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浩宮徳仁親王妃の最有力候補だった旧皇族の女性、久邇晃子さんのこと。邦昭王(伊勢神宮大宮司・神社本庁統理)のご令嬢、すなわち香淳皇后実家である久邇宮家末裔であり、徳仁とは“またいとこ”の関係に当たる。
ご本人は乗り気でなかったらしいが、学習院女子高等部の同窓会である常磐会も推薦し、特に母方祖父である日本生命元会長・弘世現氏が積極的で皇室に働きかけをしていたと言われている。お妃候補といわれた女性たちが次々と結婚していく中、彼女が独身を続けたのは元華族勢力からの強い要請により、最後の切り札として温存されていたためと信じる人も多い。

FOCUSフォーカス 1982年1月15日号<浩宮妃「候補リスト」総覧―宮内庁「極秘調査」の線上に浮かぶ17人>記事
週刊現代 1984年1月28日号<年内発表へ独占スクープ!浩宮妃は久邇晃子さん20歳に決まった>表紙
週刊女性 1984年1月31日号<世紀のスクープ 浩宮妃確定!! 久邇晃子さん学習院大2年・20歳の素顔>表紙
FRIDAYフライデー 1985年12月6日号<いよいよ本番浩宮さま「お妃」選びの有望リスト 学習院か聖心か 民間か旧華族かの論議の中で>記事
三井智子さん、徳川冬子さん、三井史子さん、久邇晃子さん、古河美佐子さん、古河純子さん、徳川恵子さん、服部聡子さん、小林詔子さん、伏見宣子さん、伏見雅子さん、以上11名を取り上げている。
FRIDAYフライデー 1986年8月15日号<10ヵ月ぶりロンドン再訪された26歳の夏に 浩宮さまの宿舎訪れた噂の「令嬢」 / ゆったり・のびのび英国の1週間 オックスフォード懐かしのパブでは「イッキ」>表紙・グラビア記事
英国アンドリュー王子結婚式参列のため英国訪問、10か月ぶりに訪れた英国のパブでビールをイッキ飲みする徳仁
FRIDAYフライデー 1986年8月15日号<浩宮さま噂の「お妃候補」令嬢と出会った時>グラビア記事
英国アンドリュー王子結婚式当日、駐英日本大使公館に赴く両親とともにベンツで外出した久邇晃子さんの姿を撮影掲載。
サンデー毎日 1986年11月9日号<にんげんワイドスペシャル 浩宮妃 「うわさ」の22人のお家柄〈全家系〉>白いポロシャツ姿でテニスに興じる浩宮表紙・目次・記事一部
FRIDAY SPECIALフライデースペシャル'86下期総集編 1986年12月25日増刊号<この「噂の令嬢」なら誰でもおかしくない プリンセス候補最終5人の家系・家柄全紹介>記事
三井史子さん(22)、徳川冬子さん(20)、久邇晃子さん(23)、北白川尚子さん(19)、島津彩子さん(23)、以上5名を掲載。
週刊読売 1988年6月12日号<日本の名家(5)「旧宮家はいま」 久邇家>記事その1
週刊朝日 1993年1月22日号<消えたお妃候補たち もう1つのドラマ>記事
いずれも写真は無いが、お妃候補のひとりとして、くにさんにも言及あり。

『週刊朝日』1990年2月23日号 <小和田雅子さんはまだ本命でしょう 皇太子さま30歳のお妃選び>元東宮侍従―浜尾実
・美智子さまの時が思い出される
 天皇陛下を中心としたご親族の集まりに菊栄親睦会があります。年に一回か二回、午餐会があるのですが、そういうときに旧皇族の久邇晃子さんとか伏見朗子さん、北白川尚子さんなどは、皇太子さまと複数でお会いになってらっしゃいます。でも、単独で赤坂御所にあがった方はいません。
 一人で赤坂御所に伺ったお嬢さんは小和田雅子さんだけだと思います。最初のお出会いは日英協会のパーティーだったと思いますが、それから三、四回は赤坂御所におみえになっています。彼女は名簿に載ってはいなかったでしょうが、最初は、確率が非常に高かったと思います。
 浩宮さまも好意を持っていらしたと思います。彼女を結婚のお相手として考えていた時期があったことは確かです。藤森長官の前の富田長官が一、二年ほど前、
「結婚が遅れているのは、浩宮さまがいまだに小和田さんにこだわっているからだと思います」
 と、驚くべき発言をしているのですから。
でも、雅子さんにとってはお気の毒なことですけれど、お祖父さまが水俣病の「チッソ」の会長さんだったことが、ひっかかるんですね。お妃を選ぶときは三代前まで遡るわけですから。とくに天皇陛下は環境問題に非常に関心を持っていらっしゃる方ですから、お許しにはならないのではないかという気がします。
 皇太子さまの場合、「好きだからいいじゃないか」では困る。将来の皇后さまにふさわしい方だと、大多数の国民に祝福を受けるお相手であって欲しいわけです。私的な行為であると同時に、公的な行為なのです。
『FOCUS』1993年1月22日号<「皇太子妃内定」7年の大逆転>

pp.13・15より引用
 宮内庁の“最後の候補”久邇晃子さんとも、'91年秋、数回お見合いしたが最終的に、皇太子のOKが出なかった

『週刊新潮』1993年7月1日号<特集 十一日夜御結婚「御内宴」の出席者79人の「消息」>記事
p.134より引用
 しかし、皇族や元皇族の人達が、御内宴に積極的に参加したのも事実である。
 秩父宮妃は八十三歳の高齢で、かねて「心臓がお悪い」と言われてきたが、元気に出席して関係者を驚かせた。
 高松宮妃も、八十一歳の高齢を押して出席。
 島津貴子さんと島津久永氏(ソニー取締役)が出席したのはいうまでもないが、久永氏の母堂・久子さんに至っては、九十四歳の高齢で、日頃は杖をついている身だが、姿を現したのである。
 元王族として招かれた李玖氏(李王家に嫁いだ梨本宮家の長女・方子さんの長男)も珍しく出席した。
「皆さん、雅子妃には興味がおありだったようです」
 と、ある出席者はいう。
 むしろ、招かれたのに「御不参」の届けを出し、現実に欠席したのは、車椅子生活の桂宮宜仁殿下など、ほんの少数だったのだ。
 ただ、元皇族の久爾邦昭(伊勢神宮大宮司)・正子夫妻が欠席したのが話題になった程度だった。
「久爾家のお嬢さんは皇太子妃候補にあげられていたのに、結局、選ばれなかったので、無念に思っておられるらしい」などとあらぬ噂を囁かれたのである。


現在も独身であるため、もし徳仁親王が彼女と結婚していれば……という声が時々ある。学習院大学文学部哲学科卒業、国連英検特A級所持で英語は堪能。徳仁が小和田雅子と結婚した後、なんと久邇さんは東京大学理科二類に入学しただけでなく、日本最難関の理科三類入学よりもさらに難関とされる医学部進学(理IIの定員560名中上位10名だけが医学部へ進学可能)を果たし卒業。現在は精神科医としてご活躍中である(医師としては略字体の“久迩”を使用)。
このように、久邇さんは文系理系ともにパーフェクトな上、ピアノだって当然のように弾けてしまう女性であり、三代以上家系図が遡れず学歴ロンダリングに加えプラチナフルート放り出しの小和田雅子とは比べ物にならない、本物の才媛である。

参考:久邇家が東京大学にピアノを寄贈。その寄贈式にて晃子さんがピアノ演奏した記録

このような女性を選ばなかった徳仁の目は、まことに節穴であったとしか言いようがない。

文藝春秋』2011年12月号に久邇晃子さんが唐突に日本原発政策について寄稿掲載。皇室とは関係ないトピックながらも、副題に「旧皇族」と添えるなど今までなかった動きを見せており、同年11月3日悠仁親王殿下着袴の儀を境にいろいろ動き出したかと、スレ住民の注目を集めている。

『文藝春秋』2011年12月号<愚かで痛ましい我が祖国へ―旧皇族の問題提起―(久邇晃子)>記事その1 / その2


※参考ようつべ:Masako and the Other 8 Candidates of Chrysanthemum Fiance
くにさんは写されていないが、その他の皇太子妃候補とされる瀧直子さん、柳原留美子さん、古河純子さん、島津彩子さん、渋沢肇子さん、草刈智子さん、二荒美香子さん、波多野真理さん、そして3分40秒~自宅コンクリ御殿から妹と登場した小和田雅子。ただ一人だけ取材クルーに対し道路上でケラケラ笑い続ける小和田雅子と妹の行儀の悪さに注目されたい。
http://www.youtube.com/watch?v=1z57AT288yM
※参考画像:1990年12月10日 皇太子妃候補の取材を試みるフジテレビ情報番組「タイム3」ディレクターの勝本晶子氏に対し、路上で何故か声を上げて身をよじるほどの大笑いした雅子についての回想記事(『エッセ2002年1月号臨時増刊・フジテレビ情報プレゼンターとくダネ!プレゼンツ完全保存版 皇太子さま、雅子さま、おめでとう!敬宮愛子内親王さまご誕生』pp.62-63より)

なお、久邇家からは邦昭王の弟:朝建王の娘である久邇桂子さん(くにさんの従姉妹)が、三笠宮家の血を引く近衞忠大氏とご結婚。2男1女がおありとのことである。(2006三笠宮家集合写真、赤ちゃんを抱いているのが近衛桂子夫人

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