←→多摩川グラウンド往復+お弁当を食べるだけの時間があったのか?編集

『週刊文春』2012年8月30日号<ザ・プリンセス雅子妃物語 第9回 新たなる旅立ち、再びアメリカへ>友納尚子記事友納尚子】【プリババ

p.42より引用
 昼休みがあと五分で終わろうとしていた。雅子さんとソフトボール部のメンバーは、空になったお弁当箱を片手に教室へなだれ込むように戻ってきた。
「セーフ! セーフ!」
メンバーの一人が言うと、雅子さんも「間に合った~」といって、額の汗を拭った。
 田園調布雙葉中学校(以下・田雙)は、登校から下校までは校外への外出が禁止されている。だが、三年生になった雅子さんたちソフトボール部のメンバーは、昼休みにこっそり裏門を抜けて、近くの多摩川河川敷まで行き、巨人軍の練習を観ながらお弁当を食べることがあった。
 十一月のこの日も、天気がいいことから決行となったのだが、互いの雰囲気はどことなくちがっていた。いつもはしゃいでいる子が大人しかったり、野球観戦よりも河川敷を飛ぶ赤とんぼばかり見ている子もいた。時折、吹き抜けていく冷たい風は冬が近いと告げているようだった。それは、楽しかった中学生活が終わりにさしかかっていることを意味していて、みんな急に寂しい気持ちになったのだった。
 雅子さんも同じだった。十月には文化祭が終わったばかりで、出し物のお化け屋敷は盛況だった。雅子さんはお化け役になって、迫真の演技に舞台裏では感心する声が上がっていた。あの時も楽しかった。いつまでも、大好きな友だちとこんな穏やかな風景の中で過ごしたかったんだろう。
 ソフトボール部のメンバーたちは、教室に戻るとようやく笑顔に戻ったが、雅子さんだけは席についても友だちとの別れの予感が消えないままだった。幼少期に別れの多かった雅子さんにとって、小学校から中学校の九年間を過ごした日々は、代えがたい貴重な思い出になっていた。


Part2416-616 可愛い奥様 sage 2012/08/27(月) 14:07:54.30 ID:M9qbrgnt0
ぶたぎり続きでごめん
今日遅ればせながら文春買ってきたのね、猫の表紙につられて。
で、ここで話題のトモノウ連載を見たんだけど「雅子さんたちソフトボール部のメンバーは昼休みにこっそり裏門から抜けて、近くの近くの多摩川河川敷まで行き、巨人軍の練習を見ながらお弁当を食べることがあった。」
これ片道20分じゃ無理だろう、って誰も突っ込まなかった?既出ならごめん。
あの距離昼休み往復は普通ナイ。午後も出てないよね。


620 可愛い奥様 sage 2012/08/27(月) 14:10:38.17 ID:difRfJsu0
>>616
昼休み中に戻ってきたと明言してないから
午後の授業もさぼったとお察ししてよいかと
思いますよw


622 可愛い奥様 sage 2012/08/27(月) 14:14:58.86 ID:eplc02Ne0
>>620
雅子が属していたのは真面目で大人しい生徒のグループではなかった、とは書いてましたね。



626 可愛い奥様 sage 2012/08/27(月) 14:20:23.34 ID:M9qbrgnt0
>>620
昼休み終了5分前に教室に滑り込んだと明記してあるのよ、それが。


627 可愛い奥様 sage 2012/08/27(月) 14:20:51.51 ID:qnOGmoPcI
ユミコ婆は、雅子を大人しくて引っ込み思案な設定にしたがってるのに
トモノウの筆が止まらなかったのかw


628 可愛い奥様 sage 2012/08/27(月) 14:22:52.47 ID:75KWJSff0
ぐぐる地図でルート検索したら、
田フタから多摩川グラウンド(といっても入り口)まで徒歩14分
と出た。
実際は、信号もあるし、選手見に行くまでにはもう少しかかったでしょうね。


630 可愛い奥様 sage 2012/08/27(月) 14:25:10.61 ID:eplc02Ne0
>>626
まさか翌日の昼休み・・・


631 可愛い奥様 sage 2012/08/27(月) 14:26:55.72 ID:cj1f3Tes0
とにもかくにもマサ丼厨房時代は優等生ではなかった
ようなエピばかりだね。いたずらに熱中したとか、暇だったんだね。
外務省職員時と変わらなかったんだね。


632 可愛い奥様 sage 2012/08/27(月) 14:27:35.03 ID:AnDXrHkD0
>>620
>昼休み終了5分前に教室に滑り込んだと明記してあるのよ

( ゚д゚)ハッ! 午前の授業を抜けだしたんだ!w


634 可愛い奥様 sage 2012/08/27(月) 14:32:51.00 ID:6XU7Ds020
みなさま健全な学生生活だったのね
行きか帰りにタクシー相乗りしたに決まってるわよ


635 可愛い奥様 sage 2012/08/27(月) 14:35:47.75 ID:pbG0z41x0
>>628
田フタから多摩川までは急な坂になっているので、
行きは徒歩14分でも帰りは倍かかりますよ。


643 可愛い奥様 sage 2012/08/27(月) 14:59:56.40 ID:5nRpC0yd0
>>616
女子高生がプロ野球の練習ながめながらお弁当って聞いたことないなあ。
多摩川グラウンド周辺では普通なの?


645 可愛い奥様 sage 2012/08/27(月) 15:06:27.69 ID:75KWJSff0
>>643
普通じゃないってw
中抜けは、休み時間中であろうと校則で禁止されてるはず。
雅子さんの時代じゃ、受験に向けて時間割に空きが出来るのって高3からだろうし、
中学校~高2までは、中抜けは基本禁止だったかと。

2015年4月28日学習院女子中等科球技会ソフトボールにて、愛子が「チームリーダーとして3番ショートでご出場」「第1打席でヒットを打ったほか、守備で併殺を取るなど活躍」どうでもいいニュース報道編集

http://www.sankei.com/life/news/150502/lif1505020010-n1.html
2015.5.2 06:00
皇室ウイークリー
(381)皇后さま、ご養蚕作業お始めに 愛子さまはソフトボールでヒット
(3/4ページ)
 皇太子ご夫妻の長女で学習院女子中等科2年の敬(としの)宮(みや)愛子さまは28日、同校の球技会でソフトボールに参加された。2、3年生によるクラス対抗トーナメント戦に、チームリーダーとして3番ショートでご出場。チームは4対5でサヨナラ負けしたが、愛子さまは第1打席でヒットを打ったほか、守備で併殺を取るなど活躍された。
 愛子さまは約2週間前から東宮職の職員だけでなく、皇太子さま、中学高校時代にソフトボールをされていた皇太子妃雅子さまとも、練習を重ねられていたという。


http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150503/k10010069031000.html (魚拓
皇太子ご一家 静養で御料牧場に
5月3日 17時38分
皇太子ご一家は、静養のため、3日から栃木県にある宮内庁の御料牧場を訪れ、途中の駅では、集まった人たちに手を振って応えられました。
皇太子ご一家は、3日午後2時すぎ、新幹線でJR宇都宮駅に到着されました。
ご一家が御料牧場で静養するのは、4年半ぶりで、駅前では、到着を待っていたおよそ800人の人たちに、笑顔で手を振って応えられました。
中学2年生の愛子さまは、先週、学校の球技大会のソフトボールにチームのリーダーとして出場したり、友人たちと大学生のアメリカンフットボールの試合を観戦されたりしました。 球技大会に向けて、お住まいのある赤坂御用地で、毎日のように練習され、中学、高校とソフトボールの経験がある雅子さまや、皇太子さまが、練習に加わられることもあったということです。
ご一家は、このあと車で御料牧場に移動されました。
数日間の滞在中、動物と触れ合ったり、新緑の中で散策を楽しまれたりする予定です。
御料牧場には、2日から秋篠宮ご夫妻と長男の悠仁さまも滞在されていて、3日夜には、次女の佳子さまも合流されるということです。


http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye2483813.html (魚拓
皇太子ご一家、4年半ぶりに栃木・御料牧場で静養へ
 皇太子ご夫妻と長女の愛子さまは、御料牧場での静養のため栃木県に入られました。  皇太子ご一家は、3日午後2時すぎ、宇都宮駅に到着。およそ800人の出迎えの人たちの歓迎を受け、歓声の中、笑顔で手を振られ御料牧場に向かわれました。ご一家はここで散策などをして数日間過ごされる予定です。
 御料牧場は東日本大震災で被災し、去年まで改修工事が行われていたため、ご一家の訪問はおよそ4年半ぶりです。
学習院の女子中等科2年生なられた愛子さまは、先月末に行われた球技大会にソフトボール競技で出場し、試合ではヒットも打たれたということです。愛子さまは大会の半月ほど前から、赤坂御用地で毎日ソフトボールの練習を重ねていて、皇太子ご夫妻が練習に加わられることもあったということです。(03日16:28)

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