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ゼニゴケドレス

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1993年7月8日、東京サミットで来日した各国要人歓迎宮中晩餐会で、結婚間もない雅子夫人が着用していたものを指す。ゼニゴケとは地表に張り付く独特の凹凸形状を持つ苔植物であり、上半身部分の若草色を基調とした派手なレース使いがこのドレスの特徴であることからこの名称に落ち着いている。

この晩餐会は徳仁雅子の結婚にまつわる諸行事が一段落した後の、初の国際的皇室イベントであったため、新婚雅子夫人の振る舞いは大いに注目され広く報じられた。幼少期モスクワ滞在経験からロシア語ができるという触れ込みもされていた雅子はエリツィン大統領とロシア語通訳を介して会話したが緊張気味、一方紀子妃殿下はクリントン大統領やメージャー首相と通訳抜きでご歓談と書かれている。

殊に注目を受けたのは晩餐会におけるクリントン米大統領とエリツィン露大統領に関わる振る舞いであり、幼少時のソ連(当時)モスクワ在住経験も大きく喧伝されていた雅子はエリツィン大統領の隣、その隣にクリントン大統領が着席し、そのまた隣には秋篠宮紀子妃殿下が着席するという席次になっていた。つまり雅子はエリツィン大統領とクリントン大統領に挟まれる構図であったわけだけだが、自慢の英語を披露したいのか、ハーバード大卒肩書きをアピールしたいのか、しきりとクリントン米大統領の方を気にする姿が見た人に強い印象を与えている(日テレNEWSリアルタイム2010/2/5よりgif画像変換)。

1993年東京サミット晩餐会という大イベントアイテムとして登場した大変印象が強いこのゼニゴケドレスだが、以降雅子がこれを着用してマスコミ前に登場したことは確認されている限り、一度たりともない。かつて臍穴が服の上から確認できるほどだった体型からダイエットで変身して婚約結婚にこぎつけた雅子夫人、その後「ふっくら」等の単語を使用して報じられる雅子の体型変化、恐らくダイエットリバウンドからしてドレスに身体が入らなくなっているのだろうと推察される。ゼニゴケドレスは東宮御所のクローゼットで死蔵されているのか、それとも何らかの方法で処分されてしまったか、その行方は不明である。

1993年7月8日東京サミット晩餐会、ゼニゴケドレス姿の雅子画像集編集

1993年7月8日 東京サミットのため来日したアメリカ・クリントン大統領、ヒラリー夫人を宮中晩餐会にて出迎える東宮夫妻。ゼニゴケドレスに身をつつみ、満面の笑顔の雅子
1993年7月8日 同上東京サミット晩餐会で雅子が着用していたドレス上半身のレース生地拡大写真。平らなバストのあたりがぶかぶかで皺ができていることにも注目甘食
1993年7月8日 東京サミットのため来日したフランス・ミッテラン大統領を宮中晩餐会にて出迎える東宮夫妻。ゼニゴケドレスに身をつつみ、ミッテラン氏をガン見する雅子

1993年7月8日 東京サミットで来日した各国首脳を迎え、皇居・豊明殿にて開催された宮中晩餐会にて、クリントン米大統領とエリツィン露大統領の間に着席する雅子
1993年7月8日 東京サミット晩餐会にて、「露語が堪能」との触れ込みによりエリツィン大統領の隣席に座らされた雅子、話が弾むクリントンと紀子妃に視線を向ける
1993年7月8日 同上東京サミット晩餐会、しつこくクリントン大統領と紀子妃をチラ見して気にする様子の雅子
1993年7月8日 東京サミット晩餐会、クリントン大統領と紀子妃に視線をやる雅子連結画像。右眉をクイッと上げた強烈な表情になっていることが分かる(2010/2/5東宮職医師団見解発表NNNニュース中参照映像より)
1993年7月8日 東京サミット晩餐会のモノクロ画像、左から紀子妃、クリントン米大統領、雅子、エリツィン露大統領、皇后陛下、ミッテラン仏大統領
1993年7月8日 東京サミットで各国首脳が来日、「春秋の間」にて宮内庁楽部による舞楽鑑賞会
前列左からクリントン米大統領ご夫妻、ミッテラン仏大統領、両陛下、エリツィン露大統領、一人おいて皇太子夫妻。2列目に秋篠宮両殿下のお姿が。雅子の視線の先は…?
『週刊新潮』1993/7/22号<サミット晩餐会で国際的ご披露した「雅子妃」への驚嘆>記事

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