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お慎みの日

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天皇皇后両陛下がその犠牲者に黙祷を捧げ思いを寄せる、6月23日(沖縄終戦記念日)・8月6日(広島原爆投下日)・8月9日(長崎原爆投下日)・8月15日(終戦記念日)を指す。

MSN産経皇室ウイークリー

http://sankei.jp.msn.com/life/news/110125/imp11012522590018-n2.htm
http://sankei.jp.msn.com/life/news/110125/imp11012522590018-n3.htm
(146)悠仁さま、ムササビを「コウモリ?」 久子さまが岡田監督に「ふらふらしないで…」
2010.8.21 07:00 (2/5、3/5ページより引用)
 天皇、皇后両陛下は15日、日本武道館(東京都千代田区)で行われた全国戦没者追悼式に臨席された。菅直人首相の式辞の後、両陛下は正午の時報を合図に1分間黙祷(もくとう)を捧(ささ)げられた。その後、陛下が「終戦以来既に65年、国民のたゆみない努力により、今日の我が国の平和と繁栄が築き上げられましたが、苦難に満ちた往時をしのぶとき、感慨は今なお尽きることがありません」とお言葉を述べられた。
 両陛下は毎年、6月23日(沖縄戦終結の日)、8月6日(広島原爆投下の日)、9日(長崎原爆投下の日)、15日(終戦の日)を「お慎みの日」とし、黙祷を捧げ、犠牲者のことを考えられているという。宮内庁によると、両陛下はその日、音楽会などへの外出は控えられているという

http://www.sankei.com/premium/news/161210/prm1612100021-n3.html

http://www.sankei.com/premium/news/161210/prm1612100021-n4.html
2016.12.10 06:00
皇室ウイークリー
(464)両陛下、障害者の職場をご見学 冬の被災地をご憂慮の雅子さま
(3/4ページ)
 秋篠宮ご夫妻は6日、悠仁さまを伴って長崎市の爆心地公園を訪れ、原爆落下中心地碑に供花された。悠仁さまが通われるお茶の水女子大付属小学校の入試に伴う休日を利用した私的なご旅行。紺色のスーツ姿の悠仁さまは、ご夫妻の所作を確認しながら白い花束をささげ、深々と頭を下げられた。
 長崎原爆資料館や長崎歴史文化博物館もご見学。資料館では、元長崎大学長の土山秀夫氏と会い、被爆体験に耳を傾けられた。秋篠宮ご一家は毎年、両陛下に倣い、沖縄慰霊の日と広島、長崎の原爆の日、終戦の日に黙祷(もくとう)して戦没者を追悼されている
(4/4ページ)
 ご夫妻は3年前のこの時期にも、悠仁さまと沖縄県を訪れ、糸満市の平和祈念公園で沖縄戦の戦没者の名前が刻まれた石碑「平和の礎」を見学し、国立沖縄戦没者墓苑で供花されている


特に8月は静養に当たることが多いのだが、派手なお楽しみ行動が目立つ東宮一家の振る舞いがこの時期注目を集めている

また「お慎みの日」に準ずるものとして、近年の日本における大震災発生日である1月17日(1995年阪神淡路大震災)と、3月11日(2011年東日本大震災があり、特に後者についてはその発生の僅か1ヶ月後の月命日に東宮一家が東宮御所で「子ども会」を開催しお楽しみだった事実があるなど、こちらも大きな注目を集めている。

東宮一家とお慎みの日等関連編集

2007年8月15日東宮御所で子供会編集

8月15日 終戦記念日のこの日、東宮御所にて子供会を開く≪週刊文春9/6号≫

2010年8月6日リゾートホテルでディナー編集

8月4~8日 須崎御用邸静養≪Part1868-311mixi書き込み、サンデー毎日8/15号≫
   6日 皇太子、雅子様、愛子様に泊まってるホテルで会いました。初めてお目にかかりましたわ~≪Part1878-258ツイッター≫
      一家で須崎御用邸から程近いリゾートホテルに出かけ極秘ディナー≪女性自身8/31号、サンデー毎日9/5号≫
      下田ジャパンホテルで同級生二組と下田東急ホテルのシェフを呼んでケータリングに舌鼓≪テーミス9月号≫

2011年4月11日東日本大震災1ヵ月後の月命日に子ども会お楽しみ編集

サンデー毎日(2011/06/12)
・4/11、初等科は4/9始業式の振り替えで休日だった。
・3/10や8月の原爆の日など、皇族は「お慎みの日」として心静かに過ごされるのが通例。4/11も同様で、両陛下は公務をこなされながら黙とうを捧げておられた。(大意・両陛下側近)

・皇太子夫妻も東宮御所内で黙とうしていたことが宮内庁ホームページから窺える。
しかし、と顔をしかめながらある東宮関係者が話す。この日、愛子様の学友10人前後が集まり「お楽しみ会」が開かれていた。お慎みの日、しかも両陛下が被災地訪問を始めた時期にワイワイガヤガヤとした会を開催するのはいかがなものか、という声が内部から上がっていた

・4/11AM11時、数台の車に分乗した学友らが東宮御所へ。愛子様と雅子妃が笑顔で出迎え。
・東宮御所の庭ではボール遊びや鬼ごっこなどを東宮関係者二人がつきっきりで面倒を見ていた。疲れると室内でゲームに興じ、昼食にはサンドイッチ、3時のおやつにはオレンジゼリーが出される。
よほど楽しかったのかお楽しみ会は夜7時近くまで続く。驚いたのは皇太子夫妻がそろって一緒にいたこと。皇太子はビデオカメラ、雅子妃は小型カメラで子どもたちの様子を常に撮影していた。(東宮関係者)
・皇太子夫妻も子どもたちも笑顔が絶えなかった。しかし多くの皇族の方々が静かに過ごされていることを考えていると、喜んでばかりもいられないと思う。(東宮関係者)
・お楽しみ会は4/6の予定だったが、東宮夫妻の避難所訪問が決定したため11日に変更になった。

2011年8月愛子のイングリッシュセミナー私的外出と那須静養編集

8月6日~11日 愛子のイングリッシュセミナー
  10日 学習院女子大にて雅子・愛子の複数目撃ツイッター、小~高対象の英語セミナー参加≪Part2113-299≫
  「先週末から11日までは東京・新宿区の学習院女子大学で開かれていた英語のセミナーに参加」≪NHK8/11≫
  「8月6日から11日まで、日曜日の7日を除く5日間にわたってセミナーに参加した。」≪MSN産経皇室ウイークリー8/13≫
  「おもに雅子さまがご一緒されていました。」≪週刊文春8/25号≫
8月11日~9月1日 東宮一家が約3週間那須御用邸静養(徳仁のみ27-30日一旦帰京)

2012年6月23日沖縄終戦記念日に礼子長男パーティーとのスネークあり編集

6月23日 礼子長男誕生日パーティ?「お慎みの日を何とも思わぬ宴・・・毎年毎年・・・今年は特に殿下の件に一つも配慮できぬとあらためて皆溜息。もう誰も付いてゆかぬ」≪Part2375-599≫

※【スネーク】情報、事実かどうかは未確認。


2012年8月6日・9日・15日お慎みの日にオール私的外出編集

8月 6日 「2012.08.06 17:49 びっくり。ポリスに車止められたからなんかしたかと思ったら、愛子様とおりまーすいわれた。内親王ですものね via Twitter for iPhone」≪Part2406-41ツイッター≫
8月7~10日 学習院女子大学「イングリッシュセミナー」に愛子出席≪週刊女性8/21・28号≫、10日雅子目撃ツイッターあり
    「2012.08.08 22:07:13そういえば今日、愛子様が丸の内線に乗っていらっしゃって新宿で下りられたって。同僚目撃談。 [mb] via モバツイ / www.movatwi.jp」≪Part2406-944ツイッター≫
    「2012.08.10 14:47:30愛子様また学内で目撃!楽しそうに遊んでらっしゃる!よく見るとSPみたいな人めっちゃいるぅ via Twitter for Android」≪Part2407-696ツイッター≫
    「2012.08.10 21:17 @ 敷地内から車でお迎えだからなー。でも今日雅子様来てた。via jigtwi for Android」≪Part2408-132ツイッター≫
    「関係者によると、長時間に及ぶ日もあったが、各日、皇太子さまや雅子さまが付き添われた。」≪MSN産経皇室ウイークリー8/18≫
8月12~17日 須崎御用邸静養
    「ご一家は1週間近く滞在して海水浴などを楽しんだあと、お住まいの東宮御所に戻り、今月下旬からは栃木県の那須御用邸で2週間程度静養される予定だということです。」≪NHK8/12≫
    「ミヤネ屋で、愛子さまはお友達といとことってはっきり言ってたね。」≪Part2410-830≫

2013年8月6日原爆記念日に、翌年夏のフランス訪問狙いのOECD東北スクールイベントに突如出席編集

8月 6日 ご臨席(第4回「OECD東北スクール」取組発表会)(渋谷区・国立オリンピック記念青少年総合センター)
  →翌日の日本赤十字社『第44回フローレンス・ナイチンゲール記章授与式および茶話会』は副名誉総裁にもかかわらず雅子欠席
   「メンバーの1人が昨年、元外交官の雅子に『世界中の人々に活動を知ってもらうために、ぜひお越しいただきたい』と手紙を送り、この日の出席につながったという。」≪共同通信8/6≫
   「新聞で雅子さまが東北の復興に深い関心をお持ちだと知り、「自分たちの活動を知っていただければ」と、手紙をしたためた。
    この手紙は外務省関係者のはからいで、雅子さまの元に届いたようだ。当日、皇太子ご夫妻の先導役を務めた釣巻さんに、雅子さまは「お手紙、ありがとうございました」と声をかけられたという。≪産経皇室ウイークリー8/10≫
   <雅子さま『真夏の奮起』決意させた、福島女子高生からの『涙の手紙』
   「雅子が東北の復興に深い関心を持ちであることを報道で知った釣巻さん(現在京都在住)は、スクールの活動内容や
    自分の将来の夢などを切々と書き綴ったという。その手紙は当時OECD関連の仕事をしていた雅子の友人に託された
    「その後、雅子さまが『ぜひ皆さんをお励まししたいです』と、東京で開催予定だったスクールの発表会への出席を希望されていると伺った。(運営事務局)」
    8月6日の発表会ご臨席は、雅子さまの強いご希望で実現したご公務だったのだ。」≪女性自身9/6号
   「来年の八月末、被災地の子供たちは東北復興をPRするイベントをパリで行います
    雅子妃殿下はその点に非常に興味を持たれて、『とても素晴らしい取り組みですね』とおっしゃいました。
    妃殿下が外務省に入られて最初の海外訪問がOECDのパリ本部だったというご縁もある(OECD関係者)
    来年は国交樹立150周年を迎えるスイスや、OECDパリ大会などがあり、皇太子ご夫妻のお出ましの可能性も高いとみられる」≪週刊文春12/19号≫

11月4日放送 BSジャパン「皇室の窓スペシャル~天皇ご一家とスポーツ~」女子高生インタビューより>

Q.雅子に手紙を書いたわけ
A.「私達の東北スクールの活動は素晴らしいって自分達でも思っているので、そういう活動を実際に見て頂いたり、頑張ってる東北の中高生の姿、被災者という観点を抜きにしても、そういう姿をぜひ見て欲しいという気持ちがあったので私が出来る事なら、という事でお受けしました。」(←※OECDからの指示で手紙を書いた。)
Q.雅子から返事を頂いて
A.「ほんとに、ま、しばらく手紙を出してから、ご出席という事がわかるまで、だいぶ時間があいてたので、
  『ああ…そういえば、そんな手紙を書いていたな…(笑)』っていう気持ちではいたんですけど。そこでご出席という電話がきて。なんでしょうね、驚き過ぎて、逆に『あ、そうですか』みたいな。」


2013年8月9日長崎原爆投下日に、公務は欠席し愛子のイングリッシュセミナー見学に私的外出編集

8月 9日 愛子の学習院イングリッシュセミナー(霞が関ビル・霞会館)8/6~9日9時~14時
  →同日、赴任大使接見公務は欠席し私的外出【同日シリーズ】
  「9日のイングリッシュセミナーに雅子も出席。愛子が成果発表の入国審査の実技に急きょ選ばれたから」≪週刊文春8/29号≫
  「このセミナーは4年生から受講可で、愛子さまは3年連続で参加。『最終日に受講生たちはグループに分かれて英語劇を披露しました。
   愛子さまたちのグループは“入国審査を受ける家族”という劇でした。愛子さまは審査官に家族を紹介する母親役だったんですが、
   “マイ サン!(my son)”と大きな声で紹介した男の子が明らかに愛子さまより背の高い男の子で、観劇していた他の受講生や
   保護者からは大きな笑い声があがっていました。見学にいらしていた雅子さまもとてもお喜びでしたね』(学習院関係者)」≪女性セブン12/5号ネット記事≫

2013年8月15日終戦記念日に一家で黙祷発表するが、須崎の海岸で「毎日楽しく遊ばれて」報道編集

8月12日~16日 須崎御用邸静養「8/12 伊豆急14:30東京発17:24下田着 グリーン車予約できません」≪Part2626-207≫ 
   「5日間程度、御用邸に滞在して海水浴などを楽しまれるということです」≪NHKニュース8/12≫ 
     「小町恭士東宮大夫によると、ご一家は終戦の日の15日正午、御用邸内で黙祷した」≪朝日新聞8/16≫
   「(愛子は)この夏、皇太子と雅子と海岸で毎日楽しく遊ばれて、真っ黒に日焼けされたようだ。」≪女性自身9/3号≫

2014年6月23日沖縄終戦記念日に夫妻で黙祷初報道、「帰国時間も調整」とお慎みアピールに方向転換編集

※愛子は17日から遅刻・欠席続きの不登校中、雅子は同日ドタ出迎え
6月23日 徳仁スイス帰国玄関出迎え(東宮御所)「お住まいの東宮御所では雅子さまが笑顔で出迎えた」≪時事6/23≫
   「スイスから帰国した皇太子さまを雅子さまが出迎えました。療養中の雅子さま。お出迎えされるかはご体調次第で、事前には明らかにされず、直前に報道陣に伝えられます。きょうは笑顔で記者団に会釈してくださいました」≪朝日ツイッター6/23≫→ドタ出迎え《雅子、秋篠宮両殿下、眞子内親王、常陸宮殿下、瑶子女王、典子女王》≪朝日・皇室7days6/23雅子出席予定なし≫
   同日、愛子は学習院女子中等科遅刻 10時20分頃登校「週が明けた二十三日の月曜日の朝も、愛子さまは午前十時二十分頃に遅れて学校に到着」≪週刊文春7/3号≫【不登校
ご黙祷・沖縄慰霊の日につき(東宮御所)「皇太子ご夫妻も東宮御所で黙とうしたという」≪毎日6/23≫→初報道
   「正午の黙祷に間に合うように帰りの時間を調整されたとのこと」≪朝日ツイッター6/27≫→≪宮内庁日程ページ記載なし

2014年8月お慎みの日の黙祷を当日大々的に報道し、終戦記念日に「朝から晩まで海水浴」お楽しみ編集

8月 6日 ご黙祷・広島原爆の日(東宮御所)「皇太子ご一家も赤坂御用地の東宮御所で黙とうしたという。」≪毎日8/6初報道
         ご会釈(人事異動者)(東宮御所)→同日の勤労奉仕団ご会釈は欠席する【選り好み
       ご接見(赴任大使(イスラエル,スペイン,コンゴ民主共和国))(東宮御所))≪[ 朝日・皇室7days8/4予定なし]≫
      「ご接見は当初、皇太子さまお一方の予定だったが、雅子さまもお出ましになった。」≪産経・皇室ウイークリー8/9≫→ドタ出
8月6~9日 愛子私的外出・霞会館イングリッシュセミナー≪週刊女性7/22号≫
8月 9日 ご黙祷・長崎原爆の日(東宮御所)「9日の長崎の原爆の日も、黙祷をされる。」≪産経・皇室ウイークリー8/9初報道
8月12〜18日 一家で須崎御用邸静養
      「1週間、愛子さまは毎日のように朝から晩まで海水浴を楽しまれたという」≪女性セブン9/4号ネット記事
8月15日 ご黙祷・終戦の日(須崎御用邸)
      「皇太子ご夫妻と愛子さまは正午、静養先の須崎御用邸で黙祷されたそうです 12:12 - 2014年8月15日」≪朝日ツイッター

2014年8月20日広島で大規模な土砂災害が発生、静養中止し慎むと見せかけて東宮御所でお楽しみ会編集

当初予定(8月25〜29日 奥志賀高原ホテル不死鳥全館貸切予約「8月最終週はグランフェニックス全館貸切です」≪6/3 Part2788-16≫→7/23キャンセルグランフェニックス奥志賀8月末リリースしましたねえw」≪7/23 Part2821-460≫)

8月22日〜9月3日 那須御用邸静養週刊女性7/22号≫「静岡県と栃木県で静養されたりする予定です」≪NHK7/15
  ※両陛下は22〜29日の8日間軽井沢・草津ご静養を広島豪雨災害につき取り止め≪NHK8/21、ANN8/21等]≫
  「また、皇太子ご一家も、土砂災害で甚大な被害が生じていることに心を痛め、22日から13日間の日程で予定していた栃木県の那須での静養を取りやめられました。」≪NHK首都圏8/21魚拓
  「宮内庁は21日、広島市での豪雨災害を受け、皇太子ご一家が22日から9月3日まで予定していた那須御用邸付属邸(栃木県那須町)での静養を取りやめられると発表した。」≪時事8/21≫

8月下旬 お楽しみ会(東宮御所)「東宮御所に中学生が次々に訪れる。愛子が東宮御所に招待。愛子は警護の関係上自由に出歩けないので、頻繁に友達を東宮御所に招待している。」≪女性セブン9/11号≫

2015年2月22日徳仁誕生日会見にて、「私は,子供の頃から,黙祷をしており」必死にアピール事件発生編集

徳仁55歳誕生日記者会見(2月20日収録)より抜粋

皇太子殿下お誕生日に際し(平成27年)

問2 今年は戦後70年の節目の年です。戦争と平和への殿下のお考えをお聞かせください。先の大戦や戦没者慰霊については天皇,皇后両陛下からどのようにお聞きになり,愛子さまにはどう伝えられていますでしょうか。

皇太子殿下
私は,子供の頃から,沖縄慰霊の日,広島や長崎への原爆投下の日,そして,終戦記念日には
両陛下とご一緒に黙祷をしており,その折に,原爆や戦争の痛ましさについてのお話を伺ってきました。


2015年3月11日東日本大震災4周年当日、東宮一家は「黙祷した」「報道を見た」「登校した」だけ事件発生編集

3月11日 東日本大震災四周年につき 黙祷(東宮御所)

「皇太子ご夫妻も発生時刻に東宮御所で黙禱、長女愛子さまも学校で数人の友人と共に黙禱を捧げられたそうです 16:50 - 2015年3月11日」≪朝日新聞 中田絢子記者ツイッター
【東日本大震災4年】

皇太子ご夫妻も黙祷される 愛子さまは学校で
2015.3.11 17:25

 皇太子ご夫妻は、東日本大震災が発生したのと同じ11日午後2時46分、政府主催の追悼式に合わせ、お住まいの東宮御所で黙祷(もくとう)された。宮内庁東宮職によると、発生から4年を前にした震災関連の報道に関心を持ってご覧になっているという。

長女の敬宮愛子さまは学習院女子中等科の学校行事で登校しており、同時刻に校内で友人とともに黙祷をささげられたという。
産経3/11


2015年4月8~9日両陛下パラオ慰霊の旅を雅子は喪服で見送り、出迎えは欠席し「一家でテレビで見てた」事件発生編集

出席 4月 8日 天皇皇后両陛下パラオ御訪問につきお見送り(皇居・御所)「皇居・御所を出発する際は、皇太子妃雅子さまや秋篠宮妃紀子さまらがお見送りをしたということです。」≪JNN4/8
       戦没者慰霊のパラオ訪問のお見送りに場違いな笑顔でお手振りしながら皇居に入る雅子
       2010年1月17日阪神大震災15年周年追悼式典と同じ喪装で両陛下を見送りか?
欠席 4月 9日 天皇皇后両陛下パラオ御訪問につきお出迎え(皇居・御所)※10年前の2005年サイパン慰霊の両陛下お出迎え(御所)には雅子出席

【両陛下パラオご訪問】<宮内庁長官「お疲れとお見受けするが、安らかなお気持ちなのでは…」>
産経新聞2015.4.10 19:42より引用

 小町恭士東宮大夫は同日の会見で、皇太子ご夫妻が9日、長女の敬宮(としのみや)愛子さまとともに、両陛下が激戦地のペリリュー島で慰霊される様子をテレビでご覧になったことを明らかにした。

 <(378)すべての戦没者へ祈り…両陛下、パラオご訪問果たされる 帰国翌日は、56回目の結婚記念日>
産経新聞2015.4.11 06:00【皇室ウイークリー】より引用

 小町恭士東宮大夫によると、皇太子ご夫妻は9日、長女の敬(としの)宮(みや)愛子さまとともに、両陛下がペリリュー島で慰霊される様子をテレビでご覧になっていたという。

 <皇太子ご夫妻「改めて平和の尊さを」 パラオ訪問で感想>

朝日新聞 2015年4月10日22時53分より引用
 宮内庁の小町恭士東宮大夫は10日の会見で、皇太子ご夫妻と愛子さまが天皇、皇后両陛下のパラオ訪問(8~9日)の様子をテレビで見守ったことを明かした。
小町東宮大夫によると、ご夫妻は「両陛下が戦争で亡くなった方々をお心を込めて慰霊なさる姿に深い感慨を覚え、改めて平和の尊さを心に刻んだ」と感想を示したという。


参考:★NHK総合★ニュース「両陛下パラオご訪問 ペリリュー島で慰霊」2015年4月9日(木)午前10:35~午前11:10(35分)
※両陛下が慰霊した9日、学習院中・高等科は避難訓練で、「また学校を欠席か?」という声が多数【不登校】【病弱
しかも9日午後2時頃、愛子が地下鉄丸の内線に乗車している目撃ツイッターが多数あり、「後楽園遊園地で遊んでいたのでは?」疑惑も浮上
  「愛子様とすれ違った!電車乗ろうとしてた。SP的なのいた - 4月9日 14時02分」
  「丸の内線に愛子さま乗ってきたwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww - 4月9日 14時19分」
  「電車使うんだwwwwwwwwwww spいっぱいおるwwwwwwwwwwww - 4月9日 14時20分」
  「電車に愛子様おるwwwwwwwww - 4月9日 14時19分」「いるよwwwSPつけてるwwwwww - 4月9日 14時20分」
  「オーラは無いwww - 4月9日 14時21分」≪一般人ツイッター part2947-936/939≫



8月15日終戦の日について編集

第二次世界大戦以降の日本では、特に1945年8月15日を指す。終戦記念日とも。先の大戦では、多くの日本人が「天皇陛下のために」と命を失った。加えて、米軍により広島・長崎に原爆が投下され多くの犠牲者が出た8月6日・9日も重要な日付となっている

昭和天皇の8/15に対する考え方編集

毎年8/15に行われる「全国戦没者追悼式典」には、最晩年まで出席されていた。1988年(昭和63年)には、病状がかなり進行し、体重が激減したのが明らかであったにも関わらず、那須からヘリで移動し、ご自身で戦没者に対する哀悼の意を示された。同年秋以降、容態が悪化したため、これが生涯最後の公式行事出席となっている。

今上陛下の8/15に対する考え方編集

皇太子時代の1981年(昭和56年)8月7日、記者会見にて次のように述べられている。

朝日新聞1981年8月8日<皇太子ご夫妻「記憶すべき日は四つ」>より引用

(前略)
殿下が終戦記念日に関連して、とくに「沖縄戦終結の日」に触れられたのは初めてである。殿下は祖国復帰前から沖縄の「豆記者」を東宮御所に招かれたり、昭和50年の海洋博の折にご夫妻で沖縄県を訪問されている。このご訪問の際には、過激派に火炎びん(ママ)を投げられる「ひめゆりの塔事件」もあったが、日ごろ(ママ)沖縄に深い関心を寄せられており、そのお気持ちがこの日のご発言となったものと見られる。
終戦記念日についての感想を求められた殿下は、「多くの犠牲者とその遺族のことを考えずにはいられません」と話され、続けて「日本では、どうしても記憶しなければならぬことが四つあると思う」と広島、長崎の原爆の日、それに6月23日の「沖縄の戦いの終結の日」を挙げられた。「これらの日には黙とうをささげています。そして平和のありがたさをかみしめています」と述べられた。
(中略:長崎・沖縄に関するお考え)
ご夫妻は、毎年、この四つの日には三人のお子さま方を集め黙とうされているが、それについて殿下は「平和を守りたいという気持ちは、子ども達にもぜひ伝えていかなければならない、と努力しています」と話された。
(後略:訪英の逸話、浩宮の結婚について)

 【両陛下パラオご訪問】<「慰霊の旅」の集大成 示された「覚悟」産経新聞 2015.4.9 22:56(1/2ページ) / (2/2ページ)より引用~~

 天皇、皇后両陛下は9日、先の大戦の激戦地だったパラオ共和国ペリリュー島の慰霊碑で戦没者を追悼し、海外での2度目の「慰霊の旅」を無事に果たされた。
戦後70年の節目だけでなく、疎開などでご自身も戦争を体験した80代の両陛下にとり、平和への祈りの集大成ともいえるこの旅で「不変」の強い覚悟を自らのお姿で示された。
 日本軍約1万人が犠牲になったペリリュー島の最南端に建てられた「西太平洋戦没者の碑」。
両陛下は日本から持参した白菊の花束を手向け、深々と一礼された後、海の先に望むアンガウル島にも拝礼された。

 日本軍約1200人が命を落としたアンガウル島への拝礼は、ご訪問直前に天皇陛下のご意向で急遽(きゅうきょ)予定に入れられた。この機会に、より多くの英霊の鎮魂を祈り、思い残すことがないように務めを果たされる強い決意が垣間見える。

 疎開体験を原点に、平和への思いを高めてこられた両陛下。沖縄戦の組織的戦闘終結の日(6月23日)、広島、長崎の原爆の日(8月6、9日)、終戦の日(同15日)を「忘れてはならない」4つの日として挙げ、戦後50年の平成7年、広島、長崎、沖縄、東京・下町の戦地を巡る初めての「慰霊の旅」を行われた。

次いで、そのお心は「祖国を守るべく戦地に赴き、帰らぬ身となった人々」(8日のパラオ訪問ご出発前のお言葉)に向けられる。戦後60年の17年6月に初の海外での慰霊を米自治領サイパンで果たされた。
 だが、側近が「両陛下のお気持ちは不変」と強調する通り、ほかの島々での戦没者への思いも持ち続けられた。
サイパン訪問後の17年12月のお誕生日会見で陛下は「心の重い旅でした」と述べられたが、両陛下ともに80代となって迎えた戦後70年の節目はとりわけ重い。
 サイパンから両陛下が年齢を重ねられたのと同じく、生還者や遺族も高齢化が進んでいる。パラオご訪問を前に、両陛下がペリリュー島の戦いの「生の証言」をお聞きになれたのはわずかに2人だった。
 パラオご訪問は集大成の一つではあるが、「サイパンの後にパラオ、パラオが終わったら次のことをお考えになる。両陛下の戦没者慰霊のお気持ちに終着点はない」(宮内庁幹部)。

9日夜、羽田空港に戻られた両陛下を、その思いを引き継ぐ皇太子さま、秋篠宮さまが出迎えられた。
(伊藤真呂武)
~~引用終わり


注)戦後60年目の2005年両陛下サイパン慰霊の旅での空港お見送りとお出迎えは徳仁単独

平成17年6月27日(月)
皇太子妃殿下 天皇皇后両陛下アメリカ合衆国北マリアナ諸島サイパン島ご訪問につきお見送り(御所)
皇太子殿下 天皇皇后両陛下アメリカ合衆国北マリアナ諸島サイパン島ご訪問につきお見送り(東京国際空港)
平成17年6月28日(火)
皇太子殿下 天皇皇后両陛下アメリカ合衆国北マリアナ諸島サイパン島ご訪問からご帰国につきお出迎え(東京国際空港)
皇太子妃殿下 天皇皇后両陛下アメリカ合衆国北マリアナ諸島サイパン島ご訪問からご帰国につきお出迎え(御所)

平成17年6月27日(月)
文仁親王同妃両殿下 天皇皇后両陛下アメリカ合衆国自治領北マリアナ諸島サイパン島ご訪問につきお見送り(御所)
平成17年6月28日(火)
文仁親王同妃両殿下 天皇皇后両陛下アメリカ合衆国自治領北マリアナ諸島サイパン島ご訪問からご帰国につきお出迎え(御所)


東宮夫妻=徳仁雅子の8/15に対する考え方編集

『週刊文春』2005年9月1日号<雅子さま愛子さまと夏休み満喫でまたも批判の声> p.153より引用
 今回、ホテルでテニスや花火を楽しまれたのは、折悪しく8月15日の終戦記念日だった
「(中略)ところが、今年の8月6日の原爆記念日、雅子さまは聖路加病院の夏祭りに参加され、終戦記念日には皇太子さまもご一緒に那須でご静養だった。戦争問題を語り継ぐのは、時期天皇として受け継がなければならない大事な要素だと思うのですが」(皇室ジャーナリスト)

『週刊文春』2005年12月29日号<皇室記者オフレコ解禁!大座談会>
pp.29-30より引用
A 「皇太子はどこまでも雅子さまをお庇いになる」と言う関係者もいます。それはご立派なことです。しかし雅子さまが宮中の祭祀にあまり参加されなくなった頃、ある職員が心配して皇太子にこのままでいいのかと尋ねたそうです。皇太子のご返事は「参加しなくていいよ」でした。その職員は「そう言われちゃったらしようがないよ」と周囲に漏らしていたそうです。
C 最近、皇太子殿下のことを心配する声はよく聞きますね。殿下はあまりにお優しすぎるんです。妃殿下のことが心配で心配で、お立場のことまでお考えになる余裕がないのでしょう。
B 残念だったのは、ご静養中とはいえ、皇太子ご夫妻が終戦記念日にテニスをされたこと。今年は戦後六十年で、両陛下のサイパン訪問や那須の千振開拓地訪問がありましたから、余計に目立ってしまいましたね。
A 終戦記念日のテニスは御所の職員にも評判が良くなかったですね。「殿下は幼い頃から戦没者慰霊に取り組む両陛下のお姿を見てお育ちのはずなのに、いったいどうされてしまったのか」という声が聞こえてきましたよ。確かに“戦争の記憶の継承”を非常に大事にされてきた平成皇室だけに、あそこは東宮職がフォローして差し上げるべきだったのではないでしょうか。

きよびんガー「(8月5日の)10日後の原爆記念日」編集

Part3001-118 自治スレでLR等議論中@可愛い奥様@転載は禁止 age 2015/08/05(水) 17:10:08.10 ID:6ozcTI7u0
10日後の原爆記念日に検査をすると雅子さんが発表してたら非難轟々だったでしょうに。
皇后だとスルーして貰えるんですね。

153 自治スレでLR等議論中@可愛い奥様@転載は禁止 age 2015/08/05(水) 18:40:08.14 ID:6ozcTI7u0
ティアラが負担だったり帽子のコサージュが負担だったりと大変ですね。
10日後の原爆記念日と言わずに即刻検査された方がいいのではないですか。

8月5日の10日後、8月15日「終戦記念日」のことを言いたいらしいようですが、「原爆記念日」などと有り得ない間違いをご丁寧に二度も繰り返している、美智子皇后陛下の誹謗中傷が何よりの生きがいであるガー荒らしです。日本近現代歴史の基礎知識が欠落していると「お慎みの日」すらまともに認識できないことがよく分かります。


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