Fandom

Dosuko Wiki

カーテンシャー

641このwikiの
ページ数
新しいページをつくる
コメント0 シェアする

一応まだ公人である雅子夫人の移動車内後部座席で見られた現象。2012年3月9日現在、これまで四度マスコミに報じられている。
うち最初の3回は1999年と2003年のものである。

1999年12月13日 妊娠超音波検査のため宮内庁病院に向かう雅子が乗った車、カーテンを前後仕切りにまで完全引いている正面画像(FRIDAYフライデー 2000年1月1日号)
1999年12月13日:ベルギー訪問から帰国後、雅子に第一子妊娠兆候ありとのことで、超音波検査のため宮内庁病院へ赴く場面
2003年3月25日・4月26日:愛子を伴い軽井沢の小和田家別荘籠城事件、その行き帰り


2011年11月6-24日天皇陛下気管支肺炎による東大病院入院と、翌2012年2月18日天皇陛下心臓冠動脈バイパス手術は大々的に報じられたが、それに伴い雅子の「お見舞い」もまた注目を集めた。
2011年11月は結局お見舞いに行かず、陛下の心臓バイパス手術に関しては2012年3月1日になって徳仁雅子夫妻でお見舞いにでかけることになった。そしてその病院に向かう移動車内の雅子の表情が硬かったこと、病院からの帰りはカメラマンが待ち構える東大龍岡門で後部座席車窓カーテンが引かれてしまいマスコミカメラシャットアウトという事態に相成った。後日小町恭士東宮大夫は「雅子さまはフラッシュが負担であったため」と言い訳発表をする羽目に陥っている。
公人では考えられないこの雅子の態度は取材記者側を相当に刺激したようで、東宮夫妻お見舞いを報じる複数雑誌記事で揃ってこの出来事が紹介されている。その記事をレポされた奥様(Part2297-614)が用いたこの表現「カーテンシャー」がスレ住民に広まっている。

Part2297-614 可愛い奥様 sage 2012/03/06(火) 12:50:55.82 ID:y7Vdg4ra0
ならアテクシも立ち読みで印象に残った部分だけ。
 
自身
行きの雅子さまは、例の「まーざーごーざーまー」のお肥え掛けにもガン無視だったそうですわ。
前を見て口をきつく結んでたとかナントカ。
病院では、関係者のかたにご挨拶をする以外は「手を振りっ放し」ですって。
車に乗り込まれてからも「身を乗り出して」お手振り。
で、発車するなりカーテンシャーですわw (注:正確には病院からの出発時でなく、東大龍岡門通過前である)
 
週女 (お見舞いの順序について)やはり秋篠宮家はご遠慮なさっていたのでは?と高清水さん。
順番まちの間は、さーやを通して陛下のご様子を伺っていたそうです。
 
MIX
愛ちゃんは手術当日「どんな手術なのかしら?今何をされているのかしら?(大意)」
と心配していた。 メッセージは筆じゃないだろうか。 3/3と3/10のスケートはキャンセルされた。

2012年3月1日 東大病院入院中の天皇陛下のお見舞い、「午前10時55分 東大病院に向かわれる雅子さまは緊張されていた」キャプション付画像。描いたようにしか見えない眉・のっぺりとした顔・もっこり盛り上がった頭頂部の髪などとにかく色々とひどいという感想の多い車中雅子の横顔(女性自身2012年3月20日号<雅子さま異変!陛下のお見舞いに甦った「8年前の悪夢」>記事中掲載写真)
2012年3月1日 東大病院入院中の天皇陛下のお見舞い、東大病院に向かう移動車中の徳仁雅子横顔モノクロ画像
2012年3月1日 <雅子さま、天皇陛下をお見舞い>JNNニュース連結画像、東大病院入院中の天皇陛下を徳仁雅子夫妻でお見舞い、午前11時50分過ぎ病院着で約20分のお見舞い。徳仁後頭部のくせ毛が一房ぴょんとはねている。なお皇后陛下は皇居で勤労奉仕団へのご会釈を終え、夫妻の到着約10分前に病院入りされるという慌しさ発芽玄米
2012年3月1日 <雅子さまも・・・皇太子ご夫妻が天皇陛下をお見舞い>ANNニュース連結画像、東大病院退出時取材カメラに目線を決めたり、見送りの医師・婦長にまともにお辞儀できない雅子。東宮夫妻到着の約10分前に病院入りされる皇后陛下の映像も
2012年3月1日 <心臓パイパス手術を受けた天皇陛下のお見舞いのため、皇太子ご夫妻が東大病院をご訪問>FNNニュースキャプチャ画像、病院に向かう移動車内でカメラのフラッシュを浴びる雅子。程なく「カメラのフラッシュが負担」だと小町東宮大夫に発表させる負担
2012年3月1日 東大病院入院中の天皇陛下のお見舞い、移動車中における雅子の表情連結画像
2012年3月1日 東大病院入院中の天皇陛下のお見舞い、移動車中における雅子の横顔。頬や顎の弛んだ肉が目立つ容貌
2012年3月1日 東大病院入院中の天皇陛下のお見舞い、移動車中の徳仁雅子
2012年3月1日 東大病院入院中の天皇陛下のお見舞い、移動車中の徳仁雅子窓ガラス反射光入り

『週刊朝日』2012年3月16日号<週刊朝日新聞 雅子さま陛下お見舞いで守られた“序列”>編集

http://news.nifty.com/cs/magazine/detail/asahi-20120307-02/1.htm
雅子さま陛下お見舞いで守られた“序列”
(週刊朝日 2012年03月16日号配信掲載) 2012年3月7日(水)配信
 天皇陛下の退院は3月4日の午後に──。
 明るいニュースの裏では、お見舞いをめぐって、もうひとつの闘いがあった。
 3月1日午前10時45分。美智子さまが東大病院に到着した。集まった人たちに、美智子さまはゆっくり頭を下げ、「陛下はお元気ですよ」とでも言うように、柔らかな笑顔で手を振る。
 15分後、雅子さまが初めて東大病院を訪れた。ベージュのパンツスーツに身を包み、皇太子さまの横で会釈する雅子さまは、ぎこちない笑顔で足早に建物に入っていった。
 翌2日、紀子さまが秋篠宮さまと病院を訪れた。紀子さまのお見舞いもこの日が初めてだった。
 はじめに皇太子ご夫妻、次に秋篠宮ご夫妻、と序列通りに運んだ。
 昨年11月に天皇陛下が気管支炎で入院したとき、秋篠宮ご夫妻は早い時期にお見舞いをした一方で、雅子さまは、なかなか日程が決まらなかった。そのうえ、急遽取りやめたために批判を浴びた。
 そのためか今回は、こんな措置がとられた。天皇陛下の側近である侍従職から、「お見舞いに来ていただく日程はこちらからご連絡をします」と両家に通知があったのである。
「両陛下の周囲は、前回のような騒ぎは避けたいと考えていたようです。調整に慎重を期したため、時間を要したのでしょう」(宮内庁関係者)
 事は無事に終了したものの、“トラブル”もあった。東宮御所に戻った雅子さまは、報道陣のカメラのフラッシュが「負担」になったという旨を、小町恭士東宮大夫が報道各社に伝えたのだ。
 公務が本格的に始まれば、カメラのフラッシュは避けがたいところ。復帰への道はまだ遠いようだ。 (本誌・永井貴子)

『女性自身』2012年3月20日号<雅子さま(48)陛下お見舞い“重圧”に「8年前の悪夢」フラッシュバック!>編集

雅子さま(48)陛下お見舞い“重圧”に「8年前の悪夢」フラッシュバック
pp.44-45より引用
天皇陛下のバイパス手術から12日後、皇太子ご夫妻がお見舞いに。東大病院には多数の報道陣が集まったが、ご表情を隠すように雅子さまは車にカーテンを……
 
「愛子さまは天皇陛下へ、お見舞いのメッセージをカードに書かれたそうです。
 2月19日に、皇太子さまが東大病院にいらしたとき、陛下にお渡しすると、大変に喜ばれたとか。
 皇太子ご夫妻がお見舞いに行かれたときも、そのカードのことで両陛下とお話が弾んだようです」
 そう語るのは、宮内庁担当記者。
 皇太子ご夫妻が、天皇陛下のお見舞いに行かれたのは3月1日。2月18日に行われた陛下の冠動脈バイパス手術から12日後のことだった。
 雅子さまのお見舞いは、以前から注目されていただけに、この日は新聞記者、雑誌カメラマン、テレビクルーなど、数十人が皇太子ご夫妻のン取材のため集まった。
「ご自身が注目されていることを、雅子さまも強く意識されていたからでしょうか。この日はご様子が、いつもと違われていました」(前出・宮内庁担当記者)
 東大病院に向かわれるときの雅子さまについて、目撃した記者が語る。
「車の中の雅子さまのご表情は強張っていました。沿道の人々から“雅子さま!”というお呼びかけがあっても、そちらを向かれるそぶりもなく、お口もきつく結んでいらして、すごく緊張されていたようでした」
 皇太子ご夫妻が東大病院に滞在されたのは25分ほど。病室での滞在時間は約20分だった。両陛下は皇太子ご夫妻のお見舞いをことのほかお喜びになられたという。
 お見舞い後のご様子について、前出の宮内庁担当記者は、
「居合わせた入院患者や見舞い客が、お見送りのために待つなか、皇太子ご夫妻は手を振りながら、車寄せに向かわれました。特に雅子さまは、病院関係者に挨拶されたとき以外は、手を振り続けていらしたのです。
 私が気になったのは雅子さまのご表情でした。確かに笑っていらしたのですが、自然な感じがせず、無理をして笑顔をつくられているよな印象を受けたのです。
 雅子さまはずっと笑顔でいらして、車に乗られた後でも身を乗り出すようにして手を振っていらしたほどです。
 しかし車が発進して間もなく、報道陣から隠れるようにレースのカーテンで車窓を覆ってしまわれたのです……」
 雅子さまの意外な行動に、皇太子ご夫妻のお帰りを待っていた報道陣からは、どよめきの声が上がった――。

恒例のご家族旅行もキャンセル
 お見舞い翌日にに行われた小町恭士東宮大夫]の定例記者会見でも、宮内庁担当記者から次のような質問があった。
「なぜ雅子さまは、お帰りのときにカーテンを引かれたのでしょう?」
 小町東宮大夫は「東大病院に向かわれる際、カメラのストロボがまぶしかったからだと伺っています」と、答えたが、記者たちも釈然としない様子だったという。
 皇室ジャーナリストの松崎敏弥さんは言う。
「確かに雅子さまは10年ほど前から、ご公務のときでもストロボを使った撮影取材を苦手とされています
 東宮職員が、カメラマンに『ストロボを焚くのは遠慮してください』と、要請することもしばしばあります。
 しかし私が気になっているのは、過去に車窓にカーテンを引かれた際の雅子さまは精神的にひどく落ち込まれている状態だったということです。
 1度目は'99年12月、けい留流産された際、宮内庁病院に向かわれる車の後部座席には白いカーテンが引かれていました。

注:松崎敏弥氏のこのコメントは誤り。車窓にカーテンが引かれた雅子の移動光景が撮影されたのは、1999年12月13日宮内庁病院へ妊娠検査の超音波診断に向かう場。1999年12月30日、雅子が妊娠約7週にて繋留流産手術と宮内庁発表。

 2度目は'04年4月。ご体調を崩され、軽井沢にある小和田家の別荘で静養された後、1ヵ月ぶりに帰京されたときのことです。東宮御所の正門には、大勢の報道陣がつめかけましたが、愛子さまと乗られたワゴン車の両窓にカーテンが引かれていました。
 いずれも雅子さまが、不本意な形で注目を集めていらしたときのことなのです。
 今回は12年前や8年前の悪夢のような辛い思い出がフラッシュバックし、耐えきれなくなってしまわれたのでしょうか……」
 雅子さまのお見舞いでの異変について、立教大学教授で精神科医の香山リカさんは次のように分析する。
「昨年11月に天皇陛下が気管支肺炎で入院された際、雅子さまがお見舞いを当日キャンセルされたことから、“今回は行かれるのか”ということが話題になっていました。その渦中に東大病院に行かれたことで、消耗されてしまわれたのかもしれません。
 さらに言えば、愛子さまの学校生活も通常に戻ったいま、雅子さまは“次は自分が公務に復帰する番”とお考えになっているでしょうし、周囲からの期待も大きいでしょう。そういったことも雅子さまにとってプレッシャーになったのではないでしょうか」
 また、文化女子大学客員教授の渡辺みどりさんは、
「皇太子ご夫妻のお見舞い日程については、宮内庁内でも大きな関心事になっていたそうです。
 翌日の3月2日には、秋篠宮ご夫妻が東大病院を訪問されましたが、皇太子ご夫妻が先にお見舞いに行かれるのをお待ちになっていたのでしょう。皇太子ご夫妻としてはお見舞いを急ぐ必要もあったと思います」
 実はお見舞い直前、雅子さまは恒例の家族旅行のキャンセルをされていた。
「例年3月下旬ごろ、皇太子ご一家は長野県の奥志賀でスキーをされています。
 昨年は東日本大震災発生直後ということもあって取り止められたのですが、今年のご静養については、ずっとご検討中でした。しかし2月末になって、長野県ご静養のお取りやめが決まったのです」(地元関係者)
 このスキーご静養キャンセルについて松崎さんは、
「天皇陛下はご退院後も1週間は御所で静養される予定です。ご公務に復帰されてからも当分は、皇太子さまのサポートが必要になるでしょう。
 雅子さまも“両陛下のお役に立ちたい”“皇太子さまをサポートしたい”というお気持ちから、ご静養を取りやめられたのだと思います。
 さまざまな重圧に負けずに雅子さまに笑顔が戻ることを祈りたい――。

p.45掲載画像
2012年3月1日 東大病院入院中の天皇陛下のお見舞い、描いたようにしか見えない眉・のっぺりとした顔・もっこり盛り上がった頭頂部の髪などとにかく色々とひどいという感想の多い車中雅子の横顔
キャプション:
午前10時55分
東大病院に向かわれる雅子さまは緊張されていた
午前11時20分
東宮御所に戻られる際には、窓にカーテンを引かれ……

『週刊文春』2012年3月15日号<雅子さま天皇お見舞いでショックを受けられた「ある出来ごと」>編集

深層レポート ご公務復帰に疑問符! 雅子さま天皇お見舞いでショックを受けられた「ある出来ごと」
pp.172-173より引用
「龍岡門をくぐられるとき、雅子さまは前をじっと見つめたままでした。窓は閉められていて、室内灯がついていなかったので、各社一斉にフラッシュを焚いてお顔を撮ろうと必死でした」(皇室担当記者)
 (補足:2012年3月)一日、東大病院へと続く東大龍岡門前には、朝から五十人以上の報道陣が集まっていた。約一週間前の「両殿下はお見舞いを希望されている」という発表を受け、報道陣は雅子さまのお見舞いを今か今かと待っていたのだ。
 
 病院到着時も、久しぶりに天皇とお会いになる緊張感からか、雅子さまの表情は強張っていた。
「口を真一文字に閉じられ、口角を上げようと力が入っていらした。皇太子は気遣われるように雅子さまの少し先を早足で歩かれていました」(同前)
 ご夫妻のお見舞いは、ほぼ予定通りの約二十分間。愛子さまからのメッセージカードに、天皇は礼の言葉を仰ったという。
お帰りの際、東大病院の近辺では、雅子さまはプレッシャーから解放されたように車の窓を開け、患者やその家族に対し、身を乗り出してお手振りをされていたんです。
 ところが、報道陣が待つ龍岡門を通過される際には、白いレースのカーテンが閉じられていて、雅子さまのご様子を窺うことはできませんでした」(同前)
 この“拒絶”には報道陣も呆気にとられた。
 そして、翌日に開かれた定例会見で、小町恭士東宮大夫]は記者たちに訴えた。
公道にたくさんカメラが集まり、フラッシュ撮影が行われたことは、妃殿下にとりご負担になりました。フラッシュ撮影は控えていただけるように改めて協力をお願いします
 しかし、雅子さまのお見舞いについては、国民の関心も高く、当然、報道陣が集まることは想定できた。だが、事前の東宮職の対応は十分とは言えなかった。
「『それなら初めから取材対応すればよかったのでは』と突っ込まれて、大夫は『あれだけ(報道陣が)多いことは十分予想していなかった』『我々も反省しなくてはならない』などと、釈明していました。挙げ句、『記者会の皆さんとよく議論していきたい』という。妃殿下のご病状は公表しないのに、何をベースに議論しようというのでしょうか」(宮内庁担当記者)
 カメラやフラッシュが雅子さまのご負担になるという話が出始めたのは、十二年以上前に遡る。
九九年の稽留流産の後からではないでしょうか。雅子さまは、ご自分の基礎体温などが詳細に報道され、深く傷つかれたといいます。その頃から、当時の古川清東宮大夫は『妃殿下は光にお弱くて』と記者に漏らすようになった。再びご懐妊の兆候が見られた〇一年春には、古川大夫は『カメラのフラッシュが一番のプレッシャーだ』と公言。報道陣への自粛を求めました」(元宮内庁担当記者)
 この症状を精神科医の磯部潮氏が解説する。
「うつ病だと自律神経が過敏になり光や音に反応する事がありますが、適応障害の症例には珍しい。雅子さまの場合、お気持ちの問題なのではないでしょうか」
 当初、自粛要請は報道陣に対してだけだったが、次第にその対象は一般人にも及んだ。ご成婚当時から、雅子さまのお出ましを撮影し続けてきた“皇室追っかけ主婦”が振り返る。

東宮職には仕切れない
『フラッシュを焚くなら(画角を)ふさぐぞ!』と厳しい口調で言われたこともあります。特に怖かったのは二年前、愛子さまの登校問題が発覚した後の長野県ご静養。東京駅で東宮職の人間が『お前たちを来させなくするぞ』と脅迫のようなことを言ったんです
 かつては、雅子さまが天皇皇后のもとを訪問される際、東宮御所正門付近での「ご出発」と「お帰り」の撮影が許されていた。が、数年前から、「お帰りは撮ってはいけない」と、東宮職から“禁止令”が出たという。
「帰りは夜になることが多く、フラッシュが焚かれるからなのか、それとも両陛下とお会いになられた後でお疲れだからか、わかりません。でも実際には、雅子さまがお通りになるときには笑顔でお手振りをなさる。東宮職が過敏すぎるのではとも思います」(同前)
 雅子さまが療養生活に入られてからは、宮内記者会も、カメラ取材の規模を控えめにしている。
「代表取材でもカメラの台数を絞る方法を甘んじて受け入れてます。今では、それが当たり前だと東宮職が思っているフシがある。しかし今後、雅子さまが公務復帰された際には、一般人のカメラも含め、今回のような状態が当たり前になる。東宮職にそれを仕切る力があるとは思えません」(前出・宮内庁担当記者)
 小誌ではこれまでも、皇太子ご夫妻に頼れる側近がいないことが、東宮の孤立を深めていると報じてきた。[[不登校|愛子さまの登校問題]が落ち着いた今、期待が集まる雅子さまのご公務復帰についても、解決されるべき問題が山積みであることがまた浮き彫りとなったのだ。
 四日、退院された天皇を皇居でお迎えしたのは秋篠宮ご夫妻と悠仁さまだった。黒田清子さんご夫妻も御所を訪れ、退院を祝ったという。
皇太子ご一家は合流されませんでした。その前日は小和田ご夫妻が日本を離れオランダに帰るため、東宮御所を訪れ、夕方から十九時頃まで滞在したそうです」(宮内庁関係記者)
 十一日の震災追悼式典には天皇の出席が検討されているが千代田関係者は心配を隠さない。
「陛下は出席に『強いご意思』を示されてるようですが、退院後わずか一週間、しかも七十八歳というご高齢ですから、負担が大きいのは間違いない。肺の外側の胸膜に水がたまる『胸水貯留』もまだ十分には改善されておらず、切開された胸骨にもお痛みは残っているそうです。慎重に判断されるべきだと思います」
 当面は皇太子による国事行為臨時代行が続けられることになる。五日には、皇太子の十三日からのフランスご訪問中止が発表された。国際会議「第六回世界水フォーラム」への参加を取り止められたのだ。
ベテラン宮内庁担当記者が語る。
「国事行為代行に専念されるということでしょう。ただ中止発表が直前までずれ込んだのは、殿下ご自身が渡仏の可能性をギリギリまで模索されていたということかもしれません。『水』の研究は殿下いとっては雑事に煩わされることなく没頭できるライフワークですから、行かせて差し上げたい気持ちもありましたが」
 渡仏中、秋篠宮による国事行為の“代行の代行”も検討されていたという。
「ご名代に専念されるのは素晴らしいこと。ただ、もし陛下のご体調から震災追悼式典へ殿下が代理で出席されることになったとしても、あのカメラへの敏感な反応を拝見していると、現状では雅子さまのご出席は難しいでしょう」(同前)
 お二人揃ってのご公務にはまだ時間がかかるのかもしれない。皇太子ご一家は今月下旬に計画されていた長野県奥志賀での“春スキーご静養”をキャンセルされたという。

『フライデー』2012年3月23日号<天皇の術後と「お出迎えを拒否した」雅子妃問題-退院でまたも心痛が…>編集

東日本大震災追悼式典出席に意欲。だが、退院でまたも心痛が…
天皇の術後と「お出迎えを拒否した」雅子妃問題
pp.86-87より引用
「暖かくなったら、できるだけ早くテニスを始めましょう」
 3月4日に東京大学附属病院を退院した天皇は、テニス仲間たちにそう声をかけているという。78歳で大手術を受けたが順調な回復ぶりで、喜ばしいエピソードだ。天皇が、狭心症の治療のために、順天堂大学の天野篤医師らによる冠動脈バイパス手術を受けたのは2月18日のこと。その後のリハビリを含め、すべての照準は、“3・11”に合わされていた。
「天皇は東日本大震災追悼式典に出席するため、術後4日目には廊下の歩行、2週間後には階段の上り下りやランニングマシーンによる運動へと進まれました。その姿からは、必ず式典では元気な姿を国民に見せる、という強い熱意が感じられました」(宮内庁関係者)
 美智子皇后は、そんな天皇に献身的に付き添われ、ほぼ1日おきに病室に泊まり込んでいた。天皇の食欲が無いと聞けば、皇居の庭で採ったふきのとうを持参し、気分転換のために、由紀さおりの『夜明けのスキャット』を聞かせた。心臓外科医で東京ハートセンター・センター長の南淵明宏医師は、術後の経過に太鼓判を押す。
「発熱や胸水貯留などの症状が確認されたようですが、想定内でしょう。それらの症状も回復しており、11日の式典への出席は十分可能です」
 しかしすべてが順風満帆にいっているわけではない。手術でも全快できない、“心痛の種”が依然として拭えていないからだ。宮内庁関係者が表情を曇らせる。
雅子妃は、天皇が退院して御所に戻った時のお出迎えを、『陛下からのお招きがないから』という理由で、拒否されました。皇太子も一人で出席しては、欠席した雅子妃に批判が集まると考え、姿を現さなかった。結局は秋篠宮夫妻と、長男悠仁さまの3人がお迎えになったのです。秋篠宮夫妻は、皇太子夫妻に気を遣い、娘の眞子さま、佳子さまを連れて来ませんでした。家族5人揃ってしまったら、あまりに皇太子の顔が立ちませんから
 雅子妃は、実は天皇の入院時にお見舞いを拒み、面会を避け続けてきた。3月1日になってようやく皇太子とともに病院を訪れたが、退院時になって、また同じような事態を起こしてしまったのである。天皇の学友である橋本明氏は、皇太子夫妻に苦言を呈する。
「父上が大きな手術をされ、退院されて御所にお帰りになったのに、なぜ雅子妃を連れてお出迎えにならなかったのか。皇室の長男家としての責任を果たされていないとしか言いようがありません。雅子妃は、『お招きがなければ、動けない』と仰ったようですが、天皇は日本国民1億2000万人の象徴たるお立場にある。身内に対しても『出て来い』とは言えないのです」
 宮内庁担当記者は見舞い時の雅子妃の様子が気がかりだったと漏らす。
雅子妃のご様子が非常に暗かったのが印象的でした。目はうつろで視点が定まらず、笑顔もこわばったものでした。病院から出られる時は、フラッシュを嫌ってサッと車のカーテンを閉じてしまいました。相変わらず、花粉症で気分が塞ぐ日々が続いているようですが花粉はこれからもっと飛散する。先行きはまったく見えません」
 いったい雅子妃が皇太子とともに公務に復帰できる日はいつになるのだろうか。このままでは、天皇、皇后両陛下からの世代交代もままならないだろう。そんな中、にわかに活発化している議論が「女性宮家創設問題」だ。天皇の負担を減らし、皇室を守っていくために、女性皇族が結婚後も皇室にとどまることの是非を問うもので、2月29日には第1回目の有識者へのヒアリングが開かれた。メンバーの一人である帝京大学文学部特任教授の今谷明氏は賛成意見を表明。特に、’05年に東京都職員である黒田慶樹氏と結婚し、民間人になられた黒田清子さん(42)の皇室復帰を希望している。
「清子さんは皇族時代、皇太子、秋篠宮の二人の兄宮と同様に公務をこなし、公式外国訪問も14ヵ国に上ります。“人材不足”の皇室にあって、即戦力として活躍されるはずです。何より、両陛下がとても頼りにされています」
 手術直後、天皇が目を覚ますのを美智子皇后を見守られたのも清子さんである。女性宮家創設が実現すれば、経験、実績を踏まえ中心となる存在だろう。また、今谷氏は、天皇の負担軽減をこう訴える。
「今の陛下は忙し過ぎます。生真面目なご性格からなのでしょうが、憲法で規定された国事行為のみを行えば良いと思います。学会などのご出席はすべて皇太子らに任せ、半分は隠居されたぐらいの気持ちでいていただきたいものです」
 天皇の健康問題、そして皇室が抱える問題が“全快”する日は果たしてやって来るのだろうか――。

p.86右下、移動セダン車内の雅子画像につけられたキャプション:
3月1日お見舞いを終えて病院を後にする雅子妃。
表情は冴えず、この後カーテンを閉めてしまう。

広告ブロッカーが検出されました。


広告収入で運営されている無料サイトWikiaでは、このたび広告ブロッカーをご利用の方向けの変更が加わりました。

広告ブロッカーが改変されている場合、Wikiaにアクセスしていただくことができなくなっています。カスタム広告ブロッカーを解除してご利用ください。

Fandomでも見てみる

おまかせWiki