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2006年12月14日、新年発表用のご一家映像・写真撮影時に、本来同室してはならないのに敬宮愛子ちゃんおむずかり対策で同室した養育係福迫美樹子出仕と、それを強行させた東宮一家について天皇陛下が発されたお言葉。
両親がその場にいるのに「おむずかり」対策要員を同席させないとまともに撮影すらできないという、愛子の哀れな状況が推察できる事件である。

東宮家にまつわるいろんなものを軍事用語に例えちゃおうという軍事シリーズでは、

とされている。

関連項目:【氷の団欒

新年発表用ご一家映像撮影会での「もうしょうがないね」陛下ご発言概要編集

2005年12月(愛子4歳)、新年発表用映像撮影会に東宮側が福迫美樹子の同行を希望

天皇陛下、「愛子ももう大きいのだから」と難色を示される

それでも東宮側は、福迫出仕を同行させ撮影

2006年12月(愛子5歳)、千代田が今年はダメと伝える

それでも東宮側は、福迫出仕を同行させようとする

天皇陛下、「もうしょうがないね」と難色を示しつつも許可

『週刊文春』2007年3月8日号<天皇陛下が不快感を示された愛子さま「写真撮影事件(皇太子会見のタブー)」>編集

  • 『週刊文春』2007年3月8日号<天皇陛下が不快感を示された愛子さま「写真撮影事件(皇太子会見のタブー)」

pp.26-27より引用
「もうしょうがないね」
 昨年十二月十四日、新年に公表される天皇ご一家の写真撮影のため、皇太子ご一家と秋篠宮ご一家が皇居・御所を訪ねられたが、撮影に至る過程で、天皇陛下は呆れたように側近にこう洩らされたという。
「当初、撮影は十一日に行われるはずでしたが、愛子さまが風邪で発熱されたため、延期されたのです。秋篠宮家に誕生した悠仁さまが初めて新年用写真に写られるというので、どんな写真になるのか、記者の間でも注目されていました」(宮内庁担当記者)
 だが、その現場では、宮内庁担当記者も知らないこんな事件が起こっていた。
 皇室関係者が話す。
「撮影は例年通り、両陛下のお住まいである皇居、御所の応接室で行われたのですが、本来、撮影現場に入ってはいけない人がいたのです。愛子さまの養育係をしている『出仕』(注:福迫美樹子のこと)が、愛子さまがおむずかりにならないよう、あやしたり、撮影が始まってからもカメラマンの側で愛子さまに向かって手を振って注意を引いたりしていたというのです
 両陛下を中心とした撮影の現場において、この光景がいかに異例のものか、元宮内庁職員が解説する。
「両陛下は、普段どおりのごく自然な家族団欒の写真を国民に見せるのが望ましい、というお考えなので、撮影の時は、お付きのものがしゃしゃり出ることはありません。侍従長や女官長も立ち会いを遠慮しますし、当日の担当職員も、なるべく目立たぬように、隠れるようにしているくらいなのです。そうやってお任せしていると、両陛下がいつも通りの雰囲気を作ってくださる。例えば、カメラを前にして秋篠宮家のお子様が緊張している時などは、両陛下が話し掛けられて、リラックスするように導いてくださったりするのです」
 スタッフも少人数で、天皇ご一家以外には、多くても十名程度しかいない。
「当日は二、三人の報道室職員が立ち会い、ムービー用のライトを支えるなどの仕事をします。カメラマンは宮内庁から委嘱される形で、ムービーはNHKと毎日映画社、スチールはコニカのカメラマンが入ります。録音はしないので、カメラマンは各社一、二名しかいません。私が知る限り、撮影はこぢんまり、和気藹々と進められます」(同前)
 出仕の動向を申し出てきた東宮職に対し、当初陛下は難色を示されたが、最後はお許しになった。だが、その際に冒頭のようなお言葉を発せられたのだという。
 ある千代田関係者(両陛下周辺)が話す。
「家族の内々の撮影の場が騒々しくなるだけでなく、愛子さまの躾に甘い皇太子ご夫妻にもご不満がおありだったのでしょう。
 実は前年にも同じことがあったのです。その時も東宮側が『出仕を同行させてもよろしいでしょうか』と千代田側にお伺いを立てたのですが、それを耳にされた陛下は『愛子ももう大きいのだから』と仰った。それでも東宮側は『どうしても』と出仕を連れて来たんです
 今回は千代田側から東宮側へ、『今年はだめだ』と事前にきつく伝えられていたはずなのですが、東宮側はやはり出仕を同行させた。両陛下はたぶん、まだカメラに慣れない愛子さまが緊張して、表情が硬くなってしまわないように気を回されたのでしょう。でも、愛子さまももう五歳ですからね」

『週刊文春』2011年1月27日号<深層レポート「東宮女官長」辞任の衝撃!この4年で5人目 雅子さま「側近たち」はなぜ次々去るのか>編集

『週刊文春』2011年1月27日号<深層レポート「東宮女官長」辞任の衝撃!この4年で5人目 雅子さま「側近たち」はなぜ次々去るのか>
p.141より引用
 〇四年六月から〇九年四月まで出仕を務めた福迫美樹子氏は、田園調布雙葉小学校付属幼稚園教諭を務めたのち、愛子さまのご養育係を務めた。
「幼稚園で十六年教えていたベテランで、しかも本人もデンフタOG。雅子さまもデンフタ出身なので、そのあたりも採用の理由なのだろうと言われていました」(東宮関係者)
 愛子さまは福迫氏に懐き、オランダご静養にも随行。だが、〇六年新年の「ご一家のご近影」撮影中に千代田サイドからクレームがつく“事件”が起こった。
愛子さまがおむずかりにならないようにあやしたり、撮影が始まってからも、カメラマンの側で愛子さまに向かって手を振って注意を引いたりしていたのが、皇室ではありえない振る舞いと思われ、千代田側から苦情が伝えられました」(皇室関係者)
 福迫氏は、辞める数ヵ月前に知人にこう漏らしていたという。
「宮さまはかわいいし、雅子さまにも良くしてもらっている。でも私は一人の子の面倒ではなくて、たくさんの子と関わりたくて、幼稚園教諭になったから、やっぱり現場に戻りたいわ」

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