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お姫さま

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小和田雅子がハーバード大学時代、同級生に最初に教えた日本語の単語。

『素顔の雅子さま』取材編集/週刊女性皇室取材班、主婦と生活社(1993)

p.66より引用
「日本のこと」を熱心に伝えた日々。
友人に教えた“お姫さま”
「アメリカの人は日本のことをほとんど知らない。もっと日本のことを知ってほしい」
 そんな思いの雅子さまが大学1年のときに、先輩と一緒に作ったのが日本文化クラブ(ジャパニーズ・カルチャー・ソサエティー)。
 設立当初のメンバーは約20人。雅子さまは1年のときに書記を担当し、2年で副会長、3年のときには会長になるなど、中心的存在だった。
 活動は多彩で、駐日大使を務めたこともあるライシャワー教授などの著名時を招いての講演会、浮世絵や能の紹介から、黒澤明監督作品や“寅さん”シリーズの映画上映、そして習字、折り紙の紹介、日本食の試食会やダンスパーティーまで、日本文化を紹介するさまざまなイベントを企画した。
 もちろん、日本のことを話題にしていたのはクラブでの活動だけではない。
 雅子さまと同級生で現在ペンシルバニアに住む医師のマイケル・ハンターさんのいちばんの思い出は、正確な日本語を教わったこと。
「僕たちはローウェルハウスの仲間と7、8人の仲良しグループを作っていてマサコもそのメンバーに入っていました。僕はマサコに日本語を教わったのです。最初に習った言葉は“お姫さま”。僕はこの言葉がなかなか覚えられなくてね。“ヒメサン”とか間違えるたびにマサコが“お姫さま”と直してくれるんです。結局、この言葉を覚えるのに1ヶ月かかりましたよ。また、僕が“お腹へった”と、他の日本人から教わった言葉を使うと“お腹がすきました”と直してくれたことも覚えています」
 そんな縁からから、日本人の女性と結婚したマイケル・ハンターさん。


外国人に日本語を教える場合、「コンニチハ」「サヨウナラ」等挨拶表現はポピュラーすぎるものとして別にするにしても、なぜ“お姫さま”という単語が最初に教えられることになったのか非常に奇妙な話ではある。何故もっと日本文化を反映するような単語、もしくは日常生活で汎用性の高い語が選ばれなかったのか不思議である。
ハーバード大在学の1981~1985年小和田雅子は皇太子妃候補として世間から全く考えられていなかったはずなのだが、一部周囲が小和田雅子をそうであると見做していた節があり、また雅子本人もそう吹聴していたという説もある。
何故小和田雅子が同級生に、一番最初に“お姫さま”を教えることになったのか、小さいながらも気になる点として注目される。


  • 「ファッション&ライフスタイルのデザイン“シンクタンク”社長、山崎淑子(やまさきとしこ)のお洒落で実践的な“国際ビジネス”ジャーナル」より

http://web.archive.org/web/20060307233505/blog.livedoor.jp/mariekadan/archives/20621145.html
May 01, 2005

雅子に関する箇所のみ抜粋引用

■皇太子妃、雅子さま
今日、雅子さまは2ヶ月ぶりに公務へご出席されて、皇太子様とご一緒に日本ユニセフ協会「創立50周年記念」行事にお出ましになりました。
お元気そうな笑顔に、一安心です。

彼女がお父様の着任に伴われ渡米した際、ご近所のライシャワー・ハルさんに雅子さまの事をお伺いしたことがあります。
まだ70年代、後半のことです。

雅子さまがハーバードの学部生の頃、私もサマーコースに通っていました。あまり知られていないことですが、「雅子さまが皇太子様のお妃にふさわしいのでは」という話題は、ライシャワー邸周辺では80年代初めから語られていたそうです
これが本当に、現実になりましたね!

雅子さまは、きっとこれから、お元気にご活躍されることでしょう!私は心配していません。

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